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*days/bugs disillusion ◆Ee.E0P6Y2U 蟲がいた。 学園は騒々しくも穏やかで、昨日と同じ日常が繰り返されている。 朝になれば眠い目をこすって登校し、退屈な授業に耐え、束の間の昼休みを乗り越え、その先にまた午後の授業。 それが終われば下校か、はたまた部活動に励む者もいるだろう。 それで学園の一日は終わり。かと思えばまたすぐに次の一日が開ける。 そうして日常は続いていく。 張り付いたルーチンワークに従って、若者は変わることのない日々をぐるぐると回っている。 学園は流れる日常<イマ>の上に立っている。 しかし、その裏――日常の裏側には、蟲がいた。 人々の目が届かない闇の中で、毒蟲は蠢いている。 一つや二つ、ではない。 唯一つの名に統率され、十万の蟲が闇の中より餌を撒いている。 隙あらば、闇へ、日常の裏側へと、その足を掴んで引き込むべく。 「……そろそろか」 学園の片隅、解放されていない屋上の一角、誰も来ない筈の影の中。 蟲が、潜むようにして、橙衣を羽織る少女を象っていた。 広がる日常を蟲――シアンは、じっ、と見下ろしている。 空が、赤い。 夜に沈みゆく陽の光は学園を真っ赤に塗り替える。 そびえたつ校舎を、塗装の剥げたサッカーゴールを、学園に沈む人を、みなぬっぺりと赤くしていく。 そして染め上げた赤の先に延びる黒い影…… ――そこに鐘の音が鳴り響いた。 響き渡る音色の中、シアンは耐えるように目を瞑った。 そしてぽつりと呟く。「厭な音だ」と。 別段不快な音色ではない。知識に依れば、この日本のほとんどの学校ではこの旋律が使われているらしい。 だから別に気に留める必要はないのだ。無視すればいい。ただの日常の一コマに過ぎない。 そう自分に言い聞かせ、鳴り響く鐘の音をじっと耐えた。 この学園の終わりを告げる鐘だ。それを合図として生徒たちは動いている。 ある意味でそれはこの日常を象徴している。あの鐘の通りに生きていれば、日常から外れることはない。 それから外れるということは、つまり。 「…………」 鐘のしびれを乗りこえたのち、シアンはゆっくりと目蓋を開く。 開かれた先にあるのは赤い空と、校門が吐き出す有象無象の生徒たち。 先程までは彼らも学園の生徒として曲がりなりにも一つの集団として機能していた。 だが今となっては彼らは何者でもない。生徒としての価値すら失った、ただの人。 それでも彼らは自分が守られていると信じている。 日常が守ってくれると、信じている。ちりぢりになってなお。 「放課後というのだったな。この時間は」 ここから先は反転する。 日常と非日常が。 日常に置いてかれた者は――これより蟲に出遭う。 ◇ 「ねえねえ、このあとどこに行く? カラオケ?」 「あたし、ちょっと新都に服買いに行きたいなぁ」 「えー、一緒に行こうよぉ」 最後のホームルームを終えると、真面目くさっていたクラスメイトたちはどこへやら、すぐに教室は喧騒に包まれた。 すぐさま部活動へと駆け出す者もいれば、だらだらと今後の予定を話し合っている者もいる。その隅で日直が黙々と日誌を付けている。 放課後の過ごし方は様々だ。それぞれの日常がある。 そんな彼らを尻目に、ミカサは黙々と荷物を纏めていた。 クラスには様々な輪ができている。特に女子生徒は様々な派閥ができているようだった。 だが、ミカサはそのどれにも属していなかった。 それには勿論異邦人というのもある。 今の自分は転校して日が浅い異国の人間だ――仮初に設定に過ぎないが、ここではそれが現実だ――言葉に問題がなくとも、中々馴染めないというのもあるだろう。 だがそれ以上に―― 「ねえアッカーマンさん。あなたも一緒に行かない?」 不意に、誰かから話しかけてきた。 警戒を緩めず振り向く――と、そこにはクラスメイトの少女がいた。 彼女はミカサの剣幕に慄いたのかびくりと肩を上げたが、すぐにまた柔和な笑みを浮かべて、 「ええとさ、アッカーマンさんと中々話しできないからさ。部活とかもやってないみたいだし、一緒に行きたいなって……」 朗々と語る彼女だったが、しかし言葉尻は徐々に弱まっている。 ミカサは短く尋ねた。「行く? どこへ」 「カラオケ。一緒に行かない? ねえ、ドイツにもカラオケってあるの? どんな歌でもいいからさ、私たち聞きたいよ」 彼女は畳みかけるように誘いの言葉を投げかけてきた。 その顔にはぎこちない、しかし好意の滲んだ笑顔が浮かんでいる。 「……ごめんなさい。これから少し用がある」 ミカサは一拍置いて、抑揚のない声でそう返した。 すると女子生徒は目を泳がせ「ごめんね」と彼女が悪いでもないのに謝った。 そしてぺこりと頭を下げ、 「私こそ何か変なこと言って。えと……ごめんね、アッカーマンさん。  でもさ、何か暇な時とかあったら、行ってよ。一緒に遊ぼ」 そんなことを言って、彼女はそそくさと去って行ってしまった。 去った先には彼女の所属するグループと思しき生徒たちが「おそいよー」などと呼びかけている。 それをミカサは無言で眺めた。 眺めたのち、荷物をまとめ、マフラーを巻いて教室を出た。 『何かの罠だと思うか?』 廊下を歩きながら、ランサーが話しかけてきた。 ミカサは首を振る。あれはそんなものじゃないだろう。 「あれは、ここでの日常」 ぽつりと答えた。 日常。ぬるま湯のような学園生活。 毎日毎日通い詰めて、決められた通りのことをこなしてその狭間で一緒に笑い合う。 その日常の一環として、輪から外れた自分に手をさしのべてくれたのだ。 自分のような異邦人に、何者かも分からない者に。 先程の彼女はきっと思いもしなかったに違いない。 声をかけた相手が、すぐに取り出せるよう凶器を握りしめていたなど。 日常は盤石だと、思っている。 それは何とも無警戒で、ある意味で愚かしく、しかし―― 「私は、それが欲しい」 ――とても羨ましいものに見えた。 時には退屈で、時には悲しい、そんな日常が欲しい。 廊下で多くの生徒たちとすれ違いながら、ミカサはたった一人で学園にいた。 当たり前のように彼らは笑っている。自分と違って。 輪に馴染めないのは、きっと心の底に羨望があるからだ。 自分と彼女らが同じ立場にいると思えないから、どうしても距離ができてしまう。 それでも何とかして、付き合った方がいいかもしれない。そう思いはする。 彼女らだって何時までも輪に馴染まない者に良い顔はしないだろう。 異邦人は排斥される。そういうものだ。 とはいえ――同時に思うのだ。 恐らくこの日常も長くは続かない。 所詮は仮初のもの。何時壊れるとも分からない。 だから、この程度のことは何も問題にならないに違いない。 その事実が、何よりも…… 『また、会ったな』 ――不意に、声がかけられた。 ミカサは足を止める。同時に制服の袖に隠したナイフを握りしめる。 感覚を研ぎ澄まし辺りを窺った。中等部三年と二年の教室を繋ぐ階段はがらんとしている。 専ら教室移動などでしか使わない階段だ。こんな時間にうろついている生徒は少ない。 放課後の喧騒が遠くに聞こえる、学園の片隅に――蟲がいた。 階段の踊り場に蟲が集結している。 