関係あるとみられるもの

ルーミア
秋穣子
秋静葉
犬走椛
射命丸文
八坂神奈子
姫海棠はたて


八ヶ岳(やつがたけ)



守屋山山頂からみた八ヶ岳(蓼科山~編笠山)


 長野県佐久地域(もしくは諏訪地域)から山梨県北杜市にまたがる、いくつかの山々の総称。日本百名山の一つに数えられているが、南北約20キロにわたって連なる2000メートル超の雄大な尾根の連続をもって「八ヶ岳」という一個の山体と見なされており、「八ヶ岳」という名の山は現在も過去も存在したことがない。ただし、古い文献や伝承の中では「八ヶ岳」が一個の山として描写されることも少なくないため、「八ヶ岳」の山体を構成する山々のうちの一つが単独で「八ヶ岳」とみなされたことも少なからずあったものと思われる。
 どの山からどの山までを指して「八ヶ岳」と呼ぶのかは諸説があり、ともに「八ヶ岳」をおらが山としている諏訪地方・佐久地方(長野県)側の人々と甲斐地方(山梨)側の人々の間でも、かなりの見解の相違がある。北端に蓼科山(後述)を加えたり加えなかったり、ちょうど真ん中ら辺にある「夏沢峠」を境として「北八ヶ岳」と「南八ヶ岳」に分けたり、このうち「南八ヶ岳」だけを八ヶ岳と呼んだりすることもある。以下、「八ヶ岳」に含まれるとされる山を列記する。

北八ヶ岳
①蓼科山(たてしなやま) 標高2,531m。日本百名山の一つ。詳細は後述する。
②北横岳(きたよこだけ) 標高2,480m。三角点は標高2742mの南峰にある。正式名称は「横岳」だが、南八ヶ岳にも横岳があるため"北"横岳と呼ばれる。
③縞枯山(しまがれやま) 標高2,403m。まるで巨大生物の爪跡のように針葉樹が直線状に枯れる"縞枯れ現象"が山名の由来にもなっている。  
④茶臼山(ちゃうすやま) 標高2,384m。北八ヶ岳を縦断する麦草峠(メルヘン街道)にほど近いため、初心者でも比較的容易に登ることが出来る。
⑤丸山(まるやま)    標高2,330m。麦草峠を挟んで茶臼山の南。山頂に丸山神社という茅葺風味のミニ神社がある。
⑥中山(なかやま)    標高2,496m。上述の丸山から縦走するほか、観光名所の白駒池・高見岩を経由してくるルートがある。山頂付近は樹林帯。
⑦冷山(つめたやま)   標高2,193m。「れいざん」ともいう。山中のどこかに巨大な黒曜石の塊が存在する。現代でもひっそりと信仰されている。
⑧天狗岳(でんぐだけ)  標高2,646m。山頂が東西に二峰ある。西暦888年に崩落したが、原因について噴火・地震いずれの痕跡も無く謎とされている。
⑨根石岳(ねいしだけ)  標高2,603m。夏沢峠を境界として八ヶ岳を北と南に分けた場合、北八ヶ岳の最南端に位置する。

南八ヶ岳
⑩硫黄岳(いおうだけ)  標高2,760m。奥まった所にあり、単独でアプローチされることはあまりない。巨大な火山壁を持つ。
⑪横岳(よこたけ)    標高2,829m。なだらかで登りやすい北横岳と好対照に岩ばった峻厳な山。ともに南北八ヶ岳の山容の相違を象徴している。
⑫赤岳(あかたけ)    標高2,899m。現在の八ヶ岳の最高峰。
⑬中岳(なかたけ)    標高2,700m。赤岳と阿弥陀岳の中間にあり、いずれかから縦走するのが一般的。
⑭阿弥陀岳(あみだたけ) 標高2,805m。現在は八ヶ岳第3位の高さだが、かつては八ヶ岳の最高峰だった。
⑮権現岳(ごんげんだけ) 標高2,715m。「薬師ヶ岳」の古名をもつ。明治頃まで山梨側で「八ヶ岳」というと、この山を中心とした一帯を指した。
⑯西岳(にしだけ)    標高2,398m。南八ヶ岳の中では標高が物足りず、登山道もほぼ樹林帯のためイマイチ人気が無い。
⑰編笠山(あみかさやま) 標高2,524m。編笠を伏せたような美しい山容。八ヶ岳の最南端としてほぼ異論はない。


