たぶん自分自身のために ◆Ee.E0P6Y2U
……それはまだ空の赤かった頃、昼と夜が交代していくまさにその時分、黄昏時のことだった。
月海原学園、中央校舎。
図書室はその最上階、全校舎を見下ろせる位置にあった。
学園の中心に広がる本の森は、赤く、殺伐としていた。
本棚は倒れ、床にはありとあらゆる書物が雑多に散乱している。
ひしゃげた木造の椅子が転がり、飛び散ったガラス片が時節きらめいた。
穴の開いた窓より風が、ひゅう、と押し寄せ、備えられたアイボリーのカーテンがあたかも生きているかのように舞った。
全て――聖杯戦争の駆け抜けたあとだった。
魔術師が暗躍し、弓兵が迎え撃ち、二騎の槍兵が激突した放課後。
「それで」
……一瞬の三つ巴を経て、最後に残った槍兵は己が主人へと問いかけた。
「結局、どうするんだい? あの“子ども”をさ」
ランサー、杏子の言葉に春紀は答えなかった。
一瞬だけ視線をくれたのち、目を泳がせ、そしてまた画面へと戻っていった。
杏子小さく息を吐き、やれやれと肩をすくめた。
――鬱蒼と生い茂る本の森、その最奥に彼女らの求めたものがあった。
ぼう、と灯るディスプレイ。デスクにぽつんと置かれたノートPC。
勝ち取った放課後を使い、春紀と杏子はそれに向き合っていた。
この聖杯戦争における貴重な情報源。異世界の情報すらも網羅するという、唯一無二のデータベース。
危険を承知で学園に突っ込んだのも、ひとえにこれを扱うためである。
「――ベルク・カッツェ、ねぇ」
春紀が操作した画面を覗きこみ、そこに示された名を杏子は読みえ挙げた。
“子ども”――宮内れんげのサーヴァントの情報は、予想以上に簡単に手に入れることができた。
赤い髪、巨体、巨大な尻尾、そして予想されるメンタリティ、事前に得ていた情報は多く、春紀はすんなりとその名に行き着いたのだった。
「思った通りのゲスだな。自分の手を汚さないやり口に、目的のない扇動。こんなもんまで英霊として呼ばれているとはね。
しかもそれをあんな“子ども”に割り当てるなんて、全く悪趣味というか」
ま、魔法少女だって似たようなものか。
そう自嘲するように杏子は付け加えた。ろくでもない、という点ではさして変わらない。
「とにかく情報は手に入った訳だけど、どうすんだい?
思うにこのサーヴァントと直にやり合うのは面倒だ。あたしはやっぱりあの“子ども”を狙うのがいいと思うけどね」
杏子は以前の提案を再度持ち出す。
実際、このベルク・カッツェとやらは強敵だろう。群衆を盾にとり、社会を縦横無尽に暗躍するこの敵を倒すのは骨が折れる。
が、しかしそんな彼にもここでは明確な弱点が存在する。
マスター――宮内れんげである。
単なる“子ども”でしかない彼女を討つことはたやすい。サーヴァントに守る気がないならばなおのことだ。
実際、昼間に彼女と接触した際、春紀が覚悟を決めていればこのサーヴァントは脱落していた筈だ。
「ま、何を考えてるのか大体察しがつくけど、改めて言っておくか。
――願いは、自分自身のためだけにしろ。でないと、きっと、後悔する」
ひょい、と杏子はチョコレイト菓子を口元へ放り込んだ。
チープで大量生産的な甘さが舌に広がる。何がいいってこのチープさがいい。
宮内れんげを殺す。
それが最適解なのは、彼女とて分かっているのだ。
いかにルリが脱出を掲げ、れんげやその他マスターを殺さないで済む方法を模索しているとはいえ、全く確実性はない。メリットだってない。
そもそも“子ども”は殺さない、殺したくない、ということ自体、センチな感傷に過ぎない。
手段をすっ飛ばして結果を与えるのが聖杯だろうに、そこに至る道を選ぶこと自体が矛盾している。
が、杏子はそのことをもはや殊更に主張はしない。
春紀だってそれくらい分かっている。分かった上で、答えは一つしかないと知った上で、その上で迷っているのだ。
ならばもう勝手にしてくれ。ある種突き放すような心地で、杏子は春紀の答えを待った。
「…………」
春紀は顔を俯かせた。前髪が彼女の瞳を隠す。
その姿を見て――杏子は既視感を覚えた。
サーヴァントとして刻みこまれた過去の一幕。フェアウェルストーリー。決別の物語。
全部が全部守るなんて、そんなことは不可能だと知って、そして――
「……あたしは――」
◇
錯刃大学近辺には、当然のように学生が住んでいる。
埃被ったかのような安アパート、ベランダでは洗濯物が放ったらかしになっている。体育会系の学生が集う寮では騒々しい声が漏れ出していた。
コンビニエンスストアでは出稼ぎの外国人が応対し、店先では若者がたむろする姿が見える。
薄汚れていて、ありふれた、倦怠感に満ちた平和が漂う街。
夜の街はそれなりに静かで、それなりに穏やかだった。
――静寂を吹き飛ばすように、ずんぐりとした鉄の怪物が駆け抜けた。
ぎぃぃぃぃん、と独特の駆動音が鳴り響いた。
怪物は体格に反して身軽だった。脚部のなめらかに稼働させながら、アスファルトで舗装された道を滑るように駆けていく。
その軌跡は油の臭いにまみれていた。地面にはローラーの跡が残り、白いペンキで書かれた止マレという文字を汚していく。その装甲とこすったか、道端のガードレールが音を立ててひしゃげた。
猛然と公道を疾駆する怪物には眼がある。
ターレットレンズ、と呼ばれる一眼のカメラアイが、ガチャ、と回転し目標を捉えた。
それは彼と打って変わって色鮮やかな、紅だった。
一つに結った長髪が乾いた街にたなびいた。身に纏うは髪と同じ、紅の色彩を湛えたドレス。
