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聖杯戦争序幕 ~ 宙船、来たる ~ ◆eBE8HIR9fs



 ――地球には、もうひとつの月があるという。



 複数の月が登場する神話を持つ文明は多い。
 古代中国の射日神話と同様に、英雄が多すぎる月を射落とす伝承は各地の文化に散見される。
 また伝承の研究ではなく科学として、実際に19世紀末には第二の月の実証を研究する学者も現れた。
 例えばフランスの天文学者プチはクラインヒェンなる衛星の存在を主張し、同様の説を掲げた別の研究者も存在する。
 サイエンスフィクションの祖と賞されるジュール=ヴェルヌもかの代表作「月世界旅行」にて同様の天体を登場させている。
 しかし、その実証への道程は果てしなく遠く、そして限りなく不可能に近かった。
 あるものは計算式に誤りを見つけられ、またあるものは理論に見合う結果を見出だせなかった。
 また観測技術の向上により、光学的に捕捉できない衛星という最後の逃げ道も消失した。
 ゆえに地球の衛星は今なお、月ただひとつとされている。
 そういうこととされている。


 ただ、それは物理世界の側面から見た話にすぎない。


 遥か以前から魔術師達やそのルーツのひとつたる占星術師達は、地球の衛星軌道を周回する存在を感知していた。
 地球を中心として遠大な楕円軌道を描く謎の物体が数十年おきに接近するという事実は、ごく限られた人間しか知らない。
 しかし、それはその物体の持つ秘密の一端に過ぎない。真実を知る者は、更に限られる。


 曰く、自然物ではなく被造物。あれは、『星』ではなく、『船』だ――と。


 何らかの魔力的な撹乱により今まであらゆる物質世界の学者に捕捉されなかったその『船』の謎を、魔術師達は追い求めた。
 失われた神代の『古代遺物(アーティファクト)』。星の海を巡り地球を廻る『宙船(そらふね)』。
 その存在を知る者はそれが地球に接近するたびにあらゆる手段を用いてその謎へと近付くべく挑み、
 やがては親が子に魔術刻印を受け継がせるがごとく、その蓄積された研究成果を知識として次の世代へと託した。

 そして永い時を経て観測値(データ)は集約され、それが真実であれば魔術世界を揺るがすであろう結論が導き出された。
 あまりに壮大過ぎる結論を、多くの者は幼稚で荒唐無稽な与太話(パルプフィクション)だと一笑に付した。
 しかし全ての魔術師がその『船』を追うことを諦めたわけではない。
 かつて人間が月を目指したように、第二の月たる『船』を目指す者は尽きはしなかった。


 そして、現代。


 『宙船』は遙かなる星海の旅を終えて地球圏に帰還し、じきに最接近の時を迎えようとしている――!





   ▼  ▼  ▼



「……何故このような話をしているのか分からない、という顔だな、綺礼」
「は……」


 当惑を見透かされた言峰綺礼は、卓を挟んで向かい合う父、言峰璃正に対して曖昧な返事を返した。
 綺礼は曖昧な物言いをする類いの人間ではないが、父はそれ以上に意味のない冗談を好む人間ではない。
 その父がこうして改まって話をする以上は、この突拍子もない話にも何らかの理由があるに違いない。
 そう思ったからこそ綺礼はそれ以上の言葉を返さず、思案した。

 冬木の第四次聖杯戦争に備え、綺礼が父の歳の離れた友人、遠坂時臣に師事してもうすぐ三年になる。

 本来は異端者を討滅することを生業とする聖堂教会の執行者である綺礼がこうして魔術を学んでいるのは、偏に父と師との盟約にある。
 万能の願望機たる冬木の聖杯を、もっとも相応しき主たる遠坂時臣の元にもたらせ。その為に陰から時臣の戦いを支えよ。
 それが来るべき聖杯戦争における言峰綺礼の役目であり、それは自分自身も納得済みである。

 それがどうして、このような天文ショーの紛い物の話を聞かされているのだろうか。
 もうじき遠坂・間桐・アインツベルンの御三家だけでなく、外来のマスター達も戦いの準備を整えてくるだろう。
 専念すべきは聖杯戦争の備えであって、このような話はそれこそ占星術師にでも任せるべきではないか。
 綺礼はまずそう考え、次にこの状況であえて「自分に話さねばならない理由」へと思いを巡らせた。


