うまくはいかない『聖杯戦争』 ◆Ee.E0P6Y2U



君らしく
愛らしく

笑ってよ






月明かりが妙に明るく、不気味なものに感じられた。
住宅街は、しん、と静まり返っていた。零時を回り街行く人は誰もおらず、静寂が道に漂っている。
灰色の壁がひんやりと冷たい。アキトはコンクリートに寄り掛かりながら息を吸い、吐いた。熱を持った身体が幾分か冷えた気がした。

昼間はなんてことのない風景も、夜になれば違う顔を見せるものだった。
蜘蛛の巣のように張り巡らされた電線。すすり泣くような虫の声がどこからともなく聞こえてくる。
街の狭間を縫うように伸びた道は途切れることなく、どこまでも続いていた。辺りに並ぶ民家の列はどれも同じぬっぺりとした外観に見える……
夜の街は闇の濃淡にしか見えない。不気味な月明かりもまた、闇の一部なのだ。

そんな街に、不穏な音が響いていた。
誰か、それも複数人が駆けていく音だ。静まり返る街並みとは相いれない、慌ただしい音だ。
アキトは、じっ、と街の静寂に沈み込む。夜の街に同化する。そのくらいの心地だった。

あの音はアキトを追うものだ。
少女、美遊に逆襲された彼は追われる立場となった。
ほんの一時間ほど前の話だ。だが、それで彼を取り囲む状況は一変してしまった。
他のマスターに加え、この社会まで敵に回すことになってしまった。

その事実を認めながらアキトは思う。
あの時と一緒だな、と。

テンカワアキトがこうした立場に身を置くことは初めてではない。
脳裏を過るのは――三年前、ネルガルを離反した時のことだ。

アカツキの造反により、木連の少女を匿おうとしたナデシコは機能を停止させられた。
クルーの独自行動は未然に防がれ、厳しい監視の下、大多数の人間は以前の職場へと戻っていった。
そして少数の人間はネルガルの監視を逃れ逃亡した――アキトもまたその中の一人であった。

当時の逃亡生活を思い出し、アキトの胸の奥に渦巻くものがあった。ほのかに温かくも、その内側ははっとするほど冷たい、未練に似た想いだった。
あの時だって、今と同じくどこに社会の敵として狙われていた。
違うのは――隣にユリカがいたことだ。
ユリカら少数のクルーと共にアキトは逃走生活を行っていた。
かつて働いた食堂に置いてもらった。アキトは見習いコックとして、ユリカは看板娘として、それぞれ店に貢献することができた。

逃走生活ではあったが、思うに、ネルガルにはとっくの昔に見つかっていたのだろう。
知り合いの下に逃げ込んだ――なんて、そんな杜撰な逃亡をあのアカツキが見抜けない訳がない。
その上で拘束しなかったのも、アキトらが市井の生活を謳歌している分にはは都合がよかったからだろう。
逃走とは言っていたが、その実あれは精神的な逃避であった。
ユリカ、ジュン、ミナト、そしてユキナとの共同生活は確かに心地よかった。
木連との戦争なんて、そんな見たくもない真実を忘れることができるくらいには、幸せだった。

幸せだった。
けれど、結局はその幸せを、アキトもユリカも認めはしなかった。
ユリカは言った。ああしてラーメン屋をやっていくのもいいかもしれない、と。
けれど、自分たちにはナデシコがあった。皆が出会い、共に時間を過ごしたあの船が、皆、好きだった。
それがアキトにとっても、ユリカにもとっても“自分らしさ”だったから。
だからナデシコに帰った。

「…………」

でもそのナデシコはもうない。
火星での決戦でナデシコを降りたクルーはそれぞればらばらになった。
モラトリアムじみた時間もあったが、それもある日を境に全てが変わった。

ぐっ、とアキトは拳を握りしめた。
ほのかな追憶が、激烈な憎悪へと変貌していく。
喪った時への悔恨と、そしてこの聖杯戦争で無様を晒している自身に対する忸怩たる想いが立ち続けて現れた。

何だこの様は。
復讐だ、聖杯だ、恰好つけて戦いに臨んでおきながら、少女一人にいいようにあしらわれる。
これでは――何も変わらないではないか。
暗殺者に全てを奪われたあの時と。

ぼうっ、と己の身体が発光していることに気付いた時、もう遅かった。
足音が聞こえてくる。
こんな真っ暗な街で光を灯せば、見つけてくださいと言っているようなものだ。
だからこそ気を静める必要があったのに――馬鹿か、俺は。

