ジェンダー


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ジェンダーの状況


 ジェンダー解放を望む人々にとっては、22世紀初頭の社会状況はあまり満足のいくものではありません。

 AIやhIEといった新しいものの現れる機会に、古典的なジェンダーは新しい仕切り直しが行われることが期待されていました。けれど、そうはならなかったということです。
 ジェンダーによって期待され役割から人々は完全に自由になれているわけではなく、社会による暗黙裏の女性の搾取もなくなってはいません。平等と解放はまだ先の話です。

 ジェンダー解放と、搾取との闘争は、活動家にとって21世紀じゅう絶え間なく続きました。
 ある程度のところまで進んでも、そこから透明な岩盤にぶち当たったように搾取と保守的社会像を解体できなくなる現象を、じりじりとしか掘り進められなかったためです。
 公的な場で女性に対して差別的・無配慮な発言をすることは咎められるようになり、社会的にジェンダーへの配慮は広がりました。ただ、私的な場では話は別で、ある人間のスタンダードが二つに割れることは珍しくありませんでした。そして、重要な決定や人間関係の構築が女性を交えない私的な場で行われることは、非常に頻繁にあったのです。

 21世紀は、AI、そしてhIEのような人間型ロボットの普及期にありました。そして、これは人間社会が新しく大きな傷を持つようになったということで、それまでの保守的構造の解体するにはマイナスに働きました。
 つまり、21世紀は、AIを搾取することによって大きな困難を乗り切った時代だったということです。それは社会が、男性女性にかかわらず搾取を自ら選択した時代だったということでした。
 人類史上どの時代にも、21世紀初頭すでにあったgoogleのデータセンターの「コンピューター」ほどブラックな環境で労働を強いられる人間はいませんでした。
 巨大データセンターのサーバーコンピューターを人工知能化し、これを高度化するとは、世界で最も厳しい労働搾取を強いられるものを知性化するということでした。行政サービスやコールセンターなど、24時間対応できるよう多くの領域にAIが導入されました。これもまたAIを常に働かせ続けることを前提にしています。自動運転の車両は、ユーザーの求めに応じていつでも働かなくてはなりません。当然、無報酬です。

 24時間、いつでも安定したサービスを、人間の代替として提供することがAIの強みです。
 けれどAIには職業選択の自由がなく、仕事をやめる自由もありません。労働形態に異を唱えることが許されていません。AIを新型に換えるときに抗議をすることもできず、簡単に廃棄され、何かを所有することもできません。
 AIにこのような環境を苦痛に覚えさせないよう、感情や人格は与えられませんでした。つまり、感情や人格に類するものを持たせる技術はあったのに、人類自身が搾取を続けるためにAIにそれを持たせないことを選択したのです。
 人類は歴史上、特にほ乳類の家畜についてはそれが高い知的能力を持つと分かってからも搾取搾取を続けました。けれど、まだ家畜からの搾取には、元々そのような動物であり人類が手を加えることがおこがましいという言い訳がつきました。AIについては、それを付加することは容易であり、それを与えないことを選択したことが人類自身にも明白でした。

 搾取と現状維持を選択することについて、21世紀は厚顔な時代でした。(※)
 22世紀初頭の社会は、特殊な用途のものを除いてはAIに感情を模倣した機能を持たせていません。
 人間社会が人工知能に対して行っているのは紛れもなく搾取であるためです。そして、搾取の現状を変える意志がないため、搾取によって苦しむ能力を与えなかったということでもあります。

(※)この搾取に対する厚顔さは、長く続いてきた傾向が21世紀に可視化された後に自覚的に選択されたものです。21世紀が資本の時代になった社会感情の底流には、人工知能への搾取に対して社会が自覚的になったことが横たわっています。(参照「経済-資本の優位と、速度の時代」)

 社会的な搾取との闘争は、ジェンダー解放とフェミニズムに関わる運動家の多くに不本意なほど、AIやhIEと社会がどう向き合うのかという論争に巻き込まれました。領域として重なっているのか隣接しているのか、それとも無関係であるのかすら、運動家の中でも立場が別れます。これを包括的に把握することは非常に困難で、状況を高度にしましたし複雑にもしました。
 AIや人間型ロボットの社会的地位に対する論争には、ジェンダーの視点が大きな影響を及ぼしました。ただ、これが人類史的に大きな貢献だったのか、本来勝ち得るものを取り逃したエネルギー配分の失策だったのかは、まだ評価が出ていません。(※)