カソックを模したと思しき衣装が、ゆら、と愛らしくたなびく。彼女が跳ねる度、純白のフリルが夜の闇に躍る。
鉄の怪物が追いすがるも、少女は不敵な笑みを浮かべて街を飛び跳ねる。
縦横無尽に夜の街を舞う魔法少女。
それを追いかけるは硝煙の匂い漂う装甲騎兵。
不気味な月の下、くすんだ街ではそんなおかしな鬼ごっこが繰り広げられていた。
――さて、と。
電柱を、とん、と蹴りながら、紅の少女は己が敵の姿を窺う。
追いかけてきている。その事実に安心し「行くよ」とその手に抱えたもう一人の少女に呼びかけた。
彼女は、頷いた。
紅の少女――ランサーは口元に笑みを浮かべ、安アパートの屋根を駆ける。
彼女らの聖杯戦争はまずそんな鬼ごっこから始まった。
寒河江春紀とホシノルリ。
ランサーとライダー。
この聖杯戦争の“初陣”を飾った彼女らの再戦が夜の街を駆け抜ける。
――戦いましょう。
数刻前、そうホシノルリは言った。
きっぱりと、決然と、彼女はそう言い放った。
それを見てランサーは思った。ああ“大人”だな、と。
やりたいこと。やるべきこと。やらなくてはならないこと。
自身が抱えているものにしっかりと優先順位をつけ、状況に合わせてそれを選び、切り捨てることを知っている。
きっと彼女にもいろいろなことがあったのだろう。大切なことも、哀しいことも。でなければ、あの齢であんなきっぱりと動くことなんてできはしまい。
思えばあの陣営とは今日一日ひどく縁があった。
“初陣”から始まり、宮内れんげを介した“面会”があり、一緒に飯も食って、なし崩し的に協力関係を結んで、
――その先に、また殺し合いが待っていた。
当然だ。ここはそういう場所なんだから。
水が上から下へ流れ落ちるように、何の意外性もなくこの展開はやってくる。
それを知っていたからだろう。あの時ルリは迷わなかったのは。
だから言った。「戦いましょう」と短く言って見せた。
――全く、こっちのマスターは陽が暮れるまで迷ってたのに
図書館での交わした会話。これからどうするのか、という問いかけ。
答えは元から一つしかない。
一つしかない答えを口にするのに、随分と時間がかかってしまった。
しかも戦うって、そう決めたのに何故だかこんな面と向かっての戦うことにしてしまった。
元々暗殺者だったんだ。もうちょいうまくできるだろうに。
馬鹿正直に戦ったって、何の意味もない。報われる訳もない。
――でもまぁ。
そういうもんだろう。
かつての自分も、そうだった。
マミと出会い、師匠と仰ぎ、肩を並べて戦い、そして決別した。
全ての契機となったあの時だって、結局は甘さを捨てることはできなかった。
どうにもこうにも煮え切らない。
決めた、変わったと思ったのに、すぐまた別の壁にぶち当たる。
“少女”って奴は思いのほか大変なのだ。“子ども”ではいられない。でも“大人”というのはどうにも難しい。
「その矛盾は何時か自分を殺す」なんてどっかの軍人が言ってそうなフレーズを春紀に告げた彼女だが、同時にこうも思っていた。
――そんな矛盾を抱えてない奴は端から“願い”なんて抱きやしないってね。
魔法少女になるような奴はまず馬鹿だし、聖杯戦争に臨む奴も大抵馬鹿だ。
分不相応な願いを、手段を飛ばして手に入れようとするんだから、全くもって救えない。
「なぁ」
その時、不意に己がマスターの声がした。
ランサーの細腕で彼女、春紀は抱き寄せられている。
共に鉄の怪物より逃れながら、彼女はランサーの顔を見上げ、一言、
「敗けたくないな――特に、ルリにはさ」
杏子は思わず声を上げて、笑ってしまった。
すると春紀は、むっ、と顔をしかめた。笑うとこじゃない、とでも言うように。
ごめんごめん、と片目を閉じて謝りながら、杏子はそれでもおかしさがこらえなかった。
だってそうだろう。
何時になく神妙に告げる彼女を見て「成長したかな」なんて親心めいた感情が胸に芽生えてしまうなんて。
全く持って――矛盾している。
「――――」
だから答える代わりにランサーは、ぎゅっ、とその手を絡ませた。
すると彼女もまた握り返してくれた。力強く、熱を込めて。頼もしいことだ。
ま、“少女”より“大人”の方が良いものだなんて、そんな単純なでもないさ。
◇
「揺れますね」
「…………」
ルリはシートにすがりつきながら、平坦な口調で漏らした。
ライダーは黙々とAT、スコープドッグを駆っている。その度に機体が大きく揺れ、頭を打ちそうになる。
戦闘中だし元は一人乗りであるし、快適性を欠いているのは当然だが、しかしかつてエステバリスに同乗した時以上に危なっかしい感覚をルリは覚えていた。
同乗して実感するが、このロボットは思った以上に単純な構造をしている。計器の類も最小限度しか備えていないし、装甲も驚くほど薄い。
こんなマシンでライダーは数多くの戦場を駆けてきたのだ。
照りつける灼熱の大地を行き、凍えるような吹雪を受け、無限に広がる宇宙に挑み、そして今は――夜の街で魔法少女を追っている。
「………」
春紀のランサーとの戦いは、今のところ追走劇に終始している。
最初は牽制程度に槍を放ってきたが、こちらが追いかけだすと一転、彼女らは距離を取り出した。
それを追って、ルリはライダーと共に街を行っている。
「いいのか」
不意にライダーが口を開いた。
「あのランサーはお前を誘い出そうとしている」
そのことはルリにも分かっていた。
状況を分析すれば分かる。ランサーはこの辺りに先に到着していた。最初からルリたちと事を構える前提で。
それはつまりある程度の準備ができたということだ。何かしら、有利になれる仕掛けを施しているのだろう。
