『ただいま』はまだ言えない ◆/D9m1nBjFU





これはまだ日を跨ぐ前、B-4エリアからバーサーカー、黒崎一護が主の下へ帰還した直後のことだった。



(思っていたほど魔力が枯渇していない?)

令呪の内容を消化し戻ってきた一護の状態、美遊自身のコンディションを一通りチェックして意外な事実に気がついた。
彼は違反行為があったという主従がいる、恐らくは多くの主従が集まってきたであろう激戦区に行っていたはずだ。
それなのに美遊の魔力はほとんど持っていかれておらず、一護も魔力が枯渇ないし枯渇寸前といった様子には見えない。
不可解な出来事に首を傾げるばかりだった。

この時点においてまだサファイアを取り戻していない美遊に視覚共有などという芸当はこなせない。
故に一護が出向いた先で何があったのかは推測する他ないが、いくら何でもロクな戦闘もなくさっさとサーヴァントを斬り伏せて戻ってきたなどと楽観的な思考はしない。
戦闘自体は行ったはず。それも場所がB-4なら超速再生を使わされるような事態も複数回あったと考えて然るべきだ。

(……まさか、バーサーカーの貯蔵魔力だけで乗り切った?)

サファイアはない。しかし美遊の魔力はほとんど使われていない。
だとすればもうこの可能性ぐらいしか考えられない。
考えてみればこれまでの美遊は一護への魔力提供に専念していた。僅かでも魔力不足に陥ることのないよう魔法少女としての機能を全て切って。
そうしていたのは「バーサーカーは消費魔力が他クラスより段違いに多い」という聖杯から齎された基本的な情報が頭に入っていたからだ。
だからテンカワ・アキト(この時点で美遊はガイという名前だと認識していたが)のバーサーカーと戦った時もアキトに取り押さえられる瞬間まで一護への供給は続いていた。
つまりあの時点で一護は彼が保有できる魔力貯蔵量の上限いっぱいまで魔力を溜め込んでいた。

(だとすれば―――戦っていない時の魔力供給さえ怠っていなければ、供給を完全に切っても一回は全力で戦闘ができる!?)

この瞬間、美遊はようやく一護の魔力消費量を過大に見積もり過ぎていたことに気がついた。
あるいは聖杯からの知識を額面通りに受け取りすぎていた。
バーサーカーは殊更に魔力を喰う、マスターに特段の負荷をかけるクラスである。これは事実だ。
またバーサーカーとして現界した黒崎一護は戦闘に大量の魔力消費を要し宝具に至っては令呪の補助なしには使えない。これも事実だ。
しかし―――だからといって最高のコンディションの状態から通常戦闘を一回行った程度で枯渇するほど魔力保有量の少ない、脆弱な英霊では断じてない。



美遊の想像は半分は外れていたが半分は的中していた。
一護はB-4では消滅寸前の槍兵を一息に斃して美遊の下へ帰還したが、B-4に辿り着く前にはアーチャー・エミヤと交戦していた。
数々の投影宝具を用いて的確に一護の弱点を突いたエミヤの奮戦によって一護は何度も超速再生を使わされており、魔力放出じみた飛ぶ斬撃も使用している。
それだけの抵抗を受けた上で、ある程度の魔力を残したまま美遊の下まで戻ってきた。
これは前述の通り事前に魔力を十分に貯め込んでいた故のことでもあるが、もう一つ美遊が知らない理由が存在する。

そもそもサーヴァントというカタチに当てはめ劣化させた状態で現界させているとはいえ、英霊を人間の魔力だけで維持することは極めて困難だ。
それこそ代を重ねた家系の一流の魔術師ですら維持するだけで魔力の大半を持っていかれる。
その問題を解決するため、聖杯戦争の期間中は聖杯がある程度サーヴァントの現界維持に必要な魔力を肩代わりしている。
とはいえここまでしても魔力を持たない一般人ではサーヴァントを運用することは難しい。
通常戦闘を行うだけでも数日に渡る魂喰いを必要としたケースも存在するほどだ。