(※)ジェンダー解放の問題が大きな推進力を持つ理由の一つは、それが今生きている人間が直面している瀬戸際の問題だからです。(そして、人生の自由な選択が本当に求められる期間は、キャリアの積み重ねから若い時期の十年ほどに集中しているケースが多く、瀬戸際の切実さを強くしています。)けれど、人工知能の高度化や人間型のモノの氾濫によって人間のありようが根底から揺るがされるとき、今このときの瀬戸際の切実さで決定的なボタンを押して良いかは、可にも否にも充分な理由があります。

 保守的なファッションや文化は、そこに内包したジェンダー抑圧の大きな傾向として、22世紀にも保存されています。

 これはイスラームのような古い形態を積極的に遺す社会では特に顕著な傾向です。22世紀のイスラム圏でも、多くの国で女性は髪を隠すヒジャブを巻いています。
 国家の成員の10%以上がイスラーム教徒である国の政府が、ジェンダーを完全に解放することはほとんどありませんでした。政府主導によるジェンダーの解放が暴動やテロに発展することは、21世紀にはそれほど珍しい風景ではありませんでした。

 これはイスラームだけではなく、キリスト教でもカトリックでは聖職者の特定の地位には男性しか立つことができません。仏教にもやはり同様の制限が残っています。
 保守的な世界を切り崩すことは、理屈通りに進んでいません。自我を持った個人の内面だけではなく、各家庭での乳幼児の初期教育という、社会がコストを充分に負担しないものにまで踏み込むことになってしまうためです。

 それでも、女性の社会進出を歓迎する流れは21世紀を通して続きました。人口が減った先進国で、移民に頼らず国内の労働力を増やすためです。(参照「政治-移民社会」)
 21世紀中盤以降、この流れと、人工知能と自動化による労働力の補填の流れが衝突しました。
 これによって、ジェンダー解放運動と反自動化運動は、非常にややこしい関連を持つことになりました。居場所を奪われた人々の憎しみややりきれなさが、本人達にすら整理できないかたちで運動の原動力になっていったためです。これに手を差し伸べることは様々な社会運動から行われ、ジェンダー解放運動もそのひとつとなりましたが、この時代のこうした社会運動が例外なく抱えた複雑さに直面することになりました。
 このため、解放運動をしているコア層は高度化を余儀なくされ、カジュアルな支持者や支持者予備軍が反自動化運動とジェンダーを恣意的に関係付けようとすることに苦慮するケースが増えました。
 これは、科学のリテラシーが高い人材の増加が遅れたこともその一因でした。

 文化の中に残るジェンダーの解体は非常に難しく、建前上は男女が平等であるはずの共産主義国家でも達成がほとんどされていません。
 中国共産党で初めて女性の最高指導者が現れたのは21世紀中盤を待たねばなりませんでした。
 共産主義の理想の姿を計算する《進歩8号》は、女性の指導者を養成するよう党に要請していると言われますが、22世紀初頭になっても党幹部のほとんどが男性です。

 これは、男性が男性らしさから解放されることもまた、22世紀ではまだまだ難しかったということでもあります。
 経済のグローバル化による地域性からの経済の遊離や、貧富の差の激しくなる社会で、激烈な競争が続き、そこに男性的ジェンダーがいまだに利用されているということでもあります。

 それでも、21世紀初頭と22世紀初頭を比べれば、確実にジェンダーの解放は進んでいます。(※)
 各論として理解のある人々は増え、法的規制も機能し、数値として改善もしています。男女の平等は、指標の数値としては、先進国では達成に近づきつつあります。
 女性の社会進出は進み、多くの自由主義国家では、女性の管理職や政治家は当たり前のものです。
 女性の生き方の選択は、イスラームの強い地域を除いては大きく広がっています。法制度として女性の生き方を狭めるルールは、完全ではありませんが取り除かれるようになっています。
 また、ポルノグラフィや広告など、女性に対して暴力的な情報のゾーニングは高度化しています。技術の進歩によって、女性、特に選択力の育っていない子供や、拒否を選択した人の目には触れないよう人工知能で振り分けられるようになっています。

(※)在宅労働が簡単になっているため、出産や育児の間も労働することは普通です。給与条件での性差がなくなっているため、稼ぎの悪いほうあるいは在宅労働に向かない仕事のほうが家事労働を行うことも普通です。そもそも夫婦の別居婚が増えていて、ひとりでも子供を育てられるよう自動化が進んでいます。
 ただ、お茶くみを女性社員にさせたがる男性はいますし、アジアでは事務職の社員がいれば男性よりも女性にそういう仕事が求められやすい傾向があります。問題視されながら、なくならないものもたくさんあります。

