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「狂い咲く人間の証明(中編)」(2017/06/03 (土) 22:59:02) の最新版変更点
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*狂い咲く人間の証明(中編) ◆WRYYYsmO4Y
◇◇◇
瞬く間に、廃教会の床が黒色に染まっていった。
アーカードを中心に、真っ黒な液体が流れ出たのだ。
夥しい勢いで、液体は周囲の地面を黒に染め上げていく。
それはまるで、決壊したダムの流れの様であった。
液体の中から出でるのは、無数の亡者達である。
瞳から黒色の涙を流した彼等が、戦場に現れたのだ。
その数は加速的に増えていき、ものの数十秒で廃教会を埋め尽くす。
国籍も、装備も、性別も、年齢も異なる彼等は、全て喰われた命。
アーカードが喰らい、己のものとした命が、ここに解放されたのだ。
その中には、黒馬に乗り旗を掲げる鎧の騎士がいた。
その中には、戦鍋旗を手に持った中年の軍人がいた。
その中には、三角帽を被った異端狩りの戦士がいた。
その中には、現代の服を身に纏った若い青年がいた。
「マルタ騎士団……イェニ=チェリ軍団……ワラキア公国軍……ッ!?」
その有様に、ヴラドはひたすら驚愕するばかりであった。
これまでアーカードが喰った数万もの命に、ただ愕然として。
そしてその愕然は、程なくして怒りに変貌し、
「貴様は……!貴様という奴は……どこまで……ッ!」
話には聞いていたが、よもやここまで醜悪だとは思わなかった。
この化物だけは、絶対に此処から生きて帰してはならない。
己の杭を以てして、何としてでも滅ぼさなければならない。
これまでに無い程の激情が、今のヴラドを突き動かしていた。
「悪魔(ドラキュラ)ッ!やはり貴様は滅ばねばならんッ!」
怒りに身を任せ、ヴラドは己が宝具を再び解放しようとする。
しかし、どういう訳か、杭は何処からも出現しないではないか。
自らの領土でその力を示す『極刑王』が、まるで発動しないのだ。
「まさか、我が領土を"塗り潰した"というのか……ッ!?」
「そうだ私よ、此処はもうお前の領土ではない。私の物だ、怪物(ノスフェラトゥ)の領土だ」
ある男が言っていた。アーカードの本質は「運動する領土」である、と。
なるほど確かに、彼は数万もの兵を収容する一種の要塞と言えるだろう。
その要塞を体外に放出する「死の河」は、即ち領土の解放に他ならない。
そう、今この瞬間から、廃教会はヴラドの陣地などではなく。
アーカードが造り上げた、「死の河」という領土に変貌を遂げたのだ。
自らの領土でなければ、ヴラドの「極刑王」は効果を発揮できない。
つまり今のヴラドは、杭を出現させる範囲が極端に狭まっている。
これが意味するものは一つ。アーカードの圧倒的優勢にして、ヴラドの圧倒的不利だ。
あれだけ生えていた杭は一つ残らず消え、代わりに漆黒が埋め尽くす。
アーカードを中心に広がる濁流は、人の営みの一片さえ喰らってしまった。
戦場は既に、死霊が彷徨い歩く地獄の形相を呈していた。
「さあ膳立ては済んだぞ。存分に奮い立て、人間ッ!」
その号令で、亡者の群れが一斉にブラドに襲い掛かってきた。
圧倒的な物量の前に為す術もなく、ヴラドは人の波に飲み込まれていく。
ものの数秒もしない内に、アーカードの視界からウラドが消失した。
あまりにも呆気なく、目の前から宿敵が消えた。
その光景を目の当たりにしたアーカードの表情は、何故だか暗い。
「……どうした、この程度か」
死の河は未だ増大し、亡者の数も増幅していく。
廃教会は当の昔に倒壊し、天井には漆黒の空が映し出される。
だが当のアーカードは、表情いっぱいに失望を塗りたくっていた。
圧倒的物量による勝利を喜ぶべきにも関わらず、だ。
「応えろ!この程度でお前は斃れるのか!?私が求めた夢は、こんな程度で砕けるのものなのかッ!?」
アーカードにとって、ヴラドとは宿敵にして自身の夢。
かつて自分がなれなかった、人間であり続けた自分自身。
それが瞬く間に潰えてしまっては、拍子抜けもいいところだ。
故にアーカードは叫ぶ。この程度で終わっていい訳がない、と。
「――この程度か、だと?」
亡者の列の中から、人間の声が飛んできた。
目を凝らして見れば、死霊の群れの中に命の鼓動があった。
それが誰の物であるかなど、最早言うまでもない。
人間は――ヴラドはまだ、朽ち果ててなどいなかった。
「分かっていた筈だ、"余"よ。余(ヒト)がこの程度で滅びぬ事は、他ならぬ"余"が理解している筈だ」
ヴラド三世はそう言うと、本来の姿を象っているアーカードを見据える。
彼の視界には、髭をたっぷりと蓄えた鎧騎士の姿があった。
身に秘めた命を全解放したアーカードは、本来の姿に戻らざるを得ないのだ。
今此処に顕在しているのは、"化物として死んだヴラド三世"の肉体。
それは全ての吸血鬼の始まりにして、真祖の吸血鬼の終わりたる姿であった。
「この身こそが我が領土ッ!余が防衛する最後の領域ッ!余が滅びぬ限り、"人間"は死なんッ!」
化物を睨み、槍を向け、人間が吼える。
拵えた領土が消えた今、ヴラド三世の人間性を証明するのは、当のヴラド独りとなった。
もし自分が消えれば最後、この場に残るのは吸血鬼の伝承だけとなるだろう。
冗談ではない――怨敵に何もかもを奪われるなど、死よりも悍ましき事態ではないか。
「さあどうした!?使い魔達を出せ、身体を変化させろ、銃で我が身を撃ち抜いてみせろッ!
来るがいい悪魔(ドラクル)、夜は――貴様(ヴァンパイア)の時間は、始まったばかりだろうにッ!」
それを口火に、ヴラドは亡者の群れを突き進み始めた。
得物とする槍で、目の前の敵を容赦なく引き裂いていく。
不死の王を護る死者の壁を、彼は正面突破する気でいるのだ。
対するアーカードは、猛るヴラドとは対照的な笑みを浮かべていた。
それは獰猛さを感じさせない、酷く安堵した様な表情であった。
「……そうだ、それでいい」
それでこそ、お前達(ヒト)のあるべき姿だ。
ぽつりとそう呟いた後、アーカードの口が三日月に歪む。
そこにあったのは、これまで幾度も作った獣の笑みであった。
◇◇◇
「オオオオオオオオオオオオオオオッ!」
前へ、前へ、前へ前へ前へ前へ前へ前へ前へ!
