憲兵はみどり湯にいた

 まだ家庭に内湯がない頃、街中の銭湯はにぎわった・・・ 広島・長崎と新型爆弾がおとされ、次はこの地に投下されるとうわさが飛び交い、軍属・軍人関係者・家族は離島などに疎開をはじめ やけくそで営業していた銭湯も人は少なくなった。

 戦時下、マキなど不足して、営業もままならぬなか、銭湯の亭主、井蔵はどこをどう工面したものか、陸軍ご用達の遊郭に優先的に 配給される燃料をくすねて営業日は他の銭湯より多く町民に重宝され川向の町からも客は夕方になるとかけつけた。  「こんなご時勢、空襲も多くなった、風呂でもはいらなきゃ、閻魔様もくさくてしょうがないと天国行きの者も地獄におとされますわいな」 と「臥薪嘗胆」「ほしがりません、勝つまでは」も意に介せぬ風だった。

編集メモ

  • 昭和16年(1941)12月8日の真珠湾攻撃を境に、日本は太平洋戦争に突入しました。応召により主人や従業員を軍隊に取られた銭湯も多く、戦時中の営業は困難をきわめました。この間、金属器具の供出、営業時間の短縮、入浴時間の制限、空襲警報による営業停止など、営業上のさまざまな問題が襲いかかりました。戦争突入の年には東京都内に2796軒あった銭湯も、昭和20年(1945)の終戦時に戦禍を免れた建物はわずか400軒たらずでした。当時の銭湯はところによって男女混浴で、しかも常時超満員。さらに、それをいいことに盗みを働く者も多く、想像以上の悪状況だったようです。その後、昭和30年代(1955~1964)に入ると浴場数は急激に増加し、戦後の庶民生活を支える重要な公共施設として活躍します。http://1010.or.jp/history/06.php
  • 昭和12年 9月 東京市内の円タクの深夜営業禁止

      10月 東京市内の銭湯の朝湯禁止

  • 昭和14年 6月 料亭の営業を午前0時までに制限
  • 戦時中は、「銭湯の冗談も筒抜けになる」

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