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狂い咲く人間の証明(中編) ◆WRYYYsmO4Y




 ◇◇◇


 瞬く間に、廃教会の床が黒色に染まっていった。
 アーカードを中心に、真っ黒な液体が流れ出たのだ。
 夥しい勢いで、液体は周囲の地面を黒に染め上げていく。
 それはまるで、決壊したダムの流れの様であった。

 液体の中から出でるのは、無数の亡者達である。
 瞳から黒色の涙を流した彼等が、戦場に現れたのだ。
 その数は加速的に増えていき、ものの数十秒で廃教会を埋め尽くす。

 国籍も、装備も、性別も、年齢も異なる彼等は、全て喰われた命。
 アーカードが喰らい、己のものとした命が、ここに解放されたのだ。

 その中には、黒馬に乗り旗を掲げる鎧の騎士がいた。
 その中には、戦鍋旗を手に持った中年の軍人がいた。
 その中には、三角帽を被った異端狩りの戦士がいた。
 その中には、現代の服を身に纏った若い青年がいた。

「マルタ騎士団……イェニ=チェリ軍団……ワラキア公国軍……ッ!?」

 その有様に、ヴラドはひたすら驚愕するばかりであった。
 これまでアーカードが喰った数万もの命に、ただ愕然として。
 そしてその愕然は、程なくして怒りに変貌し、

「貴様は……!貴様という奴は……どこまで……ッ!」

 話には聞いていたが、よもやここまで醜悪だとは思わなかった。
 この化物だけは、絶対に此処から生きて帰してはならない。
 己の杭を以てして、何としてでも滅ぼさなければならない。
 これまでに無い程の激情が、今のヴラドを突き動かしていた。

「悪魔(ドラキュラ)ッ!やはり貴様は滅ばねばならんッ!」

 怒りに身を任せ、ヴラドは己が宝具を再び解放しようとする。
 しかし、どういう訳か、杭は何処からも出現しないではないか。
 自らの領土でその力を示す『極刑王』が、まるで発動しないのだ。

「まさか、我が領土を"塗り潰した"というのか……ッ!?」
「そうだ私よ、此処はもうお前の領土ではない。私の物だ、怪物(ノスフェラトゥ)の領土だ」

 ある男が言っていた。アーカードの本質は「運動する領土」である、と。
 なるほど確かに、彼は数万もの兵を収容する一種の要塞と言えるだろう。
 その要塞を体外に放出する「死の河」は、即ち領土の解放に他ならない。

 そう、今この瞬間から、廃教会はヴラドの陣地などではなく。
 アーカードが造り上げた、「死の河」という領土に変貌を遂げたのだ。

 自らの領土でなければ、ヴラドの「極刑王」は効果を発揮できない。
 つまり今のヴラドは、杭を出現させる範囲が極端に狭まっている。
 これが意味するものは一つ。アーカードの圧倒的優勢にして、ヴラドの圧倒的不利だ。

 あれだけ生えていた杭は一つ残らず消え、代わりに漆黒が埋め尽くす。
 アーカードを中心に広がる濁流は、人の営みの一片さえ喰らってしまった。
 戦場は既に、死霊が彷徨い歩く地獄の形相を呈していた。

「さあ膳立ては済んだぞ。存分に奮い立て、人間ッ!」

 その号令で、亡者の群れが一斉にブラドに襲い掛かってきた。
 圧倒的な物量の前に為す術もなく、ヴラドは人の波に飲み込まれていく。
 ものの数秒もしない内に、アーカードの視界からウラドが消失した。


 あまりにも呆気なく、目の前から宿敵が消えた。
 その光景を目の当たりにしたアーカードの表情は、何故だか暗い。

「……どうした、この程度か」

 死の河は未だ増大し、亡者の数も増幅していく。
 廃教会は当の昔に倒壊し、天井には漆黒の空が映し出される。
 だが当のアーカードは、表情いっぱいに失望を塗りたくっていた。
 圧倒的物量による勝利を喜ぶべきにも関わらず、だ。

「応えろ!この程度でお前は斃れるのか!?私が求めた夢は、こんな程度で砕けるのものなのかッ!?」

 アーカードにとって、ヴラドとは宿敵にして自身の夢。
 かつて自分がなれなかった、人間であり続けた自分自身。
 それが瞬く間に潰えてしまっては、拍子抜けもいいところだ。
 故にアーカードは叫ぶ。この程度で終わっていい訳がない、と。