ランサーの動きは明らかにこちらを誘導しようとするもので、下手についていくことが危険なのは確かだ。
「分かっています。でもここで撃っちゃ駄目です。あとスピードも出しすぎないように」
それを承知の上で、ルリはそうライダーに告げた。
誘導されている。しかしそれはルリとしても願うところだった。
人出が大分少ないとはいえ、ここは住宅街だ。暗がりを走るくらいならば誤魔化しも効くだろうが、戦闘を行えば目立つことは必至であるし、負傷者も免れない。
ルリとしても、春紀としても、そのような事態は望むところではないだろう。故にルリはここでは戦わず、敢えて誘導に乗る。
彼女らを無視してアンデルセンの救援にいくことも考えたが、しかしそれもリスクが高い。カッツェとの戦いに敵を引き連れていく訳にはいかない。
アンデルセンにはすまないが、まずはこちらに集中する。そう冷静に考えた上での選択だった。
「…………」
ライダーは無言でATを駆った。
耐圧服を着込み、目元にゴーグルをつけているため、その表情は読めない。
ルリはただ彼に寄り添い、来るべき相対に備えた。
いつの間にか学生たちの街は終わっていた。
深山町の富裕層が住まう長く伸びた坂へ至り、その先には――
「――洋館、ですか?」
その館はひっそりと打ち捨てられていた。
豪奢な館立ち並ぶ一帯から、少し回り込んだところに林がある。
夜の風にあおられ、ざざ、と揺らめく木々の向こう側に――その館は鎮座していた。
幽霊屋敷、という名前がよく似合う館だった。
館自体は見上げるほど巨大な造りをしており、この敷地はこの一帯の洋館の中でも頭一つ抜けて広い。
けれども既に捨てられて久しいのだろう。庭は荒れ放題。壁には伸びきった蔦が絡みつき、ところどころ窓ガラスが割れていた。
「――――」
そんな洋館を背にして、二人の少女がいる。
赤いマスターの少女は神妙に、紅い槍兵の少女は不敵に、共に並んでルリたちを待ち構えていた。
ルリは己がサーヴァントに目配せをする。ハッチが開き、外界の風が押し寄せてきた。
ひゅううううう、と空を切る音がする。
幽霊屋敷を駆けめぐる風は荒っぽく、それでいてひんやりと冷たい。
「――――」
風を受けた木々が一斉に鳴き、林のどこかより獣の声が響き渡る。空に浮かぶは不気味なほど大きな月。
夜に満ちた世界の中で、片や武骨な機動兵器と共に、片や可憐な魔法少女と共に、彼女らは相対する。
緊迫滲む静寂の中、ルリは春紀を見下ろした。春紀もまた、ルリを見上げた。
ばさばさと髪が舞っている。そうしてしばし視線を交わしたのち、ルリは一言、
「――じゃ、頑張ってください、ライダーさん」
そう漏らし、よっ、と機体から降り立った。
その様を確認すると同時にスコープドッグが前進する。
紅のランサーもまたやってくる。彼女はその特徴的な多根槍を、ひゅん、としならせ一人ATと向かい合った。
「さて、と」
「…………」
「リターンマッチと行こうか――ライダーの旦那」
その言葉が契機となり――魔法少女と装甲騎兵は激突した。
◇
先に仕掛けたのは少女だった。地面を蹴り猛然と己が敵に迫る。
瞬間スコープドッグが機敏に反応。GAT-22“ヘビィマシンガン”が30ミリ口径の弾丸を、ドドドドド、と雨のごとく降らせた。
少女はその俊敏を活かし、潜り抜けるように弾丸のカーテンを抜けていく。が、敵もまた接近を許さない。続けてドッグに肩部に備えられたSAT-03“ソリッドシューター”が火を噴いた。
そこで少女は槍を振り放った。敵へではない。ドッグの足元にあった木箱――うち捨てられた塵へと彼女は槍を放ったのだ。
どん、と小さな爆発が起こった。
初歩的なトラップだ。ドッグの足が止まり、その間に隙ができる。
少女はその隙を利用し――逃げた。たたっ、と地を蹴り館の方へと逃れていく。
立ち直したドッグがそれを追う。AT特有の駆動音が鳴り響き、追撃戦が始まる。
「……全くとんでもない光景だな」
その様を眺めながら、しみじみと春紀が声を漏らしていた。
「あらゆる過去、あらゆる未来、あらゆる現在……そこから呼び寄せた英傑による戦争。
こういうの見てると、信じたくなってくるよ、奇跡の一つでも起きるんじゃないかって」
「そうかもしれませんね」
そう語る彼女と、ルリは相対していた。
ランサーとライダーの戦場は林の奥へと移り、再び場には夜の静寂が戻ってくる。
二人の間の距離は十メートルほど。近くもなければ、遠くもない。そんな距離だ。
もし仮にどちらかが一歩でも踏み込めば、すぐさま戦闘になるだろう。
けれどどちらも踏み込みはしない。
意味がないからだ。自らのサーヴァントの力量は、それぞれよく分かっている。
故に――彼女らはただ言葉を投げかける。
「……こんなところ、この街にあったんですね」
辺りを見渡し、不意にルリはそう口にした。
確かにここでなら戦闘が起ころうが目撃されることもないだろう。遠慮なく戦うことができる。
「んん? ああ、双子館とかいうらしいよ。なんか予選の時に街で噂になってたよ。噂、というか怪談話か」
「双子館……ですか」
「ああ。なんで双子館って名前なのかはあたしもよく知らないけどね」
町はずれに立つ誰もいない洋館、なんて如何にもな代物だ。
噂にならない方がおかしいだろう。最も、例外的に予選を経験していないルリは、当然のように知らなかったが。
しかし春紀は知っていた。この差は決して小さくない。
彼女はルリが予選を経験していないことを把握している。となると当然この冬木市に関する知識には穴がある、ということも見越していたのだろう。