ブウンと不快な翅音を立てながら蟲たちは徐々に濃さを増していき、最後には女の輪郭を結んだ。 その姿は他でもない、昼間に接触したキャスターのサーヴァントである。 『何の用だ、蟲のキャスター』 ランサーの敵意の滲んだ言葉に対し、蟲のキャスターは涼しげに「同盟を結んだ相手だろう?」などとうそぶいた。 「いわば私たちは仲間な訳だ。仲間の前に姿を晒すことに理由がいるか?」 『慣れ合うつもりはない。用件があるなら手短に言え』 言うとキャスターは何が面白いかふふ、と笑った。 ミカサは彼女と相対しつつも辺りを窺った。生徒の人通りは少ないとはいえ、全くない訳ではない。 今キャスターはどういう訳か霊体化を公然と解いてしまっている。人目に付くかもしれない場所で、だ。 「気になるか? 安心しろ、別にこの場で事を構えるつもりはない。  言われた通り手短に済ませよう」 キャスターの言葉に、ミカサは眉をひそめる。 見透かされたようで不快だった。 とにかく油断のならない相手だ。同盟など、所詮は仮初のものに過ぎない。 「さて、お前たちはこれからどう動く。  思うに私が教えたマスターの下に向かうのではないか?」 試すようにキャスターは問いかけてきた。 ミカサはキャスターから目を逸らさず無言で頷く。 キャスターより与えられたマスターの情報、その真贋を確かめる為にも他のマスターと接触するつもりだった。 それを聞いたキャスターは愉快そうに目を細め、 「なるほど、迅速な行動だ。私もそれは賛成だ。  ところで、幾つか助言をしておこうと思ってな?  まず、教師のマスターは止めておけ。アレは強敵だ。下手をすれば逆に取り込まれる。  お勧めは黒髪のマスターだな。見たところ力量はお前より下だ」 「……誘導でもしているつもり?」 「とんでもない。ただただ忠告しただけだ。仲間であるところだしな」 白々しい言葉だ。 そう思いはしたが、顔には出さない。 その無表情を、キャスターはしかし特に意に介さず「次は提案だが」と口を開いた。 「もし黒髪のマスターと接触するというのならば、積極的にこちらから協力しよう。  同盟の強化、という奴だな。休戦と情報交換以上の関係を結ぼうじゃないか。勝つためにな」 「……何をする気?」 「何、ただこちらで場を取り計らおうか、ということだ。  お前たちはただ待っていればいい。学園の片隅、日常の裏側にあれを誘導して見せよう。  そこで聞くが、交渉と交戦――どちらがお好みだ?」 キャスターはそう言って舐めつけるような視線を送った。 厭な視線だ。何とうそぶこうが、信用できる相手ではない。 とはいえ――今は自分の敵ではない。 その上で蟲の提案を考える。 交渉か交戦か。 どちらを前提にした接触を選ぶか。 情報や協働を求めるならば一度は話してみるのも手だが―― 「…………」 ミカサは霊体化している己のサーヴァントを窺った。 彼女、ランサーは黙っている。意見を求めれば応えるだろうが、彼女はあくまで自分の槍に過ぎない。 振るうのは、自分だ。 ミカサ自身がこのキャスターと渡り合わなければならない。 逡巡したのは一瞬のこと、キャスターを見据え彼女は言った。 「……分かった。動きやすくなるのなら、それに越したことはない」 「では成立だ。共同作戦、という訳だな。それでどちらを選ぶ」 ミカサは一拍遅れて言った。 交戦を、と。 「駆け引きをするつもりはない。元より私は闘いに来た」 「そうか――了解だ。交戦だな。では戦いの場を用意しよう。  同盟を持ちかけたのは私だ。この同盟の有用性を示してやろう」 キャスターは不敵に笑って、その『共同作戦』算段を教えてきた。 ミカサが漏らさず理解したのを確認すると「では」と言い残し、不意にその姿が音を立てて消えていく。 キャスターを象っていた輪郭が解け出し、不快な翅音を立てて毒蟲と別れていった。 そうして残ったのは埃の目立つ階段――元の日常だった。 ミカサは完全に気配が消えるまで、警戒を解かずその場に留まっていた。 「どう思う?」 『無論、あれも奴の奸計の一つだろう。  何を考えているのかは分からないが、わざわざ実体化している辺り餌でも撒いてるつもりかもしれんな』 「……何にせよ、やることは同じ」 あのキャスターがどんな策を張り巡らしているのかは知らない。 しかしそんなことは関係ない。駆け引きで競い合うつもりはない。 故に戦いを望む。自分は兵士だ。交渉よりもそちらを選ぶべきだ。 目の前に敵が現れるというのなら、それを突破するだけだ。 ――それが自分がこの方舟にやってきた意味。 「ランサー、槍を」 『…………』 「サーヴァント同士の戦闘になる」 ヴァルキュリアの槍。道具として自分に渡されたものだ。 しかし今それを秘蔵しておくのは無駄だ。戦力を無駄にするつもりはない。 そんなことはランサーも分かっているだろう。しかし、彼女の運用法を決めるのは、自分だ。 あくまで道具として――武器として彼女を扱う。そのために必要なやりとり。 ランサーは何も言わない。しかしその沈黙だけで十分だ。 ――これから『戦争』に臨む。 その覚悟を、ミカサは固めた。 放課後の喧騒はもはや気にもならない。 「ふわぁ」 と、そこで欠伸をしながら別の生徒が歩いてきた。 知らない男子生徒だ。何の用があったのかは知らないが、彼は放課後にこの場所にやってきた。 彼は踊り場で立ち止まっているミカサを不審そうに一瞥しながらも、気だるげに去って行った。 彼は思いもよらないだろう。つい先ほどまで、この場で『戦争』が進行していたことなど。 ミカサは思う。 学園の生徒たちは日常を疑っていない。 それが盤石のものだと思っている。 しかし、一歩踏み外せば、その先に何が潜んでいるのか分からない。 この日常に『壁』はない。 それでも、日常を外れた先の闇はやはり存在しているのだ。 そうと知らずに生きていける日常をミカサは羨んだ。 その為に――彼女は日常の裏側へと足を踏み入れる。 ◇ それは、蟲だった。 中等部二年生・暁美ほむらがそれを見つけたとき、彼女は学園の廊下を歩いていた。 彼女はただ一人だ。放課後、彼女に共に歩むクラスメイトはいなかった。 方舟における偽りに学園生活。 そこで彼女は一人だった。予選においても彼女はクラスの輪に馴染めなかった。 別に苛められていた、という訳ではない。転校して日が浅い彼女は、クラスにおいてまだ『ゲスト』のような扱いにある。 排斥されている訳でも、輪から外れてしまっている訳でもない。 ただ、距離感が分からなかった。 それは勿論、方舟という特異な環境であったからでもある。 しかしそれ以上に――暁美ほむらという少女の不器用さが原因だった。 日常に溶け込むことができていない。常におどおどと周りを窺いながら学園の生活を送る。 前の時は違った。出会いがあったから。忘れることのできない大切な出会いが。 でも、ここに彼女はいない。彼女と出会うことは無い。 そんな風だから、聖杯戦争が始まるなり言われたのだ。 友達を作れ、と。 他でもないもう一人の自分に。 だから彼女は一人だったが、そのままでいるつもりはなかった。 今でも彼女は向かっていた。今日話しかけてくれた一人の生徒と会うべく、高等部の校舎を目指していたのだ。 乙哉先輩。バスで出会って、優しくしてくれた人。 