「――この程度か、だと?」

 亡者の列の中から、人間の声が飛んできた。
 目を凝らして見れば、死霊の群れの中に命の鼓動があった。
 それが誰の物であるかなど、最早言うまでもない。
 人間は――ヴラドはまだ、朽ち果ててなどいなかった。

「分かっていた筈だ、"余"よ。余(ヒト)がこの程度で滅びぬ事は、他ならぬ"余"が理解している筈だ」

 ヴラド三世はそう言うと、本来の姿を象っているアーカードを見据える。
 彼の視界には、髭をたっぷりと蓄えた鎧騎士の姿があった。
 身に秘めた命を全解放したアーカードは、本来の姿に戻らざるを得ないのだ。
 今此処に顕在しているのは、"化物として死んだヴラド三世"の肉体。
 それは全ての吸血鬼の始まりにして、真祖の吸血鬼の終わりたる姿であった。

「この身こそが我が領土ッ!余が防衛する最後の領域ッ!余が滅びぬ限り、"人間"は死なんッ!」

 化物を睨み、槍を向け、人間が吼える。
 拵えた領土が消えた今、ヴラド三世の人間性を証明するのは、当のヴラド独りとなった。
 もし自分が消えれば最後、この場に残るのは吸血鬼の伝承だけとなるだろう。
 冗談ではない――怨敵に何もかもを奪われるなど、死よりも悍ましき事態ではないか。

「さあどうした!?使い魔達を出せ、身体を変化させろ、銃で我が身を撃ち抜いてみせろッ!
 来るがいい悪魔(ドラクル)、夜は――貴様(ヴァンパイア)の時間は、始まったばかりだろうにッ!」

 それを口火に、ヴラドは亡者の群れを突き進み始めた。
 得物とする槍で、目の前の敵を容赦なく引き裂いていく。
 不死の王を護る死者の壁を、彼は正面突破する気でいるのだ。

 対するアーカードは、猛るヴラドとは対照的な笑みを浮かべていた。
 それは獰猛さを感じさせない、酷く安堵した様な表情であった。

「……そうだ、それでいい」

 それでこそ、お前達(ヒト)のあるべき姿だ。
 ぽつりとそう呟いた後、アーカードの口が三日月に歪む。
 そこにあったのは、これまで幾度も作った獣の笑みであった。


 ◇◇◇


「オオオオオオオオオオオオオオオッ!」

 前へ、前へ、前へ前へ前へ前へ前へ前へ前へ!
 ヴラドはただ愚直に、アーカードに向かった前進していく。
 襲いかかる死者の軍勢を、杭で薙ぎ払いながら。
 憎き宿敵の元へ向かって、我武者羅に猛進していく。

 湧き出る屍鬼の物ともせずに進むヴラドを眺め、満足気に笑うのはアーカードだ。
 彼は迫りくる宿敵の姿に、自らを打倒した人間の面影を見た。
 ミナ・ハーカーを救出しにやって来た、ヘルシング教授とその仲間達。
 死の河を乗り越えた彼等は、ヴラドと同じただの人間だった。

 ヴラドの勇猛を見ると、思い出さずにはいられない。
 彼等の雄姿を、彼等の闘志を、彼等の執念を。
 人間という種が持つ、その秘められし意思の力を。

「ああ、まるで夢だ。夢の様じゃないか」

 そう、まるでそれは、質の悪い甘い夢の様であった。
 人間であり続けた自分が、こうして自分を殺しに来たのだ。
 我こそがヴラド三世だと、吸血鬼のお前など決して認めるものかと。
 これが耽美な夢でなければ、一体なんだというのだ。

「さあ来い!来いよ"私"ッ!見事私の心の臓腑に、その杭を突き立ててみせろッ!」

 その言葉を耳にしたヴラドは、その手に握る槍に更に強く握りしめる。
 夥しい殺意を胸に秘め、亡者の巣を走り抜けていく。

「言われずとも滅ぼしてやろうッ!我が生涯より産まれし、血塗られた忌子めがッ!」

 もう一人のアーカードであるヴラドにとっても、この戦いは耽美な夢であった。
 何しろ、憎みに憎んだ吸血鬼の伝承が、形を成して殺しにかかっているのである。
 今こそ長年の恩讐を晴らす時、そして同時に、己の人間性を証明する時だ。