ヴラドはただ愚直に、アーカードに向かった前進していく。
襲いかかる死者の軍勢を、杭で薙ぎ払いながら。
憎き宿敵の元へ向かって、我武者羅に猛進していく。
湧き出る屍鬼の物ともせずに進むヴラドを眺め、満足気に笑うのはアーカードだ。
彼は迫りくる宿敵の姿に、自らを打倒した人間の面影を見た。
ミナ・ハーカーを救出しにやって来た、ヘルシング教授とその仲間達。
死の河を乗り越えた彼等は、ヴラドと同じただの人間だった。
ヴラドの勇猛を見ると、思い出さずにはいられない。
彼等の雄姿を、彼等の闘志を、彼等の執念を。
人間という種が持つ、その秘められし意思の力を。
「ああ、まるで夢だ。夢の様じゃないか」
そう、まるでそれは、質の悪い甘い夢の様であった。
人間であり続けた自分が、こうして自分を殺しに来たのだ。
我こそがヴラド三世だと、吸血鬼のお前など決して認めるものかと。
これが耽美な夢でなければ、一体なんだというのだ。
「さあ来い!来いよ"私"ッ!見事私の心の臓腑に、その杭を突き立ててみせろッ!」
その言葉を耳にしたヴラドは、その手に握る槍に更に強く握りしめる。
夥しい殺意を胸に秘め、亡者の巣を走り抜けていく。
「言われずとも滅ぼしてやろうッ!我が生涯より産まれし、血塗られた忌子めがッ!」
もう一人のアーカードであるヴラドにとっても、この戦いは耽美な夢であった。
何しろ、憎みに憎んだ吸血鬼の伝承が、形を成して殺しにかかっているのである。
今こそ長年の恩讐を晴らす時、そして同時に、己の人間性を証明する時だ。
一歩歩む度に傷を作りながらも、それでもヴラドは止まらない。
ここで歩くのを止めれば、そこで全てが台無しになるのだから。
ほんの僅かでも諦観を見せれば、化物はその隙を容赦なく突いてくる。
そうすれば終わりだ。瞬く間に死者の雪崩に巻き込まれるだろう。
だから、ヴラドは振り返る事なく走り続ける。
今の彼には、領土も護るべき民の姿もありはしない。
救国の英雄だという自負、そして宿敵への憎悪、そして人間としての誇り。
その三つの感情だけが、彼を狂犬の如く衝き動かすのだ。
少しずつではあるが、ヴラドとアーカードの距離は近づいている。
このまま、両者は再び対面する事になろうと考えられた、その時。
「グッ……!」
ヴラドの左腕が、前方より飛来した物体に抉り取られた。
かと思えば、次は左脇腹が背後から撃ち抜かれたではないか。
ヴラドの肉体を抉った小さな物体は、彼の目の前で静止する。
それがマスケット銃の弾丸であろ事は、誰の目から見ても明らかであった。
素早く槍を振るい、再びこちらに飛来した弾丸を撃ち落とす。
「ヴェアボルフが一騎、魔弾の射手"リップヴァーン・ウィンクル"。見事超えてみせろ」
アーカードが取り込んだ命の一つ、リップヴァーン・ウィンクル。
かつて彼と敵対した彼女は、弾丸の軌道を自在に操る事が出来る。
吸血鬼の命の一つとなった今でも、その能力は健在であった。
狙撃兵の存在を理解したヴラドは、そこから大きく飛び上がった。
サーヴァントの脚力であれば、人を優に飛び越える跳躍など容易い。
空中に移動したヴラドの眼下に、マスケット銃を構えた女の姿が見えた。
騎兵――ワラキア軍であろう――に相乗りした彼女が、弾丸の射手であろう。
ヴラドは雄叫びを上げながら、懐に忍ばせたある物を投擲する。
勢いよく投げ出された横長のそれは、女の心臓部を見事貫いてみせた。
「なるほど神父め――お前も立ち塞がってくれるかッ!」
ヴラドが投げつけた物の正体、それは銃剣(バヨネッタ)だ。
アンデルセンは予め、自らの装備を彼に授けていたのである。
かつての好敵手の影を垣間見て、アーカードは勢いよく破顔した。
宿敵の笑い声を拾い上げたヴラドは、奴との距離が近い事を確信する。
されど、死者の壁は依然として彼の行く手を阻んでいる。
ならばと、ヴラドはアンデルセンのもう一つの武器の使用を決断した。
鎖に繋がれた無数の銃剣を、彼等に向けて放り投げる。
ただのそれだけでは、数万をゆうに超える亡者を突破するには物足りない。
だが見るがいい、銃剣の柄から噴き出るあの多量の煙を!
刹那、銃剣が残らず爆裂し、アーカードの眷属を消し飛ばす。
アンデルセンから受け取りし武器が一つ、これこそが爆導鎖である。
爆破によりこじ開けた道を、ヴラドは獅子の如き勢いで駆け抜ける。
最早一刻の猶予もない。アーカードを殺せるか、こちらの体力が尽きるかの勝負だ。
ぼろぼろの身体を酷使しながら、人間は独り死の世界をひた走り、そして。
「――――ようやく、辿り着いたか」
そうして駆け続けた先に、あの男は待ち構えていた。
不死の王は悠然とした態度を保ったまま、ヴラドの目前に立っていた。
「見事だ、よくぞ私の元にまで辿り着いた」
犬歯をむき出しにして、獰猛にアーカードは笑ってみせる。
対峙している男の必死さを、さながら児戯であると言わんばかりに。
「さあ"私"よ、傷はいくつできた?骨は何本折れた?血は何リットル流れた?