だがこの聖杯戦争では一般人のマスターが多数参加しているにも関わらず、魂喰いによらずある程度の継戦を行えたサーヴァントが複数いる。
ニンジャスレイヤーなどはその最たる例だろう。単独行動のスキルを持つとはいえマスターを失った後ですら複数回に渡る戦闘行為を行えていた。

何故このような現象が起きたのか。その答えは聖杯がサーヴァントに対して働きかけるバックアップの差にある。
もとより魔術的資質の有無を問わずゴフェルの木片を持つ者を無作為にマスターを招集したのがこの聖杯戦争だ。
そのため通常の聖杯戦争よりも聖杯がサーヴァントを維持するバックアップが大幅に強くなっているのである。
この通常以上の聖杯によるサーヴァントへのバックアップは当然一護にも働いていた。
こうした要因もあってそれなりの余力を残したまま令呪の命令を消化して帰還することができたのだった。




(もしそうだとしたら、わたしがそうと気づいていなかっただけで、使える手札は無限に広がる!)

例えば今までの美遊がやっていたのは、携帯端末やポータブルゲーム機のバッテリーを常に最大に保つようなものだ。
当たり前だがその状態で充電し続けても大した意味はない。よほどバッテリーが摩耗していない限り充電をやめて即バッテリー切れなんて事態にはなり得ないからだ。
つまり今までしていたのはそういう類の、安全策ではあるが無駄が多すぎる行為だったということだ。

であれば、一護をを戦闘させながらにしてカレイドの魔法少女、そのフルパワーを敵マスターにぶつける戦術が成立することになる。
何より、短時間であれ魔力供給を行わなくて良い時間が発生するのであれば美遊自身の戦力でも最大の切り札の運用が現実的になる。

セイバー、アーサー王の力を宿したクラスカード、その宝具の名は『約束された勝利の剣』。
聖剣というカテゴリーでも最強の一角たる宝具の真名解放が可能になる。
「今回はバーサーカーへの魔力供給も行わなければいけないため、真名解放は無理だろう。」。これは一面の事実ではあるし、つい先刻まで美遊もそう確信していた。
しかし、全ては考え方一つだったのだ。想像と発想一つで出来ることと可能性は増える。
とはいえ使えても一度の戦闘につき一度きり、使えば数時間はカードの再使用は不可になりおまけに一瞬とはいえ転身そのものが解けるリスクもある。
特に転身解除がどれだけ致命的な隙かは、夕方の戦闘を思い返せば火を見るよりも明らかではある。

だが手段を「使える」と「使えない」のとでは天と地の差がある。
今思いついた供給をカットした戦術にしても戦闘が長引いたり、敵が予想外の手を使ってきたら容易く破られ得る。
その逆に当初やっていた魔力供給に全てのリソースを使うやり方もそれ自体が全てにおいて駄目だったのではなく、それ一つだけを押し通そうとしたから負けたのだ。
また少し前に考えた魔術回路をフル稼働させて魔力供給と魔法少女の機能を両立する策も魔術回路への過剰な負荷というデメリットは厳然として存在する。もちろんいざという時には回路が焼け付くことも辞さないが。
重要なのは己に出来ることと出来ないことを把握することと、実戦での判断・取捨選択を誤らないことだ。

先ほどのアキトとの戦闘を例に出せばわかりやすい。
この時点での美遊からすれば名称すらわからない転移術の使い手に一本調子の攻めが通じるほど甘くはない。
あの奇襲に確実に反応し、かつ返す刀で仕留めるならクラスカード・セイバーの夢幻召喚が必要だ。
しかしあの転移術の発動条件や予備動作の有無によってはそれすら容易ではない。
……そうなれば、やはり令呪を用いた一撃必殺の奇襲攻撃に活路を見出す他ないか。


(でも、結局サファイアとクラスカードが手元にないことには始まらない)

…と、色々と考えてはみたものの、全てはサファイアとカードを取り戻せてからの話だ。
残念ながら今必要なのはサファイアを使った運用ではなく彼女を取り戻すための策を考えることだ。
そのためなら二画目の令呪を使うことだって辞さない。まずは港に行く、全てはそれからだ。