 一歩歩む度に傷を作りながらも、それでもヴラドは止まらない。
 ここで歩くのを止めれば、そこで全てが台無しになるのだから。
 ほんの僅かでも諦観を見せれば、化物はその隙を容赦なく突いてくる。
 そうすれば終わりだ。瞬く間に死者の雪崩に巻き込まれるだろう。

 だから、ヴラドは振り返る事なく走り続ける。
 今の彼には、領土も護るべき民の姿もありはしない。
 救国の英雄だという自負、そして宿敵への憎悪、そして人間としての誇り。
 その三つの感情だけが、彼を狂犬の如く衝き動かすのだ。

 少しずつではあるが、ヴラドとアーカードの距離は近づいている。
 このまま、両者は再び対面する事になろうと考えられた、その時。

「グッ……!」

 ヴラドの左腕が、前方より飛来した物体に抉り取られた。
 かと思えば、次は左脇腹が背後から撃ち抜かれたではないか。
 ヴラドの肉体を抉った小さな物体は、彼の目の前で静止する。
 それがマスケット銃の弾丸であろ事は、誰の目から見ても明らかであった。
 素早く槍を振るい、再びこちらに飛来した弾丸を撃ち落とす。

「ヴェアボルフが一騎、魔弾の射手"リップヴァーン・ウィンクル"。見事超えてみせろ」

 アーカードが取り込んだ命の一つ、リップヴァーン・ウィンクル。
 かつて彼と敵対した彼女は、弾丸の軌道を自在に操る事が出来る。
 吸血鬼の命の一つとなった今でも、その能力は健在であった。


 狙撃兵の存在を理解したヴラドは、そこから大きく飛び上がった。
 サーヴァントの脚力であれば、人を優に飛び越える跳躍など容易い。

 空中に移動したヴラドの眼下に、マスケット銃を構えた女の姿が見えた。
 騎兵――ワラキア軍であろう――に相乗りした彼女が、弾丸の射手であろう。
 ヴラドは雄叫びを上げながら、懐に忍ばせたある物を投擲する。
 勢いよく投げ出された横長のそれは、女の心臓部を見事貫いてみせた。

「なるほど神父め――お前も立ち塞がってくれるかッ!」

 ヴラドが投げつけた物の正体、それは銃剣(バヨネッタ)だ。
 アンデルセンは予め、自らの装備を彼に授けていたのである。
 かつての好敵手の影を垣間見て、アーカードは勢いよく破顔した。

 宿敵の笑い声を拾い上げたヴラドは、奴との距離が近い事を確信する。
 されど、死者の壁は依然として彼の行く手を阻んでいる。
 ならばと、ヴラドはアンデルセンのもう一つの武器の使用を決断した。

 鎖に繋がれた無数の銃剣を、彼等に向けて放り投げる。
 ただのそれだけでは、数万をゆうに超える亡者を突破するには物足りない。
 だが見るがいい、銃剣の柄から噴き出るあの多量の煙を!

 刹那、銃剣が残らず爆裂し、アーカードの眷属を消し飛ばす。
 アンデルセンから受け取りし武器が一つ、これこそが爆導鎖である。

 爆破によりこじ開けた道を、ヴラドは獅子の如き勢いで駆け抜ける。
 最早一刻の猶予もない。アーカードを殺せるか、こちらの体力が尽きるかの勝負だ。
 ぼろぼろの身体を酷使しながら、人間は独り死の世界をひた走り、そして。

「――――ようやく、辿り着いたか」

 そうして駆け続けた先に、あの男は待ち構えていた。
 不死の王は悠然とした態度を保ったまま、ヴラドの目前に立っていた。

「見事だ、よくぞ私の元にまで辿り着いた」

 犬歯をむき出しにして、獰猛にアーカードは笑ってみせる。
 対峙している男の必死さを、さながら児戯であると言わんばかりに。

「さあ"私"よ、傷はいくつできた?骨は何本折れた?血は何リットル流れた?
 私に勝つ未来は見えたか?確率はいくらだ?万に一つか、億に一つか、それとも兆に一つか?」

 ヴラドの状態は、それはもう直視し難い有様となっていた。
 生傷の無い部分は見当たらず、染み一つ無かった貴族服は既に血まみれだ。
 左腕に至っては、僅かな衝撃で千切れ飛んでしまう程に損傷が激しくなっている。
 最早その姿からは、ルーマニアの王としての気品など、微塵も感じられなくなっていった。