蓼科山(たてしなやま)

 諏訪湖の南東、八ヶ岳の北に位置する山。八ヶ岳に加えられることもあり、八ヶ岳と蓼科山をあわせ「八ヶ岳連峰」と呼ばれることもある。諏訪富士(すわふじ)や「女神山」といった雅称でも知られ、非常に美しい山容を持つ。一方で峻厳な登山道には浮石や巨岩がゴロゴロしており、成層火山らしい豪快な顔も持ち合わせる。「蓼科」は「たてしな」と読むのが通例であり長野県立科(たてしな)町の由来にもなっているが、かつては「たでしな」と呼ばれることもあったらしい(『明治神社誌料』)。

 古くは信仰の対象とされてきた山でもあり、「蓼科神」という女神として神格化された。余談だが、諏訪地方(厳密に言と諏訪湖の東方)は女神の記憶が極めて色濃く残る稀有な地方である。諏訪から美ヶ原・蓼科方面に伸びる有料道路(現在は無料)に「ビーナスライン」という名が選定されたり、農業用の溜池に「女神湖」の名が付けられていたりと、なにかと女神プッシュをしたがる風潮がある。長野県茅野市から国宝「縄文のビーナス」「仮面の女神」が発掘されていることなどから、遥か太古から女神を祀る風習があったのか、卑弥呼のような偉大な女首長の記憶が刻まれているのか、神奈子アンド諏訪子のような強大な女神が強権をもって君臨していたのか、そのいずれかであろう(確信)。民話の中で登場する蓼科山は富士山及び八ヶ岳の妹とされており、富士山に蹴飛ばされて小さくなってしまった八ヶ岳(後述参照)を憐れに思い声をあげて泣いたという。その涙が川となって流れだし、やがて諏訪湖を形成するようになった言うから、強権というよりはお姉さん(お兄さん)思いの非常にやさしい神様である。なお、八ヶ岳がそうであるのと同様に、蓼科山を霊山として信仰する風潮は現代までに衰退してしまったと言わざるを得ない。蓼科のふもとには「蓼科神社」、山頂には「蓼科神社本宮」が今でも残されているが、その主祭神は高皇産霊尊(タカミムスビ)や木花咲耶姫(コノハナサクヤビメ)にとって代わられており、名居神社と同様に古い神さまの名を留めるのみとなっている。

 また、諏訪大社で7年に一度催される奇祭御柱祭(おんばしらさい)の御用木は、通常諏訪大社の社有林から選定することがならわしであるが、西暦2004年及び2011年の御柱祭では蓼科山の東麓のあたる箕輪平より選ばれて切り出されている。東方projectにおいて八坂神奈子ら守矢三神が幻想郷にやってきたのは2007年ごろの事なので、神奈子の背中にニョキニョキ生えているオンバシラあるいはスペルカード「エクスパンデットオンバシラ」で神奈子が投げつけてくる(『グリモワールオブマリサ』P79)オンバシラにはメイドイン蓼科がまぎれこんでいる…かもしれない。

 このほか、蓼科にはビジンサマが住んでいると言う伝説がある。ビジンサマは山の神さまとも妖怪とも言われているが、伝承自体がほぼ口伝により出典も不明であるため、詳細は謎に包まれていると言わざるを得ない。ビジンサマという「イケメン君」ばりに恥ずかしい呼び名がかなりユニークだが、そんな名前がかすむほどに更にユニークなのがその見た目である。黒い雲に覆われた両手で抱えられないほどの大きさの球体で、その下に赤や青のビラビラしたものが下がっている。という。宙に浮く黒い球体と聞いてルーミアさんを、青や赤のビラビラと聞いてフランちゃんを想像できたら、諸兄も立派な東方クラスターであると言えよう。民俗学的に考えても、ここまでとんがった見た目と名前を持つ以上、ビジンサマには何らかの元ネタとなるような生物・現象があったと考えて然るべきところである。「ビジンサマを見ると雨が降る」「ビジンサマに遭ったらその日は仕事をしてはならない」というさらにまた一風変わった伝承もあるため、山を登って来る黒い雨雲や積乱雲の放電現象が未知の存在化された可能性もあるだろう。


