そしてアメリカに引き抜かれた

研究室「改ゼロ戦」の設計図は、進駐軍がもっていきやがった

戦後、進駐軍の技術者が目の色変えて、やってきて、「波型艦形」の論文をごっそり持ち去り、高速コンテナ船をつくりやがった

日本も戦争に負けてこざかしいミシン屋が車なんか作り出して、はぶりがよくなっていたが、あれはだれでも真似できるからやらない

なら、簡単にまねできない、ロケットをつくって一儲けしようと仲間があつまっていたけど、ある日

にほんじゃだめだと全員、アメリカへいってしまった・・・

あれで日本のロケット技術はまちがいなく50年おくれた

カッパの連中がアメリカにわたってロケット開発していたんだからしかたない

政治家靴の木マレの助は東大にかけこんだ

「ロケットの予算をとったぞ、これからはロケットだ・・・、ロケットをつくって国を興すんだ」

研究室はガランとしている

風で、散乱した図面が舞っている

ど、どこへいったんだ、みんなは・・・

それが今朝、みんなアメリカへ旅立ちました

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  • 終戦後の混乱で物もお金も設備もない中、糸川が最初に作ったのは長さわずか23cmの「ペンシルロケット」。そこからわずか3年で、世界トップレベルの観測用ロケットの開発に成功する。そこには人々に夢を与える技術を生むための糸川の信念と知恵が秘められていた! 小惑星探査機「はやぶさ」や国際宇宙ステーション「きぼう」など、世界をリードする日本の宇宙開発技術の礎を築いた天才ロケット博士・糸川英夫の生涯を探る。
  • 31 -- 名無しさん (2016-12-14 00:31:17)
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