―――そんな、相棒と再会する少し前の出来事だった。







  ◆   ◆   ◆





間もなく夜が明けんとする空を少女と死神が駆けてゆく。
新都から深山町へと向かう中、カレイドステッキ・マジカルサファイアは思考を巡らせていた。

(これで……このままで良いのでしょうか)

聖杯戦争が本格的に始まって一日経過し、とりあえず美遊は五体満足で生存している。
テンカワ・アキトに不覚を取りはしたものの、結果的には令呪一画の損失で済み相手にも社会的な損害を強いることに成功した。
テンカワ・アキトとホシノ・ルリ以外のマスターに関してはほぼ情報が無いというのが大きなネックではあるが、それは今後の立ち回り次第で補えないこともない。
何よりサファイアが安堵しているのは、今のところ美遊が直接人間を殺す事態にはなっていないことだ。

……詭弁に過ぎないことはわかっている。
聖杯戦争では契約サーヴァントの死はマスターの死。つまりサーヴァントの撃破は実質的なマスターの殺害だ。
美遊、一護、そしてサファイアは予選で一騎、昨日に一騎サーヴァントを討ち取っている。
であれば見えないところでマスターもアークセルによって消去されているはずだ。
つまり殺人という大きな一線は既に越えてしまっており、その事実にいつまでも目を向けないほど美遊が鈍感でないことも知っている。
あるいは既に自覚してしまっているからこそ優勝狙いへと舵を取るようになったのかもしれない。

そこまでのことを重々承知していながらも、やはり生きた人間に対して直接手を下すような真似はさせたくないと思わずにいられない。
けれど現実はどこまでも非情で、サファイアが美遊にさせたくないことはこの世界で生き残るにあたって必要不可欠なことでもある。
生還できるのは最後まで残った一組のみ。この殺し合いを勝ち抜くことでしか元の世界に帰る道はない。
敵対陣営を倒すにあたってより確実なのはサーヴァントよりマスターを狙うことであり、現に美遊もマスター狙いの攻撃をされたことがある。
そして美遊には敵マスターを屠るに足るだけの力がある。それが幸か不幸かサファイアには判じ得ない。



『美遊様、先ほどのことですが』
「何?」
『本当にこれからは美遊様も戦闘に参加するのですか?』



テンカワ・アキトを策に嵌めてから少し後、美遊はこれから先「全員で戦う」ことについての具体案を出してきた。
これまでの一護に戦闘の全てを任せるスタイルを改めてカレイドの魔法少女の力を出していくと。
状況に応じて一護への供給を行いつつ余剰魔力で魔法少女の能力も護身に使う、魔術回路をフル稼働させるスタイル。
それに加えて予め一護の魔力保有量の限度まで魔力を蓄えさせたという前提で、戦闘中の一護への供給をカットし魔法少女の機能を全開にする、普段の戦い方に限りなく近いスタイル。

確かに可能ではあるだろう。
美遊と合流した際も美遊、一護ともに魔力量には余裕があったことを覚えている。
というより、サファイアは当初から気づいてはいたのだ。
そも並行世界からの無限の魔力供給機能を統括しているのはサファイアだ。どこにどの程度魔力が割かれているかなど当然熟知している。
知った上で、魔力運用次第で戦闘に魔力を割く余裕があることを敢えて黙っていた。
全ては美遊が直接戦わずに済めば、という祈り、あるいは願望から来る思いだった。

カレイドの魔法少女の力は元々クラスカード回収、つまり黒化し現象に劣化したとはいえサーヴァントを相手取ることを前提としたものだ。
正規のサーヴァントには及ばないとは言ってもマスター、人間を基準にすれば圧倒的にも程がある性能であることも事実だ。
加えて夢幻召喚は一時的とはいえ英霊の力を借り受ける絶技であり、敵からすればサーヴァントが二体になるようなもの。

そんなマスターが聖杯戦争の序盤から猛威を奮えばどうなる。
恐れられ、警戒され、全方位から攻撃を受けるか常にアサシンによる暗殺を狙われることは目に見えていた。
ならば本来出せる力を眠らせたままにしておき、ただのバーサーカーのマスターと認識してもらう方がまだしも都合が良い、と判断した。