私に勝つ未来は見えたか?確率はいくらだ?万に一つか、億に一つか、それとも兆に一つか?」
ヴラドの状態は、それはもう直視し難い有様となっていた。
生傷の無い部分は見当たらず、染み一つ無かった貴族服は既に血まみれだ。
左腕に至っては、僅かな衝撃で千切れ飛んでしまう程に損傷が激しくなっている。
最早その姿からは、ルーマニアの王としての気品など、微塵も感じられなくなっていった。
されど、そこでアーカードの心中に浮かんだのは、「妙だ」という疑念だった。
あの"死の河"を単独で超えたにしては、その身形はあまりに綺麗すぎる。
数万をゆうに超える死者の濁流、それを身体一つで渡り切ってみせたのだ。
四肢の何れかが使い物にならなくなっていても、別段おかしくはないのだが。
しかし、ヴラドの身体をよく観察すれば、その疑問は氷解した。
身体中から流れる血液、そしてヴラド自身の能力を鑑みれば、その答えは自ずと導き出せる。
「……なるほど。杭で身体を固定するとは。見上げた覚悟じゃないか、"私"」
ヴラドは体内に杭を生やす事で、それを折れた骨の代わりにしているのである。
なるほどその方法であれば、例え四肢の骨が砕けようとも、前進は可能であろう。
されど、肉を内部から裂いて杭を通すなど、その痛みたるや尋常なものでない筈だ。
そして何より、そんな真似をすれば最後、肉体の致命的な損傷は避けられない。
正気の沙汰ではないこの行動、実行する狂人などいる訳がないのである。
しかし、ヴラドはその恐るべき行為を実行したのである。
吸血鬼を倒すという意思一つだけで、正気の壁を飛び越えてみせたのだ。
何という覚悟、何という性根、そして何という意思の強さか。
「改めて聞こう"私"よ。何故ここまで闘えた。何がお前をそこまで昂らせた。
私への憎悪だけではあるまい。お前の胸にはまだ"何か"あるな、それは何だ?」
「……ほざけ。そんな事、"余"たる貴様が誰より理解しているだろうに」
例えヴラドがアーカードを滅ぼした所で、世界の歴史は変わらない。
せいぜいドラキュラの逸話が消えるだけで、ヴラドの生涯は影響の一つも受けはしない。
そんな事は分かり切っている。それでもなお、彼が吸血鬼に挑むのは――。
「人としての誇り。ただの、それだけだ」
己の中で今も息衝く、ちっぽけな"人間"を護る。
そんな理由一つを抱えて、ヴラドは絶望的な戦いに身を投じたのだ。
その相手がどれだけ恐るべき怪物だろうが、決して膝を折るものかと。
アーカードが思い出すのは、廃ビルにてジョンスと交わしたやり取りだった。
あの男もまた、死の河を前にして一歩も引こうとせず、こちらに挑みかかろうとした。
彼が胸に秘めていたもの、それは能力やお守りでもなく、人としての誇り――即ち、プライド。
「く、くくく」
あの男の言葉が、脳裏に木霊する。
『安いプライド』さえあれば、人は誰とだって戦える。
『安いプライド』さえあれば、人は何とだって戦える。
「く、くく、くは、くははははははははははははッ!!!そうか!!貴様も同じか!!」
この瞬間、アーカードの歓喜は頂点を極まった。
きっと自分は、この言葉をこそ待ち侘びていたのだ。
勝てる訳もないのに、犬死にと分かっていても、それでもなお立ち向かう。
それこそが人間が、化物を倒し得る生命が持つ、光輝かつ最高の力。
「そうだッ!それでこそだ"私"ッ!ならば証明してみせろッ!
貴様が人間である証をッ!化物を倒す人間の矜持をッ!
この私の夢のはざまを、その手で終わらせてみせろッ!」
「望み通り終わらせてやろうッ!貴様が綴る、鮮血の伝承をなッ!」
その啖呵が引き金となり、いよいよ決戦が幕を開ける。
ヴラドが真正面から突っ走り、それまで以上の速度でヴラドに肉薄する。
されど、無防備を晒す彼に吸血鬼が向けるのは、ジャッカルの引き金だ。
数発発射されたそれらが、その勢いを殺さんとヴラドに迫る。
一発目は、頬を掠めるだけに終わる。
二発目は、右肩を軽く抉り取った。
三発目は、貴族服を縦に裂いた。
四発目は、右脇腹に命中した。
そして五発目が左腕を千切り、六発目が左脚を吹き飛ばした。
しかし、四肢の半分を失ってもなお、ヴラドの瞳は死にはしない。
左脚の断面から、宝具である杭が爆発的な速度で飛び出してくる。
そしてその勢いを利用し、ロケットの如く加速したではないか。
アーカードの懐に入りさえすれば、それで勝利は決まる。
己が槍を以て心臓を抉れば、あの吸血鬼を滅ぼせる。
今の自分が持つ全てを賭け、今こそ最後の一撃に打って出る。
狙うは心臓の一点のみ、この攻撃で悪夢を終わらせる。
相対する二人の影が重なろうとした、その瞬間。
アーカードが銃の引き金を引き、ヴラドが槍を突き出し、
「――――――――なん、だと」
菱形の尻尾が、ヴラドの心臓を穿っていた。
それによりヴラドの狙いがずれ、槍はアーカードの左肩を傷つけるだけに終わる。
身体から生える凶器に彼が驚愕する刹那、ジャッカルの弾丸が腹部と右腕を貫いた。
因縁の闘争は、あまりに理不尽な横槍によって終結した。
アーカードの眷属による不意打ち、これを理不尽と言わずに何とするのか。
ヴラドを襲った襲撃者は、この場において場違いなくらいに嗤っていた。
ベルク・カッツェ――アーカードが方舟の世界で食らった、唯一の魂。
悪辣なる暗殺者の英霊が、最後の尖兵として待ち伏せていたのである。
「見事だ"私"よ。この上なく心躍る闘争だった」
最早アーカードの勝利は確定したも同然、それにも関わらず。
当の本人の顔は、何故だか酷く寂し気なものとなっていた。
まるで、この結末を認めるのを拒んでいるかのように。
「だがもう終いだ。貴様の夢は芥に還る、世界に残るは"私"の名だけだ」
うつ伏せで倒れるヴラドの髪を掴み上げ、無理やり立ち上がらせた。
ここで初めて、アーカードは己が分身の瞳を凝視する。
吸血鬼を見据える彼の瞳は、未だ敵意で燃え上がっていた。
ここでヴラドが心臓を貫かれれば、闘争は終わりを告げる。
それでもなお、彼の双眸には炎が滾っていた。
「………え……………け、だ」