彼女なら、なれる気がした。友達に、一緒に笑いあえる仲に。 二つも上、しかも中等部と高等部だ。本音を言えば怖かった。 もちろん先輩は優しい人だ。優しくて楽しくて、いい人。 でも、それでもほむらは恐れてしまう。近づくことに、人間関係を気付くことに。 でも、やるのだ。 頑張って友達になる。 それこそがいま――暁美ほむらが直面している聖杯戦争。 それはあまりにも呑気で、微笑ましくて、見る人が見れば笑うかもしれない。 しかし彼女にとっては必死の戦いだった。 決して遊びなんかじゃない。危機感がなかった訳でもない。 それが彼女にとっての精一杯だった。精一杯、彼女は日常に挑んでいた。 放課後、昨日までは真直ぐに帰っていた。しかし今日はまだ学園に残っている。 その結果――という訳でもないのだろうが、 ほむらは蟲と出遭ってしまった。 その毒蟲はブウウウウン、と不快な翅音を立てながら廊下を旋回していた。 普段見かける蚊や蠅などではない。黒ずんだ甲殻と鋭い針を持つ、見たこともない蟲だった。 それはほむらと目が合うなり――蟲であるのに――明確な敵意を持って襲いかかてきた。 「え……きゃっ!」 彼女は驚いて尻餅をつく。 結果的に避けることには成功したが、その胸中は恐怖が支配していた。 突撃してきた蟲は再び旋回し、ぐるぐるとほむらの周りを舞っている。 辺りの生徒や教師は誰もほむらに目を向けない。 何時もの通りの放課後が広がっている。彼らからしてみれば、この敵はただの蟲に過ぎないのだ。 しかしほむらは知ってしまった。この蟲がただの蟲ではないことを。 敵意に晒され、ほむらは身を竦ませる。魔法少女として戦って日が浅い彼女はまだ『戦う』という意志を持つことすらできない。 『逃げなさい……! 敵よ』 その呼びかけでほむらは、はっ、とする。 もう一人の自分――キャスター。方舟より自分に与えられたサーヴァント。 そうだ彼女の言うことを聞くのだ。今の自分は駄目で何もできなくても、未来の自分なら…… そう思った矢先、そこで再び蟲が襲いかかってきた。 「きゃっ」 しかしほむらは動けない。ブウウン、という翅音に身が竦んでしまうのだ。 反射的に目を閉じてしまう。そして蟲がほむらの身体を捉え―― 『役に立たない……!』 ――る直前、その身体は蹴り飛ばされていた。 朝方の感触が思い出す。あの時と同じく、自分は止まった時の中でもう一人の自分に蹴られたのだ。 ドン、という音がして気付けば自分はリノリウムの廊下を転がっていた。 蹴られた部位をさすりながら「早くしなさい!」ともう一人の自分に急かしたてられ、そこでようやく駆け出した。 蟲から逃げないと、その思いで彼女は逃げる。放課後の人ごみを掻き分けながら、ほむらは走った。 それでも恐怖のしびれはまだ残っている。ほむらは立ち止まりたい衝動を必死に抑えつつも、もう一人の自分の言葉を待った。 『あの蟲……きっと門に仕掛けていたサーヴァントのもの。  上手く撒いたつもりだったけど補足されていた、という訳ね』 そこにほむらを責める響きを感じ取り、彼女は胸が痛くなった。 どういうことなのかよく分からないが、とにかく自分が何かやってしまったらしい。 『厄介なのは敵が蟲であるということ……恐らくあの程度なら簡単に撃退できる。  でも真っ向から叩き潰すのは駄目。向こうは人目を気にすることはないけど、こちらはそうもいかない。  学園で爆破騒ぎを起こせば注目は必至。でも、相手は蟲だから事件にもならず日常に埋もれる……』 もう一人の自分が冷静な声が響く。 自分に語りかけてくれているのかと思ったが、違う。 考えを纏める為の独白なのか、思考が流入しているのか、どちらにせよ彼女はあくまで一人で作戦を考えていた。 と、走る最中にあってほむらは再び蟲に行き遭った。 先ほどと違う蟲だ。しかし不気味なことには変わりなかった。 それらは生徒の人ごみの上を旋回していて――ほむらを見かけるなり突撃してきた。 『逃げなさい!』という声に従ってほむらは近くの階段を駆け昇る。 すれ違った生徒たちが奇異の視線を送ってきた。 『時を止めて一気に離脱……いえ、駄目ね。  このサーヴァントの能力は蟲を自在に操るもの……それも複数を同時に。  かなり広範囲に蟲が散布されているとみていい。となると、闇雲に逃げたところで逃げ切れるかは分からない。  それにこの娘の魔力量からして長時間の停止は不可能。最悪魔力切れのところを補足されかねない』 ほむらは恐怖の中、冷静なもう一人の自分だけが頼りだった。 どうにか、どうにかしてほしい。言われた通り、頑張るから―― 『……やるしかないわ。とにかく迎撃するしましょう。  どこかで待ち伏せしてやってくる蟲を撃破していくわ。  人目のつかないところに逃げ込んで、できるだけ騒ぎを小さくしましょう』 もう一人の自分に言われるがまま、ほむらは走った。 走って走って、階段を上がり途中つんのめりそうになっても何とか踏みとどまり、 息が切れようと変な目で見られようと、とにかく走って彼女は逃げた。 そして行き着いた先が――中等部校舎の一角。 がらんとした細長い廊下。窓から赤い夕陽が差し込んでいた。 授業も終わった今、このあたりに残っている生徒はほとんどいない。 騒々しさは既に門の外へとあふれ出ている。 ここで蟲を迎え撃つのだ。そう思い、はぁ、はぁ、と乱れた息を落ち着けていた矢先、 「なるほどあの蟲のキャスターもそれなりに仕事はするようだ」 赤く伸びる廊下の向こう側、影から彼女たちはやってきた。 こつ、こつ、と靴音が鳴り響く。そうして現れたのはマフラーを首に巻いた異国の少女と―― 「どんな思惑かは知らんが、敵を戦場に上げたのは確かだ。良いだろう、乗ってやる。  この身は剣であり、槍であり――マスターの盾でしかない」 ――黒衣の軍服を纏い、銀の髪を揺らす美貌のサーヴァント。 瞳は深い真紅に彩られ、その手に握られた槍は青白い。 「戦い、殺し、壊す……それだけがこの血の価値だ」 ヴァルキュリアのランサー、セルべリア・ブレスは雄々しく槍を掲げ、そう宣言した。 ――こうして放課後、誰も居ない校舎の片隅で『聖杯戦争』が幕を上げた。 ◇ キャスター、暁美ほむらはその瞬間、自身が罠に嵌ったことを知った。 人気のない校舎に逃げ込んだ先にいたのは、この美貌のサーヴァント。 目の前のサーヴァント――クラスは疑うまでもなくランサーだろう――は明らかに自分たちを待ち構えていた。 自身が正当から外れたサーヴァントであると自覚しているキャスターにとって、目の前のランサーはまさに正統派といえた。 ステータスを見るまでもなく、纏う雰囲気、鋭い眼光、揺るぎない佇まい――そのどれもが英霊と呼ぶにふさわしい。 あの蟲がこの雄々しいランサーのものだとは思えない。 門に仕掛けられた罠といい、今回の件といい、あの蟲は非常に狡猾な輩だ。 あの陰湿な力と、目の前のランサーが結びつかない。 だから恐らくはあの蟲は別のサーヴァントの能力だ。 蟲のキャスター、とこのランサーの言葉からして、そのクラスは自身と同じキャスター。 このランサーはその蟲のキャスターと組んでいるということか。 キャスターがこちらを追い立て誘導し、その先にて三騎士の一角であるランサーが待ち構える。 