第二回悠里近江会議

第二回悠里近江会議 (理:2te jurlien yst lkurfal y io Ormi,有:Kesnimirseen ku fo Yuuri en Oomi)、通称 近江会議 は日本の滋賀県近江八幡で開催され、第一回悠里京都会議において出席した悠里中核のfafs、kphtと新規加入した誤字ヌッッボと鯨ホエールが参加したオフ会と見せかけて、悠里Skypeグループの通称「労働党」で行われるような通話を そのまま現実に引っ張り出したような会議 である。今回ではふぁふす作詞の「立て悠里勢創作者」がカラオケにおいて歌われ、皆が友好を深めたのちに、 京都議定書というコピー用紙にハンコを押す儀式 を執り行った。議定書本文を書いたS.Y.によれば、「魔法(ウェールフープ)によってコピー用紙を滋賀議定書に変えた」と発言している。



晩餐/プリ悠里会議

「高校生で許される範囲と大学生で許される範囲 それでも人間の欲望が存在する」
Fafs falira sashimi
晩餐(fafsの呼称はプリ悠里会議)とは、4/17にkphtとfafsが参集した夕食会のことである。まず、kphtは京都駅地下のPortaにおいてロッテリアの横にある待ち合わせスペースにおいてfafsを待っていたが、fafsは数十分も遅刻して到着。ノーパソで作業をするkphtに対して、「やあ」と声をかけ変人として通報されかけた[要出典]。そののち、予定通り韓国料理店セジョン(ジジャン、悠里コードネーム:コリア屋)に向かって席に腰かけ、話を楽しんだ。そのなかでfafsはドイツ語の教科書や政治学、経営学の教科書などをkphtに見せつけ自慢するなど話のタネがないなりに頑張っていた[要出典]。fafsはそののちにもうまみジャンや「kphtの制服についているバッチ(校章、科章)がラノベみたいでかっこいい」などネタ発言を繰り返した。少しすると、隣に観光客がやってきた。耳をそば立てるfafsはkphtに「これドイツ語じゃね?」と話しかけるがkphtは耳が悪い(悠里勢一般に耳は悪いが)ために「よく聞こえないからわからない」と返した。fafsは話しかけたいともじもじしながら数分後やっとその人々に"Kommen Sie auf Deutschland?(ドイツから来ましたか?)"と聞くと"Nein, Österreich.(いいえ、オーストリアからだよ。)"と言われ、なぜドイツ語を話せるかなどを話して、fafsは「オーストリアにまた来てくださいね!」とドイツ語で言われて、素晴らしく喜んでいた。その次にfafsが「かぱはたかぱはた(生活文具やまもと)に行かないか?」という誘いを受けたkphtとfafsはともにporta内部を超移動し、迷った挙句壁タッチしてそのまま跳ね返された[要出典]。このあと、fafsの書店に行きたいというわがままで生活文具かぱはたの前にある書店を見たが、fafsは「あまりに小さすぎて、面白くない。」と言って、八条口の方向に向かってアヴァンティに入ってアバンティ・ブックセンターへ向かうことにした。二人はアバンティ・ブックセンターでラノベなどを見ながらぺちゃくちゃ話していたが、BGMが「蛍の光」であることに気づき、店から帰れと暗黙に言われていることに気づく。のちにアナウンスで「もう閉店やで、はよ帰れバカ」(大意)ということを言われて、かぱはた超移動で書店を後にすると下の階にアニメイトがあったためにそこに入っていった。fafsは、そこに「ご注文はうさぎですか?」のガチャガチャがあったため回すことになった。fafsは「シャロちゃん出てほしいけど、鬼畜和菓子はちょっとなあ」と言いながらガチャを回すと、千夜が出た。fafsは焦りながら、「次こそはシャロかリゼを出してみせるぞ!!!」と意気揚々とガチャを回そうとしたところ、kphtが「ココアが出ないといいね。」と言って、その瞬間ココアが出た。その状況はきれいに録音されており、簡単に聞くことが可能である。