 されど、そこでアーカードの心中に浮かんだのは、「妙だ」という疑念だった。
 あの"死の河"を単独で超えたにしては、その身形はあまりに綺麗すぎる。
 数万をゆうに超える死者の濁流、それを身体一つで渡り切ってみせたのだ。
 四肢の何れかが使い物にならなくなっていても、別段おかしくはないのだが。

 しかし、ヴラドの身体をよく観察すれば、その疑問は氷解した。
 身体中から流れる血液、そしてヴラド自身の能力を鑑みれば、その答えは自ずと導き出せる。

「……なるほど。杭で身体を固定するとは。見上げた覚悟じゃないか、"私"」

 ヴラドは体内に杭を生やす事で、それを折れた骨の代わりにしているのである。
 なるほどその方法であれば、例え四肢の骨が砕けようとも、前進は可能であろう。
 されど、肉を内部から裂いて杭を通すなど、その痛みたるや尋常なものでない筈だ。
 そして何より、そんな真似をすれば最後、肉体の致命的な損傷は避けられない。
 正気の沙汰ではないこの行動、実行する狂人などいる訳がないのである。

 しかし、ヴラドはその恐るべき行為を実行したのである。
 吸血鬼を倒すという意思一つだけで、正気の壁を飛び越えてみせたのだ。
 何という覚悟、何という性根、そして何という意思の強さか。


「改めて聞こう"私"よ。何故ここまで闘えた。何がお前をそこまで昂らせた。
 私への憎悪だけではあるまい。お前の胸にはまだ"何か"あるな、それは何だ?」
「……ほざけ。そんな事、"余"たる貴様が誰より理解しているだろうに」

 例えヴラドがアーカードを滅ぼした所で、世界の歴史は変わらない。
 せいぜいドラキュラの逸話が消えるだけで、ヴラドの生涯は影響の一つも受けはしない。
 そんな事は分かり切っている。それでもなお、彼が吸血鬼に挑むのは――。

「人としての誇り。ただの、それだけだ」

 己の中で今も息衝く、ちっぽけな"人間"を護る。
 そんな理由一つを抱えて、ヴラドは絶望的な戦いに身を投じたのだ。
 その相手がどれだけ恐るべき怪物だろうが、決して膝を折るものかと。

 アーカードが思い出すのは、廃ビルにてジョンスと交わしたやり取りだった。
 あの男もまた、死の河を前にして一歩も引こうとせず、こちらに挑みかかろうとした。
 彼が胸に秘めていたもの、それは能力やお守りでもなく、人としての誇り――即ち、プライド。

「く、くくく」

 あの男の言葉が、脳裏に木霊する。
 『安いプライド』さえあれば、人は誰とだって戦える。
 『安いプライド』さえあれば、人は何とだって戦える。

「く、くく、くは、くははははははははははははッ!!!そうか!!貴様も同じか!!」

 この瞬間、アーカードの歓喜は頂点を極まった。
 きっと自分は、この言葉をこそ待ち侘びていたのだ。
 勝てる訳もないのに、犬死にと分かっていても、それでもなお立ち向かう。
 それこそが人間が、化物を倒し得る生命が持つ、光輝かつ最高の力。

「そうだッ!それでこそだ"私"ッ!ならば証明してみせろッ!
 貴様が人間である証をッ!化物を倒す人間の矜持をッ!
 この私の夢のはざまを、その手で終わらせてみせろッ!」
「望み通り終わらせてやろうッ!貴様が綴る、鮮血の伝承をなッ!」

 その啖呵が引き金となり、いよいよ決戦が幕を開ける。
 ヴラドが真正面から突っ走り、それまで以上の速度でヴラドに肉薄する。
 されど、無防備を晒す彼に吸血鬼が向けるのは、ジャッカルの引き金だ。
 数発発射されたそれらが、その勢いを殺さんとヴラドに迫る。

 一発目は、頬を掠めるだけに終わる。
 二発目は、右肩を軽く抉り取った。
 三発目は、貴族服を縦に裂いた。
 四発目は、右脇腹に命中した。

 そして五発目が左腕を千切り、六発目が左脚を吹き飛ばした。
 しかし、四肢の半分を失ってもなお、ヴラドの瞳は死にはしない。
 左脚の断面から、宝具である杭が爆発的な速度で飛び出してくる。
 そしてその勢いを利用し、ロケットの如く加速したではないか。