そんな罠に、自分たちは嵌り込んでしまったのだ―― 「マスター、迷いはないな」 美貌のランサーが後ろにて構えるマフラーの少女へと話しかける。あれがマスター、キャスターは憎々しげに彼女を睨み付ける。 中等部の制服を纏った少女は表情を変えず、すっとこちらを見据え、そして言った。 「ない。ランサー」 「了解した」 その言葉と共にランサーが一歩踏み出してきた。 その威圧感にキャスターは息を呑む。英霊としての格は言うまでもなく向こうが上だ。 時を止めればランサーを振り切ることができるかもしれないが、その先に蟲がいる。 そうなれば最悪挟撃に会う。 だが――ここで諦める訳にはいかない。 どうにかしてこのランサーを退ける。 『後ろへ下がってなさい!』 縮こまっていた自身のマスターを叱咤した。 ひっ、と声を上げるかつての自分を軽蔑の眼差しで一瞥したのち、キャスターは霊体化を解いた。 ランサーの眉が不審げに顰められる。 現れたサーヴァントがマスターと瓜二つの外見であったことに困惑したか。 その一瞬の間隙を突いて、キャスターはその力を解放。自身の宝具、機械仕掛けの盾に格納された武器を掴みとる。 掴み取ったのは黒光りする拳銃、M92F・米軍正式採用のベレッタ。銃口をランサーへ向け躊躇いなく発砲。 弾丸が音を立て炸裂する。高初速を誇る9mmパラベラムが猛然と突き進む。 突如の発砲にランサーは目を見開いたが、抜け目なく反応、その青白い盾で弾丸を弾く。 主導権を渡すものか。一発二発三発――立ちつづけに全弾連射。吐き出された薬きょうが学園の廊下にからんからん、と墜ちていく。 こちらが中距離戦を望んでいることを知ったか、ランサーは槍を捨て代わりに虚空よりすらりと伸びた砲身を掴みとる。 幾多もの銃火器を操ったキャスターも見たことのない銃だった。外見からしてライフル銃。弾倉はドラム式であり重厚に反動装置を装着している。 分析しつつもほむらは次なる武器を手に取っていた。 鉄色に鈍く光る銃口。超威力と実用性を極限まで共存させたアームウェポン、ずっしりと重みのある拳銃を握りしめた。 デザート・イーグルの名を冠した、ぱっくりと巨大な口の空いた拳銃。 キャスターは手に取り85度右を向く。左足を約半歩前。射撃姿勢を維持した上で、ぶっ放した。 ランサーは回転する盾で弾丸を受け止めていく。着弾しても、弾かれる。同時にライフル銃を構え撃ってくる。 しかし当たるものか! 幾多のやり直しで鍛え上げた反射でキャスターは銃弾を避ける。 キャスターは「次!」と叫びを上げ、武骨な軽機関銃を取り上げた。 本来の少女の身体ならばとてもてではないが扱えないような重み。しかし今の身体なら手足のように扱ってみせよう。 トリガを引いた。瞬間、軽機関銃“Minimi”が5.56mm NATO弾をドドドドドドドドドド、と猛烈な勢いで吐き出していく。 乾いた破裂音が響き、硝煙が蔓延する。火花が散り、弾丸が廊下に乱舞する。 流れ弾が窓ガラスをぶち破っていく。甲高い破砕音が悲鳴のように耳をつんざく。 後ろでマスターが「きゃっ」と耳を塞ぐのが見えた。何て柔な! 一方敵は、ランサーは乱舞する弾丸を時には避け、時には盾で受ける。 魔法少女とはいえ流石に軽機関銃ともなると、きちんとした姿勢でなければ狙いが逸れる。 この距離ではある程度狙いが大雑把にならざるをえないのだ。故に隙ができる。 しかし迷うことない。逃げるという選択肢はない。撃て、撃つのだ、ただトリガを引き敵を撃滅する――! 「いくらでも叩きこむ……!」 “Minimi”を放り投げ、すぐさま次なる武装を。 M870ポンプアクション式ショットガン。89式小銃。ワルサーP5。ベレッタPx4。 弾丸弾丸そして弾丸。持てる銃火器を惜しげもなく投入する。 ランサーとの銃撃戦。手数ではこちらが上だ。押してやる。 生成するは再びベレッタM92。今度は一つではない、二つだ。 両手に黒光りするベレッタを握り、キャスターはランサーへと向かってたたっ、と廊下を音を立て駆け出す。 滑るように接近し銃口を向ける。ここはライフルのレンジではない。銃撃によるクロス・コンバットを狙う。 トリガを引く。ランサーが咄嗟に避ける。その動きは既に読んでいる――培った戦闘統計による無駄のない三次元的な駆動。 ランサーの死角に回り敵の弾丸を避けながら、二丁の拳銃で暴れ回る。 学園の廊下はまさしく戦場と化していた。敵と敵が向かい合い、硝煙と空薬きょうが乱舞する過酷な戦場。 キャスターは常に砲火を絶えさせず、必死に戦線を維持する。 如何な銃火器と言えど元より神秘性の薄い銃撃だ。サーヴァントに対してはさして有効な攻撃でもない。 とはいえ――足りない分は数で押せばいい。さしものランサーも絶え間ない砲撃に全くの無傷とは行かないようだった。 「なるほど一介の兵士としては中々優秀なようだ。錬度も高い」 だがランサーが退くことはない。 その銀の長髪がゆらゆらとたなびく。その機敏な動きは銃弾を前にして衰えることはない。 キャスターは弾丸の尽きたベレッタを放り投げ、代わりにその細腕にありったけの銃火器を掴みとり叫びを上げる。「何を!」 「――行くぞ」 が、弾丸の嵐を前にランサーは敢然と立ち向かってきた。 その肌に銃撃が叩きこまれようが、その進軍が止まることは無いだろう。 彼女はライフル銃を捨て、再び青白い槍を取った。一気に決める、ということか。 凛々しく、そして雄々しく彼女は戦場を駆ける。 背後には己が主人。その手には凛然と輝く槍。目の前には敵。 何を躊躇うことがある。その進軍はそんな主張をしているかのようだった。 「かかった……!」 その進軍を見たキャスターは、しかし獰猛な声を上げた。迸る敵意が胸を支配し、戦闘へと少女を駆り立てる。 硝煙の臭いこびり付いた黒髪を揺らし、再び己が盾<ウェポンラック>へと手を突っ込んだ。 そして同時に盾を揺らす。砂時計が揺れた。さあ止まれ。嵐のような戦場よ凍り付け。 ――時が止まる。 それこそがキャスターが誇る唯一にして最大の切り札。 『やり直しの願い<コネクト>』少女の願いが奇蹟となって像を結ぶのだ。 この敵を、この学園を、この世界を、全て先に進ませることを許しはしない。 しかし――それも僅かな時間のこと。莫大な奇蹟はそれだけの対価を要求する。この場合それは魔力だった。 今の保持魔力とマスターでは停止もできて数十秒。火力を維持することを考えなければもっと伸ばせるが――それはあまりにも愚策だ。 故にここぞというところで叩きこむのだ。敵が最も守りが手薄になる瞬間――それは攻撃の最中だ。 相手が攻勢に転じた瞬間に時間を停止。進軍中のランサーは槍を振り上げ今止まっている。 その隙にキャスターは一歩バックステップ。しながら右手よりMK2手榴弾<パイナップル>を、左手よりM26手榴弾<レモン>を放り投げた。 ――時が動き出し、そして爆散。 重なる爆音。破壊の果実が炸裂し、爆風が廊下を支配する。 進軍最中に突如として爆発を叩きこまれたランサーが驚愕の顔を浮かべる。 あり得ない方向からの攻撃。瞬間足が止まり、明確な隙が出来る。 その間にもキャスターは駆けていた。 少女は今や完全なる兵士だった。極限の集中を持ってして敵の隙を作り出し、たった一撃の弾丸に全てを賭ける。 