前夜まで・本会議の別名成立

以前より悠里関西勢の会合である悠里会議に「京都会議」と命名しようとするkphtと京都を中心地とすることに近く平等性原則に違反すると主張するfafsが双方対立し、別名が乱立した。「Ωi会議」、「Oh!Me!身会議」、「多め会議」、「o me kai ge」、「y li dat2 ie o-mi」、「おーみかんあゆりだつ」などがある。本会議の成立は第一回悠里京都会議の終了後となった。kphtとfafsは京都から米原方面に向かうJR琵琶湖線の列車の中で四月、五月に第二回悠里会議を行うことができ、今回集まることができなかった悠里関西勢が一挙に会することができ、また重要な新規メンバーである卵生ホエールと会い、新規悠里勢の創作能率向上を目指すことが今回の会議の主な目的となった。また、この後日にfafsは2020年問題(2020年に主要悠里メンバーが喪失されることによって、悠里の存続が危ぶまれる問題)を提議して、これの解決を悠里勢に呼びかけることになり、滋賀議定書ではこれを議定するように方向性が決まり、fafsにより4/18にスケジュールが策定され、4/19にs.y.によって議定書の書き上げが行われた。同日、各人に対して確認が行われ、えんたーちゃん卵生ホエールkphts.y.fafs(敬称略)の五名の参加が確認された。4/21に京都集合体(山科で集合するs.y.とkpht)が10:05に集合し、近江八幡への集合は10:30頃に集合することが判明した。

当日

移動ルートにおいては、先述の通り京都集合体とそれ以外とで若干ルートが異なる。

京都集合体

kphtとsyは近江までのルートが途中まで同じなので一緒に行くことに決定した。その電車の発車時刻は10:05であったので、かぱはたはそこに40分早く到着した。来てすぐの時に電光掲示板に表示されていた大量の遅延のお知らせを見て少し不安に感じたが、やがてダイヤが戻っていく様子を見て、電光掲示板の写真を撮った。このとき、kphtがイヤホンをしているのにもかかわらずシャッター音がばっちり聞こえていたほどの音量だったので、のちに彼は近くにいたお巡りさんと咲夜さんに物議をかまされたと言われている。
近江塩津行きの新快速はおそらく京都駅で結構乗客が減るとkphtもsyも見込んでいたが、全然そんなことはなく草津周辺の駅にたどり着くまでは全く吸われる気配がなかった。ちなみに、syは五両目の最後尾に2時間以上鎮座していたので、それはもう座席に彼の根が張られていてしばらくネートニアーはそこに座れなかったであろう。ちなみにそれまでは公共の場で人々を跨いで会話するということを避けるという繊細系アイドルえすわいの計らいにより、無言の会話が繰り広げられた。

近江八幡集合体

fafsおよびジヌッッボと鯨ホエールは、途中でうまく合流することができる環境にはなかったため直接近江八幡に向かっていた。fafsが寝坊して、その上「少しくらい遅れても大丈夫やろ」と油断していたところ、定時の数十分の遅れを呈した。近江八幡にはすでに鯨ホエールとジヌッッボが到着しており、fafsが時刻表の真ん前に立っているとツイートすると、ジヌッッボがfafsと顔を見合わせてお互いを確認した。このときfafsは彼がホエールなのか、そうでないのかわかっていなかったために彼に「どっち」と尋ねることになった。ホエールも無事にfafsと合流し、手作りフリップで悠里勢を待っていたがフリップが思った以上に持ちづらく、その上さらにそれが大学のノートを利用したものであったためにn回ほどそのノートからドイツ語のプリントを落とすなどした。そのあと暇な近江八幡集合体は結局twitterをやりまくっていたが、fafsのツイートに対して高速ふぁぼを行う両者に対してfafsが「早えよ!!!」と叫ぶなどしていた。fafsの到着から十分ほど待っていた近江八幡集合体は、しびれを切らしてジヌッッボがキレだすなどあったがfafsが宥めながらSkypeで労働党を通して「早く来い」などと京都集合体を脅迫していた。