背比べ神話

山の神さまたちが、元気に活動していたころの話。
富士山には木花咲耶姫(コノハナサクヤビメ)という女神がおり、浅間様(せんげんさま)とも呼ばれていた。
浅間様はとても気性の激しい神さまだった。普段より「我が富士山の標高は日本一ィィィィ!」といばりくさっていた。
そのころ富士山の北側にもう一つ高い山があった。そこには権現様(ごんげんさま)という男の神様がいた。
権現様も中々アレな性格で、浅間様がいばるたびに 「日本一高いのは、自分の山だ!」と烈火のごとく怒った。
二人の神さまには譲り合う心が皆無であったため、こうして言い合うたびに最後には実力行使のガチけんかに発展した。
山同士のけんかは、頭から溶岩を吹き出し、地面を揺らし、火山弾をまき散らす激しいものだった。元祖弾幕ごっこと言える。
迷惑したのは、山のふもとに住む人々や動物たちである。けんかが起こるたびになす術なく逃げ回るしかなかった。
そんなことが何百年も何千年も続いていた。

やがて二神は、この不毛すぎる争いに飽きたのか
「この際御嶽山の阿弥陀如来様にどちらが高いか見てもらい、白黒はっきりつけようず!」という結論に至った。
余談だが、一説において阿弥陀如来の垂迹神(権現。仏が神の姿をとってあらわれるもの)は八幡神とされている。
浅間様ことコノハナサクヤビメは言わずもがな天皇の祖先であるニニギの妻であり、
八幡神は(一般的に)に第15代天皇の応神天皇であると考えられている。つまり阿弥陀如来は浅間様の身内ということになる
(この説が正しいとするなら、身内にジャッジさせるのは)いかんでしょ。

二神が阿弥陀如来のもとを訪れて事情を話すと、阿弥陀如来は長い長い、長すぎる樋(とい)を持ってきた。
そして樋の一方のはじを富士山の頭の上にのせ、もう一方のはじを権現の山の頭の上にのせた。



参考「樋(とい)」

「この樋のまん中から水を落す。水が流れていった方が低いということだろ。常識的に考えて。」
そう言うと、阿弥陀如来は樋のまん中から水を落した。水はスルスルと流れ、背の低い富士山の方へしたたり落ちた。

「これで権現様の山が日本一高い山と決まった。」
阿弥陀如来は高らかに宣言した。それを聞いた権現様は大喜びした後、長年の紛争が解決して安心したのか眠り込んでしまった。
一方、面目を丸つぶされた浅間様はくやしくて仕方ない。おもむろに権現の山に忍び寄ると、力いっぱい蹴飛ばした。
不意打ちでとてつもない衝撃を受けた権現の山は、哀れにも八つに割れて低くなってしまった。

こうして、今では富士山が日本一高い山として何くわぬ顔で君臨している。
頭を八つに割られてしまった権現の山は、その後「八ヶ岳」とよばれるようになった。


以上が現代でも諏訪・甲斐地方を中心に残る、「かつて八ヶ岳は富士山より高かった」神話の最もポピュラーなパターンである。
なお、公明正大なジャッジメンターとしての阿弥陀如来は一切登場しないパターンもあるし、浅間様はキックではなく競争に用いた樋あるいはこんなこともあろうかと用意しておいた丸太で八ヶ岳をフルスイングしてぶっこわしたという説もある。競争相手となった山の神はなんちゃら権現という男神だった(「八ヶ岳」になってしまう前の山の名前が伝わってないのと同様に男神の名も伝わってないのだ、という設定)とする一方で、「八ヶ岳」になる前の山の主で浅間様とけんかしたのは浅間様の姉の岩長姫(イワナガヒメ)であるというパターンもある。
 このような「背比べ」伝説は八ヶ岳VS富士山の他にも、熊本の阿蘇山VS根子(ねこ)岳や島根の大山VS鷲峰山など全国で類似点の見られる伝説が残されている。伝説の形成にあたって、なぜ富士山の相手方に八ヶ岳が選ばれたのかは非常に興味深いテーマのひとつであるように思われるが、古くより八ヶ岳の威容あるいは火山としての破壊力が富士山のそれと比肩されながらリスペクトされてきたことにまず疑いはないだろう。ふもとの民が見た富士山が「超高層の摩天楼」だとするならば、八ヶ岳は「平屋の豪邸」のように見えたのかもしれない。