「うん。バーサーカーの力押しは確かに強いけどそれ一本じゃ簡単には押し切れない。
わたしたちも戦ってバーサーカーを援護しないと勝てるものも勝てない。
それにマスター狙いの攻撃も多いから守りを固めておくのは大事」
『……そう、ですね』



だがそれでどうなった。
まんまとテンカワ・アキトの術中に嵌り敗北したではないか。
あの敗戦にしてもたまたまアキトに美遊を利用する目論見があったから首の皮一枚繋がっただけで本来なら死んでいる。
美遊がさしたる力を持たない子供のように振る舞おうとも聖杯戦争という現実は誤魔化せやしない。
力を見せつけようがそうでなかろうが他の主従は当然のセオリーとしてマスター狙いを実行してくる。

であれば最早能力の出し惜しみなどしていられる状況ではない。
本気を出し惜しんだまま殺されるようならそんな本気は存在しないも同然だ。
畏怖されようと警戒を招こうと持てる力を出し切らねば生き残ることはできない。

(ホシノ・ルリ……私は貴方が恨めしい)

もし、もしもここに至るまでのどこかで美遊を預けるに足る信頼できるマスターがいたならば。
殺し合いに乗らずに月からの脱出、ないしは聖杯戦争の打破を目的とするような善良な誰かと出会えていれば。
美遊が優勝を目指す意志を固めてしまう事態を避けることができたのかもしれない。

だが結果としてそうはならなかった。
美遊の幼稚園児以下の対人折衝能力も要因の一つではあっただろう。
少なくともアンデルセンから早々に逃げ出したことやアキトに令呪を使わされたことに関してはこちらにも明確な非があった。
しかし彼女―――ホシノ・ルリだけは違った。





  ◆   ◆   ◆





―――その可能性は予想できていたことだったが、しかし出来ることなら的中してほしくはなかった。


「出来れば───貴女が知っていることを、話してもらえないでしょうか」


昨日の午後から夕刻に差し掛かるあたりの頃、交戦の意思はないと言いながら美遊の前に現れた警察官らしき女性、ホシノ・ルリ。
彼女との対話には常に緊張感が漂っていた。とりわけ美遊の警戒心は過剰なまでに高まっており、あるいはルリは美遊のそういう態度に思うところがあったのかもしれない。

だがサーヴァントを連れたマスターがマスターとして交渉に臨む以上互いが臨戦態勢を取るのは至極当然の話だろう。
あくまで日常の延長で、表向きでも一人の神父として美遊に関わったアンデルセンの時とは会話をする上での前提が違う。
ましてやあの場所はサーヴァント同士が戦闘を行う上で騒ぎになりにくい絶好のロケーションだった。
これで騙し討ちを警戒されないとでも思っていたのだろうか?

会話をしていても、美遊の警戒心が高まるのも無理はない胡散臭さだった。
聖杯に関してルリも考えるところがあったのだろうが、それにしても脱出するつもりなどと嘯きながらその実具体的なことに関しては何一つ触れようとしなかった。
また話し方も美遊から一方的に情報を引き出そうとカマをかけているのがサファイアから見ても手に取るようにわかった。
もっともルリからすればサファイアが聞いていることなど想定していなかっただろうから当然の話ではあるが。

だからその瞬間にも顔色一つ変えずに対処できた。
美遊が月の聖杯の実在について言及していたその時の出来事だった。
ルリの合図とともにライダーが腰に装備していた銃を美遊目掛けて発砲してきたのだった。
……事前にライダーが一瞬銃に目線を向けたことを念話で美遊に知らせておいて正解だった。
おかげで美遊も取り乱すことなくルリの仕掛けた暗殺に対処することができたのだった。

あるいは、ルリも美遊に何某かの警戒の念を抱いたが故の行動だった可能性もないではない。
実際美遊はあの時点で聖杯を獲る方向に心が傾いていたのでそこを感じ取ったのかもしれない。
だが、だとしてもあの程度のことで会話を放棄しサーヴァントに銃を撃たせるようなマスターではどちらにせよ美遊を預けるに足る人間ではあるまい。
あちらから持ち掛けた会話であればなおさらだ。




