『2001年宇宙の旅』の「正しい」ストーリーは「正しい」か。

※ 特記されていない引用は
  町山智浩著『〈映画の見方〉がわかる本』
  第1章『2001年宇宙の旅』映画史上最大の「マジック」のタネ明かし
  より


660 名前:名無シネマさん 投稿日:2014/07/01(火) 00:46:55.16 yxu+AeMj 
改めて読むと「2001年宇宙の旅」の解説からしてかなりおかしい。
キューブリックとクラークの

『2001年宇宙の旅』の哲学的・寓意的意味は観客が自由に推察していい」
『2001年宇宙の旅』を一度見ただけで理解したとしたら、我々の意図は失敗したことになる」

が冒頭に掲げられていて、

この二つの発言は長い間免罪符となってきた。
「『2001年宇宙の旅』(六八年)の意味は観客が勝手に考えればいい。」
さらには「意味がわからなくてもいい。この映画は>感じればいい」という思考放棄の正当化のために。

それで2001年のバラバラな解釈の例を挙げるのだが、
町山氏が出会った2001年を語る人たちにクラークの小説版を読んだ人がいなかったんだろうか?

もしかして極端に異常な解釈をする人だけをピックアップしてるんじゃないのか?という疑問しか沸かない
というかそれでも曲りなりに自分たちで「解釈」してるんだからそれは思考放棄じゃないだろう

つづけて冒頭のキューブリックの発言の「真意」を「解説」し始めるんだが
エリック・ノーダーンによるインタビューを引用し

「『2001年~』の形而上的メッセージは何ですか?」
形而上――つまり、形のないもの、まさに哲学的なレベルであなたは何を言おうとしたのか
とノーダーンは尋ねたのだ。
それに対してキューブリックは「このメッセージは言葉で言い表したくないんだ」と答え、最初の発言となった。
しかし形而下、つまり画面で起こっている出来事まで勝手に解釈していいとは言っていない。
まずストーリーがわかって初めて、
キューブリックが勝手に解釈していいと言った「形而的・寓意的意味」の考察が始まるのである。

というのだが(続く)

661 名前:名無シネマさん 投稿日:2014/07/01(火) 00:48:10.29 yxu+AeMj 
実はこのインタビューには町山が引用していない部分があって
それはクラークの小説版の訳者あとがきに載っている。
以下、その引用(ハヤカワ文庫旧版 アーサー・C・クラーク『2001年宇宙の旅』訳:伊藤典夫 より)

『二〇〇一年』は言葉によらない体験なんだ。
二時間十九分の上映時間のあいだに会話は四十分足らずしかない。
言葉の陥穽に陥らない、視覚的な体験を作り上げようとしたんだ。
その感情的、哲学的内容が、下意識にじかにしみこむような……。
あれの哲学的な意味、象徴的な意味は、観客が自由に考えればよい
――そして観客が考えたということは、
あの映画が、観客の心を深層でつかむのに成功したということじゃないか。
僕のほうから道路地図を説明するつもりはないね。

あれ? これを読むと、見たもの(物語)の解釈自体、自由にしていいようにみえません?
町山氏自身

キューブリックが意図的にわかりにくくしたからである

と認めてるんだから、

意図的にわかりにくくしたのは、自由に解釈してよいようにである

と読むのが自然なのでは?
まあ「正解がある」理論からは都合が悪いからこの可能性をどうしても無視したかったんだろうけど

662 名前:名無シネマさん 投稿日:2014/07/01(火) 00:50:19.11 yxu+AeMj 
同じような恣意的なロジック展開は他にもあって
ヒトザル編の骨とダブって出てくる「宇宙船」が

実は核ミサイル衛星だったのだ。

というくだりで

だが、キューブリックは、これが核ミサイルであるとするナレーションを削除してしまった。
前作『博士の異常な愛情』(六四年)で核戦争の危機を描いたばかりなので、
「またか」と思われるのが嫌だったからだという。

