リパラオネ教の教派

リパラオネ教の教派(理:terselipalaoness)ではリパラオネ教の教派を説明してゆく。



みんなきらいってどういうことやねん

概要

リパラオネ教は宗教的に寛容であったアレス王朝においてフィシャ・レシェールが中心として素晴らしい発展を遂げた。教典であるファシャグノタール、アンポールネムなどが編纂、研究が進んで行われ既存の理論の研鑽が行われることになった。ラネーメ人に破れデヘーンハを出て行ったリパラオネ人が持ち帰って独自に広まった東方教団やらのことは知らん。しかしながら、この研究の進む処でフィシャはラネーメ王の支持を受けて政治的権力を得ることになる。 「しかし、フィシャは政治が分からぬ。」リパラオネ教という宗教学者また預言者としては強いカリスマ性を持っていたが、政治においてはラネーメ人の民族性や宗教の多様性による秩序をよく考えていなかった。ついにはフィシャを暗殺しようとする人物まで現れ、フィシャ・フォン・フィアンシャはついにそれを計画したシャーツニアーを殺らずに生きたまま白いワンピースにお着替えさせて箱の中に寝かせるという不気味なことをした。アレス王朝での戦国時代に入ると直ぐにリパラオネ教内でお互いに異端者扱いし会う分裂状態を統一するがためにアレス・オプトと結託してフィシャ・フォン・フィアンシャを中心に派閥分けを無理やり行ったりした。出来たのが他大体フィーナ・フォン・フィアンシャとヴィデュン・フォン・フィアンシャというフィシャ・フォン・フィアンシャの傀儡である。のちに長年に渡るスキュリオーティエ叙事詩(これも教典)で有名なスキュリオーティエ家投手ユフィアによって終結させられる。最終的に政治的活動に失敗したフィシャ・レシェールはスキュリオーティエ家の家臣のヴァイフィストに襲撃されて抹殺され、それのせいでアレス王朝のつかの間の平和は政治のできないバカのせいで壊滅した。この後ADLPはリパラオネ教教養を維持しながら優生思想を元に客観的科学が発展し始める。リパラオネ教的なウェールフープ解釈である魔法生神論が否定されウェールフープ学が発展し、ADLPが崩壊すると帝政になるがここでは宗教権威は弾圧され、リパラオネ教権威はその力を維持するようにさらに保守的になり、そのまま帝国同士で殺し合いと分離しあい、結果フィアンシャに政治権威を完全に投げるという狂気により対立するフィアンシャ同士が殺し合い始めたり、アイル文化が流行ってフィアンシャ権威に反対して大量に離反者が出たり、不安定な情勢においてカルトが出てきたりするなど破滅的な状況は独立国家戦争まで続いた。独立国家戦争時代においては諸国は再度宗教権威の弾圧を始めるが、レジスタンスも発生して大変なことになった(小学生並感想)。結果的にそういった流れでユエスレオネ時代に入ってリパラオネ教の教派は以下の様になった。

教派一覧

主流派

いずれもフィシャを最後の預言者(笑)として認めており、フィシャ・フォン・フィアンシャにカルトではない認定を受けている。諸流派から破門を受けている場合があるが、そもそも破門というのは上流から下すものであって……うわなにをするやめr──

フィシャ派

リパラオネ強の創始者であるフィシャ・レシェールの伝統的学派、教祖はフィシャ・レシェール、八戒とアンポールネムを一番重要視するため、フィアンシャでの礼拝を重要視しない。フィアンシャは単に教典における疑問などの解消と儀式のために存在するのであって、それ自体は重要視されないという立ち位置である。主流派だが、フィアンシャやシャーツニアー制度、儀式を重要視しないため、諸流派に対する主流派の態度の硬化に対しては反感が強い。

ヴィデュン派

世界の再創造と転生を重要視する。教祖はフィシャ・ヴィデュン(fixa.vidyn)集団での礼拝や社会性を大切にして、ルールやリパラオネ教法を重要視するためフィシャ派よりもフィアンシャを重要視する。ピエトランクを独自の聖典に加える。ピエトランクが他教派ではファシャグノタール偽典と呼ばれていたり、トユター派の解釈でフィシャ派と対立し、宗教戦争時代ではお互いにシャーツニアーの殺し合いを始めたり血の気の盛んな教派である。フィシャ・フォン・フィアンシャがその体系がフィアンシャ統治に好都合であるという理由で主流派の社会体系はヴィデュン派を中心としているところが大きい。