「正直、あそこで撃たれるとは思ってなかった」
「確かにわたしはあの時から聖杯戦争に乗り気になった。でもだからといってあの場でいきなりあの人を殺そうとしたわけじゃない。
第一、まだ彼女からほとんど何の情報も聞けてなかったのにそんなことをする意味がないし論理的に破綻してる。…信じて、サファイア」



ルリとの戦闘を終えたすぐ後、当然サファイアは美遊に真意を問うた。
美遊が他者に過剰なまでの警戒心を抱いていることはわかっていた故に、もしや本当にルリに殺意を向けていたのではないかという疑念もあったからだ。
しかしやはりというべきか、論理を重んじる傾向にある美遊だからこそあの場では警戒心や敵意はあっても行動に移すほど軽率ではなかった。
真に軽率と謗られるべきはやはりあのホシノ・ルリだった。幼子相手に一方的に情報を聞き出して用が済めば即射殺に移るとは。

一応、ルリとの会話から戦闘、そして美遊たちが戦域から離脱するまでの流れはサファイア自身の機能によって動画として録画・保存してある。
これは姉妹機であるマジカルルビーに搭載されているものと同じものだ。
元よりカレイドステッキはクラスカードを回収するために貸し出されたものであり、その記録を得るために有用な機能が同型機のサファイアに搭載されていないはずもない。
とはいえ今となっては戦闘の記録を確認する以外に用途があるとは思えないが。
いや、今の美遊と対話が成立して、かつ記録した映像を見て美遊に同情を示してくれるような都合の良いマスターでもいれば別なのだろうが、そんな者はいないだろう。

ともかく、ホシノ・ルリに関しては脱出を目指しているという言が虚であれ実であれ危険人物であることに疑いを挟む余地はない。
仮に脱出目的だとしてもその過程で他人の命について斟酌するとは到底考えにくい。
加えて彼女は方舟において警察機構に属している人間だ。美遊とサファイアで起こした先ほどの事件についても把握しているかもしれない。
テンカワ・アキトが陥れられた可能性に気づくことも有り得る。十分に注意が必要だ。





  ◆   ◆   ◆




思案しているうちに、新都と深山町を分けるちょうど境目まで出ていた。
今美遊たちがいるのはA-7、冬木市の最北端の上空を飛行して一日ぶりに深山町エリアへと戻ろうとしていた。
何故このような場所を通ることを選んだのか。その理由は冬木大橋にあった。
地理の関係上陸路で深山町と新都を行き来するには必ず大橋を通ることになる。
つまり現在アキトを追っているはずの警察NPCたちも深山町へ逃げ込まれる前に犯人を確保するために大橋で張り込んでいる可能性が高かった。
そこにノコノコと美遊が通りがかればたちまちのうちに補導、あるいは保護されてしまうだろう。どちらにせよ警察のお世話になるわけにはいかない。
さらに大橋が交通の要所であることを考慮すれば、時間帯も相まってアーチャークラスのサーヴァントが待ち伏せをしているであろうことは想像に難くない。
故に美遊は日が昇る前に空路で、冬木市の北端から深山町へと向かうのだ。
美遊自身も転身して空を飛んで、正確には「跳んで」いけば万一敵の狙撃があったとしても一護共々即応することができる。

「攻撃は……来ない?」
『そのようですね。とりあえずは無事に深山町側に入れたようです』

しかし結果としては杞憂に終わった。
少なくとも結果としては美遊たちが敵サーヴァントの狙撃を受けることはなかった。
一つ引っかかるのは一護が大橋の方を注視していたことだ。
こちらの探知では探り切れない距離の敵が彼には見えていたのだろうか?