やはり――意図してここに誘い込まれた訳だ。
今しがたの戦闘を鑑みるに相当な準備がこの館には施されていると見た方がいい。
彼女らが何時からルリと戦うつもりだったのかは分からない。
しかし昼ごろに別れてからここまで、少なくとも数時間の猶予が彼女らにはあった筈だ。
と、なると地形の把握に加え、先のような簡単なトラップくらいなら仕掛けられた。
「地の利はそちらにある、ということですか」
ルリは端的に言った。
◇
生身の人間を相手にすることは、最低野郎/ボトムズにしてみれば珍しいことではない。
ATの有用性は、高性能な歩行システムによる小回りの良さと、人型であることを活かした汎用性に支えられている。
しかし被発見率、被弾面積では戦車に劣り、装甲もライフル弾で打ち抜ける程度のものしか積んでいない。最高速度は乗用車にすら劣る。
4m級の“巨人”であるATだが、一介の歩兵にしてみれば戦車の方がよほど恐ろしい兵器であり、対処もしやすい。
機甲猟兵、と呼ばれる対AT歩兵部隊が存在していたことからも、ATが戦場において絶対的なものでなかったことは明らかだ。
百年戦争時代は当然、終戦後もそうした“人”対“巨人”の構図はさして珍しいことではなかった。
ライダーもまた“人”と相対したことはある。
その中には惑星サンサにおける任務のような、戦闘とは呼べない代物もあったが。
「…………」
俊敏に林の中を駆け抜けるランサーをバイザー越しに視る。
まき散らす弾丸の嵐を彼女は駆け抜けていく。立ち上る硝煙の向こうに紅い衣装が舞った。
その“人”でありながら“人”を越えた動きに、ライダーは既視感があった。
――テイタニア
フィアナと共に眠りに就き、そして目覚めてしまった世界にて出会った一人の女性の名を、彼は想起していた。
テイタニアはネクスタントと呼ばれる、パーフェクト・ソルジャーと似て非なるコンセプトの下で造られた“超人”であった。
全身を機械化することにより身体能力を強化し、補助脳により行動の最適化を実現したその戦闘能力は驚異的なものであった。
“初陣”での戦闘に加え、彼女と相対した経験があったからだろう。ライダーは目の前の少女が“超人”であることを当惑なく受け止めていた。
彼女がどのような出自を持ったサーヴァントなのかは分からない。
ただネクスタントと同等か、あるいはそれ以上の敏捷、反応速度を持っていると見るべきだ。
そう冷静に分析しつつ、ライダーは無言で引き金を引き、ランサーを追撃していた。
「――――」
林の中を逃げ回り、弾丸を避けることに専念していたランサーが、不意に転進した。
その先にあったのは古びた洋館。この林の中央に鎮座する、幽霊屋敷である。
紅の少女が窓を破り、館に侵入する。カメラアイを通して拡大された映像には、不敵な笑みを浮かべるランサーが映っていた。
「…………」
ライダーはそこで一瞬動きを止めた。
敵は屋内に逃げ込んだ――これ自体は問題ない。
元よりATが人型であることの強みはその拠点制圧力にあり、屋内戦闘は得意としている。逆に開けた土地では狙い撃ちにされる可能性がある。
この大きさの館であれば戦闘は十分に可能だ。単純に考えるならば、突入して追い詰めるべきである。
が、問題は地の利は相手にある、という点である。
ルリに告げたように、このランサーたちはこの場所での戦闘を最初から狙っていた。
最初に仕掛けられていたトラップを考えれば、ランサーが“誘っている”といることは明らかだ。
突入にはリスクが伴う――だが。
一瞬の思考を打ち切り、ライダーは迅速に判断を下した。
“ヘビィマシンガン”の弾倉を交換。スコープドッグが唸りを上げ、館の扉を突き破る。巨大な扉が、ごっ、と音を立てて破壊されていった。
罠があろうとも、その場合危険に陥るのは自分だけである。仮にルリに何かがあっても即座に令呪で駆け付けることができる。
ならば――撃墜を覚悟で攻めるべきだ。
自らの身は一切勘定に入れない、ある種の自爆染みた決行だったが、しかしそれが最も合理的であるとライダーは知っていた。
そうして突入したライダーを――当然のように罠が待ち構えていた。
エントランスホール。長い間誰も入っていなかったであろう、埃まみれの暗い部屋。
見た目に違わず広々とした造りをした館内は、4m級のATであろうとも問題なく稼働できる。
だが――それが罠だ。
一歩進んだその先に、きらり、と光るものがあった。
糸だ。
ワイヤーのような何かが柱と柱にくくりつけてある。
古典的なトラップだ。気づかず進めば引っかかっていただろうが、しかしライダーは当然のようにそれに気づき、足を止めた。
「――そっちはハッタリだよ」
しかし、全く別の方向、暗闇の死角より少女の声が響き、それはやってきた。
それは――ワインボトルだった。
コルクの抜かれたボトルが、ぼっ、と炎を灯しながらスコープドッグに投げつけられ――爆発した。
◇
ほむらが残っていれば楽だったな。
対ライダー戦を準備するに当たって、ランサーが思ったことはそれである。
暁美ほむら。恐らくこの聖杯戦争において呼ばれていたであろう、生前縁があった魔法少女である。
こうした爆薬だの銃火器だの扱いを異様なまでに習熟していた彼女だが、残念なことに出会うことはなかった。
――ったく、もうちょい踏ん張れっての。
そうすればラーメンだって奢ってやったし、あの“糸”だってもっとうまく使えただろうに。
図書室でアーチャーが残していった“糸”を再利用し、見せかけだけはブービートラップにしてみたが、別にあれに触れたからといって爆発する訳ではない。