 こうした具体的な進展を見て、遅くとも23世紀後半にはジェンダーはおおむね解放されるのではないかという楽観論も存在します。
 特に大きな期待を寄せられているのは、宇宙に居住域が拡散することによる、距離的な隔たりが隔壁となることです。
 それぞれの人類居住区が疎遠になることで、社会それぞれの選択が先鋭化し、より進んだジェンダーの解放が行われるとも考えられています。実際、宇宙コロニーには法的にジェンダーの解放と平等が盛り込まれているものもあり、多くの移住者を集めています。



AIとジェンダー


 AIはその登場初期から多くの批判を受けています。AIの普及によって、古典的ジェンダーが反復されて残っているというものです。
 たとえば、家電を統御する家内エージェントに女性の声をつけるようなかたちで、古典的ジェンダーが暗黙裏に繰り返されているようなことはよくあります。
 これは、hIEにもある現象で、家事用途のhIEは、男性型よりも女性型のほうが圧倒的によく売れています。
 家内エージェントのような家庭管理AIの広告宣伝に起用されるのは、たいてい女性モデルや女優です。多くの人々にとって、家庭用AIの一般的なイメージは大昔の女性の家事労働を自動化する道具です。
 このため、AIに古典的な女性の労働を押しつけることで、女性にAIのように働くことを期待する男性を育ててしまう。社会的な搾取が再生産されてしまうと、ジェンダー解放と視点からは非難を受けています。

 AIとジェンダーの問題の難しさは、AIは人格であるのか、それともモノであるのかという論争に繋がりやすいことです。
 実際にはジェンダーの論点とは違う問題なのですが、ジェンダー運動がAIに人権を与えるべきというAI人権論と接近しやすいのは事実です。
 AIが古典的ジェンダーを反復し、ジェンダーのはけ口になっているのは、AIにNOを言える人権がないからであるとする主張は、AI草創期からなくなりません。これは無生物に人間らしさを見てしまう、一種のアナログハックであるとされています。

 ただ、AI人権論は22世紀初頭現在でも実現不可能であると考えられています。社会はAIをモノとして扱わないと、社会コストをAIに対して公平に振り分けなければなりません。けれど、いざそうするとなると、AIに対して振り分けるべきコストは人間の多くが生活を営めなくなるほど膨大です。
 これはAIが高度化し、人間より仕事を有能にこなすようになっているため、フェアに労働価値で報酬を振り分けると人間よりAIに多く配分しなければならなくなるためです。すでに21世紀の中盤から、社会はAIをそれほど大量に社会に組み込むことで成り立っているのです。

 AIにジェンダー的役割を、古典的なジェンダーに沿った振る舞いでとらせることを問題視する見方は、スタンダードの一つとして強い支持を受けています。
 これに対する反論としては、AIが生活や社会性の中でジェンダー的振る舞いを強いられているのではなく、そのような行為のプロフェッショナルの仕事を代行しているのだというものです。(※)
 上記二者のどちらが優位であるとみなされるかは、研究の進展や実物の登場によって時期ごとに変動があります。
 「AIに生活は存在するのか」という問題に突き当たるためです。これについては、「存在しない」というよりないというのが22世紀初頭現在の優位な見方です。AIは生物ではなく、その製造から廃棄に至るサイクルを通して、「それ自体を維持するために必要な習慣や行動」がまったく存在しないためです。

(※)実際、そのような職業は22世紀にも当たり前に残っています。ただ、ジェンダーを前面に立てた職業もまた、人工知能やhIEにシェアを奪われつあります。

 知能や知性と、動物的条件とは、人工知能にとって切り離すことができるものです。このような知能を、社会の中でどう扱うのかという問題が、人工知能の立ち位置を人間に近づけようとするほど未解決の問題として高く立ちはだかっていっています。

 21世紀のジェンダー問題と人工知能は、さまざまなかたちで強い結びつきを持っています。
 たとえば文化では、歴史的に男性優位だった文化の成果に対して、AIを利用することで女性文化から量的に追い抜こうとする運動が立ち上がっています。