時は止めていない。だというのに全てが遅くなっているように見えた。 何てことはない。この意志が、願いへの想いが、脳内を駆け巡るアドレナリンが最強の魔法だ。 手榴弾が作り出した爆風のカーテン。その中にキャスターは銃口を突き入れる。 対戦車ロケット砲“Ruchnoy Protivotankoviy Granatomet”――RPG-7が爆風を突き破りランサーを狙った。 ランサーの紅い瞳が見開かれた。キャスターは酷薄な笑みを浮かべている。そしてトリガを引いた。 装薬が点火。対戦車擲弾がランサーへと発射される。 相手の守りが最も薄いところに、こちらの最大火力をぶち込む――それこそが戦争。 「消し飛びなさい!」 ◇ 「さて、どちらに軍配が上がるか」 中等部校舎で上がる砲火を、蟲のキャスター、シアンは不敵に見据えていた。 彼女が今『最も居る』のは高等部校舎の屋上だった。その場に九万匹の蟲が陣取り、少女の姿を結んでいる。 監視用の蟲も、そろそろ用済みだろう。流石に生徒の下校を逐一監視するだけの処理能力はない。 故により人気のない。しかし学園を見渡せるここに陣取った。 「随分と派手にやっているが、意外とあのサーヴァントもやるものだ」 この安全圏より戦いを観察しているのと同時に、シアンは中等部校舎で起こっている戦いを近くで『視て』もいる。 学園に忍ばせた蟲の内、残りの一万匹は戦火に包まれた中等部校舎の中にある。 その蟲を使って黒髪のサーヴァントを誘導したのだ。 門の罠での一件で既に彼女が危機に対してどのような対応に出るのかは知っている。 迫る危機があれば、あれはある程度強引かつ無駄な動きをする。 ならばこそ、誘導するのはたやすい。逃げ道をわざと用意し、人気の居ない場所へと誘い込む。 結果、彼女はミカサが待ち構える中等部最上階へとやってきてしまった。 人気の居ない放課後の教室。僅かに残っていた生徒も蟲が昏倒させている。 故に――そこは学園の闇だ。日常と繋がっている筈の場所にぽっかりと開いた、裏側へと続く闇。 そこに誘い込めば、あとはランサーの仕事だ。 「しかし奇妙なサーヴァントだ。見たところ魔術を駆使し武器を用意するサーヴァント――クラスは恐らくキャスター。  マスターと全く同じ外見なのは魔術に依る変装の類か……それとも別の何かか……」 戦いを見守りながらシアンは分析する。中等部校舎の一角の戦場を、彼女の蟲がじっと視ているのだ。 ランサーと同盟関係にあり、今回もそちら側に肩入れしていた彼女であるが、所詮は一時的な利害の一致。 別にこの場でランサーが倒れようともシアンにとっては問題なく、どちらが勝とうと自分は安全圏から情報が手に入る。 「中々やる……が、果たしてあのランサーを破れるかな?」 だが、それはミカサも承知の上だろう。 承知の上で彼女たちはこちらの策に乗ったのだ。 正面から打ち破るため、彼女が掲げるは鋭い戦意。 あの主従はシアンが知る限り、この聖杯戦争において最も揺るぎない意志を持っている。 たとえ迷いを抱えようとも、ただ一つの確かな願いを持つ彼女らは振り払うに違いない。 その意志こそ、戦場においては最も強さを発揮することを、シアンは知っていた。 統率は軍団を強くする。故に、シアンはあのランサーたちを高く買っていた。 黒髪のサーヴァントは絶え間ない銃撃で攻めてくる。 幾ら蟲に依る人払いをしているとはいえ、これではすぐに誰かがやってくるだろう。 が、どのみち戦いがそう長引くとは思えない。恐らくはあと数分で決着が付く。 それまでは向こうの戦いを見守ろう―― 「さて、こちらの餌にも誰かが引っかかるといいが」 言いながら、シアンは後ろを振り返った。 そこには閉じられた屋上の扉があった。 餌――それは他でもない、シアン自身だ。 ◇ ――征暦1935年 当時のヨーロッパ大陸は、東ヨーロッパ帝国連合と大西洋連邦機構の間にて勃発した第二次ヨーロッパ大戦の渦中にあった。 その最中、武装中立国・ガリアへと資源を狙い帝国が侵攻したことで始まったのがガリア戦役。 戦役において、総司令官マクシミリアンの下、ヴァルキュリア人は投入されたという。 ヴァルキュリア人。 数千年前、北方より現れた侵略者ダルクス人に勝利したのち、突如姿を消したと言われる伝説的な民族。 そもそも征暦とは、ヴァルキュリア人がダルクス人を打ち倒し、ヨーロッパ大陸を平定したとされる年を紀元にした暦だ。 しかし、純粋なヴァルキュリア人は征暦2世紀末頃にほぼ姿を消してしまい、征暦1900年代では既におとぎ話の存在となっていった。 そんな存在が時を越え帝国側の戦力として投入されたことには、一つのプロバガンダとして機能していた。 かつて大陸を救った英雄の血を引く者――それが敵に回ることは、軍の士気に関わることだった。 たとえそれが偽りの歴史であったとしても、だ。 だが、実際に相対した兵士はそれ以上の恐怖を覚えたという。 かつて超人的な強さを誇り、青く輝く槍と盾でいかなる矢も弾き返したという「神の力」 現代に蘇ったその力は――歴史以上に雄弁だった。 例えば――ガリア戦役での一幕。バリアス砂漠で帝国の侵攻作戦があった。 そこでガリア義勇軍のある部隊が、投入されたヴァルキュリア人と遭遇した。 記録によれば、そのヴァルキュリア人は生身でありながら戦車部隊に相対し、放たれた戦車砲をあろうことかその槍を持ってして弾き返したという。 青い光を纏うヴァルキュリア人は力は圧倒的であり――ガリア軍に衝撃を与えたのだった。 ……そしてそのヴァルキュリア人は、名をセルべリア・ブレスと記録されている。 **「[[days/knights of holy lance]]」に続く ---- |BACK||NEXT| |113:[[角笛(届かず)]]|[[投下順>本編SS目次・投下順]]|114-b:[[days/knights of holy lance]]| |112:[[スタンド・アップ・フォー・リベンジ]]|[[時系列順>本編SS目次・時系列順]]|114-b:[[days/knights of holy lance]]| 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*days/bugs disillusion ◆Ee.E0P6Y2U 蟲がいた。 学園は騒々しくも穏やかで、昨日と同じ日常が繰り返されている。 朝になれば眠い目をこすって登校し、退屈な授業に耐え、束の間の昼休みを乗り越え、その先にまた午後の授業。 それが終われば下校か、はたまた部活動に励む者もいるだろう。 それで学園の一日は終わり。かと思えばまたすぐに次の一日が開ける。 そうして日常は続いていく。 張り付いたルーチンワークに従って、若者は変わることのない日々をぐるぐると回っている。 学園は流れる日常<イマ>の上に立っている。 しかし、その裏――日常の裏側には、蟲がいた。 人々の目が届かない闇の中で、毒蟲は蠢いている。 一つや二つ、ではない。 唯一つの名に統率され、十万の蟲が闇の中より餌を撒いている。 隙あらば、闇へ、日常の裏側へと、その足を掴んで引き込むべく。 「……そろそろか」 学園の片隅、解放されていない屋上の一角、誰も来ない筈の影の中。 