「……父上。それは、魔術協会だけでなく聖堂教会にとって見過ごせぬものである……と、そういうことでしょうか」
「聡いな、綺礼よ。だがそれは真実であっても全てではない。お前の今の立場にも関係のある話だ」
「私の、今の、立場ですか」


 噛み砕くように繰り返して口にする。
 聖堂教会の代行者、という意味ではあるまい。それでは教会の問題であることに変わりはない。
 そうでないならば。魔術師としての……あるいは聖杯戦争のマスターとしての?
 無意識に口元に手をやった綺礼を見、璃正は先回りするかのごとく口を開いた。


「――綺礼よ。聞いたことがあるかね、月こそはこの世界最古の古代遺物(アーティファクト)であると」


 今度ばかりは綺礼は本当に父の言葉の意味を測りかねた。
 しかし父の目は真剣そのものであり、その視線には理性の光が確かに灯っている。
 これまでの話と同様に冗談を言ったわけではなく、ましてや耄碌して妄言を吐いたとは思えない。
 綺礼は努めて冷静に、否定の言葉を口にした。



「――いいえ。父上は、あの月が人工物であると?」
「人の手によるものではない。神の御業だよ。月はあらゆる時の流れの中で、この地球を観測し続けているという。
 これはこの老骨の与太話ではない。知る者は限られているが、魔術協会では既に封印指定の取り決めが成されたと聞く」

 封印指定といえば、魔術協会が触れ得ざる遺産足りうると指定した魔術を術者ごと永久保存する措置のことだ。
 だが魔術師ではなく遺物が封印されるなどという事態は耳にしたことがない。

「封印の必要があるほどまでに魔術師が手を出すには大それた遺物、ということですか」
「それどころではない。月……『ムーンセル』はあらゆる事象を演算し、記録し、その結果として現実すら改変しうるという。
 この世の理を根本から打ち崩しかねん、人の子には過ぎたるもの……真なる万能の願望機よ」
「万能の願望機……それではまるで、」


 聖杯だ。


 綺礼はそう言いかけ、そこでようやく父が謎の天体の話を持ちかけた理由に思い当たった。
 月が願望機であるというという話は俄には信じがたいものではあるが、それが事実だという前提に立てば。
 聖杯戦争のマスターである綺礼にとって、天体は聖杯と同じかそれ以上の重みを持つのだとすれば。


「このたび地球に接近するというその『船』が『月の聖杯』と関係があるものだと、父上や教会の者達はお考えなのですね?」

 綺礼の言葉に年老いた父は僅かに驚きの表情を見せ、それから皺の刻まれた顔に満足気な笑みを浮かべた。

「その通りだ。月を手にすることは叶わなくとも、あれを手にすることは出来る、とな」
「少なくとも、それが願望機に準ずるものであると仰るように聞こえますが」
「正確には、月へと干渉しうる装置といったところか。願望機そのものではなく、月の願望機への道しるべよ」


 装置、という言葉に引っかかりを覚える。まるで『船』が何かの働きを為すための物であるかのような。
 その思考をそのまま父が引き継ぐ。息子の虚無こそ知らぬ父だが、こういう阿吽の呼吸は親子である。


「あれの本質は演算装置なのだ。もっとも、月――『ムーンセル』同様、本当に人の手で作られたとは限らんがな」
「既に観測がなされているのですか」
「前回の接近時に、魔術師達が血眼で調査した結果だ。ムーンセルの間に魔術的な交信が行われているという事実も明らかになっている」

 魔術師達も無駄に手をこまねいていたわけではないらしい。綺礼は他人事のように感心した。

「そしてその理由も既に推測が付いている。『船』はそれ自体が演算装置であると同時に、いわば月の子機とも言うべき存在なのだ」
「と、いうと」
「あの『船』はそれの存在目的を果たすため、月に蓄積された観測結果と演算能力を使用しておるのだ――ときに綺礼、あれは何で出来ていると思う?」

 脈絡のない唐突な質問に、綺礼は思案する。

「素材ですか。被造物であれ天体ならば、鉱物と考えるのが自然では」

 無難な回答を返した綺礼に、父は自分自身も信じ切れていないかのような表情で応えた。
 まるで自分のこれから告げる真実が綺礼の想像を凌駕していることを象徴するように。 