トユター派

リパラオネ教を中心にトイター教が混ざった派閥。教祖はランテイン・ミールスカットクテイ・ケルメロ正しいイミルの基礎(アチェミル)とリパラオネ教のイミル(思想)のの共通性(パデーナイミル)に気付き、そこから世界の真理に自ら気づく事(パデーナイミレホ)で、その知識によって倫理を持ち、苦しみから解放される事を目的とする宗派。教典はフィアンシャとトイター教教典のいずれもであり、フィアンシャとイルキスのどちらにも向かい、リパラオネ教とトイター教の知識を得てパデーナイミレホを目指し勉強する。保守的リパラオネ教徒・トイター教徒の双方にも嫌われており一番悲しみの大きい教派であるがハタ王国のリパラオネ教としてはフィシャ派と共に教徒の多い教派である。他の教派とは異なり争いを嫌い、フィアンシャンに違反していると言われても反撃することはない。その存在自体がリパラオネ教徒同士の争いを起こしていたりする。

+ フィシャ派とヴィデュン派が何を言い合ってるのかについて
  • フィシャ派の主張
  1. トユター派を否定すればレチⅡの本当の知に違反する。
  2. ステストニースの教えが存在する。
  3. ヴィデュン派の主張はフィアンシャ8、「あぢきなくフィシャの言葉を傳ふる・守るための戰ひを始むべからず。」に違反する。
  4. フィアンシャン11に「僞りの信心を持つべからず。」とあるが、そもそも違う宗教ではないとトユター派は主張しているため偽りの信心ではない。
  5. フィアンシャン16「追ひ出すべからず。」とある。

  • ヴィデュン派の主張
  1. ステトニースの教えはフィアンシャン違反である。
  2. フィアンシャン10「教典に手を加へて信仰すべからず。」
  3. フィアンシャン13「アレフィス以外の神を名乘る者を信じてはならず。」とあるがトユター派はどちらの神も信用している。
  4. フィアンシャン25「ジルフィアを信ず。」とあるが、理教的歴史観を信じていない。
  5. レチⅡにアフツァーフリーガの一族の話があるが、我等の預言者に背いている。

レチⅡ 本当の知
レチは教室に説ありき。
「有能な人間ほど自分を無能と思い、無能な人間ほど自分が無能だと言わないのものです。戒めなさい。本当の知とは何なのかを知り、そしてそれを学びなさい。そしてその上に成り立つ知について知りなさい。そしてそれを学びなさい。これを繰り返せば無能から脱する事が出来るでしょう。本当の知を求なさい。全てはそこからです。」

フィーナのステトニースの教え
1.
この教えを信じるものは天に居るアレフィス様が神でそれがただ一つの存在で在ることを御知りであろう。
2.
この世の中には神多く居ると考えているがそれは間違いである。
2.2
神が数多く居るということは神が分裂し神同士の衝突もありえる。
2.3
我々が生まれるまでにそのようなことはなく、神々が分かれて行動する事も無かった。
2.4
つまり、神々はただ一つの存在である。
3.
しかし、神が多く居ると考える事はただの錯覚でありそれほど悪しきことではない。
4.
アレフィスの力が多岐に渡り、強力なためにそれを誤認する事は珍しくない。
5.
このために、我々はその一つ一つの力も分離せずに一つの力として認識する事が事実であり真理である。

レチⅡ アフツァーフリーガの一族の話
レチはゾルテを呼び寄せ、このように言った。
「アフツァーフリーガの一族を知っていますか、彼らはここから別の世界に飛ばされました。彼らは神に、そして古来の預言者に背いたので全員が別の世界に飛ばされてしまいました。古来の預言者はアフツァーフリーガのリュヨ・レインと伝えられています。」

諸流派

主流派のいずれかから破門を命じられて、独自のフィアンシャ体系(俗に独立フィアンシャと言われるもの)を持って教徒を導いている。まともな者もいれば、マトモじゃないのも居る。