その時、ヴラドの掠れ切った声を、アーカードの聴覚が捉える。
決して幻聴などではない。彼は今、自分の意思で声を紡いでいる。
今何と言ったのだと、アーカードが問おうとするよりも早く、
「お前の敗けだ、アーカード」
今度ははっきりとした声で、ヴラドが宣言した。
吸血鬼アーカードの敗北、引いてはヴラド三世の勝利を。
「……敗ける?誰が敗ける?私が敗けるとでも言うのか?」
戯言だと言わんばかりに、アーカードはヴラドの宣言を一蹴する。
指一本さえ動かぬ程に疲弊した挙句、霊格をも撃ち抜かれた今、果たして何が出来るというのか。
「誰に敗ける?お前にか?私が"私"に滅ぼされると?」
嘲笑う為に出てきた言葉に、妙なデジャヴを覚える。
以前にも何度か、これと同じ様な台詞を吐いた覚えがあった。
あれはいつの頃だったか、どんな状況でこんな事を言ったのか。
「私は決して敗けん。断じて敗けるものか。私は――――」
刹那、アーカードの鼻腔を、妙な臭いが擽った。
遠い過去で嗅いだ覚えのある、懐かしい大地の匂い。
この臭いはなんだと知覚する前に、突如横から差し込む光に目が眩んだ。
こんな真夜中に、どうして光が現れるのだ。
訝し気に横を向いてみれば、そこには死者の群れなど存在せず。
アーカードの視界には、夕日が沈む荒野だけが映っていた。
なんだ、何を見ている。なんだこの場景は、この光景の有様は。
幻覚などでは決してない。ならばこれは何だ、何故こんなものを見ている。
刹那、アーカードの内側で、何かが猛烈な勢いで膨れ上がった。
鋭利で硬く、なおかつぞっとする程に冷たいそれは、急速に形を成していき――。
「……言っただろう、"余"よ。化物(おまえ)の敗けだ、とな」
――そして、爆ぜる。
アーカードの心臓部に、木製の杭が"打ち込まれた"。
そうだ、そうだった。
あの時も、こんな日の光だった。
私が死んだ光景は、いつもこのこれだ。
そして、幾度も思う。
日の光とは、こんなにも美しいものだったとは。
◇◇◇
死の河が引いていく。死者の列が消えていく。
地を埋める黒色が消えていき、世界は元の形を取り戻していく。
それはつまり、この戦いの終息を意味していた。
横たわるアーカードの心臓には、一本の木製の杭が打ち立てられていた。
心臓に杭を打たれた吸血鬼は、どう足掻こうが滅びる運命にある。
死の河を発動し、命を残らず解放した今のアーカードでは、その鉄則からは逃れられない。
「私は、負けたのか」
虚空を見つめながら、アーカードが呟いた。
彼は信じられないと言いたげな、しかし何かを悟ったような表情をしている。
まるで、いずれこの日が来るのを予感していたかの様に。
「そうだ。夢の終焉が訪れたのだ、吸血鬼よ」
アーカードが声の先に目を向けると、ヴラドの姿が目に見えた。
彼は槍を杖代わりにし、かろうじて地に立っている状態だった。
今もなおその足元からは、ヴラド自身の血液が流れ落ちている。
仮にアーカードが全盛期の実力であれば、結果は変わっていただろう。
ヴラド三世は死の河を渡り切る事もなく、悲嘆の中で死に絶えていただろう。
そうはならなかったのは、死の河そのものが弱体化していたからに他ならない。
アーカードは既に、好戦的な魂を粗方狩り尽くしてしまっていたのだ。
彼の体内に残っていたのは、逃げ惑っていた臆病者共の命ばかり。
臆病とは弱者の証拠。それ故に、死の河に出現するのが弱者となるのは自明の理だ。
無論、それだけがアーカードの敗因になった訳ではない。
ヴラドが持つ『極刑王』の特性も、不死の王に敗北を齎す原因となっていた。
「極刑王」は、二万ものトルコの兵を刺し貫いた逸話が宝具に昇華されたもの。
ヴラドが領土と見なした陣地から発生する、最大二万本の杭はまさしく脅威だろう。
だがこの宝具の恐るべき点は、無数の生える杭だけではない。
この宝具は、杭そのものではなく逸話が宝具に転じたものだ。
即ち、トルコ兵を串刺しにしたという事実こそが本質である。
ヴラドの攻勢、それにより少しでも傷つけば最後、その"本質"が再現される。
心臓を杭で串刺しにされたという"結果"が、対象に襲い掛かるのだ。
そしてその力は、アーカードに対してこそ最大の効果を発揮する。
吸血鬼ドラキュラの祖の宝具が、最強の吸血鬼狩りとして牙を剥くのである。
「……そうか。終わったのだな」
息も絶え絶えなヴラドの姿を見つめながら、アーカードが言った。
視界に映る人間は、それまで目にしたどんな宝石よりも輝いているように見える。
事実、アーカードにとっては、ヴラドの人間性こそがどんな財宝よりも愛おしかった。
「そうだ、お前になら、構わない。
この心臓をくれてやっても、悔いはないさ」
そう話すアーカードの顔は、かつての吸血鬼のそれとはあまりに程遠い。
まるで、外で遊び疲れた子供が、眠りに就くような表情だった。
あまりにも弱々しい、ちっぽけな童の様にしか見えなかったのだ。
「なんだそれは。貴様は人間に……滅ぼされたかったのか?」
「おれの様な化物は、人間である事に耐え切れなかった化物は、人間に倒されねばならない。
魂を取り込み続けねば生きられん弱い化物は……最期に意思の生物に殺される、それだけだ」
意思の生物とは即ち人間であり、同時にヴラドの事であった。
なんという事だと、彼はアーカードへの評価を改める他なかった。
人道を逸した吸血鬼は、人の意思に何よりも憧れていたのである。
吸血鬼の身体が朽ちていく。鮮血の伝承が終わりを告げる。
不死の王が命を散らし、伝説に終止符を打つ時がやって来た。
「なあ、"私"よ」
「なんだ、"余"よ」
傷だらけの人間を、アーカードは愛おしそうに見つめていた。
死に行く怪物を、ヴラドは憐れむ様に見つめていた。
「人間とはやはり、いいものだな」
「……当たり前だ」
そんな当然の事を聞くなと言わんばかりに答え、小さく笑った。
それに釣られる様にして、アーカードも静かに笑みを作る。
それを最期に、吸血鬼は眠る様に世界から消滅した。
「さよならだ、"伯爵"」
人間に滅ぼされたがった吸血鬼は、ただの人間に敗れ去った。