ハッタリと言うか、ハリボテだ。
時間もないし、そういった仕掛けの要るものは作れない。用意できたのはもっと簡単なものだけだ。
例えば――盗んできたボトルにガソリンを入れて着火するとか。
それくらいだ。勿論、抜いたワインは捨てずに別の容器に移してある(食べ物を粗末にする訳には行かない)
即席の火炎瓶を炸裂させ、館内に、ぼう、と火が灯る。
火の手は床にもまき散らしておいたガソリンに引火し、古びたカーペットやほこりまみれのソファに火の手が上がる。
ごうごう、と燃え盛る館内にあって、しかしくすんだ緑色のボディは健在だった。
構えたマシンガンが放たれる。横なぎに掃射された弾丸が、壁を、家具を、天井を、館中を穴だらけにしていった。
「――っと」
ランサーはソファやクローゼットを盾にし、弾丸による猛攻を防ぐ。
元よりあの程度で撃破できるとは思っていない。
これらの罠は全て布石――かく乱だ。
事実あの狙い方は明らかにこちらが見えていない、ばら撒きに近い撃ち方だ。
これこそがランサーの狙いだった。ニィ、と不敵な笑みをランサーは口元に浮かべた。
――ライダーの真名は、結局特定できなかった。
図書室で検索施設を使ったが“ベルク・カッツェ”と違い、完璧な特定には至らなかった。
これまでの接触で得た情報は、まとめると“特徴的な耐圧服”“4mサイズの人型ロボット”“一度撃墜しても即座に復活する不死身のような宝具”といったようなものだ。
ロボットの外観からアーマード・トルーパーという兵器にまでは行き着いた。そしてアストラギウス銀河という広大な宇宙も知った。
そして宝具は“何度撃墜されても生還した”という逸話が昇華されたものではないかと予想できた。
だが――そこまでだ。
百年に渡る宇宙戦争。そこでは誰も彼もが疲れ切り、もはや開戦の理由さえも忘れ去られた。
戦争の歴史はあまりにも長く、そして終わりがなかった。
兵士などいくらでもいた。装甲騎兵の総数は1000万を優に越すだろう。
不死身と称された人間など吐いて捨てるほどいる。歴戦の猛者も、死神と謗られた者も、長きに渡る戦争がいくらでも生み出した。
終わりなき百年戦争の中から、たった一人の兵士を特定することは不可能に近かった。
――だが、調べることができるのは何も真名だけではない。
敵が人型ロボットなのは分かっているのだ。
ならばその相対するに当たって、如何に戦うべきかを調べることもできる。
自分よりも何周りも大きいロボットをどう倒すか。
一見してそれは途方もない話である。しかし――それは決して蹂躙されるだけの関係ではない。
突如出現した18mの人型兵器に必死の抵抗をした部隊、電撃戦とかく乱によりマシンを翻弄した人形の女性、魔族の切り札たる巨大ロボと激突した秘密結社……
あまたの世界、あまたの歴史で、それは研鑽されていた。
その中でも目を引く名が一つあった。
――メロウリンク・アリティー。
それは一人の英霊の名だった。
喪われた仲間のため、渦巻く陰謀に復讐するため、装甲騎兵を生身で相手取った機甲猟兵。
彼は地の利を生かし、機転を働かし、旧式のライフルを携えアーマード・トルーパーと相対していった。
最低の、その更に下より這い上がった、その凄烈な復讐劇を発見したランサーは「これだ」と考えた。
燃え盛る洋館の中、ランサーは機会を窺う。
油が撒かれたことに加え、ライダーが壁に開けて空気を呼び込んだせいだろう。広がった火の手は壁を伝い伸びていく。勢いは留まることを知らない。
天井のシャンデリアが音を立てて落ちてくる。床も、壁も、窓も、全てが赤い炎に包まれていた。
ライダーの駆るスコープ・ドッグは炎の中にいる。
ATの動力たるポリマーリンゲル液は非常に引火性が高いという。ここで下手に引火してしまえば、即座に機体が爆発する。
如何にライダーが歴戦の猛者たろうと、動きが制限されるのは避けられない。
――そこを狙う。
一節ほど集中を経て――スコープドッグの足元を取り囲むように、ぐん、と槍が突き出てくる。
魔術“断罪の磔柱 ”。突然の攻撃に敵の足は止まる。
そして――紅蓮の炎と共にランサーが襲い掛かった。
その手に携えた槍を振り上げ、少女がスコープドッグへと迫る。
足の止まったスコープドッグは、ガチャ、とターレットレンズを回転させ――
◇
「派手にやっているな」
「結構なニュースになりそうですね、これ」
……照りかえる炎の熱気を頬に受けながら、二人のマスターは言葉を交わしていた。
「ま、どうせすぐ終わるさ。それまでに退散すれば問題ない。
もちろん――勝った方がさ」
そう言って春紀は薄く笑った。
決裂し、相争う身になった彼女らだが、不思議と険悪な雰囲気はなかった。
寧ろ話しやすい、どこかさっぱりした空気が今の二人にはあった。
「……一つ、聞いてもいいですか?」
不意にルリが尋ねた。
「うん?」
「春紀さんは――どうして聖杯が欲しいんですか?」
「それを聞いてどうするんだい? 説得でもするか?」
茶化すような口ぶりの春紀に対し、神妙な面持ちでルリは首を振って、
「いいえ――話せば分かるなんて、そんなこと、私は言いません。
春紀さんがこれを“戦争”だと言って、その上で戦うのなら、きっとそこには“正義”があるんでしょう」
「“正義”ね」
「どこにでもある“正義”……そんなの、当たり前です」
それが分かるくらいには、ルリはもう“大人”だった。
何時までも三年前の思い出のままでいられる訳じゃない。
ただ――それでも聞いておきたいことがルリにはあった。
「でも春紀さんの“正義”ってなんです?