「――木材だよ。あれはこの地上に存在しない種類の木で出来ているという。
 この事実を知る魔術師達は、最終的にこの結論へと辿り着いた――すなわち、あれこそが『ゴフェルの木』だと」
「――『ゴフェルの木』?」


 初め、綺礼は聞き間違いかと思った。
 この星の歴史において、『ゴフェルの木』で作られた構造物はただのひとつしかない。
 父も教会の神父である以上それを知らないはずはなく――そして、知っていながら訂正しようとしない。


「うむ。魔術的なノイズにより正確な大きさは測定出来ずにいるが、その長さは三百、幅は五十、高さは三十の比を持つ箱形であると判明している。
 いいかね、三百、五十、三十の箱形だ。それも未知の木材で覆われた、な……聡明なお前ならここまで言えば分かるだろう、綺礼」


 それは聖書の一節。幾度となく目を通した数字。
 三百キュビト、五十キュビト、三十キュビト。
 滅多に動揺を見せない綺礼の頬を、一筋の汗が伝った。


「――――馬鹿な」


 続いて声に出せたのはそれだけだった。
 しかし父の視線が、表情が、これが冒涜的な類いの冗句ではないと語っていた。
 呆然とする綺礼の意識へと沁み入るように、璃正の沈着かつ毅然とした声が響く。


「聖堂教会は判断した。このたび地球圏に帰還した被造物が、聖遺物『ノアの方舟』である可能性は否定できんと。
 聖遺物回収は我ら『第八秘蹟会』の責務。言峰綺礼よ、汝の任はこの『方舟』の確保にある」


 ――軌道上に存在する古代遺物(アーティファクト)は旧約聖書に謳われる『方舟』であり、月の願望機の鍵であると、そう言うのか。



 綺礼は息を吸って、吐いた。


「――確保。方策は、あるのですか」


 荒唐無稽の極みだ。聖者ノアの聖遺物が、今も星の海を航海しているなどと。
 しかし、教会にとってそれの真偽がどちらであれ確保の必要性に変わりはないのだろう。
 後世の遺物であろうと放置する理由にはならないし、それが願望機としての性質を備えているのならば尚更だ。
 綺礼は既に任務遂行の手段へと思考を巡らせていた。それを見、璃正は頷く。


「ある。『方舟』の存在意義とは種の記録の保存……かつて『方舟』に乗った生命のうち、人間だけが一対でなかったのは知っているだろう。
 故に『方舟』は地球に接近するたびにムーンセルから記録を受け取り、同時に地上の人間を内部の世界に召喚しておるようだ」


 伝承によれば、方舟に乗り込んだのはノアとその妻、三人の息子とそれぞれの妻。
 人間だけが一対の存在ではなかったために、方舟は使命を遂行するために今も自動的に稼働しているということか。
 ならば男女のつがいが必要なのか、という綺礼の問いに璃正は首を振った。 


「そうではない。男女のつがいではなく、いわば過去と現在、あるいは未来。時代、更には世界を繋ぐ一対のつがいだ。
 地上の人間と月に保存された英霊の記憶とを組み合わせ、生き残りを賭けて戦わせ、真に記録すべき一対を選別する――『方舟』はその為にある」


 そうして情報として残すべき一対の魂の選別を、方舟は地球圏に帰還するたびに行っているという。
 綺礼は眩暈を覚えた。冬木の御三家達はあらかじめこの事実を知っていたのだろうか。
 偶然一致したのか御三家の最初の誰かがこの事実を参考にしたのか。どちらにせよ、


「……まるで聖杯戦争ですね」
「そう、聖杯戦争だ。これは紛れもなく、万能の願望機に連なる聖杯戦争に違いないのだ、綺礼よ。
 そして最後まで勝ち残ることが出来たならば、方舟から願望機たるムーンセルへの道が示されると推測される。
 お前が為すべきは、方舟のマスターとしてこの聖杯戦争に参戦し、万能の願いをもって方舟を手にすることだ」


 綺礼は深呼吸した。
 未だに信じがたい話ではある。しかし、そこまで分かれば十分だった。
 冬木の聖杯戦争の前哨戦にしてはあまりにも壮大ではあるが、与えられた役目ならば果たすだけのこと。
 そして元より、言峰綺礼に意志など無いのだ。


