ワタミ 女性従業員の過労自殺

2008年4月に「ワタミフードサービス」に入社し、神奈川県横須賀市内の京急久里浜店に配属された女性従業員(当時26才)が、2か月後の同年6月に同市内の自宅近くのマンションから飛び降りて自殺した。
女性の遺族は「長時間の深夜勤務や、残業が続いた」ことを原因とする労働災害の認定を申請した。
横須賀労働基準監督署は女性の自殺が業務に起因するものとは認めなかったため、遺族は神奈川労働局に審査を求めた。
神奈川労働者災害補償保険審査官により改めて審査が行われた結果、2012年2月14日付けで、女性の自殺は過労による労働災害であると正式に認定された。
決定書および代理人弁護士によると、「深夜の調理担当として配属された」女性は「連日午前4時から6時までの調理業務」および「朝5時までの勤務が1週間連続」するなど、「最長で連続7日間の深夜勤務を含む長時間労働」により「1か月の残業が約140時間」に達し「4月から6月の2か月間の残業は計約227時間」にも及んだばかりか、「『休日』には午前7時からの早朝研修会やボランティア活動およびリポート執筆」が課され「休日や休憩時間が不十分」で「極度の睡眠不足の状態」に陥り、「不慣れな調理業務の担当となり、強い心理的負担を受けた」ことなどを主因として「精神障害を発病」し女性が自殺に追い込まれたと、業務と自殺の因果関係を認めた。
自殺前の女性の手帳には、助けを求める悲痛な叫びが記されていた。
本件に関して女性の父親は「過酷な労働環境により娘は自殺に追い込まれた。ワタミの責任だと認められたことが娘への何よりの供養。これを機に、ワタミが従業員を重んじる企業へと更生することを望む。また、同様の状況下にある人を少しでも救ってほしい」と述べた。
ワタミ広報グループは報道各社の取材に対し、いったんは「審査官による決定書の内容を把握しておらず、コメントを差し控えたい」と述べたが、2月21日に自社のウェブサイト上にて「当社の認識と異なっており、今回の決定は遺憾」との声明を文書にて発表した。
同社の創業者であり取締役会長の渡邉美樹は自身のTwitterで女性の自殺について触れ、「労災認定の件は非常に残念であるが、労務管理ができていなかったとの認識はない」との見解を示した。
そしてそのわずか5時間半後には、自身が理事長を務める「郁文館夢学園の姉妹校建設のためバングラデシュに来た。
バングラデシュにおける教育モデルを作りたい」などと発言した。
渡邉の発言には多くの批判が寄せられたが、渡邉はそれに対し「多くの指摘に感謝する」と述べた。
また、「バングラデシュで学校を作ることは、亡くなった彼女も期待してくれていると信じている」などと発言した。
渡邉は、神奈川労働者災害補償保険審査官によって正式に認定された元女性従業員の苛烈極まりない労務を認めなかったばかりか、女性の自殺という取り返しのつかない結果に至ってしまったことに対する謝罪の弁を述べることもなかった。
渡邉の一連の発言に対し、あまりにも不見識であるとの猛烈な批判が殺到した。
事ここに至って、渡邉はようやく「命懸けで反省する。彼女に心から詫びねばならない」と陳謝した。
この渡邉の発言のあとの2月24日、ワタミは自社のウェブサイトから、「当社の認識と異なっており、今回の決定は遺憾」と会社としての見解を表明していた文書を削除し、新たに「労災認定については、神奈川労働者災害補償保険審査官による決定の内容を精査し、真摯に対応する」との声明を文書にて発表した。
しかしワタミは、自殺した元女性従業員の残業時間や勤務状況、および先の文書を削除した意図に関しての回答は拒否した。
代理人弁護士はワタミに対して、遺族への謝罪と賠償を請求し、再発防止策の提示を求める要望書を提出すると表明した。
渡邉は自ら「命懸けで反省する」と公言し、ワタミも「真摯に対応する」との声明を出していたが、そういった一般向けへの態度とは裏腹に、遺族に対しては「金を払えばいいのだろう」という姿勢で臨んだ。
労災が認定されたにもかかわらず、ワタミは遺族に対し「直ちに会社の安全配慮義務違反には当たらない」と主張し、遺族が求めていた再発防止策への明確な回答も拒んだ。
遺族は、元女性従業員の自殺の原因究明と再発防止のため、2012年9月にワタミの会長である渡邉本人との直接交渉を求めた。
それに対しワタミは、「渡辺会長の同席は一回だけ」、「録音は不可」、「両親の立てた代理人とは交渉しない」、「労働組合の立ち会い不可」などと回答し、娘を失って悲嘆に暮れる遺族の感情を逆なでした。
遺族が抗議すると、2012年11月、ワタミは、加害者である自らが被害者である遺族に対して名古屋地方裁判所に民事調停を申し立てるという異例の対応を取った。
申し立てた調停の趣旨は、ワタミ側が遺族側に対して支払うべき損害賠償の金額を決定させることであり、自らの法的責任や安全配慮義務に違反したことは決して認めようとしなかった。
調停にて、ワタミは遺族をまるでクレーマーのように扱い、事実説明を求める遺族の質問に対しては「貴重なご意見として承る」と木で鼻をくくったような回答を連発した。
この調停において、「真摯に対応する」というワタミの声明が単なる方便であったことが露呈した。
悲壮な弔い合戦に挑む決意でワタミとの争いに臨む遺族にとって、賠償金のみを得て本件に幕引きを図ることは、元女性従業員である我が娘の生命の尊厳を再び踏みにじることと同義であり、決して受け入れられるものではなかった。
2013年11月、調停は決裂した。
ワタミの行動には、一刻も早く事件を風化させ、企業イメージを回復したいという剥き出しの本音が表れていた。
遺族は、ワタミが反省の色を示さず、実態究明をも拒んだまま事を進めようとするのであれば、損害賠償も謝罪も再発防止策もありえないと悲憤した。

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最終更新:2014年10月21日 00:54