「量とは何か」

銀林浩「量と数学教育」「数学教育現代化の基礎1「量と構造」」(遠山啓・銀林浩編,国土社)所収(1971)より抜粋。

注)仮名漢字表記や句読法は原文に忠実ではない。

量とはいったい何であろうか?物理学的に,また哲学的にはいろいろの解釈がありうる。物理学者では,ガリレオ,ヘルムホルツ,アインシュタインなど多くの学者が量の理論を提出しているし,哲学者では,アリストテレス,カント,ヘーゲルなどがその側からの理論を提出している。しかし,ここでは,数学教育との関連において,もっとも扱いやすい規定を考えれば十分である。

そこで,量とはものの1側面であると考える。ものにはいろいろな側面があろう。質的(qualitive)な側面もあれば量的(quantitative)な側面もある。長さ・重さ・密度・価格などは,この量的な側面である。しかし「美しい」とか「おこりっぽい」とかいうのは,少なくとも現在までのところ量的な側面とはいえない。それらは,質的な性質といわなくてはならない。

時間ははたしてものの側面といえるか,というような疑問も生じるが,これもものの一様な運動に付随する経過量と考えれば,この規定に準じて扱うことができよう。じつは数学教育における時間概念のむずかしさは,ここに1つの原因があるといえる。

数学的にいえば,もの,つまり集合Aにその側面 m(A)を対応させる写像を考えるわけである :
m:A → m(A)
数学では,このような写像を集合函数(集合を変数とする函数)という。のちに述べるように,量が数値化されれば,函数値 m(A)は整数あるいは実数となる。この数値 m(A)が集合 Aの上に《乗っている》,あるいは《分布している》と考えれば,それは一様に分布していなければならない。だから,量は,集合の一様化(等質化)によって得られるといってもよい。

しかし,これだけでは,まだ量を質から区別したことにならないから,不十分である。もう少し精密な規定が必要である。そのために2つの規準を設けよう。

[a] 比較可能性(comparability)すなわち,《ものの1側面》が単なる質ではなく量であるためには,相互に比較ができなくてはならない。すなわち,2つのもの A1, A2 をもってきたときに,m(A1) と m(A2) の間に, m(A1)≦m(A2) のような関係が成り立ち(つまり直接比較の原理である)値 m(A) について
(1)a≦a (反射律)
(2)a≦b, b≦a ならば a=b (反対称律)
(3)a≦b, b≦c ならば a≦c (推移律)
が成り立つ。いいかえれば,量mは全順序集合を作る。

ここから,いかなる場合にも(内包量においても)比較(大きい小さい,長い短い,広い,狭い,重い,軽い,速い,遅い,濃い,薄い,など)こそが量指導の第一歩でなければならないことがわかる。また,(3)の推移律が間接比較の論理にほかならない。

しかし,比較ができるだけではまだ十分ではない。比較可能性だけでは,量 m が単なる全順序集合をなすというだけで,数直線上に目盛れる,すなわち,実数の連続体( R の部分集合)をなすことは保証されないからである。

数直線をなすためには,一様につまり等間隔に量 m(A) が配列されなければならない。そのために

[b] 差異の相等化または差の等化。いいかえると,a と b をくらべたときの差 b―a と c と d をくらべたときの差 d―c を等置できる:
b―a=d―c … (1)
ということである。もっと標語的にいえば,差の比較可能性である。

以上の2つの限定をつけた1側面m(A)を量(quantity)とよぶことにする。

差異の相等化を定式化した式 (1) において,とくに a=0 とおくと(空集合のになう量 m(φ)=0 とする)
b=d―c … (2)
すなわち,
c+b=d … (3)
が得られる。いいかえれば,差異の相等化は加法の可能性 (3) と減法の可能性 (2) に導く。ただ,加法といっても,もともとの差異の相等化 (1) が,差の等しいことを主張しているので,減法 (2) は求差であり,加法 (3) は添加を意味していることに注意しなければならない。

ところで,(3)において,b=x+y であったとすると,図1-2から見てとれるように,(3)の関係は,
c + (x+y)=(c+x) + y … (4)
と書き直せる。すなわち,加法 (3) は結合律をみたすことが導かれる。

図1-2(省略)

こうして量 m(A)は全順序集合をなすとともに,加減の可能性によって群をなすことになる。そこでつぎは,この群算法の添加が大小の順序関係と両立するかどうか,つまり
x<y ならば a+x<a+y (添加の単調性)
がなりたつかどうかであるが,x<y なら,(3)によって,z なる量があって
x+z=y,
したがって
a+(x+z)=a+y
結合律によって
(a+x)+z = a+y
したがって
a+x<a+y
で両立性はたしかに成り立つ。だから量 m(A) の全体Gは1つの全順序群をなす。

さて,2つの分量 a, b を間接比較する際(間接比較自身は,推移律の適用である)第3の媒介項 c が a と b の間にあれば,
a<c,  c<b ならば a<b
が導かれて比較は完了する。ところが,この第三者 c が a や b より小さいときは,差の比較可能性によって c を取り除いた差 a―c と b―c を比較する。添加の単調性によって,a―c と b―c の比較から a と b の比較が従う(a―c<b―c なら,c+(a―c)<c+(b―c),すなわち a<b となる)。さらに c がこの2つの差よりまだ小さいときには,また c を取り除いた a―2c と b―2c を比較する。こうして,もし
a<nc,  nc<b … (4)
なる自然数 n が存在すれば,比較は完了する。この c が個別単位にほかならない。cを標準化すれば普遍単位となる。

しかし,(4) が可能なためには,任意の量 c をいくつか添加すれば(つなげれば),与えられた量 a をしのぐという,アルキメデスの公理:

[c] 与えられた2つの量 a, c に対して, a<nc をみたす自然数 n が存在することが前提となる。(「塵も積もれば山となる」の理)

こうして,[a] 比較可能性,[b] 差異の相等化,[c] アルキメデスの公理を仮定すると,量 m(A) の全体 G はアルキメデス的全順序群をなし,ブルバキの定理(ブルバキ「位相3」東京図書§3演習1p18参照)によって,実数の加法群 R の部分群に同型になる。

この同型によって,量 m(A) は数値化され,G は離散群に同型になるか,あるいは実数 R の部分集合に同型になる。

引用者注)同型でも G は其れと同一ではない。つまり G には積(量同士の積)は定義されていない。

最終更新:2014年07月22日 09:29