近江八幡集合

京都集合体は集合場所まで40分ほど遅れて到着した。というのも、これは地理的要因でsyが始発で行っても目的地に時刻通りたどり着けないということが発覚したために取られた救済措置であり、kphtはただ単に遅刻しただけである。そのことは、kphtが近江八幡到着後にカラオケジヌッッボの男子トイレと女子トイレの間にある謎の通路においてあった台の上で磔にされながら13発殴られて収束したという。
鯨ホエールとジヌッッボはすでに集合が完了しており、fafsを含む三人(=近江八幡帝国近江社会党幹部、ホ↑エー↓ル→・エ↓ン↑ター←、「ター←」は時間を巻き戻して「ター」と発音する)と京都集合体による会談がまず行われた。多くの報道陣がkphtとfafsによって駆けつけたという。パシャパシャパシャ

鳥ブルジョア

一連の儀式を済ませてから怪しい五人は駅を離れて、予定どおり焼き鳥屋である鳥ブルジョア(=鳥貴族、近江シーナリアトン)への道に入った。英語でいうところのGPS(ジーピーエス)を用いて鳥ブルジョアへ向かう途中、syの前に二つの試練が課された!

それは己の脚力を試す試練ッ!

世界の狭間を飛び越える者の約束ッ!

アイドルえすわいはこれを越えられるか…ッ!?

運命の跳躍がここに始まったッ!!

一回目!それは橋に置かれたコンクリートの小さい壁!高さ約20センチ!壁の厚さは30cmはあったことだろう!それをえすわいはたった一回の跳躍で乗り越えた!凄まじい脚力!

しかし――二回目の試練は想像をはるかに絶する者だった。
その溝の幅はおよそ3メートル、その谷には奈落の用水路、誰もが越えられるわけがないと確信した。

しかし!アイドルえすわいは諦めない!kphtやfafsの声援を受けて、10メートルの助走をつけてこれに挑む!だがその試練の苛酷さに恐怖した彼はやはり越えられない!そこで!

「橋を使ってみよう」

橋を用いて試練を越えた!橋の4分の3地点で着地したのちにまさかの二度目の跳躍を果たしついに試練を乗り越えた!
なお壁キックを使うという文脈を提供してほしくなる提案も存在したがなかったことにされた

そして鳥ブルジョアへやっとこさ到着したが、五人のケートニアーは全員100歳以上名にのみ関わらず未成年扱いを受けているので鳥ブルジョアへの入店はなかった。

かわりに立体駐車場で食事をとることが提案されたがあっさりと却下されたのち、近江八幡のイオンに入り、フードコートでSugakiyaというファストフード店を発見してそこで昼食をとった。

Sugakiya

Sugakiyaでは三人が豚骨味噌ラーメンを頼むという、京都会議ペペロンチーノ事件を思わせるような事案が発生した。席に着き、五人同時フレミングの左手ショットを行ってからようやく落ち着いた。

卵生ホエール「はい、撮影のプロ~」

そのとき、食器を返却するところである返却口を見つけた一同はいわゆる康煕字典をディスりながら返却口の字音について議論したり、卵生ホエールにプロの拍手がn回送られるなどした。

AQUA21(Aqua Qa Panqa)


Sugakiyaを出てからかぱはた超移動、えすわい超移動、ふぁふす超移動などを駆使してカラオケを目指した。白い階段で上昇し二階からAQUA21(Aqua Qa Panqa)に侵入した。しかしまたしても京都会議における京都駅前市バス事件と同じような行動をとり続けたため、まず上りエレベーターを使って一階に下りてあとは近江のtkcワールドを駆け抜けながらカラオケジヌッッボについに到着した。

議定書調印、サイン、合唱

本会議の最大目標であった、悠里2020年問題への対策を講じるなどする近江議定書の調印などを行うため、fafsがkphtを操って撮影させた。おそらく本会議で一番かつ唯一真面目なシーンである。
議定書はあらかじめsyが錬成したもので、今回は雅文体日本語版とエスペラント版の二種類が制作されたことが特徴である。本文は前回と同じくkphtが担当し、エスペラント訳はヤンクーヨ氏が行った。撮影が開始され、fafsがアナウンスをかけながらカラオケボックスで儀式が行われた。いずれ巨大なホールを用意したいところだ。
集まった悠里勢への感謝の言葉を述べいよいよ議定書を読み上げるのだが、syは日本語版を5回ほど噛みfafsは筆記体エスペラントが読めないので活字の提供を依頼するなど普段通りのgdgdを醸し出した。サインはほとんど全員がペンを持参していたが、kphtのMonographシャーペンをジヌッッボが借用しサインが集まった。