蟲が、潜むようにして、橙衣を羽織る少女を象っていた。 広がる日常を蟲――シアンは、じっ、と見下ろしている。 空が、赤い。 夜に沈みゆく陽の光は学園を真っ赤に塗り替える。 そびえたつ校舎を、塗装の剥げたサッカーゴールを、学園に沈む人を、みなぬっぺりと赤くしていく。 そして染め上げた赤の先に延びる黒い影…… ――そこに鐘の音が鳴り響いた。 響き渡る音色の中、シアンは耐えるように目を瞑った。 そしてぽつりと呟く。「厭な音だ」と。 別段不快な音色ではない。知識に依れば、この日本のほとんどの学校ではこの旋律が使われているらしい。 だから別に気に留める必要はないのだ。無視すればいい。ただの日常の一コマに過ぎない。 そう自分に言い聞かせ、鳴り響く鐘の音をじっと耐えた。 この学園の終わりを告げる鐘だ。それを合図として生徒たちは動いている。 ある意味でそれはこの日常を象徴している。あの鐘の通りに生きていれば、日常から外れることはない。 それから外れるということは、つまり。 「…………」 鐘のしびれを乗りこえたのち、シアンはゆっくりと目蓋を開く。 開かれた先にあるのは赤い空と、校門が吐き出す有象無象の生徒たち。 先程までは彼らも学園の生徒として曲がりなりにも一つの集団として機能していた。 だが今となっては彼らは何者でもない。生徒としての価値すら失った、ただの人。 それでも彼らは自分が守られていると信じている。 日常が守ってくれると、信じている。ちりぢりになってなお。 「放課後というのだったな。この時間は」 ここから先は反転する。 日常と非日常が。 日常に置いてかれた者は――これより蟲に出遭う。 ◇ 「ねえねえ、このあとどこに行く? カラオケ?」 「あたし、ちょっと新都に服買いに行きたいなぁ」 「えー、一緒に行こうよぉ」 最後のホームルームを終えると、真面目くさっていたクラスメイトたちはどこへやら、すぐに教室は喧騒に包まれた。 すぐさま部活動へと駆け出す者もいれば、だらだらと今後の予定を話し合っている者もいる。その隅で日直が黙々と日誌を付けている。 放課後の過ごし方は様々だ。それぞれの日常がある。 そんな彼らを尻目に、ミカサは黙々と荷物を纏めていた。 クラスには様々な輪ができている。特に女子生徒は様々な派閥ができているようだった。 だが、ミカサはそのどれにも属していなかった。 それには勿論異邦人というのもある。 今の自分は転校して日が浅い異国の人間だ――仮初に設定に過ぎないが、ここではそれが現実だ――言葉に問題がなくとも、中々馴染めないというのもあるだろう。 だがそれ以上に―― 「ねえアッカーマンさん。あなたも一緒に行かない?」 不意に、誰かから話しかけてきた。 警戒を緩めず振り向く――と、そこにはクラスメイトの少女がいた。 彼女はミカサの剣幕に慄いたのかびくりと肩を上げたが、すぐにまた柔和な笑みを浮かべて、 「ええとさ、アッカーマンさんと中々話しできないからさ。部活とかもやってないみたいだし、一緒に行きたいなって……」 朗々と語る彼女だったが、しかし言葉尻は徐々に弱まっている。 ミカサは短く尋ねた。「行く? どこへ」 「カラオケ。一緒に行かない? ねえ、ドイツにもカラオケってあるの? どんな歌でもいいからさ、私たち聞きたいよ」 彼女は畳みかけるように誘いの言葉を投げかけてきた。 その顔にはぎこちない、しかし好意の滲んだ笑顔が浮かんでいる。 「……ごめんなさい。これから少し用がある」 ミカサは一拍置いて、抑揚のない声でそう返した。 すると女子生徒は目を泳がせ「ごめんね」と彼女が悪いでもないのに謝った。 そしてぺこりと頭を下げ、 「私こそ何か変なこと言って。えと……ごめんね、アッカーマンさん。  でもさ、何か暇な時とかあったら、行ってよ。一緒に遊ぼ」 そんなことを言って、彼女はそそくさと去って行ってしまった。 去った先には彼女の所属するグループと思しき生徒たちが「おそいよー」などと呼びかけている。 それをミカサは無言で眺めた。 眺めたのち、荷物をまとめ、マフラーを巻いて教室を出た。 『何かの罠だと思うか?』 廊下を歩きながら、ランサーが話しかけてきた。 ミカサは首を振る。あれはそんなものじゃないだろう。 「あれは、ここでの日常」 ぽつりと答えた。 日常。ぬるま湯のような学園生活。 毎日毎日通い詰めて、決められた通りのことをこなしてその狭間で一緒に笑い合う。 その日常の一環として、輪から外れた自分に手をさしのべてくれたのだ。 自分のような異邦人に、何者かも分からない者に。 先程の彼女はきっと思いもしなかったに違いない。 声をかけた相手が、すぐに取り出せるよう凶器を握りしめていたなど。 日常は盤石だと、思っている。 それは何とも無警戒で、ある意味で愚かしく、しかし―― 「私は、それが欲しい」 ――とても羨ましいものに見えた。 時には退屈で、時には悲しい、そんな日常が欲しい。 廊下で多くの生徒たちとすれ違いながら、ミカサはたった一人で学園にいた。 当たり前のように彼らは笑っている。自分と違って。 輪に馴染めないのは、きっと心の底に羨望があるからだ。 自分と彼女らが同じ立場にいると思えないから、どうしても距離ができてしまう。 それでも何とかして、付き合った方がいいかもしれない。そう思いはする。 彼女らだって何時までも輪に馴染まない者に良い顔はしないだろう。 異邦人は排斥される。そういうものだ。 とはいえ――同時に思うのだ。 恐らくこの日常も長くは続かない。 所詮は仮初のもの。何時壊れるとも分からない。 だから、この程度のことは何も問題にならないに違いない。 その事実が、何よりも…… 『また、会ったな』 ――不意に、声がかけられた。 ミカサは足を止める。同時に制服の袖に隠したナイフを握りしめる。 感覚を研ぎ澄まし辺りを窺った。中等部三年と二年の教室を繋ぐ階段はがらんとしている。 専ら教室移動などでしか使わない階段だ。こんな時間にうろついている生徒は少ない。 放課後の喧騒が遠くに聞こえる、学園の片隅に――蟲がいた。 階段の踊り場に蟲が集結している。 ブウンと不快な翅音を立てながら蟲たちは徐々に濃さを増していき、最後には女の輪郭を結んだ。 その姿は他でもない、昼間に接触したキャスターのサーヴァントである。 『何の用だ、蟲のキャスター』 ランサーの敵意の滲んだ言葉に対し、蟲のキャスターは涼しげに「同盟を結んだ相手だろう?」などとうそぶいた。 「いわば私たちは仲間な訳だ。仲間の前に姿を晒すことに理由がいるか?」 『慣れ合うつもりはない。用件があるなら手短に言え』 言うとキャスターは何が面白いかふふ、と笑った。 ミカサは彼女と相対しつつも辺りを窺った。生徒の人通りは少ないとはいえ、全くない訳ではない。 今キャスターはどういう訳か霊体化を公然と解いてしまっている。人目に付くかもしれない場所で、だ。 「気になるか? 安心しろ、別にこの場で事を構えるつもりはない。  言われた通り手短に済ませよう」 キャスターの言葉に、ミカサは眉をひそめる。 見透かされたようで不快だった。 とにかく油断のならない相手だ。同盟など、所詮は仮初のものに過ぎない。 「さて、お前たちはこれからどう動く。  