れんちょんさんを犠牲にするのを躊躇うような、そんな“正義”なんですか?」
少なくとも昼にあった時、彼女はそれを決めあぐねていた。
聖杯を求めてこの“方舟”を訪れただろうに、しかし彼女には躊躇いがあった。
その躊躇を振り切り、“子ども”を殺めてでも聖杯が欲しいと願う、そこには如何な“正義”があるのか。
相対する者として、この聖杯戦争で初めて出会った者として、それだけは知りたかった。
「貴方は――何のために戦っているんですか?」
尋ねると、春紀は、ふっ、と諧謔的な笑みを浮かべた。
「たぶん自分自身のために」
……その笑みは、なんとなくだが、あの紅のランサーのそれと似ているように見えた。
◇
「……あたしは――“家族”のために戦ってる」
あの時、夕暮れの図書室で春紀はそう答えた。
「それは今でも変わってない。伊介サマに色々言われた時も、全て家族のためだって、そう答えたしな。
テーブルいっぱいの家族の笑顔ために、あたしは人を殺してきた」
そう言いながら、春紀は杏子を見上げた。
目と目があった。共に真っ赤な夕暮れを被り、同じように赤くなった瞳を向けた。
「……でもさ、それって結局、自分自身のためなんだろうよ。
家族を救いたい“自分”がいたから、あたしはこの指先で人を殺すことができた」
春紀は己の指先を一瞥する。
赤く染まった世界の中で、それだけは唯一違った色――ベビーピンク。
「だってそうだろ? 本当に自分の家族のためだけに戦ってるんだったら、れんげを殺すのに躊躇する訳がない。
それでも迷ったのは、“子ども”を殺したくないって思ったのは、そんな“自分”でいたくないからってことだろう。
家族のために戦う“自分”、“子ども”たちのために戦う“自分”――それがあたしであって欲しかった。だから迷ったんだ」
春紀は目元を覆い、はは、とそう薄く笑った。
杏子はその言葉に対しては何も言わない。
“家族”のためだのどうの言いつつ、何が“家族”に幸せなるのかがよく分かっていないなんて、全くどうしようもない話だ。
「それで、どうすんだ」
だから、杏子はただそう問いかけるだけだ。
すると春紀は再び視線を上げた。そして、
「戦うよ――他の誰でもない、自分自身のために、あたしは“家族”を想って戦うんだ」
赤い光差し込む中、まっすぐな眼差しで杏子を見つめた。
別に大したことを言っている訳じゃない。抱いた迷いは変わらないだろうし、すぐにまた躊躇うかもしれない。
――それでも、そんなこと言われちゃったらな。
赤い炎渦巻く館の中でランサー、杏子はその瞬間に賭けていた。
回転するターレットレンズ。スコープドッグの武骨な頭部と相対しながら、杏子もまた杏子自身のために槍を振るわんとしていた。
制限された動き、槍に足止めされた状況、死角からの不意打ち、全ては計画通りに決まっていた。
しかし、ここに至って――ライダーは反応した。
スコープドッグは驚異的な反応速度を見せ、最低限の動きで、槍を回避しつつ、反転し杏子に銃を向けた。
心眼(真)。ライダーが培ってきた経験がその動きを可能にさせた。
眼前に迫る“ヘビィマシンガン”の銃口に対し、杏子は――不敵に笑ってみせた。
ふっ、と杏子の姿がかき消える。
それはまるで蜃気楼のように、
あるいは――紅い幽霊/ロッソ・ファンタズマのように、
初めからなかった者のように、彼女の姿は消えていた。
ライダーが一筋縄でいかない相手であることは、分かっていた。
一度目の接敵で撃破できたのも、ひとえに相手がこちらの魔術を知らなかったからだ。
二度同じ手が通じるとは思わない。また仮に撃墜できたところで復活されては意味がない。
だから、確実に一撃で倒す必要があった。
このロボットを、この身一つだけで確殺する必要があった。
――そしてその方法は、歴史が教えてくれた。
かの機甲猟兵を真似たボトルを使った罠、火炎による動きの制限、そして再び魔術を使い、ライダーを追い詰めた。
しかし、ここまではすべて布石に過ぎない。
ありとあらゆる手段を使い、ライダーにこちらが、全ての札を切った、と思わせなくてはならない。
その上でこの、最後にして最初の魔術を使う。紅い幽霊/ロッソ・ファンタズマ。
それは魔法少女、杏子が最初に身に着けた――“家族”のための魔法である。
“家族”のために習得し、巴マミが名づけ、そして一度捨て去った、そんな魔法。
――全く、皮肉が効いている。
こんな形でこの魔術をまた使うことになるなんて、
声に出して笑い飛ばしたい気分だった。ま、アイツに召喚されたのが運の尽きって奴だろう。
それでも“家族”のためでなく、春紀に付き合ってやりたいと、そう思った“自分”のために――杏子は駆け抜けた。
杏子はスコープドッグの懐へと潜り込む。
突如現れた二人目のランサーに、さしものライダーもすぐには反応できない。がら空きの胸部へと杏子は槍を突き出した。
ごう、と装甲が突き破れる音がした。
――杭打ち機/パイルバンカー。
コックピットに取りつき、槍でパイロットを狙う。
……かつて機甲猟兵メロウリンクが旧式のライフルで数々のATを屠ってきた、その動きを模倣し、杏子はライダーを討つ。
◇
「……それが春紀さんにとっての“自分”らしく、なんですね」
ルリは答えを聞き、ぽつりとそう漏らした。
何故戦うのか。
どうして奇跡を求めるのか。
宇宙を、人類史を、あまたの世界をかけてまで、それでも戦おうと思う理由。
それはつまるところ“自分”なのだ。
「“自分”らしく、春紀さんらしく、そうあるために貴方はここまで来た」
「それじゃあ不満かい?」
「いいえ、分かります。私も――そうだったから」
かつてのナデシコでの顛末が脳裏にフラッシュバックする。
まだ紛れもない“少女”だった頃、ルリはただ思い出のために生きた。
未知の技術よりも、世界平和よりも、喪われた命よりも、ただ“自分”を求めることを選んだ。
春紀の願いが具体的にどんなものなのか、それは分からない。
分からない。けれど、それで十分だった。