人物 サイン内容
鯨ホエール 懐かしきハサミアイコン
sy パイグ文字で自身のパイグ名
ジヌッッボ カタカナでジヌッッボ
kpht 有字筆記体で自身のユーゴック名
fafs 理字ブロック体で自身のリパライン名

なお撮影係のkphtは署名の際に洗脳を解かれ、スマホをfafsに手渡した状態で署名した。この中で日本語で署名したのはジヌッッボのみである。

そして合唱は「聞け万国の労働者」をfafsが替え歌したものである聞け悠里勢創作者を歌った。だがJOYSOUNDの音源の楽譜がどうなっているのかは知らないので間奏で二階も歌ったりして、0回の練習を積み重ねてぶっつけ本番で行ったことが露呈してしまった。ここまでの一連の流れはすべて動画に収められている。

カラオケ大会

第一回の京都会議に続き、第二回でもカラオケ大会が開催された。新感覚チャレンジをやりまくるsy、ほとんど日本語を使わず韓国語で歌いまくるガチプロホエール、段々と歌がノンケになっていくジヌッッボ、特にキャラを立てる気もなく淡々と歌うkpht、アニソンをカバーしつつオタクを演出していくfafsによるものである。

伝説

  • フリータイムで入室。一番手はホエールであり、さっそく韓国語で歌ったためにプロの貫録を見せつけた。
  • カラオケ中に4回も「Welcome to ようこそジャパリパーク」が歌われた。一回目はパイグ語、二回目はXelken.valtoal、三回目はパイグ語リベンジ、四回目は日本語で歌われた。
  • 歌わないカラオケ(笛)
  • 安定の韓国語版
  • ジヌッッボの、荒城の月でビブラート113回(うち3回はsy)
  • ガチプロ隊(我はクソザコ我が敵は天地容れざるガチプロぞ)
  • 近藤大輔~!近藤大輔見てるか~!?中井さーん!中井さんありがとう!フラッシュ!!
  • 私みたいな京都目指して頑張っていってね~☆
  • ネタ切れ
  • ホエールはプロ
  • 「はあ?」

サイバーシリーズ

サイバーシリーズとは、カラオケボックスに置いてあったブラックライトを使った技術およびそれによって生み出された発光体たちである。色の関係で一部の物体が発光するので、それらのことを「サイバー○○」と呼んでいる。むしろブラックライトが明るい。

  • サイバーボックス(fafsがタブレットを入れる白い箱)
  • サイバールーズリーフ(ルーズリーフは光る)
  • サイバードリンク(ドリンクバーのリアルゴールド)
  • サイバー書道(半紙は光る)
  • サイバーペンライト(半紙は光るので丸めてペンライトにして盛り上がることができる)
  • ジヌッッボ発光体(ジヌッッボの来ていたシャツは光る、高速移動する発光体、ULO)

なおコーンポタージュはサイバードリンクではなく、プラスチックのコップに入れてストローを使って飲む飲料である。
そして、この時点で夕方の5時になったため、ジヌッッボは定時により途中離脱を果たした。かなしいなあ。

上映会

上映会では、fafsが中学の時にクラスメイトと制作したショートドラマ「理想の代償」を途中離脱したジヌッッボを除く四人で視聴した。カラオケボックス内で静まり返って映像を視聴するという快挙を成し遂げた。

ブックオフ

↑問題の本

意外と近江八幡の夜は寒く、みんなで寒いと言いながらブックオフを目指した。電池残量が60%あるので間違って写真を撮ってしまう鯨ホエールなどと共に数分歩いたが、鉄道の向こうにブックオフがあるのを発見し、決死の横断作戦が始まった。
しかし、道路交通法など存在しないに等しいインドという国で二年間の修業を積んで皮の暑さも十分に鍛えられたfafsは、信号のないところで横断歩道を渡ることなど朝飯前だったが、そもそも車が全く通らない道を渡ることに慣れている田舎民syには少々難しい試練だった。高架下は車道しかなく歩道が存在しなかったので、「ケートニアーはぶつかったら危ないので車両扱い」「我々は車両なので」と言いながら高架下を潜り抜け、ブックオフを目前にした。
ブックオフは西ドイツの領土であり、東ドイツからやってきた五人は壁を超える必要があった。必死のジャンプと跨ぎにより何とか銃撃されずに西ドイツで自由を謳ったが、地雷が一つも埋め込まれていなかったのは意外である。さらに、入り口前にガラスの壁が用意されていて横から回って入店する必要があるのも、陰謀であるとの指摘が多数上がった。