 アーカードの懐に入りさえすれば、それで勝利は決まる。
 己が槍を以て心臓を抉れば、あの吸血鬼を滅ぼせる。
 今の自分が持つ全てを賭け、今こそ最後の一撃に打って出る。

 狙うは心臓の一点のみ、この攻撃で悪夢を終わらせる。
 相対する二人の影が重なろうとした、その瞬間。
 アーカードが銃の引き金を引き、ヴラドが槍を突き出し、


「――――――――なん、だと」

 菱形の尻尾が、ヴラドの心臓を穿っていた。

 それによりヴラドの狙いがずれ、槍はアーカードの左肩を傷つけるだけに終わる。
 身体から生える凶器に彼が驚愕する刹那、ジャッカルの弾丸が腹部と右腕を貫いた。

 因縁の闘争は、あまりに理不尽な横槍によって終結した。
 アーカードの眷属による不意打ち、これを理不尽と言わずに何とするのか。

 ヴラドを襲った襲撃者は、この場において場違いなくらいに嗤っていた。
 ベルク・カッツェ――アーカードが方舟の世界で食らった、唯一の魂。
 悪辣なる暗殺者の英霊が、最後の尖兵として待ち伏せていたのである。

「見事だ"私"よ。この上なく心躍る闘争だった」

 最早アーカードの勝利は確定したも同然、それにも関わらず。
 当の本人の顔は、何故だか酷く寂し気なものとなっていた。
 まるで、この結末を認めるのを拒んでいるかのように。

「だがもう終いだ。貴様の夢は芥に還る、世界に残るは"私"の名だけだ」

 うつ伏せで倒れるヴラドの髪を掴み上げ、無理やり立ち上がらせた。
 ここで初めて、アーカードは己が分身の瞳を凝視する。
 吸血鬼を見据える彼の瞳は、未だ敵意で燃え上がっていた。

 ここでヴラドが心臓を貫かれれば、闘争は終わりを告げる。
 それでもなお、彼の双眸には炎が滾っていた。

「………え……………け、だ」

 その時、ヴラドの掠れ切った声を、アーカードの聴覚が捉える。
 決して幻聴などではない。彼は今、自分の意思で声を紡いでいる。
 今何と言ったのだと、アーカードが問おうとするよりも早く、

「お前の敗けだ、アーカード」

 今度ははっきりとした声で、ヴラドが宣言した。
 吸血鬼アーカードの敗北、引いてはヴラド三世の勝利を。


「……敗ける?誰が敗ける?私が敗けるとでも言うのか?」

 戯言だと言わんばかりに、アーカードはヴラドの宣言を一蹴する。
 指一本さえ動かぬ程に疲弊した挙句、霊格をも撃ち抜かれた今、果たして何が出来るというのか。

「誰に敗ける?お前にか?私が"私"に滅ぼされると?」

 嘲笑う為に出てきた言葉に、妙なデジャヴを覚える。
 以前にも何度か、これと同じ様な台詞を吐いた覚えがあった。
 あれはいつの頃だったか、どんな状況でこんな事を言ったのか。

「私は決して敗けん。断じて敗けるものか。私は――――」

 刹那、アーカードの鼻腔を、妙な臭いが擽った。
 遠い過去で嗅いだ覚えのある、懐かしい大地の匂い。
 この臭いはなんだと知覚する前に、突如横から差し込む光に目が眩んだ。

 こんな真夜中に、どうして光が現れるのだ。
 訝し気に横を向いてみれば、そこには死者の群れなど存在せず。
 アーカードの視界には、夕日が沈む荒野だけが映っていた。

 なんだ、何を見ている。なんだこの場景は、この光景の有様は。
 幻覚などでは決してない。ならばこれは何だ、何故こんなものを見ている。

 刹那、アーカードの内側で、何かが猛烈な勢いで膨れ上がった。
 鋭利で硬く、なおかつぞっとする程に冷たいそれは、急速に形を成していき――。

「……言っただろう、"余"よ。化物(おまえ)の敗けだ、とな」

 ――そして、爆ぜる。
 アーカードの心臓部に、木製の杭が"打ち込まれた"。




 ◇◇◇





 そうだ、そうだった。



 あの時も、こんな日の光だった。



 私が死んだ光景は、いつもこのこれだ。



 そして、幾度も思う。



 日の光とは、こんなにも美しいものだったとは。





 ◇◇◇


 死の河が引いていく。死者の列が消えていく。
 地を埋める黒色が消えていき、世界は元の形を取り戻していく。
 それはつまり、この戦いの終息を意味していた。

 横たわるアーカードの心臓には、一本の木製の杭が打ち立てられていた。
 心臓に杭を打たれた吸血鬼は、どう足掻こうが滅びる運命にある。
 死の河を発動し、命を残らず解放した今のアーカードでは、その鉄則からは逃れられない。