今捕まる訳にはいかない。これで警察を殺傷でもすれば、それこそ取り返しがつかない。
アキトは地を蹴り駆け出した。どこかに逃げ込む必要があるだろう。でもどこへ。
足音が近づいてくる。それも複数。「こっちだ!」という声も聞こえた。夜の街がざわめいた。

立ち並ぶ民家の列。どれもこれも月と同じ不気味な色をしている。
アキトはそこで―― 一人の女を見た。
若い女だった。茶色の髪を後ろで結い、薄手のシャツを羽織っている。
彼女はアキトの姿を見て目を丸くしている。アキトもまた突然の邂逅に戸惑った。

が、すぐにアキトは口を開いた。「匿え」そう言いつつ彼は銃をつきつけた。
彼女はNPCだろう。外が騒がしいから様子を見に来ただけの、一般人。
NPCに追われているんだ。こちらもNPCを使わない手はない。そう思い、アキトは彼女を脅した。

女の顔に驚愕と、そして恐怖の感情が灯った。
銃口、出遭った状況、そしてアキトの外見から事態を把握したのだろう。
アキトは声をあげられる前に再度言った。「匿え」と。

女は無言でアキトを見返したのち、こくんと頷いた。
「お前の家に案内しろ」そう言うと、女は肩を震わせながらも歩いていく。アキトはその背中に銃をつきつけつつもついていった。
女の家はすぐそこにあった。立ち並ぶ民家の一つであった。ラトキエ、という表札が見えた。
門をくぐると荒れ果てた庭があり、捨てられた家財があった。
女が玄関の鍵を開ける。がちゃり、という音がいやに響く。扉が開いた。そこで女が不安げにアキトを見た。アキトは無言で彼女を促した。
震える足つきで彼女は家の中へと入っていった。銃をつきつけたまま、アキトは家に乗り込んだ。

玄関口には彼女のものと思しきもののほかに、二つ靴があった。どちらも子供用だ。
土足であがりつつも家の様子を窺う。中は暗く、静まりかえっていた。他の住民が起きている様子はない。
女はアキトを奥の部屋へと連れて行った。妙に広く、がらんとしたリビングだった。埃っぽいカーペットが敷かれ、十人は座れそうな大きな食卓がある。また隅にはテレビが置いてあった。

「…………」

窓からさしこむ月明かりの下、アキトは女に銃をつきつけたまま押し黙った。
さてこれからどうする。NPCの家にもぐりこんだとはいえ、ずっとこのままという訳にはいかない。
とりあえずここでやり過ごすにしても、できれば朝までには方策を見つけなくてはならない。

「で、どうするんだい? 次にアタシは何をすればいい」

不意に女が口を開いた。

「このまま突っ立ってろって訳じゃないんだろ」
「黙れ」
「黙れっていってもさ、見たところアンタもどうすればいいのか困っているみたいだけど」

銃をつきつけられながらも女の言葉続く。
肝が据わっている。そう思うが同時に彼女が震えていることも分かった。
震えつつもこちらの出方を窺っている。なるほど強い女だ。元となった人物の影響か。

「こういうのはどうです、不審者さん? 朝まではアンタはここにいる。陽が上ったら、アンタはここを勝手に出ていく。それでアタシはそれを誰にも言わない」
「お前がそれを守る保証はない」
「アタシには小さな弟と妹がいるんだよ。アンタは銃を持ってる危ない奴だ。そんな危ない奴相手に嘘なんか言うもんか。
 黙って出てくれるならアタシにとってもありがたい」

女は震えつつもよどみなく、はっきりとそう口にした。
アキトは彼女をじっと睨みつつ、その提案を考えた。が、もとより考えるまでもない。
ここでこの女を殺すことはありえない。ヤクザならいざ知らず、ここで一般人を殺傷することはリスクが高い。加えて既に警官を殺傷している以上、更にやればルーラーまで敵に回すかもしれない。
公的権力が敵になった以上、そんな事態だけは避けなければならない。

アキトは黙って女を見据えたのち「分かった」と答え、突き付けた銃を下した。
が、すかさず「妙な動きを見せたら撃つ」と釘を刺した。

女は黙って椅子に腰を据えた。

それからしばらく無言の時間が流れた。
アキトも女も、ともに何も言わない。話すことなど何もないからだ。
かち、かち、と据えられた時計の秒針が時を刻んだ。

「アンタも座ったら?」と不意に女が言った。突っ立っているアキトが気になったのだろう。
アキトは無言で椅子を引き、腰を下ろした。女に向かい合うように座り、じっとその様子を窺う。
幸い、というべか女は何もする様子はなかった。落ち着いてきたのか身体の震えは止まり、退屈そうに目線を漂わせている。