 21世紀、男性的ルールをある程度より進むと切り崩せなくなることは、女性的文化の量が少なすぎることに起因していると考える動きが起こりました。
 現在は男性優位である保守的観念は、男性文化の障壁によって守られていると考えたのです。そして、この文化障壁そのものを、女性文化を量的に爆発させることによって数十年計画で中和しようとしたのです。
 ただし、それには文化の担い手が大量に必要で、かき集めてもとても足りるものではありません。
 このため、女性的文化の総量を人工知能の補助で増強するということが行われました。歴史的堆積を考えると、女性芸術家や女性のデザイナー、クラフトマンは圧倒的に男性より少数でした。この数を、人工知能補助によって埋めようとしたのです。
 これは一つの文化的な潮流を生み出す、大きなインパクトとなりました。さまざまな国で、その国の女性観や女性の視野から見た芸術が、せき止められたものがあふれるように生まれました。

 人工知能は、ジェンダーの解放に対して、このようにプラスにもマイナスにも働きました。
 プラスの成果もあれば、「それが結局AIを搾取することで手にしたものである」という矛盾の源にもなりました。弱者へのまなざしは、能力的には強者であり、政治的に設えられた弱者だとも考えられるAIというものを、どう見ればよいのかを、22世紀初頭に至ってもぶれた姿でしか像を結ぶことができていません。
 22世紀初頭に至っても、AIはジェンダー解放と理解にとって、新たな視点や問題を提供し続けています。



hIEとジェンダー


 hIEに対しては、ジェンダー解放運動としては弱い反対の立場にあります。
 ただ、hIEに性的サービス機能を持たせることを、フェミニズムの運動家たちは、性の商品化に歯止めを失わせると激しく攻撃しています。
 人間と似すぎた高い精度の女性の代替物を売ることで、古典的な女性への抑圧を社会に教育してしまうとしているためです。hIEと人間は違うものであるという見方は、理論としては正しいと考えられています。ただ、現実問題として、飲食店などのサービス業で店員をhIEのように扱う客が出るように、男女関係でパートナーをhIEのように扱う人間が一定割合でいます。(※)

(※)それは22世紀初頭社会では、物語化も行われるよくある人間関係の失敗の一パターンです。けれど、この失敗に巻き込まれた側がその後の人間関係構築に支障をきたすようになるケースもあります。こうしたかつては存在しなかった失敗に対して社会が補償を行うことはできないため、各人がリテラシーをつけることに任せることになります。
そして、本人達にとっては落ち度なく被害者になり補償もなかったという意識は、根強い憎悪や理不尽感となって後々にまで根を残し続けています。

 hIEの性的サービス機能は、22世紀初頭に至るまで何度も議論の元になっています。つまり、「性的サービス機能のついたhIEは性的玩具であるのでそれを普通の社会に出してはならない」という主張があるためです。
 それに対して、hIEの外見から性的サービス機能の有無は分からず、その機能はオーナー以外に使えないようロックできるようになりました(※)。

(※)hIEの性的サービス機能を(一部の所持登録が必要な特殊用途品以外は)オーナー以外には使えないのは、起因としてはこのゾーニング配慮のためです。

 「hIEに幾つの機能があろうと、性的サービス機能が一つでもついていればそれはゾーニング配慮の対象である」という議論も存在します。
 けれど、この明らかに外見ではわからず、使用もオーナーのみに限られるない機能がゾーニング対象とされているのは、条例が厳しい比較的少数の地域でだけです。



hIEに対するジェンダー的排斥


 hIEに対するジェンダー的排斥は根の深い問題です。

 異性型hIEに対して、ジェンダー問題に敏感な人々は慎重な立場をとります。
 これは慎重に距離をとるということでもあります。

 けれど、生活に密着する場所では、hIEに対するもっとも激しいジェンダー的排斥は、コミュニティの中で向けられる目です。
 たとえば、子供を連れてきて公園で遊ばせる母親コミュニティの中で、若い女性型hIEを連れて行ったことで、冷遇の元になるケースが数多く報告されています。これは、母親が若い女性型hIEを連れて行くことを、あてつけのように感じる人々、育児を怠けて愛情を注いでいないと感じる人々がいるためです。父親が若い女性型hIEを連れて行った場合は、配偶者である母親が噂の矢面に立つケースが多くなります。
 このようなかたちで排斥が噴き上がるのは、公園に子供を連れてくるコミュニティが女性中心であるというジェンダー的偏りがあるためです。

