『あまちゃん』とキルケゴールちゃん。

(町山智浩)ただ、宮本信子さんがそのグズグズしている自分の孫を海に突き飛ばして、
それで海女になる決心をさせるシーンがあるんですけど。
これはまあ、ドラマ上かならずどこか突き落とすっていうのは、あるんですよ。人を決心させる時。

(赤江珠緒)そうですか。

(山里亮太)あれ、あるあるなんだ。

(町山智浩)これはね、ドラマのテクニックで。ありますよ。
これ、キルケゴールが言っていた『Leap of Faith』っていう言葉ですね。
キルケゴールっていうのは哲学者ですけども。『何かに飛び込む』っていうことなんですよ。
これもう、ドラマの基本なんですけど、このシーンのところで、宮本信子さんのナレーションで、
『アキは思った。なんてことしやがるんだ、このクソババア!』って言うんですよ。

(2013年6月12日「たまむすび」より)

996 名前:名無シネマさん 投稿日:2013/09/28(土) 07:40:51.20 EzwyuQ3B
leap of faith
やみくも的な信仰、盲信、信頼に基づく賭け◆blind faithは無批判に信じること。
「愚行」というニュアンスを持つ。leap of faithは証明できない事柄について、
信じることを選択すること。「非論理的」などの否定的ニュアンスを持つ場合と、
「信頼・信仰・思い切り」などの肯定的ニュアンスを持つ場合がある。

998 名前:名無シネマさん 投稿日:2013/09/28(土) 07:50:10.45 EzwyuQ3B
八百万の神々のにっぽんで
一神教的な「リープ・オブ・フェイス」は
感覚としてないんじゃね?w


999 名前:名無シネマさん 投稿日:2013/09/28(土) 07:54:26.68 EzwyuQ3B
ポセイドンアドベンチャーのような映画で
追い詰められた人物が「神よ我を導き給え」と
一か八かの賭に出るのが「リープ・オブ・フェイス」だろう


1000 名前:名無シネマさん 投稿日:2013/09/28(土) 07:57:55.80 EzwyuQ3B
あまちゃんのやつはおそらく

通過儀礼 【名詞】
rite of passage
いくつかの文化圏でよく行われる儀式で、個人が(特に青春期から青年期へ)状態を変化させるときに行われるもの

と言った方が正しい

9 名前:名無シネマさん 投稿日:2013/09/28(土) 11:00:50.50 EzwyuQ3B
パニック映画やアクション映画で追い詰められた主人公が
神を信じて一か八かの賭に出るのが
リープ・オブ・フェイス(leap of faith)

あきちゃんが海に落ちてからしゃべるようになったのは
思春期の女の子におきがちな変化を象徴的に表したもので
ライト・オブ・パッセージ(rite of passage=通過儀礼)のことだろう

14 名前:名無シネマさん 投稿日:2013/09/28(土) 11:13:03.41 JATM907/
11
お約束というか、象徴的にそういうことになるっていうはそうだろう(水に入って出てくる→Reborn)
別にここで観客が正確にRebornだと理解する必要はなくて、死と再生のイメージを何となくつかめればいいわけ
「評論家」はそれじゃあ食ってけないからわざわざ「解説」してくださるわけだよ
ネタバレともいうがw

ただここで問題なのはこのあまちゃんのあの場面で描かれた死と再生のイメージが
キルケゴールなのかっていう

おれはキルケゴールっていったら「死に至る病それは絶望である」しか知らんのだが
町山が大好きな「英雄の死と再生」をなぞっているとしたらまずかったんだろうかね

32 名前:名無シネマさん 投稿日:2013/09/28(土) 13:18:23.12 b3CJM4PR
キルケゴールのリープ・オブ・フェイスとの見方が正しいとすると
アキちゃんは「海の神様はオラのことを助けてくれる」
と信じて飛び込んだことになっちゃう

そうなると「津波で命を落とす」ことは「神様の思し召し」ということに
なりかねないので「あまちゃん」の世界観でありえないことのはず

702 名前:名無シネマさん 投稿日:2013/10/20(日) 21:35:57.44 G9pnzDqh
Wikipedia英語版の「leap of faith」の項目には次のような記述がある

The phrase is commonly attributed to Soren Kierkegaard; however, he himself never used the term,
as he referred to a leap as a leap to faith.

このフレーズは一般的にはセーレン・キルケゴールの言葉とされているが、
彼自身はこの言葉を使ったことはない。
彼が跳躍について語った言葉は「leap to faith」である。

キルケゴールの言ったのは「leap to faith」

キルケゴールの「leap of faith」なんかなかったんやw

705 名前:名無シネマさん 投稿日:2013/10/20(日) 22:13:29.94 3iFHFmpf
キルケゴールの「信仰の飛躍」でググると
「救いは信仰の決定的飛躍によってのみ得られる」
というのが出てくるね
「信仰への飛躍」っていうのも出てくる

「死に至る病である絶望から救われるには信仰による宗教「への」飛躍が必要だ」

ということらしい
信仰への決定的飛躍をした結果、宗教的人間に生まれ変わり絶望から救われるというわけだな

つまり、どこからどこまでもあまちゃんと関係ないw




たまむすびの書き起こし出典
http://miyearnzzlabo.com/archives/15536

【映画評論家】町山智浩【ウェイン町山】Part43
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/movie/1378365224/l50

【映画評論家】町山智浩【ウェイン町山】Part44
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/movie/1380331761/l50

※ 一部引用部を明確にする表記修正済み


※ 2014年6月29日付「映画評論家町山智浩アメリカ日記」において本wiki内容の一部への回答がなされた。
  以下、本項に該当する内容のうち重要と思われる部分を引用する。(引用の下は、引用者のコメント。)
  http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/20140629

『あまちゃん』とキルケゴールちゃん。

リープ・オブ・フェイスはたしかにキルケゴールにおいては信仰に飛び込むことですが、
その後、哲学においては、何かの行動に身を投じる、実存主義的行動として論じられるようになりました。
ただ、この場合は、僕は、ドラマや脚本作りにおいて主人公が迷いを振り切って、
愛や戦いに身を投じる場面について言っています。
その際に、映画やドラマでは、実際に崖のようなところを飛ぶシーンが描かれる場合が多いです。

キルケゴールはそんなことを言っていない。
まとめにあるように英語にすればリープトゥフェイスに相当する事しか言っていないようです。
それ以前に
そもそもキルケゴールの言葉として語っていたのに、その後の哲学においてはとか話をそらされても何のことやら。
「キルケゴールが言っていた」とはいったいなんだったのか。


おまけ

また、ノーラン脚本の『マン・オブ・スティール』にも、
迷いが断ち切れないスーパーマンが「リープ・オブ・フェイス」という言葉によって戦いに身を投じます。

「マン・オブ・スティール」の脚本はデヴィッド・S・ゴイヤー。

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最終更新:2014年07月01日 00:20