どうしても分かり合えない人はいる。それでも彼らにも“正義”がある。譲れない“自分”がある。
だから戦うのだろう。結局――そこに行き着くのだ。
「そうだった、ね。今は違うってのかい?」
「…………」
春紀は静かに問い返してきた。
その瞳はあまりにもまっすぐで、ほんの少し、懐かしかった。
「大切なものは変わっていません。ただ以前より――馬鹿になっただけです」
“自分”らしく、で全てうまく訳じゃない。
現実は時に馬鹿みたいなことになってしまう。
春紀のまなざしと、その向こうに広がる夜空の黒を見据えながら、そんな当たり前のことをルリは思った。
そう、本当にどうしようもないことだって、この宇宙には……
◇
――それはあまりにも理不尽な決着だった。
ランサーはライダーとの直接対決に置いて、取り得る最良の選択を取ったといってもいい。
そこに間違いはなく、躊躇いもなく、狂いもなく、確実にライダーを殺せる方法を選んだ。
杭を胸に打たれて死なない人間はいない。
直接パイロットを狙うのだから、“初陣”での戦いのように、機体は破壊してもパイロットは脱出した、というような状態には絶対にならない。
機甲猟兵が装甲騎兵を討っていったように、一切の生存の可能性を許さず、確実に殺す。
ライダーがどんなパイロットであってもランサーは勝利していただろう。
如何な装甲騎兵でも、たとえそれがパーフェクト・ソルジャーであろうとも、その状況から敗ける筈がなかった。
――ただ一人の例外を除いて。
キリコ・キュービィー。
彼だけは――彼だけは絶対に駄目だ。
幾多もの人間が彼を殺そうとした。無数の力が彼を支配しようとした。
しかしその異能は全ての運命を跳ね除けた。
異能生存体。
それはとある人類史に刻まれた天の補正。
25000000000分の1の確率で遺伝されるという、死という概念そのものに抗う因子。
故に――この戦いにはどうしようもない決着が訪れた。
ランサーがスコープドッグの懐に飛び込み、槍を突き立てた、その直前のことだった。
ライダーが撃ち放った“ヘビィマシンガン”の一発が、燃え盛る壁に“偶然”当たり“偶然”跳弾し――“偶然”ランサーの下へと跳ね返ってきた。
――そして“偶然”胸のブローチを穿った。
かつてテイタニアが、キリコにとどめを刺す直前に“偶然”こぼれた弾丸を“偶然”その補助脳に受けたように、
この世を貫く因果律を捻じ曲げられ、“偶然”魔法少女の核たるソウルジェムが砕け散った。
「――――」
その時、ランサーは声が出なかった。
ただ見た。
膨大な因果に後押しされた弾丸が、己がソウルジェムを砕くのを呆然と見てしまった。
“自分”そのものともいえる魂のカタチは紅く、赤く――燃え盛る炎の中に消えていった。
がく、とランサーの身体が倒れる。
糸の切れた人形のように、彼女は急に動かなくなった。
そして突き立てられた槍は“偶然”途中で止まり、ライダーへ届くことはなかった。
ランサーは全く状況が理解できなかった。
どこで間違えたのか、何かがずれたのか分からない。
ただ炎の中に倒れ伏し――死と敗北を察していた。
どうしようもない理不尽さに敗れた“自分”が起き上がることはもうない。
春紀と共に聖杯戦争に勝ちあがるという、そんな道はあっさりと閉ざされた。
一瞬が全てを変えてしまった。勝った、と思ったその次の瞬間には世界は手のひらを返し、無慈悲な現実を突き付けてくる。
そんなこと、慣れている。
どれだけ入念な準備も、気高い意志も、ささやかな幸福さえも、この世界の理不尽が一瞬で壊していってしまう。
馬鹿みたいなこの世界を思い起こし、しかし彼女は、
――ま、全部が全部うまくいくなんて、そんな訳ない、か。
と、どこか落ち着いた心中だった。
こんな世界でなければそもそも“願い”なんて誰も抱きはしない。
頑張ったからと言って報われるではない。正しく生きる者が、その正しさ故に歪むこともある。
こんな理不尽で、どうしようもない世の中だからこそ、人は魔法や奇跡なんてものを望むのだ。
それでも、彼女はこのどうしようもない世界を呪ったりはしなかった。
――だってこれはあたしの為の戦いだった。
“自分”らしく、“自分”のために、それだけは決して曲げずに戦ってきた。
だからこそ後悔はない。どんな結末であれ、ここにいるのは“自分”なのだから。
――結局あたしも甘かったって、そういうことだろう? あのマスターと変わらないくらい……
そうして他の誰かのためでなく、自分自身のための戦いに、彼女は敗れたのだった。
◇
二人の少女は、共にその決着の瞬間を感じ取った。
「これは……」
ルリは苦しげに胸を抑えた。
身体から何かが抜けていくのが分かる。身体に保持していた何かが、今猛然と消費されている。
くら、と目眩がした。視界が揺れ、汗が額に滲む。指先の感覚が一瞬なくなった。
持って行かれている。とてつもない量の力が――今まさに持って行かれている。
詳細は分からない。が、何か大きなことがあの館の中で起こったのだということは確かだった。
「――ラン、サー……?」
そしてその答えは、もう一方の少女が知っていた。
春紀は目を見開き、暗い森を赤々と照らす火の手を見つめていた。
ルリは混濁する視界の中、何とか意識を保ちながら考えた。
春紀は打ちのめされたように己がサーヴァントの名を呼んだ。
彼女はきっと感じ取ったのだ。あの館で何が起こったのかを。
その時、あの独特の駆動音が聞こえた。
ルリははっとして顔を上げる。
すると焼け落ちる館の中から出てくる武骨な騎兵がいた。
燃え盛る炎を背景にして、スコープドッグは歩いて来る。
その様は決して華やかではない。威風堂々ともしてない。ただ――戦場の臭いだけがしていた。
それでも彼は歩いてくる。鉄の肉体を引きずりながらも、彼はルリの下へ帰還した。
「……ライダーさん」
思わず声に出した。
彼は――勝ったのか。
ルリがそう思ったのと同時に、春紀が「敗けた、のか」と漏らしていた。