「とにかく隠れられる場所を探そう」


深山町に戻ってきたのはあくまで警察の捜索から逃れるためであって、エーデルフェルト邸に戻るつもりはない。
ルヴィアに心配をかけているであろうことは心苦しいが、だからといってNPCである彼女を聖杯戦争に巻き込むわけにはいかない。
そのため深山町で、日が昇りきる前に人目を避けて休息できる一時の拠点を求めていた。
空を飛んで移動するにも明るい時間帯は目立つリスクが増すためそう簡単には使えない。

美遊が降り立った場所はA-3、空路で一気に移動できる美遊の陣営にとって距離の長さは問題とならない。
通行人がいないこともあり、不意の敵襲に備えることを優先して転身は維持したまま周囲の探索を始めた。
何しろこのエリアは本選開始後はもちろん予選時代にも美遊の行動範囲から外れていたため訪れたことがない。警戒するのは当然だった。

「ここ、は……」
『美遊様?』

けれど、美遊はこの周辺の風景に奇妙な既視感を覚えた。
理由はわからない。けれどわたしは此処を知っている。知っている気がする。
知らず、サファイアの制止も無視して駆けだしていた。



「――――――」



そして見つけた。見つけてしまった。
のどかな住宅街の風景から置いていかれたように建つ、寂れた武家屋敷を。
打ち棄てられて時間が経っているのか、外からも朽ちかけているのがわかる。
表札は掲げられていない。誰も住んでいないのだろう。

『美遊様、一体どうしたのですか?』

相棒の声も耳に入ることはなく、そのまま邸内に進入する。
玄関、風呂場、台所、居間、客間……忘れ得ぬ日々の思い出を拾い集めようとするかの如く屋敷を巡っていく。
美遊・エーデルフェルト、いや、朔月美遊にとってこの武家屋敷は人生の多くを過ごした家だった。
美遊には衛宮切嗣に拾われる以前、生家である朔月家で過ごしていた頃の記憶が殆どない。
だから此処は彼女にとってのもう一つの生家だった。

いつしか、庭と土蔵を見渡せる縁側に足を運んでいた。
今でも鮮明に思い出せる。美遊と士郎が本当に兄妹になった夜のことを。
思い出せるのに、目の前にあるのはただの寂れ、朽ちた屋敷だった。隙間風だけが空しく通り過ぎていく。

水滴が落ちた。美遊の頬から零れ落ちた涙だった。
次いで堪えきれず膝から崩れ落ちた。サファイアの声も届かず、ただ嗚咽を漏らす。

この箱庭に兄・衛宮士郎は存在しない。
それは予選時代に学園の高等部に彼らしき生徒を見ないことやルヴィアからも一切話題に出ないことから察してはいた。
だから住人のいないこの寂れた武家屋敷は「衛宮士郎が存在しないifの世界」を再現したのであれば当然あり得る存在だ。頭ではわかっている。

けれど、美遊にとってこの光景はそれ以上の意味を持っていた。
過程こそわからないが、恐らく美遊の兄である士郎は何らかの方法でクラスカードを集めて自分の下まで辿り着いた。
そうしてイリヤのいる並行世界へ送り出してくれた。……けれど兄はその後どうなったのか?

出来るだけ考えないようにしていたことだった。
最愛の兄の願いに応えるためにも今を精一杯に、幸せに生きる。その思いを胸に新たな世界で生きてきた。
けれど、見たくもなかった現実を予想だにしていなかった形で突きつけられた。
恐らくエインズワースの本拠だったであろうあの洞穴に乗り込んで美遊を逃がした兄が無事でいられるだろうか?
そんなわけがない。当然、もう帰ることのない元の世界の武家屋敷だっていずれはこの方舟によって再現されたこの場所のように朽ちていくのだ。

いや、それだけでは済まない。
元より美遊のいた世界は滅びに向かって進んでいた。
命と引き換えに世界を救済するはずだった美遊が消えた以上、いずれは世界全てがこの武家屋敷のように朽ち果てるのみ。
誰かを救うということは他の誰かを救わないということで、美遊が救われたということは他の全てが救われなかったということだ。




サファイアはただ困惑していた。
美遊がこの屋敷を見るや迷わず中に入っていってしまい、そして理由は不明だが今はこちらの呼びかけも耳に入らずただ泣いていた。
サファイアは美遊の過去を知らない。別段無理に詮索する必要もないと思っていたから。
しかし今の美遊の様子を見ればこの屋敷が美遊の過去と密接に繋がっていることは間違いない。
ただでさえ命の懸かった極限状況だというのにタイミングが悪すぎる。

