14 名前:名無シネマさん 投稿日:2014/06/29(日) 18:07:01.18 /5EMucwB
【事実誤認?】時計じかけのオレンジ
町山智浩「<映画の見方>がわかる本」
第5章『時計じかけのオレンジ』
P133原作小説イギリス版の最終章(アメリカ版ではカット)について
キューブリックは撮影直前にバージェスからイギリス版を
渡されたが最終章を読んで「これは蛇足だ」と却下した。
「<映画の見方>がわかる本」の巻末に参考文献としてあげられている
キューブリック全書
P246
撮影に入ってから四ヶ月後まで、キューブリックが
その存在を知らなかった章があった。
キューブリックは、この追加部分は「説得力がなく、
原作のスタイルと意図に一致していない」と考えていた。
×撮影直前→○撮影に入ってから四ヶ月後
「蛇足」は英語でなんと言うのでしょうか?
15 名前:名無シネマさん 投稿日:2014/06/29(日) 18:08:29.56 /5EMucwB
【事実誤認?】時計じかけのオレンジ
町山智浩「<映画の見方>がわかる本」
第5章『時計じかけのオレンジ』
P124キューブリックに原作を渡した人物
『博士の異常な愛情』(六四年)の撮影中、脚色を担当した
テリー・サザーンが彼に『時計じかけ~』の本を手渡したのだ。
キューブリックはそれをしばらく書棚に突っ込んでおいたが、
『2001年宇宙の旅』(六八年)の製作中、ふと読み始めたら
夢中になって一気に読了してしまった。
「<映画の見方>がわかる本」の巻末に参考文献としてあげられている
キューブリック全書
P227
その頃、『博士の異常な愛情』の共同脚本家、テリー・サザーンが
キューブリックに『時計じかけのオレンジ』のアメリカ版を送った。
「その頃」とは、『2001年宇宙の旅』の撮影が終わり次の映画の準備をしていた頃
18 名前:名無シネマさん 投稿日:2014/06/29(日) 18:14:55.14 /5EMucwB
参考文献が常に正しいとは限りませんが、
町山説が正しいとする根拠を示して欲しいところです。
1971年、『サタデー・レビュー』掲載のスタンリー・キューブリックのインタビュー
ペネロープ・ヒューストン
アンソニー・バージェスの原作(『時計じかけのオレンジ』)は
1962年に出版された時に読みました?
キューブリック
最初に読んだのは2年半前だ。テリー・サザーンからもらったんだ。
『2001年宇宙の旅』の撮影中に。
※このインタビューが掲載されたのは『サタデー・レビュー』の
1971年12月号で、その2年半前というと1969年6月頃となる。
『2001年宇宙の旅』の公開は1968年なので
『博士の異常な愛情』(六四年)の撮影中、脚色を担当した
テリー・サザーンが彼に『時計じかけ~』の本を手渡したのだ。
キューブリックはそれをしばらく書棚に突っ込んでおいたが、
『2001年宇宙の旅』(六八年)の製作中、ふと読み始めたら
夢中になって一気に読了してしまった。
という町山説とはいろいろな点で齟齬を来しています。
19 名前:名無シネマさん 本日のレス 投稿日:2014/07/01(火) 09:18:42.27 ypQAUAwC
【自己矛盾】「時計じかけのオレンジ」の原作について
テリー・サザーンがキューブリックに「時計じかけのオレンジ」の
原作本を渡したというくだりは、「映画の見方がわかる本」の
スピルバーグに関する章(第9章「未知との遭遇」224ページ)にも登場します。
しかし、
テリー・サザーンは、スタンリー・キューブリックの『博士の異常な愛情』
(六四年)を脚色し、『2001年~』の撮影現場に訪れて『時計じかけのオレンジ』
の小説を手渡した男だからだ。
と書かれていますが、これは以下の記述(124ページ)と矛盾します。
『博士の異常な愛情』(六四年)の撮影中、脚色を担当した
テリー・サザーンが彼に『時計じかけ~』の本を手渡したのだ。
また、参考文献としてあげられている「キューブリック全書」では
その頃、『博士の異常な愛情』の共同脚本家、テリー・サザーンが
キューブリックに『時計じかけのオレンジ』のアメリカ版を送った。
と、「手渡した」のではなく、「送った」とされています。
「送った」よりも、「撮影現場で手渡した」の方がドラマチックでは
あるとは思いますが、こうした記述の根拠となる資料を示していただきたい
と思います。
最終更新:2014年07月02日 03:48