関係あるとみられるもの

東風谷早苗(東方風神録ほか)

住所

〒392-0015 長野県諏訪市中洲

JR中央本線「茅野」駅からおよそ3km(徒歩約40分)
諏訪大社上社本宮から徒歩10分

旧大祝邸

諏訪大社の神職である大祝の住んでいた屋敷である。
平成14年(2002年)に最後の大祝が亡くなってからは無人となり、現在は諏訪市が管理している。

表門 大祝が存命のころはよく開かれていたらしい。

ほとんどただの廃墟となった旧大祝屋敷

文政13年(1830年)に焼失したのち天保年間に再建された屋敷は、4重の堀に囲まれた約3000坪の敷地に約320の主屋が建てられ、
2棟の土蔵、別荘、女性が月経や出産のときにこもる「たや部屋」などの別棟も備える広大なものであった。
しかし時代を経て敷地とともに主屋も縮小され、昭和初期には約80坪になり、平成22年の調査では約43坪となっていた。
ただし、北側の3つの部屋はほぼ天保年間の姿を保ったまま現在まで残されている。

表門に向かって右奥に見学用の入り口から敷地内に入り、建物をぐるっと一周する散策路内のみ立ち入ることが出来る。


大祝と神長官

諏訪の信仰を理解するうえで避けては通れないのが、諏訪大戦の元ネタともなった土着神話と中央神話の対立である。

中央神話勢力の中心となったのが建御名方命の末裔とされる諏訪氏である。
平安時代以降は領主としてこの地を統治する一方で、諏訪明神の依代として諏訪社の頂点に位置する役職「大祝(おおほうり)」を代々務めてきた。
大祝は諏訪大社上社の祭神、あるいは現人神であるともいわれ、5,6歳から15,6歳までの務めが終わると最高位から離れて隠居していた。
生き神様を祀る信仰が存在し続けた神社は全国でも珍しいとされる。
簡単に言うと神奈子様側。

一方で、土着神話勢力の中心となったのが洩矢神の末裔とされる守矢氏である。
今からおよそ1500~1600年ほど前、大和朝廷の支配が及ぶ以前からこの地に居た土着の部族で、洩矢神と呼ばれ守屋山を神の山としていた*1
中世・近世においては諏訪大社上社の筆頭神官である神長(官)を代々務めてきた一族である。
守矢家の祈祷は一子相伝で、神長以外ほかの何人もたずさわるを許されない秘伝であった。
簡単に言うと諏訪子様側。


古来より諏訪の地では、洩矢神(ミシャグジ神と同一視されることもある)が信仰を集めていた。
そこに出雲より建御名方命が侵攻したため、洩矢神との争いになる(天竜川の戦い)。
「諏訪大明神絵詞」などの伝承によれば、洩矢神は鉄輪を武具として迎え撃つが、建御名方神の持つ藤の枝により鉄輪が朽ちてしまい敗北したという。
これによって建御名方命は諏訪明神として諏訪大社に祭られ、諏訪氏は上社大祝を務めることとなり、守矢氏は上社の筆頭神官となった。

平安時代以降は諏訪氏は神官であると同時に武士としても活躍し、領主としてこの地を支配することとなった。
諏訪大社が信濃国一之宮として朝廷から重んじられていたことや、建御名方命が軍神なので武人から崇敬を受けていたことなどから、
中央勢力の中において諏訪氏は長きにわたって高い権威を誇示してきた。
その一方で守矢氏は、立場の上では神長官という大祝を補佐する役割でありながら、上社の祈祷と政務事務の実権を握り、
大祝という存在をコントロールしつつ伝統の信仰を守り続けていたのである。
こうした権力の二重構造はたびたび両家に確執を生み、大祝霊廟と千歳社など現在でもその抗争が表面化した痕跡をたどることができる。

そして明治維新によって、両家は大きな転機を迎えることとなる。
明治5年に神職の世襲制が廃止され、中央から派遣された宮司が祭主を務めることになったのだ。
これによって大祝職は廃止され、「最後の大祝」となった諏方弘氏が平成14年(2002年)に跡継ぎ不在のまま亡くなったため、大祝家諏方氏はなくなってしまった。
また神長官職も廃止されたため、「最後の神長官」となった守矢家76代目の守矢実久氏を最後に完全な秘伝は受け継がれなくなり、
現在の当主である78代目の守矢早苗さんは、祖父実久氏から簡単な話は聞いたようだが秘伝は受けていないという*2


こうして考えると、建御名方命・八坂刀売命を元ネタとしているとされる八坂神奈子、洩矢神・ミシャグジを元ネタとしている洩矢諏訪子、
そして「風祝」でありながら「早苗」の名を持つ東風谷早苗という3人(3柱?)のキャラクターはとても大きな歴史的背景を背負っているということが想像できる。


関連
  • 神長官守矢史料館・御頭御射宮司総社 :神長官守矢家の史料館で、敷地内には大祝霊廟もある。
  • 洩矢神社 :洩矢神と建御名方命の戦いの際に、洩矢神側が本陣を置いたとされる場所にある神社。
  • 藤島神社 :上記の戦いの際に、建御名方命側が本陣を置いたとされる場所にある神社。
  • 守屋山 :守矢氏が古来より「神の山」とした山。


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最終更新:2017年03月31日 02:58
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