そうして監視していると、女が思っていたよりもずっと若いことに気が付いた。
暗がりで分かりにくかったが、そばかすの浮かぶその顔はまだ少女ともいえる年齢に見える。
ラピスやルリよりは上だろうが――こうして所帯を持つほどの齢には見えない。

「……疑問かい? アタシが予想外に若くって」

アキトの視線に気づいたのか、女は僅かに笑って言った。

「安心しな。この家に住んでるのはアタシと、さっき言った妹と弟だけだよ。
 ジルとミリーっていう、まぁまだ学校にもいってないような子たちだ」

玄関口にあった靴の数を思い出す。なるほど確かに間違ってはいないようだが、しかしそれにしてはこの家は妙に大きい。
その疑問を先取りするように女は言った。

「色々あってね、他の家族はいなくなっちまったんだ。この家も差し押さえられちゃって、本当はアタシたちのもんじゃないんだ。
 競売にかけられてて、買い手が決まった瞬間に家やらテレビやら全部持ってかれるって訳。
 何時追い出されるかもわからないし、勝手に住み着いてるって感じに近いね」

それで二階建ての一軒家の、こうも広い家に三人で住んでいるのか。
それは――寂しいだろう。そんなことを思わず思ってしまう。

「…………」

勿論だからといって声をかける筈もない。
今の自分はただの不審者だ。犯罪者だ。
そうでなくとも同情など彼女は求めてはいない。
それにつらい訳ではないのだ。生活苦があろうとも、共に過ごす者がいるならば何も堪えるものはない。
少なくともかつての自分はそうだった。

「暇だろ? なんか飲むかい? アタシは喉乾いたんだけど」

じっと黙っていると、女が不意にそう尋ねてきた。
緊張も大分ほぐれてきたのだろう。落ち着いた言動だった。
アキトはしばし考えたのち「五分以内に戻れ」と答えた。

女はすっと立ち上がり、部屋の外へと出ていった。

そうしてアキトは、がらん、とした部屋で一人取り残された。
何の音もしない。まっくらで見るべきものも何もない。けれど空白だけはあった。

そんな場所にいると、また余計なことを思ってしまう。
自分は――自分の家は小さかったな、などと。
ナデシコから降り、ナデシコ長屋での生活も終わったのち、一人保険の下りなかったアキトは極貧生活を送ることになった。
四畳半。風呂なし。トイレ共同。テレビも何もない。そんな生活だったが、寂しくはなかった。
ユリカがルリと共に押しかけてきて以来、狭い部屋での三人での共同生活が始まった。
それから呼んでもいないのにナデシコクルーがおしかけてきて、ホウメイガールズのデビューやらプロポーズまでの顛末やら、毎日が騒々しかった。
寂しさを感じる隙間などありはしない。
ありはしなかった。
それに比べてこの家は広すぎる。
広すぎて――だから寂しいだろう。そんな余計なことを考えた。

その時だった。
不意に部屋に明かりが灯ったのは。

アキトはすかさず身を起こす。見つかったか。そう思い辺りを窺うが、光が灯ったのは予想外の場所だった。
その光の出所は――テレビだった。
部屋に置かれた大きな液晶テレビ。あれもいずれは差し押さえられるのだろう。無論電源など入れてはいない。
しかし――そこには光が灯っていた。

がた、と椅子が音を立てた。かわいた音が部屋に響く。
そして食い入るように画面を見た。

その映像はひどく不鮮明だった。
ノイズの目立つ、いわゆる砂嵐が吹き荒れる映像だった。
けれどその砂嵐の向こう側に、確かに動くものがあった。
正確なカタチは分からない。
けれどそれは――忍者のように見えた。
忍者が誰かを背負って駆けている。そんな様がテレビには映っていた。

アキトはその異様な“番組”に気を取られた。
部屋は相変わらず異様に静かで、広かった。その空白を夜の闇が埋めている。
そんな真っ暗な部屋でテレビ画面は明滅し、ザザザ、と砂嵐の不快な音を響かせていた。

なんだこれは。
アキトは目の前の状況が理解できなかったが、しかしおかしなことが起こっている、ということは分かった。
まさかテレビ局の放送事故の類である筈がない。でなければ十中八九――聖杯戦争絡みの問題ということになる。
だがそれにしても奇妙だった。
魔術神秘に関しては全くの素人であるアキトだが、テレビの向こう側へ行く、などという技が何の意味を持つのか想像もつかない。
映像を介した洗脳の可能性も考えたが、それもなさそうだ。しかもこれをアキトが覗くのは偶然だ。この時間にテレビを見る人間などそうはいまい。洗脳としては機能しまい。
ならば何らかのメッセージか――と考えを巡らせている時、不意にアキトは気づいた。