リナエスト教団

リナエストの伝統的な宗教指導集団、正統なリパラオネ教と主張しているがフィシャ・フォン・フィアンシャンは異端認定している。神聖戦争で神に救われるのはリナエスト族だけ(選民)、他宗教は排除すべき(排除)、ターフ・レチはリパラオネ人(レチ理人説)を主な主張としている。また、罪に対する罰に厳格であり、リパラオネ法を第一の行動原則としているため、イスケ・リナエスト人テロ集団と繋がりがあるともされている。教典としてアンポールネム、十戒と共にスキュリオーティエ叙事詩を聖典と認めている。教祖のルキア・ターフ(Lkia Tarf)は、神の子であると名乗っている。

フェイヤー派

ユフィシャールの伝統的リパラオネ教派、いわゆる救世主主義であり、ルキアを最後の預言者と認めなかったために教義はさほど変わらないのにリナ教団から追い出された。「ファシャグノタールに複数の預言者がいるのに、何故未来の預言者を認めない!」→「Skyliautie.1:20 7やろJK」→「は?Skyliautie.1:20 15読めよ。キレそう……。」→「それはお前らのいう偽預言者のことなんですかねえwww」→「ふぁっ!?殺すぞ、教会主義者め。」という感じの論争を永遠に続けていたため、リナエスト教団に限らず主流派のフォン・フィアンシャの幾つかに破門されたり、破門されていなかったりする。お互いに教養がないだのなんだのと言い合うには言い合うが殺し合いとかはしていないのでただ単に仲が悪いだけだったりする。ちなみにフェイヤー(理:feijar)というのは預言者という意味である。

Skyliautie.1:20 7
<Co mak veles texto mi l'es tonir'st da ja.>
貴方(フィシャ)はまた私である神に選ばれます。

Skyliautie.1:20 15
<No io mi derok feijarste fal avimens.>
これまで私は地にもう一人の預言者を引く。

改革派

サルシュナース主義が興隆した時代に興たリパラオネ教派、当時フィシャ派やらヴィデュン派ら主流派が儀式やら伝統に凝りすぎて、お互いを敵視して闘争を始めていたためにパイグ人の「古きを守り、新しくにゆく」に感化されて、教典至上主義や科学主義読解などが始まった。これらリベラリズム的リパラオネ教をまとめてフィシャ派の礼拝統合庁であるフィーナ・フォン・フィアンシャが反教会主義者としてまとめたのを始めとして、彼ら自身は自分たちのことをまとめて改革派だと言い始めた。お互いに反する教義を持っていたりするんですが大丈夫なんですかねえ……。 改革派についてはリベラル派であるために科学主義読解を支持しており、伝統的な教典解釈とは異なるところがある。

復活派

エッツィアのカルト的リパラオネ教派、復活派(niejodeskera)という名称は実はフィシャ・フォン・フィアンシャの付けたもので自称は「リパラオネ論光山社上日山会」(Lipalaone sui aittopa saukanatohan)とかいうなまえだったりする。上記の通り、エッツィアのリパラオネ教派の一つではあるものの聴牌広告天牌皇国全体のリパラオネ教徒の比率は改革派のほうが多い。「(連邦が)このまま社会主義の政権のままだと、ハタ王国と戦争を起こし、連邦は破滅して国民は皆殺しにされるかユーゲ人に同化させられる。」ということを中心に終末論を中心に上日山ヴェルガナりや(Saukanato velgana rija)が興した教派であり、上日山をフィシャそしてトイター、皇論の指導者、過去の預言者の生まれ変わりであるとする。ユーゲ人の侵略を防ぐためには社会主義政権を滅ぼし、リパラオネ教復活派の一派国教化を進め、将来的にはスカルムレイを説教してハタ王国を理教国家として立て、連邦影響圏をリパラオネ教で納めるしかないという思想を持つ。特異的な教派であり、危機感を覚えたフィシャ・フォン・フィアンシャ及びフィーナ・フォン・フィアンシャ、ヴィデュン・フォン・フィアンシャは異例の三社同時破門発表を行い、上日山を名指しでフィアンシャ体制の指導者から破門させることを発表した。それ以来全連邦影響圏シャーツニアー基金(AJXF)のフィシャ・ジニェレーチェ・シャラフィス(fixa dznielerche xalafis)やフィシャ・フォン・フィアンシャのアレス・ラネーメ・イヴァネ(ales lanerme ivane)をフィシャの生まれ変わりである上日山に逆らう神国の逆賊と罵り、復活派のシャーツニアーはAJXFのシャーツニアー研修に参加できなくなり、公式にはシャーツニアーとは認められず、もはやリパラオネ教ですらないのではないかともいわれている。