ブックオフでしばらく本をあさっていた。ホエールとsyが中古本を複数冊購入した。店内では数々の悠里の発展に寄与してくれそうな本、ベトナム語に声調記号や補助記号が一切ない本、各種悠里指定図書ラノベ、ホエール関連書籍などを発見した。

概念上のインド屋

前回の第一回悠里京都会議のテンプレを見事に回収するかのように、本会議の夕食もインド料理屋で行われた。この店は概念上のインド屋として、第一回のインド屋と明確に区別している。店内はどちらかというとネパール寄りであり、そのあたりも第一回のインド屋とは異なっている。
インド屋でようやく真面目な話をしたり落ち着いてきたわけだが、全員がホエールにつられてナンを二枚頼むなどした。絶命間大学のfafs、京都大学のホエールなどが当時高校生のkphtやsyを勧誘し、出張オープンキャンパスを行うなどした。fafsはセジョンはなんて意味?と聞いてkphtに「コリア屋はジジャンでしょ。」と訂正されるなどした(なお̪シジャンは市場の意とのこと)。
前回同様ここに長居した(そもそも他に客があんまりいなかったので居やすい感じではあった。閉店作業はまだしていない)のだが、当初予定していた電車に乗れないことが判明したsyは、急遽予定を変更して途中駅まで車で迎えに来てもらうなどの措置をとるなどした。kphtもさすがに門限がヤバいので、syと共に離脱し帰路へ向かった。

京都集合体、山科駅へ

終電的な意味でかなりせわしない状況にあった二人は、「我々は急いでいるので」と言いながら代金を残ったプロ達に託してインド屋を後にした。
時間はすでに10時を回っていたこともあって、郊外都市近江八幡の街灯が張り巡らされていない路地は真っ暗であった。暗現に恐怖していたkphtはその辺のベテランであるsy(本人曰く、自宅周辺はこの時間帯は真っ暗)と歩いて行ったが、インド屋でカレーを食べ、ナンをなかなかキツイ状態で二枚平らげた状態でなので急いで帰れば腹を下すというのは明白という、なかなかな状態だった。(でも意外と時間はあった)
若干道に迷うのだが意外とスムーズに駅に到着し、ついに切符を買うところにたどり着いた。しかし、地理的条件によりsyの行きたい駅がリストにないことが判明、少々パニックになりながらなんとか切符を購入し、各駅停車の大阪行きに無事乗車した。そこで最後の左手ショットを収め、ふぁぼの重みをお互い知りながら、山科駅で解散した。kphtが家に到着したのは11:35ごろ、syは2時を過ぎていた。

二次会通話

少し遅れて11:50ごろに二次会通話が悠里Skypeグループで開催された。もちろんこのときsyはまだ電車に揺られていたので、通話に出席したのはkphtとヤンクーヨのみである。fafsが帰宅したのは0時前で、それから通話に参加した。しかし、通話を開始したkphtはその30分後にはかぱはたスタイルにより寝落ちした。
syは帰宅後に爆睡し、翌日の10時ごろに目覚めたという。

まとめ

今回の悠里会議は一応成功になったが、近畿圏からの集合であったとしても一日で集合して、懇談会をして、会議をするまでにはあまりにも時間がなさすぎるということで概念上のインド屋においては、「次回の悠里会議では、どこかに二泊以上泊まって行うべきではないだろうか?」という意見が集まった。次回もしくは次々回の悠里会議において「お泊り会」が実現されることを悠里勢は切に望んでいるが、かたや旅費、かたや時間設定などで問題点も多かったりするのであるのが現状である。2017/04/27にはまた話が出て、先生が来ることによって第三回悠里研修会議が開催される可能性について話された。

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最終更新:2017年04月27日 23:39