思うに私が教えたマスターの下に向かうのではないか?」 試すようにキャスターは問いかけてきた。 ミカサはキャスターから目を逸らさず無言で頷く。 キャスターより与えられたマスターの情報、その真贋を確かめる為にも他のマスターと接触するつもりだった。 それを聞いたキャスターは愉快そうに目を細め、 「なるほど、迅速な行動だ。私もそれは賛成だ。  ところで、幾つか助言をしておこうと思ってな?  まず、教師のマスターは止めておけ。アレは強敵だ。下手をすれば逆に取り込まれる。  お勧めは黒髪のマスターだな。見たところ力量はお前より下だ」 「……誘導でもしているつもり?」 「とんでもない。ただただ忠告しただけだ。仲間であるところだしな」 白々しい言葉だ。 そう思いはしたが、顔には出さない。 その無表情を、キャスターはしかし特に意に介さず「次は提案だが」と口を開いた。 「もし黒髪のマスターと接触するというのならば、積極的にこちらから協力しよう。  同盟の強化、という奴だな。休戦と情報交換以上の関係を結ぼうじゃないか。勝つためにな」 「……何をする気?」 「何、ただこちらで場を取り計らおうか、ということだ。  お前たちはただ待っていればいい。学園の片隅、日常の裏側にあれを誘導して見せよう。  そこで聞くが、交渉と交戦――どちらがお好みだ?」 キャスターはそう言って舐めつけるような視線を送った。 厭な視線だ。何とうそぶこうが、信用できる相手ではない。 とはいえ――今は自分の敵ではない。 その上で蟲の提案を考える。 交渉か交戦か。 どちらを前提にした接触を選ぶか。 情報や協働を求めるならば一度は話してみるのも手だが―― 「…………」 ミカサは霊体化している己のサーヴァントを窺った。 彼女、ランサーは黙っている。意見を求めれば応えるだろうが、彼女はあくまで自分の槍に過ぎない。 振るうのは、自分だ。 ミカサ自身がこのキャスターと渡り合わなければならない。 逡巡したのは一瞬のこと、キャスターを見据え彼女は言った。 「……分かった。動きやすくなるのなら、それに越したことはない」 「では成立だ。共同作戦、という訳だな。それでどちらを選ぶ」 ミカサは一拍遅れて言った。 交戦を、と。 「駆け引きをするつもりはない。元より私は闘いに来た」 「そうか――了解だ。交戦だな。では戦いの場を用意しよう。  同盟を持ちかけたのは私だ。この同盟の有用性を示してやろう」 キャスターは不敵に笑って、その『共同作戦』算段を教えてきた。 ミカサが漏らさず理解したのを確認すると「では」と言い残し、不意にその姿が音を立てて消えていく。 キャスターを象っていた輪郭が解け出し、不快な翅音を立てて毒蟲と別れていった。 そうして残ったのは埃の目立つ階段――元の日常だった。 ミカサは完全に気配が消えるまで、警戒を解かずその場に留まっていた。 「どう思う?」 『無論、あれも奴の奸計の一つだろう。  何を考えているのかは分からないが、わざわざ実体化している辺り餌でも撒いてるつもりかもしれんな』 「……何にせよ、やることは同じ」 あのキャスターがどんな策を張り巡らしているのかは知らない。 しかしそんなことは関係ない。駆け引きで競い合うつもりはない。 故に戦いを望む。自分は兵士だ。交渉よりもそちらを選ぶべきだ。 目の前に敵が現れるというのなら、それを突破するだけだ。 ――それが自分がこの方舟にやってきた意味。 「ランサー、槍を」 『…………』 「サーヴァント同士の戦闘になる」 ヴァルキュリアの槍。道具として自分に渡されたものだ。 しかし今それを秘蔵しておくのは無駄だ。戦力を無駄にするつもりはない。 そんなことはランサーも分かっているだろう。しかし、彼女の運用法を決めるのは、自分だ。 あくまで道具として――武器として彼女を扱う。そのために必要なやりとり。 ランサーは何も言わない。しかしその沈黙だけで十分だ。 ――これから『戦争』に臨む。 その覚悟を、ミカサは固めた。 放課後の喧騒はもはや気にもならない。 「ふわぁ」 と、そこで欠伸をしながら別の生徒が歩いてきた。 知らない男子生徒だ。何の用があったのかは知らないが、彼は放課後にこの場所にやってきた。 彼は踊り場で立ち止まっているミカサを不審そうに一瞥しながらも、気だるげに去って行った。 彼は思いもよらないだろう。つい先ほどまで、この場で『戦争』が進行していたことなど。 ミカサは思う。 学園の生徒たちは日常を疑っていない。 それが盤石のものだと思っている。 しかし、一歩踏み外せば、その先に何が潜んでいるのか分からない。 この日常に『壁』はない。 それでも、日常を外れた先の闇はやはり存在しているのだ。 そうと知らずに生きていける日常をミカサは羨んだ。 その為に――彼女は日常の裏側へと足を踏み入れる。 ◇ それは、蟲だった。 中等部二年生・暁美ほむらがそれを見つけたとき、彼女は学園の廊下を歩いていた。 彼女はただ一人だ。放課後、彼女に共に歩むクラスメイトはいなかった。 方舟における偽りに学園生活。 そこで彼女は一人だった。予選においても彼女はクラスの輪に馴染めなかった。 別に苛められていた、という訳ではない。転校して日が浅い彼女は、クラスにおいてまだ『ゲスト』のような扱いにある。 排斥されている訳でも、輪から外れてしまっている訳でもない。 ただ、距離感が分からなかった。 それは勿論、方舟という特異な環境であったからでもある。 しかしそれ以上に――暁美ほむらという少女の不器用さが原因だった。 日常に溶け込むことができていない。常におどおどと周りを窺いながら学園の生活を送る。 前の時は違った。出会いがあったから。忘れることのできない大切な出会いが。 でも、ここに彼女はいない。彼女と出会うことは無い。 そんな風だから、聖杯戦争が始まるなり言われたのだ。 友達を作れ、と。 他でもないもう一人の自分に。 だから彼女は一人だったが、そのままでいるつもりはなかった。 今でも彼女は向かっていた。今日話しかけてくれた一人の生徒と会うべく、高等部の校舎を目指していたのだ。 乙哉先輩。バスで出会って、優しくしてくれた人。 彼女なら、なれる気がした。友達に、一緒に笑いあえる仲に。 二つも上、しかも中等部と高等部だ。本音を言えば怖かった。 もちろん先輩は優しい人だ。優しくて楽しくて、いい人。 でも、それでもほむらは恐れてしまう。近づくことに、人間関係を気付くことに。 でも、やるのだ。 頑張って友達になる。 それこそがいま――暁美ほむらが直面している聖杯戦争。 それはあまりにも呑気で、微笑ましくて、見る人が見れば笑うかもしれない。 しかし彼女にとっては必死の戦いだった。 決して遊びなんかじゃない。危機感がなかった訳でもない。 それが彼女にとっての精一杯だった。精一杯、彼女は日常に挑んでいた。 放課後、昨日までは真直ぐに帰っていた。しかし今日はまだ学園に残っている。 その結果――という訳でもないのだろうが、 ほむらは蟲と出遭ってしまった。 その毒蟲はブウウウウン、と不快な翅音を立てながら廊下を旋回していた。 普段見かける蚊や蠅などではない。黒ずんだ甲殻と鋭い針を持つ、見たこともない蟲だった。 それはほむらと目が合うなり――蟲であるのに――明確な敵意を持って襲いかかてきた。 