スぺウツニウ派(Špeydiy)

八戒やアンポールネムを守るものの、転生を否定し、現世における幸福を主任務とする派閥。ゆえにヴィデュン派と超仲悪い。現世における幸福を得るためには、「自ら真理を得る」ことを尊重しているためにトユター派とは親和性が高い(きっとトユター派の影響を受けて確立された派閥なのだろう)。
スペウツニウ派の最大の特徴はリパラオネ教の「教訓」を自ら理解した上で物語を紡ぐことである。このような行いを重ねると預言者の下位の存在「助言者」となり、善性を高めることができる。善性は「物語(知)の集積」であり、これを高めることによって「真理」の発見に繋がると考えられている。
「物語」を重んじている傾向は、転生否定とも関連している。「物語」とは「人生の縮図」であると考えられており、これは、吟遊詩人が転生しても歌や詩を吟じられるわけではないこと、太古より物語が存在し続けていること、人が死を前にしてそれを避けようとすること(人は無意識下のうちに「死を回避すべき喪失であることを知っている」)から転生を否定する根拠になっている。
また「助言者」は流行歌や叙事詩などの世俗的な文書も残す。
スペウツニウ派は元々、吟遊詩人などが政治的、宗教的権力を持ったことで発生した派閥であると考えられ、彼らの生業を推奨することで自らの正当性を証明している。

消滅した教派

東方教団

フィシャが居てフィシャ派や従来のヴィデュン派などがラネーメのリパラオネ教として信仰され、議論される中でリパライン・ディアスポラによってクワイエやレアディオに散ったリパラオネ人が独自に進めた教派とされている。主流派はこれを異端として資料を焚書したり、伝承者を処刑したために資料はあまり残っていないが、原始リパラオネ教に近い信仰であり、ファシャグノタールの戦記に見られるような戦闘礼拝を行っていたことが当時の東西理国間での戦争の記録から分かっている。唯一神信仰という性質から離れ、神族(特にヴェルガナ)を信仰していたという一種の多神教の形式も持っていたのではないかとされており、主流派の神性論争(神族の神性──信仰可能性を認めるかという論争)において強い影響力を持つと思われていたが、フィシャ派が資料をぜーんぶ燃やし尽くしてしまったために何の影響も与えなかった。可哀想な東方教団……しかしながら、この東方教団の信仰の資料から純粋なリパラオネ教としての教義と文化の復活を目指す活動は改革派の中の派閥として存在するには存在するため一応受け継がれているといえるのだろうか……?

Fafs教

ただのカルト宗教である。アレス王朝期からADLPの転換時代はADLPではFafs.sashimiがその権力を握っていた。とち狂ったリパラオネ教徒はADLPがリパラオネ教の秩序を守りながら政治をするなどとアレス王朝と違う目線からリパラオネ教を扱っていたので、そのリーダーであったFafs.sashimiを神聖視するところが多かった。南北帝政や宗教戦争時代を超えるとFafs.sashimiはその権力を失うがためにADLP時代の統治体制は歴史書に依らない庶民的な解釈としてリパラオネ教による安定した統治が行われていた時代と美化されていた。ここからFafs.sashimiは実はフィシャの生まれ変わりであり、統治していた時代にはフィシャと古の教えに立ち戻るように呼びかけていたというFafs信仰が生まれ始める。結局のところ、独立国家戦争初期からFafs教は弾圧を受け始め、フィシャ・フォン・フィアンシャも徹底的に異教であると宣言したところから、独立国家戦争後期までにはフィシャ派あるいは改革派に入っていったのであろうと思われている。

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最終更新:2017年11月15日 00:48