それはきっと偶然でなく、必然の物語。
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|161a:[[狂い咲く人間の証明(前編)]]|[[投下順>本編SS目次・投下順]]|161c:[[狂い咲く人間の証明(後編)]]|
|161a:[[狂い咲く人間の証明(前編)]]|[[時系列順>本編SS目次・時系列順]]|161c:[[狂い咲く人間の証明(後編)]]|
|BACK|登場キャラ:[[追跡表]]|NEXT|
|161a:[[狂い咲く人間の証明(前編)]]|[[宮内れんげ]]|161c:[[狂い咲く人間の証明(後編)]]|
|~|[[アレクサンド・アンデルセン]]&ランサー([[ヴラド三世]])|~|
|~|[[ジョンス・リー]]&アーチャー([[アーカード]])|~|
*狂い咲く人間の証明(中編) ◆WRYYYsmO4Y
◇◇◇
瞬く間に、廃教会の床が黒色に染まっていった。
アーカードを中心に、真っ黒な液体が流れ出たのだ。
夥しい勢いで、液体は周囲の地面を黒に染め上げていく。
それはまるで、決壊したダムの流れの様であった。
液体の中から出でるのは、無数の亡者達である。
瞳から黒色の涙を流した彼等が、戦場に現れたのだ。
その数は加速的に増えていき、ものの数十秒で廃教会を埋め尽くす。
国籍も、装備も、性別も、年齢も異なる彼等は、全て喰われた命。
アーカードが喰らい、己のものとした命が、ここに解放されたのだ。
その中には、黒馬に乗り旗を掲げる鎧の騎士がいた。
その中には、戦鍋旗を手に持った中年の軍人がいた。
その中には、三角帽を被った異端狩りの戦士がいた。
その中には、現代の服を身に纏った若い青年がいた。
「マルタ騎士団……イェニ=チェリ軍団……ワラキア公国軍……ッ!?」
その有様に、ヴラドはひたすら驚愕するばかりであった。
これまでアーカードが喰った数万もの命に、ただ愕然として。
そしてその愕然は、程なくして怒りに変貌し、
「貴様は……!貴様という奴は……どこまで……ッ!」
話には聞いていたが、よもやここまで醜悪だとは思わなかった。
この化物だけは、絶対に此処から生きて帰してはならない。
己の杭を以てして、何としてでも滅ぼさなければならない。
これまでに無い程の激情が、今のヴラドを突き動かしていた。
「悪魔(ドラキュラ)ッ!やはり貴様は滅ばねばならんッ!」
怒りに身を任せ、ヴラドは己が宝具を再び解放しようとする。
しかし、どういう訳か、杭は何処からも出現しないではないか。
自らの領土でその力を示す『極刑王』が、まるで発動しないのだ。
「まさか、我が領土を"塗り潰した"というのか……ッ!?」
「そうだ私よ、此処はもうお前の領土ではない。私の物だ、怪物(ノスフェラトゥ)の領土だ」
ある男が言っていた。アーカードの本質は「運動する領土」である、と。
なるほど確かに、彼は数万もの兵を収容する一種の要塞と言えるだろう。
その要塞を体外に放出する「死の河」は、即ち領土の解放に他ならない。
そう、今この瞬間から、廃教会はヴラドの陣地などではなく。
アーカードが造り上げた、「死の河」という領土に変貌を遂げたのだ。
自らの領土でなければ、ヴラドの「極刑王」は効果を発揮できない。
つまり今のヴラドは、杭を出現させる範囲が極端に狭まっている。
これが意味するものは一つ。アーカードの圧倒的優勢にして、ヴラドの圧倒的不利だ。
あれだけ生えていた杭は一つ残らず消え、代わりに漆黒が埋め尽くす。
アーカードを中心に広がる濁流は、人の営みの一片さえ喰らってしまった。
戦場は既に、死霊が彷徨い歩く地獄の形相を呈していた。
「さあ膳立ては済んだぞ。存分に奮い立て、人間ッ!」
その号令で、亡者の群れが一斉にブラドに襲い掛かってきた。
圧倒的な物量の前に為す術もなく、ヴラドは人の波に飲み込まれていく。
ものの数秒もしない内に、アーカードの視界からウラドが消失した。
あまりにも呆気なく、目の前から宿敵が消えた。
その光景を目の当たりにしたアーカードの表情は、何故だか暗い。
「……どうした、この程度か」
死の河は未だ増大し、亡者の数も増幅していく。
廃教会は当の昔に倒壊し、天井には漆黒の空が映し出される。
だが当のアーカードは、表情いっぱいに失望を塗りたくっていた。
圧倒的物量による勝利を喜ぶべきにも関わらず、だ。
「応えろ!この程度でお前は斃れるのか!?私が求めた夢は、こんな程度で砕けるのものなのかッ!?」
アーカードにとって、ヴラドとは宿敵にして自身の夢。
かつて自分がなれなかった、人間であり続けた自分自身。
それが瞬く間に潰えてしまっては、拍子抜けもいいところだ。
故にアーカードは叫ぶ。この程度で終わっていい訳がない、と。
「――この程度か、だと?」
亡者の列の中から、人間の声が飛んできた。
目を凝らして見れば、死霊の群れの中に命の鼓動があった。
それが誰の物であるかなど、最早言うまでもない。
人間は――ヴラドはまだ、朽ち果ててなどいなかった。
「分かっていた筈だ、"余"よ。余(ヒト)がこの程度で滅びぬ事は、他ならぬ"余"が理解している筈だ」
ヴラド三世はそう言うと、本来の姿を象っているアーカードを見据える。
彼の視界には、髭をたっぷりと蓄えた鎧騎士の姿があった。
身に秘めた命を全解放したアーカードは、本来の姿に戻らざるを得ないのだ。
今此処に顕在しているのは、"化物として死んだヴラド三世"の肉体。
それは全ての吸血鬼の始まりにして、真祖の吸血鬼の終わりたる姿であった。
「この身こそが我が領土ッ!余が防衛する最後の領域ッ!余が滅びぬ限り、"人間"は死なんッ!」
化物を睨み、槍を向け、人間が吼える。
拵えた領土が消えた今、ヴラド三世の人間性を証明するのは、当のヴラド独りとなった。
もし自分が消えれば最後、この場に残るのは吸血鬼の伝承だけとなるだろう。
冗談ではない――怨敵に何もかもを奪われるなど、死よりも悍ましき事態ではないか。
「さあどうした!?使い魔達を出せ、身体を変化させろ、銃で我が身を撃ち抜いてみせろッ!