「――了解いたしました。この言峰綺礼、父上と聖堂教会に、必ずや勝利を」


 綺礼の答えに、老いた父は改めて満足した顔で頷いた。



   ▼  ▼  ▼



 ――ひと月の後。


 綺礼は万全の準備を整え、ひとり夜空を見上げていた。


 師である時臣には、この試練のことはせいぜい数日ほど師の元を離れるとしか話していない。
 時臣は純粋に、この離脱を冬木の聖杯戦争に備えるための戦支度として受け止めているだろう。
 無論綺礼も冬木での戦争を放棄したわけではない以上、師の認識は決して間違いというわけではない。
 しかしこれはあくまで第八秘蹟会の代行者としての任務であり、時臣には無関係と判断しただけのことだ。

 表向き魔術協会とは敵対関係にある聖堂教会にとって、信頼できる魔術師の戦力は極めて少ない。
 ゆえに綺礼に白羽の矢が立ったのはある意味では自然だが、それ以外に教会よりの傭兵魔術師が参加する可能性があると父は言った。
 教会も一枚岩ではない。いくら方舟が『ノアの聖遺物』であるという確証はないとはいえ、動く者は動く。
 また方舟そのものに価値を見出す者が、教会同様に傭兵を雇う可能性もある。あるいはカネ目当ての者も。

 加えて単純に、己が願いを叶えるために参戦する魔術師もいるだろう。冬木における外来のマスターのように。
 いくら緘口令のようなものが敷かれているとは言っても、そもそも璃正の情報の出処は魔術協会の側である。
 魔術師の中にはとっくの昔にその情報を入手している者がいると見て間違いないだろう。
 すでに綺礼の周りは既に敵だらけと言ってよかった。


 今、綺礼の掌の中には、小さな古ぼけた木片が握られている。


 一見何の変哲もない木片だが、これが方舟の構成材と同じ『ゴフェルの木片』であると聞かされている。
 この地上には存在しない樹木では無かったのかと問うた綺礼に、父は「最初に脱皮した蛇の抜け殻」よりは容易に手に入ると答えた。
 要は、あるところにはある、ということだ。もしも世界中に散逸しているのだとしたら、それは厄介だが。
 偶然ひょんなことからこの木片を手に入れてしまう人間がいなければいいと、そう祈る他ない。


 方舟の媒介たるこの『ゴフェルの木片』に願いを通わせる。聖杯戦争への鍵は、ただそれだけだ。
 その願いを感知した方舟が、その内部……『アーク・セル』とでも呼ぶべき演算世界へと魔術師を召喚する。
 そして、それぞれに相応しい使い魔たる英霊……『サーヴァント』を、月の記憶を介して降臨させるのだ。

 過去アーク・セルに召喚されたとされる魔術師は全て同じ日同じ時間に姿を消したわけではないという。
 方舟の力が時空を越えるものであるとするならばそれこそ魔法の域だが、それを証明するのは困難だろう。



 綺礼は木片を握りしめた。 


 言峰綺礼には意志がない。
 正確には、熱意が、渇望が、目的意識というものがない。
 今まで幾多の巡礼でこの身を焼き、幾多の異端を屠り続けて、しかし何一つ得ることなくここまで来た。
 冬木の聖杯戦争へと至る前に転がり込んできたこの試練は、綺礼に答えを与えてくれるのだろうか。
 そうであればいいと思う。その思いは、願いと呼ぶにはあまりに熱を持たないものではあったが。

 夜空を見上げる。この遥か彼方に、目指す神代の遺物がある。
 心中で幾度となく繰り返した呪文を唱える。この聖杯戦争には必要のないものとは分かっていても、だ。


(――告げる。汝の身は我が元に、我が命運は汝の剣に。聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ)

 手中の木片へと思念を集中させる。空っぽの願いを使命で上書きした瞬間、木片が熱を持つのを感じた。

(誓いを此処に。我は常世総ての善と成る者、我は常世総ての悪を敷く者)

 大気に満ちる魔力(マナ)が、綺礼を中心として渦巻く。方舟の秘蹟が、今顕現しようとしていた。

(汝三大の言霊を纏う七天、抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ―――!)

 綺礼は遥か星空に浮かぶであろう方舟を睨み、そしてこの地上から忽然と姿を消した。




 ――この日。『方舟』は、地球圏へと真の意味で帰還した。





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