『美遊様、美遊様!しっかりしてください!』
「あ、サファイア……?ごめん、わたし……」

ようやく返事を返してくれたが酷く憔悴した目をしている。
駄目だ。美遊当人に自覚があるかは定かでないがこの有り様ではとても戦うどころではない。
今他の主従に捕捉されるようなことがあっては不味い。とにかく隠れられる場所が今すぐ必要だ。

『美遊様、向こうに土蔵があります。ひとまずはあそこに隠れて警察の捜索をやり過ごしましょう』

幸いにしてこの屋敷の庭には人一人が隠れるにはうってつけの土蔵がある。
サファイアの提案に美遊は無言で頷き土蔵に移動、戸を閉めて座り込んだ。
もしかするとこの屋敷そのものから離れた方が良いのかもしれないが、サファイアにはこの屋敷と美遊の具体的な関係性がわからないため迂闊なことは言えない。

「…ありがとう、サファイア。ここなら多分大丈夫。
ここに目を向ける人は誰もいないから」



膝を抱えて座り込む。ようやく涙も止まり、思考力が戻ってきた。
霊体化しているが一護の存在も確かに感じられる。気遣ってくれていると思うのは考え過ぎだろうか。
図らずもここは当座の拠点とするにはうってつけだった。食糧や飲料水は十分あるし、他の主従はもちろんNPCもここに目を向けることはない。
唯一サーヴァントの気配を察知される可能性だけが気がかりではあるが、そんなリスクは何処にいようと付きまとうので仕方ない。
警察にしても深山町まで範囲を広げて捜索するのはまだまだ先の話になるはずだ。

一息ついてさらに思考を巡らせる。
やるべきことは明確だ。いや、この場所を訪れたことで明確になった、といった方が近いか。
―――聖杯を獲る。獲らなければならない。
方舟における聖杯が有機物であれ無機物であれ確かに願望器としての機能を有するのであれば真贋は問わない。
聖杯を手に入れ置き去りにしてしまった元の世界を救う。
自分が犠牲にならない限り不可能とされていた奇跡が手を伸ばせば届くところにある。
なら手に入れよう。きっとそれが救われてしまった者の義務であり責任だから。
そうすれば、あるいは兄もどこかで生きてくれていれば、救うことができる。



―――“自分”らしく付き合える人かな。面倒なこと考えず、素のままの“自分”で会える人。
―――そうだな――兄貴みたいな人だったよ、あたしにとってみれば。



「………っ!」

決意を固める。固めようとしているのに先ほど新都で言葉を交わしたあの女性の言葉が頭の中でリフレインする。
誰かは知らない。恐らくNPCだとは思うがそれでもあの女性の言葉が焼き付いて離れない。
聖杯を獲らなければならない以上、当然彼女の言葉だって振り払わなければならなというのに。

彼女はテンカワ・アキトを兄のようだと言った。
冷徹で勝機に貪欲なあの男にそんな一面があるなどとは信じ難い話だったが、女性が嘘をついていたとも思えない。
願いのために誰かを殺すということは、つまり他の誰かにとっての大切な人を奪う行為だ。
もしかするとあのホシノ・ルリにさえ彼女を大切に想う誰かがいるとでもいうのだろうか。
ピンとこないのは自分の人生経験が足りないせいだろうか?


(……もしそうだとしても、関係ない)

そうだ。躊躇したところで聖杯戦争のルールが変わることは有り得ない。
何より自分は既に顔も知らない誰かを殺している。
予選でバーサーカーが斃したランサーにアキトに強要された令呪によってB-4へ向かったバーサーカーが討ったサーヴァント。
彼らにもマスターがいて、契約したサーヴァントを失った以上はマスターもとうに死んでいる。
直接顔を見ず、手を下さなかったというだけでわたしは既に殺人者だ。
ここで足踏みをして聖杯を手に入れられないなどということがあっては、自らが出してしまった犠牲が無駄になる。
だから進み続ける。それこそが唯一最良の道だから。
世界と兄の二つと天秤にかけるなら、わたしの個人的な感傷の何と軽いことか。