 小説版の『東方儚月抄』においては、この神話が"史実"として上白沢慧音の口より藤原妹紅に語られている(91ページ)。

 かつて富士山には妹の木花咲耶姫と姉の岩長姫が二人で住んでいた。岩長姫は不変を司る神であり、不尽の力によって富士山の火山活動をコントロールしていた。一方木花咲耶姫は、水や変化を司る神だった。すなわち、浅間(火山)の神と呼ぶべきなのは木花咲耶姫ではなく岩長姫の方だった。
 木花咲耶姫は、上白沢慧音にも「性格に少し難がある」と評価されるような神さまで、ある時、権現の山と背比べをした挙句に破壊すると言う暴挙に出る。その件について『小説版 儚月抄』88ページ(妹紅の回想シーン中)中で木花咲耶姫自身が「その昔あの山とちょっと喧嘩しましてね・・・ま、そんな話は置いといて」とテヘペロ感覚で振り返っていることから、ほぼ反省の色は無いものと思われる。そんな木花咲耶姫の性格に嫌気のさした岩長姫は八ヶ岳へと移住してしまい、以後富士山の火山活動は木花咲耶姫が水の力で抑え込むことでコントロールするようになった。このようにして、いつからか木花咲耶姫が火山の神=浅間様と見なされるようになったという。

 また、どのような曲折があったかは一切不明であるが、岩長姫の住むようになった八ヶ岳、しかも木花咲耶姫に破壊される前の本来の姿をもった八ヶ岳はその後妖怪の山と名前を変え、幻想郷に存在しているともされる(90ページ~91ページ)。①外界にあるはずで、②木花咲耶姫が破壊したはずの八ヶ岳が、なぜ①幻想郷にあって、②破壊される前の姿をしているのか。頑強な2つの矛盾が折り重なったこの問題は、『東方儚月抄』のみならず東方projectの世界観全般を見渡しても屈指の難題の一つであると言えよう。というわけでいくつか仮説を考えてみた。


①木花咲耶姫に破壊された八ヶ岳は元の大きさに「復元」され、かつ幻想郷入りした説
現在外界に存在する八ヶ岳は、神話の「八ヶ岳」に比定されているだけの全く別の山。

②復刻された八ヶ岳説
妹(木花咲耶姫)の罪をつぐなうとかそんな理由で、岩長姫が瓦礫等を集めて幻想郷に本来の姿をした八ヶ岳(レプリカ)を復刻した。

③岩長姫あるいは岩長姫の分霊が、ありし日の八ヶ岳の山体に姿を変えている説
三輪山のように、妖怪の山自体が岩長姫のご神体である。岩長姫・ザ・ジャイアント。

④けーね先生の表現のあや説
「本来の八ヶ岳と思われる」という予想自体が誤謬(ごびゅう)。幻想郷にあるのは木花咲耶姫に蹴散らされた後の八ヶ岳の一部又は別の山にすぎない。

⑤蹴ると増える説
在りし日の妖怪の山が質量をもった残像として残り、かつ忘れ去られたために幻想郷に存在している。幻想郷では質量保存の法則に囚われてはいけないのですね!