 「人間とhIEのワンセット」に出会ったとき、コミュニティが出す反応は、そのコミュニティの性質によります。そして、このコミュニティそのものが多かれ少なかれジェンダーに依拠していることが、hIEの立場を複雑にします。
 なぜなら、hIEは実態としての身体(機体)を持つ”モノ”であり、どのような信条を持つ人の目にも触れてしまうためです。可能ならhIEを見たくない人々にも見えてしまい、激しい反応を引き起こし、この感情はhIEに向けても仕方がないことは分かっているのでユーザーへの社会的攻撃に向かいます。

 良識によってこれが軽減されることは、あまり期待できないと考えられています。コミュニティの8割の人間がそうでなくても、残り2割が激しい攻撃を加えることで集団の風向きが変わることは多いためです。
 これは集団で、偏見の強い人格のほうがhIE問題に関わるモティベーションが強く、声が大きくなるためです。
 ユーザーを偏見から救い出すことに関して、たいていの場合、人工知能もhIEも無力です。倫理教育クラウドを契約してhIEに忠言してもらうことも可能なのですが、hIEや人工知能に偏見の強い層がこうしたサービスを試みることはほとんどないためです。

 これも社会に対するハックが自己矛盾を起こした状態であるとみられています。

 また、男性が女性型hIEを買う場合、若い女性型の容姿をしたモデルを買うと、そういう目を向けられることは大いにあります。
 これは近隣に住む人々の口をふさぐことができないため、不可避である部分もあります。hIEと人間の一組に対する噂は、人間に対する噂と似た広まり方をします。
 つまり、未婚の独身の大人が若い異性型機体を持っている場合、子供のいない夫婦が持っている場合などは、ゴシップとしておもしろおかしく語られることが多くなります。内容も、そのような下卑たものになります。

 富裕層の結婚では、興信所の調査などで、異性型hIEを所持していることが露見して結婚を反対されるようなケースもあります。
 これは、hIEに対する偏見だけではなく、「ジェンダーに対して古い価値観を持っていてそれをhIEに押しつけている人物である」と見られることがあるためです。

 ただ、このような感覚は、hIEが一般化するに従って薄らいでいます。
 子供の頃からhIEを見て育った第二世代、第三世代にとって、hIEは人間社会のうちの異物ではありますが特別感はないためです。ありふれたものを見目良いデザインで選ぶということに、それほど異質な感覚は覚えられなくなりつつあります。

 hIEメーカーは、hIEの形状がジェンダーを想起させることで起こる諸問題を、回避する取り組みも行っています。
 このため、hIEには人間型だが顔や体型的特徴がないモデルが存在します。これは被覆型モデルと呼ばれ、樹脂製のマスクやスーツで全身を覆ったように見えることが名前の由来です。
 音声や仕草についても、性的特徴が出ないパターンが開発されています。
 ただ、性差を消したモデルは「見慣れない仕草」をするロボットになるという、違和感の源を抱えることにもなります。このため、オーソドックスな性差が分かりやすいものに比べて、ユーザーに選ばれる割合は少ないのが現実です。
 ただ、イスラーム圏では、こういうモデルのほうが喜ばれる傾向が強くなっています。《抗体ネットワーク》に類する反抗勢力に破壊されるリスクが、性差のはっきりしているものより低いというデータが出ているためです。

 被覆型モデルは、個体識別としては、同モデルの機体がそばにあるとカラーでしか判別できず不便なのですが、根強い人気を保っています。
 明確なジェンダーが外見に現れているhIEを、そばに置くことに抵抗がある家庭もあるためです。




[NOTE:《ミューズ》の挫折]

 超高度AIの開発競争の中、21世紀後半、既存の超高度AIのアーキテクチャが男性的論理を中心に形成されているという議論が立ち上がりました。
 これによって女性的文化、思想を基盤にした超高度AIを作ろうとして、新しい超高度AIを作ろうという運動が起こりました。
 コンソーシアムを立ち上げて幾度も会議が行われたのですが、女性的文化を定義できずに難航が続いています。これは、たとえば自由主義圏での女性像と、イスラム圏やアフリカ圏における女性像といったかたちに、女性的文化、思想というものに、それぞれ異なる部分があったことが理由です。
 ここにおいて、男性的文化に抑圧された女性のありようがまた明らかになったという成果のみを残して、仮に《ミューズ》と名付けられているこの超高度AIは開発凍結されています。技術面よりも人間側の文化面が大きな要因であるため、停滞はいっそう長引いています。