幸いにして見習うべきマスターがいる。
ホシノ・ルリ。あの女性の氷のような怜悧な眼差しは忘れようとしても忘れられるものではない。
彼女のライダーに撃たれた時は自分でもよくポーカーフェイスを保てたものだと思う。もちろんバーサーカーを信じていたこともあるが。
わたしに会話を持ち掛け必要な情報を得るや即座に始末に移ったあの冷徹さ、残忍さこそ今のわたしに必要なものに違いない。

彼女が善人か悪人かで言えば紛れもなく悪人だろう。しかも警察に属する以上その情報網さえも活用できる強敵だ。
だからこそ見習うべき点が多い。目的のためなら何であれ利用し何であれ切り捨て前に進む柔軟な思考力と意志力こそ重要なのだと彼女が示している。
その一点についてだけは、彼女との邂逅に感謝すべきかもしれない。おかげで進むべき道が定まった。

とはいえやはり危険な存在には違いない。
警察の情報網があるということは、戦いが長引くほど多くの情報が手に入る彼女が有利になることを意味する。
どこかで居場所の手掛かりを掴んで早めに倒したいところだ。
…そうなるとサファイアが言っていた、アキトの独り言の中に出たサナエなるマスターと接触を図るのが得策かもしれない。
アキトはサナエを指して自分のような子供を保護すると言い出してもおかしくないと口にしたという。
当然サファイアの自律行動機能を知らないアキトにとっては正真正銘の独り言だっただろう。だからこそ信じる価値がある。
サナエを利用すれば早期にホシノ・ルリを討伐する目途が立つかもしれない。

ともあれ今は雌伏の時だ。
今からの時間帯は登校、出勤で人通りが多くなるので出歩くのは上手くない。
登校の時間帯を過ぎて人通りが少なくなるまではこの土蔵でやり過ごすことにした。

「聖杯に辿り着く。辿り着かなくちゃ、いけない。誰を犠牲にしても、絶対に」

自身に言い聞かせるように呟き、固く膝を抱いた。
外はもう陽が昇る頃だけれど、この土蔵からはそれも見えなさそうだった。



【A-3 武家屋敷の土蔵/二日目 早朝】
【美遊・エーデルフェルト@Fate/kaleid liner プリズマ☆イリヤ】
[状態]健康、他者に対しての過剰な不信感 、魔法少女に転身中
[令呪]残り二画
[装備]普段着、カレイドステッキ・マジカルサファイア
[道具]バッグ(衣類、非常食一式、クラスカード・セイバー)
[所持金] 300万円程(現金少々、残りはクレジットカードで)
[思考・状況]
基本行動方針:『方舟の聖杯』を求める。
0.登校、出勤の時間帯を過ぎるまで土蔵に潜伏する。
1.全員で戦う。どれだけ傷つこうともう迷わない。
2.ルヴィア邸、海月原学園、孤児院には行かない。
3.自身が聖杯であるという事実は何としても隠し通す。
4.ホシノ・ルリは早めに倒す。そのためにサファイアから聞いたサナエというマスターを利用したい。
5. 今後は武家屋敷を拠点にして活動する。
[備考]
※アンデルセン陣営を危険と判断しました。
※ライダー、バーサーカーのパラメータを確認しました。
※搦め手を使った戦い方を学習しました。
また少しだけ思考が柔軟になったようです。
※テンカワ・アキトの本名を把握しました。
※サファイアを通じて「サナエ」という名のアーチャーのマスターがいると認識しています。
※アキトの使う転移の名称が「ボソンジャンプ」であると把握しました。
※ホシノ・ルリを悪人かつ危険人物と認識しています。また出会った際の会話や戦闘をサファイアが動画として撮影・保存しています。

【バーサーカー(黒崎一護)@BLEACH】
[状態] 健康、不機嫌
[装備]斬魄刀
[道具]不明
[所持金]無し
[思考・状況]
基本行動方針:美遊を護る
0.美遊を護る。
1.危険な行動を取った美遊への若干の怒りと強い心配。
[備考]
※エミヤの霊圧を認識しました




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最終更新:2019年04月13日 21:56