来るがいい悪魔(ドラクル)、夜は――貴様(ヴァンパイア)の時間は、始まったばかりだろうにッ!」
それを口火に、ヴラドは亡者の群れを突き進み始めた。
得物とする槍で、目の前の敵を容赦なく引き裂いていく。
不死の王を護る死者の壁を、彼は正面突破する気でいるのだ。
対するアーカードは、猛るヴラドとは対照的な笑みを浮かべていた。
それは獰猛さを感じさせない、酷く安堵した様な表情であった。
「……そうだ、それでいい」
それでこそ、お前達(ヒト)のあるべき姿だ。
ぽつりとそう呟いた後、アーカードの口が三日月に歪む。
そこにあったのは、これまで幾度も作った獣の笑みであった。
◇◇◇
「オオオオオオオオオオオオオオオッ!」
前へ、前へ、前へ前へ前へ前へ前へ前へ前へ!
ヴラドはただ愚直に、アーカードに向かった前進していく。
襲いかかる死者の軍勢を、杭で薙ぎ払いながら。
憎き宿敵の元へ向かって、我武者羅に猛進していく。
湧き出る屍鬼の物ともせずに進むヴラドを眺め、満足気に笑うのはアーカードだ。
彼は迫りくる宿敵の姿に、自らを打倒した人間の面影を見た。
ミナ・ハーカーを救出しにやって来た、ヘルシング教授とその仲間達。
死の河を乗り越えた彼等は、ヴラドと同じただの人間だった。
ヴラドの勇猛を見ると、思い出さずにはいられない。
彼等の雄姿を、彼等の闘志を、彼等の執念を。
人間という種が持つ、その秘められし意思の力を。
「ああ、まるで夢だ。夢の様じゃないか」
そう、まるでそれは、質の悪い甘い夢の様であった。
人間であり続けた自分が、こうして自分を殺しに来たのだ。
我こそがヴラド三世だと、吸血鬼のお前など決して認めるものかと。
これが耽美な夢でなければ、一体なんだというのだ。
「さあ来い!来いよ"私"ッ!見事私の心の臓腑に、その杭を突き立ててみせろッ!」
その言葉を耳にしたヴラドは、その手に握る槍に更に強く握りしめる。
夥しい殺意を胸に秘め、亡者の巣を走り抜けていく。
「言われずとも滅ぼしてやろうッ!我が生涯より産まれし、血塗られた忌子めがッ!」
もう一人のアーカードであるヴラドにとっても、この戦いは耽美な夢であった。
何しろ、憎みに憎んだ吸血鬼の伝承が、形を成して殺しにかかっているのである。
今こそ長年の恩讐を晴らす時、そして同時に、己の人間性を証明する時だ。
一歩歩む度に傷を作りながらも、それでもヴラドは止まらない。
ここで歩くのを止めれば、そこで全てが台無しになるのだから。
ほんの僅かでも諦観を見せれば、化物はその隙を容赦なく突いてくる。
そうすれば終わりだ。瞬く間に死者の雪崩に巻き込まれるだろう。
だから、ヴラドは振り返る事なく走り続ける。
今の彼には、領土も護るべき民の姿もありはしない。
救国の英雄だという自負、そして宿敵への憎悪、そして人間としての誇り。
その三つの感情だけが、彼を狂犬の如く衝き動かすのだ。
少しずつではあるが、ヴラドとアーカードの距離は近づいている。
このまま、両者は再び対面する事になろうと考えられた、その時。
「グッ……!」
ヴラドの左腕が、前方より飛来した物体に抉り取られた。
かと思えば、次は左脇腹が背後から撃ち抜かれたではないか。
ヴラドの肉体を抉った小さな物体は、彼の目の前で静止する。
それがマスケット銃の弾丸であろ事は、誰の目から見ても明らかであった。
素早く槍を振るい、再びこちらに飛来した弾丸を撃ち落とす。
「ヴェアボルフが一騎、魔弾の射手"リップヴァーン・ウィンクル"。見事超えてみせろ」
アーカードが取り込んだ命の一つ、リップヴァーン・ウィンクル。
かつて彼と敵対した彼女は、弾丸の軌道を自在に操る事が出来る。
吸血鬼の命の一つとなった今でも、その能力は健在であった。
狙撃兵の存在を理解したヴラドは、そこから大きく飛び上がった。
サーヴァントの脚力であれば、人を優に飛び越える跳躍など容易い。
空中に移動したヴラドの眼下に、マスケット銃を構えた女の姿が見えた。
騎兵――ワラキア軍であろう――に相乗りした彼女が、弾丸の射手であろう。
ヴラドは雄叫びを上げながら、懐に忍ばせたある物を投擲する。
勢いよく投げ出された横長のそれは、女の心臓部を見事貫いてみせた。
「なるほど神父め――お前も立ち塞がってくれるかッ!」
ヴラドが投げつけた物の正体、それは銃剣(バヨネッタ)だ。
アンデルセンは予め、自らの装備を彼に授けていたのである。
かつての好敵手の影を垣間見て、アーカードは勢いよく破顔した。
宿敵の笑い声を拾い上げたヴラドは、奴との距離が近い事を確信する。
されど、死者の壁は依然として彼の行く手を阻んでいる。
ならばと、ヴラドはアンデルセンのもう一つの武器の使用を決断した。
鎖に繋がれた無数の銃剣を、彼等に向けて放り投げる。
ただのそれだけでは、数万をゆうに超える亡者を突破するには物足りない。
だが見るがいい、銃剣の柄から噴き出るあの多量の煙を!
刹那、銃剣が残らず爆裂し、アーカードの眷属を消し飛ばす。
アンデルセンから受け取りし武器が一つ、これこそが爆導鎖である。
爆破によりこじ開けた道を、ヴラドは獅子の如き勢いで駆け抜ける。
最早一刻の猶予もない。アーカードを殺せるか、こちらの体力が尽きるかの勝負だ。
ぼろぼろの身体を酷使しながら、人間は独り死の世界をひた走り、そして。
「――――ようやく、辿り着いたか」
そうして駆け続けた先に、あの男は待ち構えていた。
不死の王は悠然とした態度を保ったまま、ヴラドの目前に立っていた。
「見事だ、よくぞ私の元にまで辿り着いた」
犬歯をむき出しにして、獰猛にアーカードは笑ってみせる。
対峙している男の必死さを、さながら児戯であると言わんばかりに。
「さあ"私"よ、傷はいくつできた?骨は何本折れた?血は何リットル流れた?
