関係あるとみられるもの
洩矢諏訪子(東方風神録)
物部布都(東方神霊廟)
住所
守屋山登山口1 長野県伊那市高遠町藤澤(山頂まで約1時間半。)
守屋山登山口2 長野県諏訪市中洲宮山1(諏訪大社上社からの直登コース。山頂まで約3時間。)
守屋神社 長野県伊那市高遠町藤澤87(JR中央線茅野駅又はJR飯田線伊那駅から健脚で徒歩3時間くらい。)
守屋山
※山頂
長野県諏訪市と伊那市にまたがる山。標高1651m。多くの文献はじめwikipediaにまで「諏訪大社上社のご神体」と表記されているが、実はあまり根拠がない。
というか、大社の神職の方が「違うよ!」と仰られたという話まである。諏訪大社HPには「上社は御山をご神体として拝す」とは書かれているが守屋山とは言ってない。
そもそも中世においては、現人神たる大祝こそ"ご神体"であったはずである。いつの段階で御山がご神体になったのかご存知の方は是非この項を補筆してください。
守屋山が諏訪大社のご神体説が広まった背景には、上社の神長官である守矢氏と同音である事や山岳信仰との結びつきが関係しているのかもしれない。
ただ東方projectにおいては、神霊は神話によって姿形を変えるとされている。多くの人が諏訪のご神体=守屋山だと思えば、きっとそうである。…かもしれない。
他方で、現代の諏訪信仰以前の諏訪信仰、すなわち洩矢神を中心とした古代諏訪信仰にあって、守屋山がどのような位置づけにあったのかは定かではない。
守屋山がいつから守屋山と呼ばれ、なぜそう呼ばれるようになったのか。「モレヤ」と「モリヤ」が極めて似た韻をもっているのは、単なる偶然の一致なのか。
これらの謎については一部の熱心な古代ロマンチストたちによって妄想され、遥かイスラエルの旧約聖書中に登場する「モリヤ山」との類似性にまで言及されている。
非常に多層的で謎多き諏訪信仰の本質を解き明かす上で、念頭に入れておきたい山の一つであることは疑いない。
なお、守屋山山頂からは諏訪湖を眺望することができ、その御姿はとても素晴らしい。
守屋山の登山口自体がすでに標高1200m以上の場所にあるので登山経験の少ない方でも、ものの1時間半程度で山頂にたどり着くことが出来る。
ただし、途中結構な急登が続くので甘く見てはならない。
余談ではあるが、守屋山登山口1の付近には高床式のやたらアジアンな建物が(なぜか)建っている。
かつてこの地に「長谷部アジア公園」という別荘地が開発される予定だったものの名残だそうで、ある意味幻想的である。
※なんかの夢のあと
守屋神社
※守屋神社
守屋山登山口1の付近にある神社。正式名称を物部守屋神社という。なぜなら鳥居の額束にそう書いてある。
小さな神社だが、本殿からもう少し登ったところに祠状の奥殿があり、さらにその上に石祠ようなものが建つという非常に奥ゆかしい造りになっている。
※本殿
※奥殿
※奥殿のさらに上にある石祠。心なしかケロさん帽に似ている。
神社の由緒について文献を紐解くと、物部守屋神社は丁未の乱の後蘇我氏と聖徳太子によって滅ぼされた物部守屋大連の子息らが大和からはるばる信濃に逃れ、
藤澤の地に土着した後、昔(先祖)をしのび物部守屋大連を祀って建立した一種の氏神神社のようなものらしい。
守屋山には、諏訪守矢氏や古代諏訪信仰洩矢神にちなむいくつかの謎と物部守屋氏にちなむいくつかの謎が混同しているようにも見える。
モリヤとモレヤという二つの似た響きの語が偶然にも混同を生んだのか、あるいは現に何らかのつながりがあるのかは不明である。
※守屋山山頂にある守屋山奥社。ご神体としてか、弓が置かれている。
最終更新:2015年11月27日 08:08