※なお、全て根拠は一切ない。


余談 妖怪の山の標高について

 東方projectに登場する妖怪の山は、明確に実在する場所をモチーフとしている。その点において、東方projectの世界観と現実とをつなぐ諸考察の上で非常に稀有な位置づけにあると言える。

 まず、その所在地については

人間より昔からこの地に棲みついている妖怪が多く棲む場所が、妖怪の山だ。通常、山とだけ言った場合はこの妖怪の山の事を指す。ここに棲む妖怪達は、人間や麓の妖怪とは別の社会を築いており、幻想郷のパワーバランスの一角を担っている。特に天狗や河童は外の世界に匹敵するか、それ以上の技術力を持っている。
『東方求聞史紀』P141 危険区域案内「妖怪の山」の項よりばっすい 

 とある。八雲紫が妖怪拡張計画によって幻想郷に移民を呼び込んだのが約500年前であることから、仮に地形としての「妖怪の山」が外界から移動してきたとするならば、(妖怪の山の自発的行動でない限り)これ以降ということになる。人間より古くからこの地(幻想郷)に存在していた妖怪が比較的最近(約500年前)になってやってきた妖怪の山にわざわざ移住しようとしたとはやや考えにくいことから、妖怪の山はもとより幻想郷にあった可能性が最も高いと考えられる。よって、古八ヶ岳(以下、「元の姿をした八ヶ岳」をこう呼ぶ)の位置を特定することは、幻想郷の位置を特定することと、かなり近い意味を持つと考えてよいだろう。


 次に妖怪の山の標高については

「八ヶ岳は大昔、富士山と同じくらい高い山でした。」
『小説版 東方儚月抄』P91 上白沢慧音のセリフよりばっすい

 という表記から考え、富士山とほぼ同じと考えてよさそうである。よって、妖怪の山の標高は最大で3,800m前後ということになる。
 他方で古八ヶ岳・富士山の両山の歴史を辿ってみると、今からおよそ1万年前頃までは、本当に古八ヶ岳の方が富士山より大きかったことも地質学的に明らかになっている。そもそも富士山は、最初「先御岳」という小さな山だったものが、30万年前の噴火により標高約2,300mの「先小御岳」に、10万年前の噴火により標高約2,700mの「古富士」となり、およそ1万年の噴火によって標高3,776mの「新富士(現在の姿)」になったものだと考えられている。言うなれば富士山は、同じ場所で何度も噴火を繰り返すことにより、周りの山を飲み込みながら「成長した山」である。対して八ヶ岳は、150万年前に北八ヶ岳が噴火したのを皮切りに南北20キロにわたり火口を移動させながら噴火を繰り返してきたと考えられている。言うなれば八ヶ岳は、噴火と崩落を随所で繰り返しながら山体が「拡大した山」である。約30万年前に標高3,400mにまで高度を上げ当時の八ヶ岳の主峰となった阿弥陀岳も、崩落を繰り返した後に10万年前には現在の山容に落ち着いたものと考えられている。

 すなわち八ヶ岳と富士山の標高の逆転現象は、今から約1万年前に発生したものであり、その最もダイナミックな要因は「八ヶ岳が破砕して縮んだから」ではなく「富士山が噴火して成長したから」であるというのが「科学的事実」と言える。古八ヶ岳が浅間様に蹴っ飛ばされたと言う神話とは真逆である。しかし、八ヶ岳西側山麓地帯の大扇状台地(標高約1,050m)には、少なくとも5千年以上前から人類が生活していたことが判明している(尖石・与助尾根遺跡)ことから、「かつて八ヶ岳の方が富士山より高かった」ことは、約1万年前の逆転現象以前の山容に関する記憶が継承され、神話として形成された可能性も大いにあるだろう。富士山の噴火ではなく、それ以前に古八ヶ岳の崩落を受けて富士山が最も高い山となっていたのかもしれない。ともすれば、古八ヶ岳と富士山の背が最も伯仲していた時代の標高、すなわち約30万年前から約1万年前ごろまでの両山の標高=3,000m前後が、妖怪の山の標高の最小値として考えれられるだろう。

※なお、上述の噴火年代とか推定標高とかは学者先生の研究の成果によって変わるかもしれません。と言うか変わると思う。

+ タグ編集
  • タグ:
  • ルーミア
  • 秋穣子
  • 秋静葉
  • 犬走椛
  • 射命丸文
  • 八坂神奈子
  • 姫海棠はたて
  • 八ヶ岳
  • 蓼科

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2015年05月02日 08:39