「私は、負けたのか」

 虚空を見つめながら、アーカードが呟いた。
 彼は信じられないと言いたげな、しかし何かを悟ったような表情をしている。
 まるで、いずれこの日が来るのを予感していたかの様に。

「そうだ。夢の終焉が訪れたのだ、吸血鬼よ」

 アーカードが声の先に目を向けると、ヴラドの姿が目に見えた。
 彼は槍を杖代わりにし、かろうじて地に立っている状態だった。
 今もなおその足元からは、ヴラド自身の血液が流れ落ちている。

 仮にアーカードが全盛期の実力であれば、結果は変わっていただろう。
 ヴラド三世は死の河を渡り切る事もなく、悲嘆の中で死に絶えていただろう。
 そうはならなかったのは、死の河そのものが弱体化していたからに他ならない。

 アーカードは既に、好戦的な魂を粗方狩り尽くしてしまっていたのだ。
 彼の体内に残っていたのは、逃げ惑っていた臆病者共の命ばかり。
 臆病とは弱者の証拠。それ故に、死の河に出現するのが弱者となるのは自明の理だ。

 無論、それだけがアーカードの敗因になった訳ではない。
 ヴラドが持つ『極刑王』の特性も、不死の王に敗北を齎す原因となっていた。

 「極刑王」は、二万ものトルコの兵を刺し貫いた逸話が宝具に昇華されたもの。
 ヴラドが領土と見なした陣地から発生する、最大二万本の杭はまさしく脅威だろう。
 だがこの宝具の恐るべき点は、無数の生える杭だけではない。

 この宝具は、杭そのものではなく逸話が宝具に転じたものだ。
 即ち、トルコ兵を串刺しにしたという事実こそが本質である。
 ヴラドの攻勢、それにより少しでも傷つけば最後、その"本質"が再現される。
 心臓を杭で串刺しにされたという"結果"が、対象に襲い掛かるのだ。

 そしてその力は、アーカードに対してこそ最大の効果を発揮する。
 吸血鬼ドラキュラの祖の宝具が、最強の吸血鬼狩りとして牙を剥くのである。

「……そうか。終わったのだな」

 息も絶え絶えなヴラドの姿を見つめながら、アーカードが言った。
 視界に映る人間は、それまで目にしたどんな宝石よりも輝いているように見える。
 事実、アーカードにとっては、ヴラドの人間性こそがどんな財宝よりも愛おしかった。


「そうだ、お前になら、構わない。
 この心臓をくれてやっても、悔いはないさ」

 そう話すアーカードの顔は、かつての吸血鬼のそれとはあまりに程遠い。
 まるで、外で遊び疲れた子供が、眠りに就くような表情だった。
 あまりにも弱々しい、ちっぽけな童の様にしか見えなかったのだ。

「なんだそれは。貴様は人間に……滅ぼされたかったのか?」
「おれの様な化物は、人間である事に耐え切れなかった化物は、人間に倒されねばならない。
 魂を取り込み続けねば生きられん弱い化物は……最期に意思の生物に殺される、それだけだ」

 意思の生物とは即ち人間であり、同時にヴラドの事であった。
 なんという事だと、彼はアーカードへの評価を改める他なかった。
 人道を逸した吸血鬼は、人の意思に何よりも憧れていたのである。

 吸血鬼の身体が朽ちていく。鮮血の伝承が終わりを告げる。
 不死の王が命を散らし、伝説に終止符を打つ時がやって来た。

「なあ、"私"よ」
「なんだ、"余"よ」

 傷だらけの人間を、アーカードは愛おしそうに見つめていた。
 死に行く怪物を、ヴラドは憐れむ様に見つめていた。

「人間とはやはり、いいものだな」
「……当たり前だ」

 そんな当然の事を聞くなと言わんばかりに答え、小さく笑った。
 それに釣られる様にして、アーカードも静かに笑みを作る。
 それを最期に、吸血鬼は眠る様に世界から消滅した。

「さよならだ、"伯爵"」

 人間に滅ぼされたがった吸血鬼は、ただの人間に敗れ去った。
 それはきっと偶然でなく、必然の物語。



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