「春紀、さん」
思わずルリは春紀を見た。
彼女はゆらめく炎を見上げ、小さく息を吐いた。瞳は前髪に隠され表情は見えない。
サーヴァントの敗北――それは聖杯戦争の脱落、即ちマスターの死を意味する。
ああそうか――自分は春紀を殺したのか。
ルリはその事実を受け止めた。
勝者のみが生き残り、敗者は死へと追いやられる。
聖杯戦争、というシステムにおいて当然の成り行き。
ルリはそんなシステムに則る気はなかった。生か死かの二者択一でなく、共に生き残る道を探すつもりではあった。
勿論ライダーにはその旨を伝えてある。無理に敵を消滅させる必要はなく、無力化できるのならばそれでよかった。
――けれど、殺すことになる可能性も、当然のように理解していた。
その上で、戦うことを選んだ。
助けようとした人間を、逆に殺してしまう。そういうことだってある。
ルリはそのことを知っている。他でもない、かつてのナデシコがそうだった。
火星の生き残りを助けようと出発したのに、その火星の人たちを殺してまで自分たちが生き残ってしまった。
ああだから――予想できたことなのだ。
誰かのための“願い”が、そのまま誰かのためになるなんて、そんな単純な訳ではない。
“願い”が誰かを押しつぶすことだって、あるのだ。
「……春紀さん」
だから誤魔化さない。
ルリは今自分が殺し、これから死ぬであろう彼女に声をかけた。
「私は――」
「何も言うな」
けれど春紀がそれを許さなかった。
「言うなよ。頼むから――何も言わないでくれ。
笑えばいいさ。笑って、明日も生きていれば、それでいい」
彼女は震える声色で、しかし気丈にそう言いながらルリに背を向けた。
その背中は随分と小さく見えて、思わず呼び止めそうになったけれど、ルリはそれを踏みとどまった。
彼女はこれからどこにいくのだろう。どこで――死ぬのだろう。
何にせよ、全て自分が為したことだ。それだけは変わらない。
それだけを胸に刻み、去りゆく春紀の背中に何も呼びかけることはなかった。
「マスター」
そこに帰還したライダーがやってきた。
こげついたATから降り、むせかえるような炎の臭いを漂わせながらルリへと呼びかけた。
その声を聞いて、ルリは春紀から視線を外した。
「火の勢いが強い。林に燃え移ると事だろう」
「分かっています。さっき手配はしたんで、すぐに駆けつけてくれるとは思います」
多大な魔力を消費し、疲労を覚えていたルリだったが、しかし身体に鞭を打ち今後の事後処理について考える。
とりあえずまずはここの状況をまとめたら、すぐにアンデルセンたちと接触しなくてはならない。カッツェやれんげがどうなったのか、早く知る必要がある。
生き残り、勝利はした。
しかしそれで終わりではないのだ。少なくともルリの戦いはまだ続く。
――春紀さんを殺して、私は生きている。
最後に春紀が残した言葉を思い起こす。
敗れ、これから死にゆく彼女が、絞り出すように残していった言葉。
笑えばいいさ。その文言に込められた想いは如何なものであったか。
相対し、語り合い、決裂し、片方がだけが生き残った。
それが“初陣”より続く因縁、この聖杯戦争における好敵手との決着だった。
【D-6/深山町・双子館(全焼)/二日目・未明】
※発生した火災のために消防車が向かっています。
【ホシノ・ルリ@機動戦艦ナデシコ~The prince of darkness】
[状態]:魔力消費(極大)、消耗
[令呪]:残り三画
[装備]:警官の制服
[道具]:ペイカード、地図、ゼリー食料・栄養ドリンクを複数、携帯電話、カッツェ・アーカード・ジョンスの人物画コピー
[所持金]:富豪レベル(カード払いのみ)
[思考・状況]
基本行動方針:『方舟』の調査。
1.アキトを探す為に……?
2.カッツェたちに対応する。
3.『方舟』から外へ情報を発する方法が無いかを調査
4.優勝以外で脱出する方法の調査
5.聖杯戦争の調査
6.聖杯戦争の現状の調査
7.B-4にはできるだけ近づかないでおく。
8.れんげの存在についてルーラーに確認したい。
[備考]
※ランサー(佐倉杏子)のパラメーターを確認済。寒河江春紀をマスターだと認識しました。
※NPC時代の職は警察官でした。階級は警視。
※ジナコ・カリギリ(ベルク・カッツェの変装)の容姿を確認済み。ただしカッツェの変装を疑っています。
※美遊陣営の容姿、バーサーカーのパラメータを確認し、危険人物と認識しました。
※宮内れんげをマスターだと認識しました。カッツェの変身能力をある程度把握しました。
※寒河江春紀の携帯電話番号を交換しました。
※ジョンス・アーカード・カッツェの外見を宮内れんげの絵によって確認しています。
※アンデルセン・ランサー組と情報交換した上で休戦しました。早苗やアキトのこともある程度聞いています。
※警視としての職務に戻った為、警察からの不信感が和らぎましたが
再度、不信な行動を取った場合、ルリの警視としての立場が危うくなるかもしれません。
【ライダー(キリコ・キュービィー)@装甲騎兵ボトムズ】
[状態]:負傷回復済
[装備]:アーマーマグナム
[道具]:無し
[思考・状況]
基本行動方針:フィアナと再会したいが、基本的にはホシノ・ルリの命令に従う。
1.ホシノ・ルリの護衛。
2.子供、か。
[備考]
※無し。
[共通備考]
※一日目・午後以降に発生した事件をある程度把握しました。
※B-3で発生した事件にはアーチャーのサーヴァントが関与していると推測しています。
※B-4で発生した暴動の渦中にいる野原一家が聖杯戦争に関係あると見て注目しています。
※図書館周辺でサーヴァントによる戦闘が行われたことを把握しました。
※行方不明とされている足立がマスターではないかと推測しています。警察に足立の情報を依頼しています。
※刑事たちを襲撃したのはジナコのサーヴァントであると推測しています。
最終更新:2018年12月07日 21:47