私に勝つ未来は見えたか?確率はいくらだ?万に一つか、億に一つか、それとも兆に一つか?」
ヴラドの状態は、それはもう直視し難い有様となっていた。
生傷の無い部分は見当たらず、染み一つ無かった貴族服は既に血まみれだ。
左腕に至っては、僅かな衝撃で千切れ飛んでしまう程に損傷が激しくなっている。
最早その姿からは、ルーマニアの王としての気品など、微塵も感じられなくなっていった。
されど、そこでアーカードの心中に浮かんだのは、「妙だ」という疑念だった。
あの"死の河"を単独で超えたにしては、その身形はあまりに綺麗すぎる。
数万をゆうに超える死者の濁流、それを身体一つで渡り切ってみせたのだ。
四肢の何れかが使い物にならなくなっていても、別段おかしくはないのだが。
しかし、ヴラドの身体をよく観察すれば、その疑問は氷解した。
身体中から流れる血液、そしてヴラド自身の能力を鑑みれば、その答えは自ずと導き出せる。
「……なるほど。杭で身体を固定するとは。見上げた覚悟じゃないか、"私"」
ヴラドは体内に杭を生やす事で、それを折れた骨の代わりにしているのである。
なるほどその方法であれば、例え四肢の骨が砕けようとも、前進は可能であろう。
されど、肉を内部から裂いて杭を通すなど、その痛みたるや尋常なものでない筈だ。
そして何より、そんな真似をすれば最後、肉体の致命的な損傷は避けられない。
正気の沙汰ではないこの行動、実行する狂人などいる訳がないのである。
しかし、ヴラドはその恐るべき行為を実行したのである。
吸血鬼を倒すという意思一つだけで、正気の壁を飛び越えてみせたのだ。
何という覚悟、何という性根、そして何という意思の強さか。
「改めて聞こう"私"よ。何故ここまで闘えた。何がお前をそこまで昂らせた。
私への憎悪だけではあるまい。お前の胸にはまだ"何か"あるな、それは何だ?」
「……ほざけ。そんな事、"余"たる貴様が誰より理解しているだろうに」
例えヴラドがアーカードを滅ぼした所で、世界の歴史は変わらない。
せいぜいドラキュラの逸話が消えるだけで、ヴラドの生涯は影響の一つも受けはしない。
そんな事は分かり切っている。それでもなお、彼が吸血鬼に挑むのは――。
「人としての誇り。ただの、それだけだ」
己の中で今も息衝く、ちっぽけな"人間"を護る。
そんな理由一つを抱えて、ヴラドは絶望的な戦いに身を投じたのだ。
その相手がどれだけ恐るべき怪物だろうが、決して膝を折るものかと。
アーカードが思い出すのは、廃ビルにてジョンスと交わしたやり取りだった。
あの男もまた、死の河を前にして一歩も引こうとせず、こちらに挑みかかろうとした。
彼が胸に秘めていたもの、それは能力やお守りでもなく、人としての誇り――即ち、プライド。
「く、くくく」
あの男の言葉が、脳裏に木霊する。
『安いプライド』さえあれば、人は誰とだって戦える。
『安いプライド』さえあれば、人は何とだって戦える。
「く、くく、くは、くははははははははははははッ!!!そうか!!貴様も同じか!!」
この瞬間、アーカードの歓喜は頂点を極まった。
きっと自分は、この言葉をこそ待ち侘びていたのだ。
勝てる訳もないのに、犬死にと分かっていても、それでもなお立ち向かう。
それこそが人間が、化物を倒し得る生命が持つ、光輝かつ最高の力。
「そうだッ!それでこそだ"私"ッ!ならば証明してみせろッ!
貴様が人間である証をッ!化物を倒す人間の矜持をッ!
この私の夢のはざまを、その手で終わらせてみせろッ!」
「望み通り終わらせてやろうッ!貴様が綴る、鮮血の伝承をなッ!」
その啖呵が引き金となり、いよいよ決戦が幕を開ける。
ヴラドが真正面から突っ走り、それまで以上の速度でヴラドに肉薄する。
されど、無防備を晒す彼に吸血鬼が向けるのは、ジャッカルの引き金だ。
数発発射されたそれらが、その勢いを殺さんとヴラドに迫る。
一発目は、頬を掠めるだけに終わる。
二発目は、右肩を軽く抉り取った。
三発目は、貴族服を縦に裂いた。
四発目は、右脇腹に命中した。
そして五発目が左腕を千切り、六発目が左脚を吹き飛ばした。
しかし、四肢の半分を失ってもなお、ヴラドの瞳は死にはしない。
左脚の断面から、宝具である杭が爆発的な速度で飛び出してくる。
そしてその勢いを利用し、ロケットの如く加速したではないか。
アーカードの懐に入りさえすれば、それで勝利は決まる。
己が槍を以て心臓を抉れば、あの吸血鬼を滅ぼせる。
今の自分が持つ全てを賭け、今こそ最後の一撃に打って出る。
狙うは心臓の一点のみ、この攻撃で悪夢を終わらせる。
相対する二人の影が重なろうとした、その瞬間。
アーカードが銃の引き金を引き、ヴラドが槍を突き出し、
「――――――――なん、だと」
菱形の尻尾が、ヴラドの心臓を穿っていた。
それによりヴラドの狙いがずれ、槍はアーカードの左肩を傷つけるだけに終わる。
身体から生える凶器に彼が驚愕する刹那、ジャッカルの弾丸が腹部と右腕を貫いた。
因縁の闘争は、あまりに理不尽な横槍によって終結した。
アーカードの眷属による不意打ち、これを理不尽と言わずに何とするのか。
ヴラドを襲った襲撃者は、この場において場違いなくらいに嗤っていた。
ベルク・カッツェ――アーカードが方舟の世界で食らった、唯一の魂。
悪辣なる暗殺者の英霊が、最後の尖兵として待ち伏せていたのである。
「見事だ"私"よ。この上なく心躍る闘争だった」
最早アーカードの勝利は確定したも同然、それにも関わらず。
当の本人の顔は、何故だか酷く寂し気なものとなっていた。
まるで、この結末を認めるのを拒んでいるかのように。
「だがもう終いだ。貴様の夢は芥に還る、世界に残るは"私"の名だけだ」
うつ伏せで倒れるヴラドの髪を掴み上げ、無理やり立ち上がらせた。
ここで初めて、アーカードは己が分身の瞳を凝視する。
吸血鬼を見据える彼の瞳は、未だ敵意で燃え上がっていた。
ここでヴラドが心臓を貫かれれば、闘争は終わりを告げる。
それでもなお、彼の双眸には炎が滾っていた。
「………え……………け、だ」
その時、ヴラドの掠れ切った声を、アーカードの聴覚が捉える。