女が戻ってきていない。

五分、という時間は当に過ぎている。
あの女はどこに行った。探すべく立ち上がるも、その答えはすぐに分かった。
音がしていた。テレビの奇怪な音などではない――足音だ。
窓の外を覗くとそこには警官と思しき人間たちが集まってきていた。

「あの女……!」

アキトは己の失態に気付く。
これはつまり――出し抜かれたということか。
女は最初からアキトとの約束など守る気はなく、隙を見て警察に伝えるつもりだった。
その為に身の上話などしたのだろう。アキトの気を逸らす為に。
考えてみれば当然のことだ。弟と妹を守る――その言葉が確かだとしたら、アキトのような犯罪者など匿う筈がない。

少女に続き、たかがNPCにまでしてやられたというのか。
テレビのことがあったとはいえ、再度の失敗にアキトは忸怩たる思いに駆られる。
馬鹿か俺は。そう叫びたい気分だった。

女を追っても無駄だろう。もう逃げているだろうし、よしんば人質などにしたところで何の意味がある。立てこもりすれば他のマスターの恰好の的だ。
足音が近づいてくる。もうすぐ突入されるだろう。考えている暇はなかった。
こうなってしまっては仕方がない――虎の子のボソンジャンプを使うしかない。最後の切り札たりえるものを、こんなどうしようもないミスで潰すことに情けなさを覚えるも、しかしもはやどうしようもない。
そう思った時だった。

テレビの向こうの忍者が消えていた。
いやより正確には――出ていった。
映像が荒くてロクに見えなかったが、忍者が何かを見つけテレビの外に出ていった――ように見えた。
そして画面の向こうには砂嵐だけが残された。
画面は未だにゆらゆらと揺れ、ザザザザザザ――と荒い音だけが響いている。

「入れる、のか……?」

思わずアキトは呟いた。
おかしな考えだ。しかしあの忍者たちは――恐らく聖杯戦争の関係者で、恐らくはマスターとサーヴァントだ。
彼らはどういう訳かテレビの向こう側に迷い込み、そして出ていった。
だとすれば、自分も――

状況は急を要している。何か試す余地があるならば、試すべきだ。
アキトはゆっくりとテレビへと近づいていった。何かに惹かれるように画面へと手を伸ばし、そして――

――テレビ画面に波が起こった。まるで水面に手をつけたように、手を中心に波紋が起こっているのだ。

アキトは目を見開いた。
何だこれは。想像だにしていなかった事態にアキトは混乱する。タッチパネルを搭載しているなどという訳ではあるまい。これは明らかに異常だ。

テレビを向こう側は、あるのだ。そしてそれは繋がっている。
そしてこのテレビ画面は大きい――それこそ人が落ちるのではないかというくらいには。
そのことを確信した時、アキトははっきりと恐怖を覚えた。


マヨナカテレビ、という都市伝説をアキトは知らない。
元の時代ではもちろん、この“方舟”においても彼はその噂を耳にすることはなかった。
けれど学生たちの間ではその噂が流れていた。
いわく深夜に映る筈のない奇妙な番組が放送されている、と。
……同時刻、この“方舟”において、とある一人のマスターによりその噂は具現化されていた。
この“方舟”にマヨナカテレビは――確かにあるのだ。


無論アキトはそんなこと知る由はなかった。故に恐怖を覚えた。
しかし同時に好機であるとも感じた。これは――逃れる場所になり得るとも思えた。
ボソンジャンプで逃げるにしても、どこに逃げるかという展望は今の彼になかった。
家に戻るわけにはいかず、さりとて昼間に街の往来を歩くわけにはいかない。
どこか隔離され、社会の手から逃れる場所が拠点として必要だ。

警官たちの声がする。今にも彼らはやってくる。決断するならば今だ。
失策を重ねた今、これ以上ミスを犯す訳にはいかない。
この選択ひとつで自分の今後が決まるだろう。

「…………」

考えたのは一瞬だった。
自分には帰る場所はもうないのだ。
いましがたの少女を思い出す。こんな寂しい家でも彼女にとっては守るべき家だったのだろう。
だが自分にはもうない。そんな場所は、守るべきものは。
既にナデシコはない。“方舟”に至るまでにラピスとユーチャリスも置いてきた。そしてあの偽りの天河食堂だって、もう帰る訳にはいかない。

だからもう、ここでないどこかへ逃げるしかない。
覚悟を決め、テンカワアキトは――ボソンジャンプした。

テレビの中へ。



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