で、BGMをアレックスノースの不穏なオリジナル曲から「美しき青きドナウ」に差し替えたことで

「人類絶滅の危機」どころか人類の進歩を謳歌するムードになってしまったのである。
しかしこれは『博士の異常な愛情』で
核爆発のキノコ雲に甘いラブソング『また遭いましょう』を流したキューブリック独特の皮肉なのだ。

とまとめるのだけど、おいおい
核戦争ネタを繰り返すだけで「またか」と思われるのが嫌な奴が、
同じ趣向の皮肉を繰り返すかいw

ってかナレーションが排除された時点でその設定は「裏設定」に過ぎなくなって
「見た通り」ではもうあれは核ミサイルではないでしょう

なお、
みんなストーリーがわかってない。「ぼくが「正しいストーリー」が教えてあげると」か言ってる割に
HAL9000が当初のシナリオにも小説版にもない疑問をボーマンに投げかける理由について

その理由は正直言ってわからない

と認めてるのは素直でけっこうw

664 名前:名無シネマさん 投稿日:2014/07/01(火) 00:52:25.91 yxu+AeMj 
本当ひどいのはここからで
たとえばクラークの小説版を映画の絵解きとして機能させるために
小説版と映画ではかなりの部分が異なっていることにちゃんと触れない
判り易いところでは

  • 映画版の目的地は木星
  • 小説版では土星のヤぺタス

これをごまかしたまま書くから
最後のヴィクトリア朝の部屋の場面について

「小説版」によれば、この部屋は地球の電波を木星に中継し、
その番組のなかに映っていたホテルの部屋を異星人が模倣したことになっている。

とか完全な嘘を書く羽目になるわけ
「小説版」では木星はただの通過地点なんですけど?
当然ヴィクトリア朝風でもなんでもなく
テレビもついている(だからそのテレビ番組の模倣とわかる)

では映画版はどうしてヴィクトリア朝風なのかということに関しては
「わかっている」はずの町山さんは何も答えを出さない。
急に「言葉によらない体験」を重んじるようになったのかな?w


665 名前:名無シネマさん 投稿日:2014/07/01(火) 00:56:15.62 yxu+AeMj 
さらに

白い部屋でボーマンは急速に老いて死に赤ん坊として生まれ変わる
とか
ポッドから降り立ったボーマンは、18世紀ヨーロッパ風の部屋に入り、そこでベッドに横たわると急激に老化する。


こんな描写は映画にはない
小説版ではボーマン視点話が進みホテルもどきの部屋に着いて
宇宙服を脱いで、室内の調度品や食料を改めて、と進行するが

映画では

  • ポッドがヴィクトリア朝風の部屋にある
  • ポッドの外に立っている宇宙服のボーマン
  • 宇宙服のまま室内を歩くボーマン
  • 浴室までいったボーマンがリビングに向き直ると老人が食事しているのを見る
  • 食事している老人(顔をみると老いたボーマン)が何かに気付き室内を見るが自分以外はいない
  • 食事に戻った老人がコップを落とし床を見て顔をあげるとベッドにさらに老いた男(ボーマンと同じ顔をしている)が寝ている

という風に各部が不連続になっている
意図的に一人のボーマンが老いたのか
そもそもそれぞれが同一人物かどうかも断定できないようになっている。
そしてこの演出についても町山さんは何も言わないんだなw

何が言いたいかというとだ
町山さん本当にこの映画を「わかっている」の?
そもそもこれは本質的に「わかる」「正解のある」映画なんだろうかね?


あとなんか「キューブリックは『シャイニング』から神秘的要素を消し去って」とかデタラメこいているけど
そこはまあいいやw


※ 映画『シャイニング』には幽霊、超能力、幻想、超常現象、過去への遡行と神秘的要素が山盛である。
  キングが批判したのは、とある人物が古い写真に映っている「トワイライトゾーン」のような結末」などだった。

【映画評論家】町山智浩【ウェイン町山】Part55
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/movie/1403715173/l50

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最終更新:2014年07月03日 01:08