決して幻聴などではない。彼は今、自分の意思で声を紡いでいる。
今何と言ったのだと、アーカードが問おうとするよりも早く、
「お前の敗けだ、アーカード」
今度ははっきりとした声で、ヴラドが宣言した。
吸血鬼アーカードの敗北、引いてはヴラド三世の勝利を。
「……敗ける?誰が敗ける?私が敗けるとでも言うのか?」
戯言だと言わんばかりに、アーカードはヴラドの宣言を一蹴する。
指一本さえ動かぬ程に疲弊した挙句、霊格をも撃ち抜かれた今、果たして何が出来るというのか。
「誰に敗ける?お前にか?私が"私"に滅ぼされると?」
嘲笑う為に出てきた言葉に、妙なデジャヴを覚える。
以前にも何度か、これと同じ様な台詞を吐いた覚えがあった。
あれはいつの頃だったか、どんな状況でこんな事を言ったのか。
「私は決して敗けん。断じて敗けるものか。私は――――」
刹那、アーカードの鼻腔を、妙な臭いが擽った。
遠い過去で嗅いだ覚えのある、懐かしい大地の匂い。
この臭いはなんだと知覚する前に、突如横から差し込む光に目が眩んだ。
こんな真夜中に、どうして光が現れるのだ。
訝し気に横を向いてみれば、そこには死者の群れなど存在せず。
アーカードの視界には、夕日が沈む荒野だけが映っていた。
なんだ、何を見ている。なんだこの場景は、この光景の有様は。
幻覚などでは決してない。ならばこれは何だ、何故こんなものを見ている。
刹那、アーカードの内側で、何かが猛烈な勢いで膨れ上がった。
鋭利で硬く、なおかつぞっとする程に冷たいそれは、急速に形を成していき――。
「……言っただろう、"余"よ。化物(おまえ)の敗けだ、とな」
――そして、爆ぜる。
アーカードの心臓部に、木製の杭が"打ち込まれた"。
◇◇◇
そうだ、そうだった。
あの時も、こんな日の光だった。
私が死んだ光景は、いつもこのこれだ。
そして、幾度も思う。
日の光とは、こんなにも美しいものだったとは。
◇◇◇
死の河が引いていく。死者の列が消えていく。
地を埋める黒色が消えていき、世界は元の形を取り戻していく。
それはつまり、この戦いの終息を意味していた。
横たわるアーカードの心臓には、一本の木製の杭が打ち立てられていた。
心臓に杭を打たれた吸血鬼は、どう足掻こうが滅びる運命にある。
死の河を発動し、命を残らず解放した今のアーカードでは、その鉄則からは逃れられない。
「私は、負けたのか」
虚空を見つめながら、アーカードが呟いた。
彼は信じられないと言いたげな、しかし何かを悟ったような表情をしている。
まるで、いずれこの日が来るのを予感していたかの様に。
「そうだ。夢の終焉が訪れたのだ、吸血鬼よ」
アーカードが声の先に目を向けると、ヴラドの姿が目に見えた。
彼は槍を杖代わりにし、かろうじて地に立っている状態だった。
今もなおその足元からは、ヴラド自身の血液が流れ落ちている。
仮にアーカードが全盛期の実力であれば、結果は変わっていただろう。
ヴラド三世は死の河を渡り切る事もなく、悲嘆の中で死に絶えていただろう。
そうはならなかったのは、死の河そのものが弱体化していたからに他ならない。
アーカードは既に、好戦的な魂を粗方狩り尽くしてしまっていたのだ。
彼の体内に残っていたのは、逃げ惑っていた臆病者共の命ばかり。
臆病とは弱者の証拠。それ故に、死の河に出現するのが弱者となるのは自明の理だ。
無論、それだけがアーカードの敗因になった訳ではない。
ヴラドが持つ『極刑王』の特性も、不死の王に敗北を齎す原因となっていた。
「極刑王」は、二万ものトルコの兵を刺し貫いた逸話が宝具に昇華されたもの。
ヴラドが領土と見なした陣地から発生する、最大二万本の杭はまさしく脅威だろう。
だがこの宝具の恐るべき点は、無数の生える杭だけではない。
この宝具は、杭そのものではなく逸話が宝具に転じたものだ。
即ち、トルコ兵を串刺しにしたという事実こそが本質である。
ヴラドの攻勢、それにより少しでも傷つけば最後、その"本質"が再現される。
心臓を杭で串刺しにされたという"結果"が、対象に襲い掛かるのだ。
そしてその力は、アーカードに対してこそ最大の効果を発揮する。
吸血鬼ドラキュラの祖の宝具が、最強の吸血鬼狩りとして牙を剥くのである。
「……そうか。終わったのだな」
息も絶え絶えなヴラドの姿を見つめながら、アーカードが言った。
視界に映る人間は、それまで目にしたどんな宝石よりも輝いているように見える。
事実、アーカードにとっては、ヴラドの人間性こそがどんな財宝よりも愛おしかった。
「そうだ、お前になら、構わない。
この心臓をくれてやっても、悔いはないさ」
そう話すアーカードの顔は、かつての吸血鬼のそれとはあまりに程遠い。
まるで、外で遊び疲れた子供が、眠りに就くような表情だった。
あまりにも弱々しい、ちっぽけな童の様にしか見えなかったのだ。
「なんだそれは。貴様は人間に……滅ぼされたかったのか?」
「おれの様な化物は、人間である事に耐え切れなかった化物は、人間に倒されねばならない。
魂を取り込み続けねば生きられん弱い化物は……最期に意思の生物に殺される、それだけだ」
意思の生物とは即ち人間であり、同時にヴラドの事であった。
なんという事だと、彼はアーカードへの評価を改める他なかった。
人道を逸した吸血鬼は、人の意思に何よりも憧れていたのである。
吸血鬼の身体が朽ちていく。鮮血の伝承が終わりを告げる。
不死の王が命を散らし、伝説に終止符を打つ時がやって来た。
「なあ、"私"よ」
「なんだ、"余"よ」
傷だらけの人間を、アーカードは愛おしそうに見つめていた。
死に行く怪物を、ヴラドは憐れむ様に見つめていた。
「人間とはやはり、いいものだな」
「……当たり前だ」
そんな当然の事を聞くなと言わんばかりに答え、小さく笑った。
それに釣られる様にして、アーカードも静かに笑みを作る。
それを最期に、吸血鬼は眠る様に世界から消滅した。
「さよならだ、"伯爵"」
人間に滅ぼされたがった吸血鬼は、ただの人間に敗れ去った。
それはきっと偶然でなく、必然の物語。
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