思い出がえしの旅 --あいつの部屋には男が居る

  ふっと旅先で時間があいたりすると悪いクセがよみがえる。

  この地で昔、しがみついて世話になった人とか、自尊心も存在感も徹底してたたきつぶした人々がいまどうしているかと

 気になってくるのだ。

 少年の頃、啄いて半死の重症をおわせた「蛇の生殺し」を本当に死んでいるか確かめに戻る、そんな感じかもしれない。

 また、寝食忘れて面倒を見てもらい自分の人生すらズタズタになった最恩人が再起しているかこっそり確かめにいくずるさ

にも似ている。

 早めに滞在先をチェック・アウトし駅で首都圏方向かえりの新幹線時刻を確認し、鶏のゲージのように死んだ顔を並べる

 コーヒー屋へずずっと入って一番奥の部署でWi-Fiをつなぐ。

 グーグル・マップってやつで、記憶の住所をひらくわけだ。

 まだ、四、五年前の話、記憶に残る曙街は三丁目まであるのか。

 酔いつぶれた彼女を中古車に載せて、いわれるままの県道徘徊、右回れ左回れで彼女の頭もハンドルもクルクルパー。

 半信半疑で左旋回すると、あっと驚く真珠かレンガの二階建て。五、六台はように並ぶ一直線の駐車場に面して彼女の

 アパートは、狭苦しい小路をぬけて急に開けた空間にあった。

 寄れともいわないから、明るい日差しに目をふせながら、一刻も早く一人になって二度寝したかったのでさっさと

 帰った。うまく帰れるのだろうか。

 右や左を繰り返し、不安は車の蛇行・ノロノロ運転に繋がり、急にアソコにさえでれば、と思うようになった。

 アソコってなんだ、昔見たことのある場所。そんなものが初めて来た曙町にあるはずがない。

 前方に「踏切」。車がやっと交差できる幅、人が通れば走れない幅。これだ、昔確かにここを通ったことがある。

 一安心、踏切を徐行して通る。

 寺が二軒、右手に見えて相変わらず道幅は狭い。先の右側に使われなくなった市場の軒が並ぶ。

 へーーい、いらっしゃい、おくさん、お安いーくしとくよ、肉に団子に野菜はどうだい、とれたちの魚もあるよ・・・

 ここで昔、買い物をした記憶もある。

 ここを起点にして、走らせた中古車をあちこち回してみるが、残念、アパートには行き着けない。

 やたら小さな道を右折、左折し、知り合いの家に遊びに来てるとかもったいぶってなかなか到着しない、ふと、右折するとぱっと

視界が広がり目的のアパートについていた。そこへいきつけないのだ。

======省略=======

 いったい、どういうことなんだろう。

 脳に違和感があり膝をおった。

 当たりは、帳がおりており、鳥がなきくるう。

 曙町を北側で隔離しているのは、川と中学校の敷地だ。西にはパルプ工場、南に貨物用の線路、東はバイパス陸橋になって

 一段高いところを車列が連なっている。

 入口が踏切で、小さなエリアに迷い込みうろうろしてみても三階建てや高層のマンションが数棟あるだけで、それらしい

二階建てのアパートがないのだ。

 この中学校は、新築だ。目を閉じてもう一度学校を見る。プール、校舎、校門の位置は違っているが、まさしく

 自分が通っていた中学校に間違いない。

 この記憶が無いから、行ったアパートの位置を関連付けられなかったのだ。

 この3年分の記憶を失ったまま、その後の人生を送り、何の支障もなかったわけだ。

 少なくとも、曙町に再びあらわれ、物件探しをはじめるまでは・・・

 いま、どこでこの酔った女と会ったのかどうしても思い出せない。

 この探し回っている土地がどうやら少年時代に遊びまわった場所であることは思い出せたが、今度は、送り届けた

 女の素性が分からなくなった。

 ちょうどこのアパートを探し始める直前、この女のことは「夢」か「昔の記憶」に出てきたようで、たぶん、「雅(みやび)」と

 いう女で、駅に近い今は二階建ての駐車場になっていたところに住んでいた。

 そしてたぶん、そこから一本道を駅のほうに少し歩いたビル、2Fの居酒屋で待ち合わせをしたことがあるはずだ。

 外階段を任意まで昇り、クツを脱いで入る居酒屋でコーナー、コーナーでいろんなカウンター、テーブルがありあきのこない

 作りだった。そこを尋ねてみても廃屋で入口は板で封鎖されて階段もあがれなくなっている。

 部屋まで送った彼女はたしかに元気に生きていたが、果たして本当に当時、生きていたのか確かめるすべがない。

 夢の中では確かに生きていたのだ。現実に実際に生きていたのかと問われると怪しい。

 現実で足りないところを夢で補い、夢で足りないところがあると現実のもので補う・・・そういう生活をずっとしてきたからだ。

 自分にとって都合の悪い中学の頃の記憶はそげ落ち、思い出としないで生きてきた。しかし、時に夢に現れ現実の記憶と混同する。

 自分にとってよい思い出は記憶として残し、当時の都合の悪い夢が本当の話としてあらわれると、必死で夢を否定する。

 そうやって都合よくバランスをとって生きてきたのだ。そうしなければ目の前の現実はつらすぎて生きていけなかった。

======つづく===========

追加

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