「え……きゃっ!」 彼女は驚いて尻餅をつく。 結果的に避けることには成功したが、その胸中は恐怖が支配していた。 突撃してきた蟲は再び旋回し、ぐるぐるとほむらの周りを舞っている。 辺りの生徒や教師は誰もほむらに目を向けない。 何時もの通りの放課後が広がっている。彼らからしてみれば、この敵はただの蟲に過ぎないのだ。 しかしほむらは知ってしまった。この蟲がただの蟲ではないことを。 敵意に晒され、ほむらは身を竦ませる。魔法少女として戦って日が浅い彼女はまだ『戦う』という意志を持つことすらできない。 『逃げなさい……! 敵よ』 その呼びかけでほむらは、はっ、とする。 もう一人の自分――キャスター。方舟より自分に与えられたサーヴァント。 そうだ彼女の言うことを聞くのだ。今の自分は駄目で何もできなくても、未来の自分なら…… そう思った矢先、そこで再び蟲が襲いかかってきた。 「きゃっ」 しかしほむらは動けない。ブウウン、という翅音に身が竦んでしまうのだ。 反射的に目を閉じてしまう。そして蟲がほむらの身体を捉え―― 『役に立たない……!』 ――る直前、その身体は蹴り飛ばされていた。 朝方の感触が思い出す。あの時と同じく、自分は止まった時の中でもう一人の自分に蹴られたのだ。 ドン、という音がして気付けば自分はリノリウムの廊下を転がっていた。 蹴られた部位をさすりながら「早くしなさい!」ともう一人の自分に急かしたてられ、そこでようやく駆け出した。 蟲から逃げないと、その思いで彼女は逃げる。放課後の人ごみを掻き分けながら、ほむらは走った。 それでも恐怖のしびれはまだ残っている。ほむらは立ち止まりたい衝動を必死に抑えつつも、もう一人の自分の言葉を待った。 『あの蟲……きっと門に仕掛けていたサーヴァントのもの。  上手く撒いたつもりだったけど補足されていた、という訳ね』 そこにほむらを責める響きを感じ取り、彼女は胸が痛くなった。 どういうことなのかよく分からないが、とにかく自分が何かやってしまったらしい。 『厄介なのは敵が蟲であるということ……恐らくあの程度なら簡単に撃退できる。  でも真っ向から叩き潰すのは駄目。向こうは人目を気にすることはないけど、こちらはそうもいかない。  学園で爆破騒ぎを起こせば注目は必至。でも、相手は蟲だから事件にもならず日常に埋もれる……』 もう一人の自分が冷静な声が響く。 自分に語りかけてくれているのかと思ったが、違う。 考えを纏める為の独白なのか、思考が流入しているのか、どちらにせよ彼女はあくまで一人で作戦を考えていた。 と、走る最中にあってほむらは再び蟲に行き遭った。 先ほどと違う蟲だ。しかし不気味なことには変わりなかった。 それらは生徒の人ごみの上を旋回していて――ほむらを見かけるなり突撃してきた。 『逃げなさい!』という声に従ってほむらは近くの階段を駆け昇る。 すれ違った生徒たちが奇異の視線を送ってきた。 『時を止めて一気に離脱……いえ、駄目ね。  このサーヴァントの能力は蟲を自在に操るもの……それも複数を同時に。  かなり広範囲に蟲が散布されているとみていい。となると、闇雲に逃げたところで逃げ切れるかは分からない。  それにこの娘の魔力量からして長時間の停止は不可能。最悪魔力切れのところを補足されかねない』 ほむらは恐怖の中、冷静なもう一人の自分だけが頼りだった。 どうにか、どうにかしてほしい。言われた通り、頑張るから―― 『……やるしかないわ。とにかく迎撃するしましょう。  どこかで待ち伏せしてやってくる蟲を撃破していくわ。  人目のつかないところに逃げ込んで、できるだけ騒ぎを小さくしましょう』 もう一人の自分に言われるがまま、ほむらは走った。 走って走って、階段を上がり途中つんのめりそうになっても何とか踏みとどまり、 息が切れようと変な目で見られようと、とにかく走って彼女は逃げた。 そして行き着いた先が――中等部校舎の一角。 がらんとした細長い廊下。窓から赤い夕陽が差し込んでいた。 授業も終わった今、このあたりに残っている生徒はほとんどいない。 騒々しさは既に門の外へとあふれ出ている。 ここで蟲を迎え撃つのだ。そう思い、はぁ、はぁ、と乱れた息を落ち着けていた矢先、 「なるほどあの蟲のキャスターもそれなりに仕事はするようだ」 赤く伸びる廊下の向こう側、影から彼女たちはやってきた。 こつ、こつ、と靴音が鳴り響く。そうして現れたのはマフラーを首に巻いた異国の少女と―― 「どんな思惑かは知らんが、敵を戦場に上げたのは確かだ。良いだろう、乗ってやる。  この身は剣であり、槍であり――マスターの盾でしかない」 ――黒衣の軍服を纏い、銀の髪を揺らす美貌のサーヴァント。 瞳は深い真紅に彩られ、その手に握られた槍は青白い。 「戦い、殺し、壊す……それだけがこの血の価値だ」 ヴァルキュリアのランサー、セルべリア・ブレスは雄々しく槍を掲げ、そう宣言した。 ――こうして放課後、誰も居ない校舎の片隅で『聖杯戦争』が幕を上げた。 ◇ キャスター、暁美ほむらはその瞬間、自身が罠に嵌ったことを知った。 人気のない校舎に逃げ込んだ先にいたのは、この美貌のサーヴァント。 目の前のサーヴァント――クラスは疑うまでもなくランサーだろう――は明らかに自分たちを待ち構えていた。 自身が正当から外れたサーヴァントであると自覚しているキャスターにとって、目の前のランサーはまさに正統派といえた。 ステータスを見るまでもなく、纏う雰囲気、鋭い眼光、揺るぎない佇まい――そのどれもが英霊と呼ぶにふさわしい。 あの蟲がこの雄々しいランサーのものだとは思えない。 門に仕掛けられた罠といい、今回の件といい、あの蟲は非常に狡猾な輩だ。 あの陰湿な力と、目の前のランサーが結びつかない。 だから恐らくはあの蟲は別のサーヴァントの能力だ。 蟲のキャスター、とこのランサーの言葉からして、そのクラスは自身と同じキャスター。 このランサーはその蟲のキャスターと組んでいるということか。 キャスターがこちらを追い立て誘導し、その先にて三騎士の一角であるランサーが待ち構える。 そんな罠に、自分たちは嵌り込んでしまったのだ―― 「マスター、迷いはないな」 美貌のランサーが後ろにて構えるマフラーの少女へと話しかける。あれがマスター、キャスターは憎々しげに彼女を睨み付ける。 中等部の制服を纏った少女は表情を変えず、すっとこちらを見据え、そして言った。 「ない。ランサー」 「了解した」 その言葉と共にランサーが一歩踏み出してきた。 その威圧感にキャスターは息を呑む。英霊としての格は言うまでもなく向こうが上だ。 時を止めればランサーを振り切ることができるかもしれないが、その先に蟲がいる。 そうなれば最悪挟撃に会う。 だが――ここで諦める訳にはいかない。 どうにかしてこのランサーを退ける。 『後ろへ下がってなさい!』 縮こまっていた自身のマスターを叱咤した。 ひっ、と声を上げるかつての自分を軽蔑の眼差しで一瞥したのち、キャスターは霊体化を解いた。 ランサーの眉が不審げに顰められる。 現れたサーヴァントがマスターと瓜二つの外見であったことに困惑したか。 その一瞬の間隙を突いて、キャスターはその力を解放。自身の宝具、機械仕掛けの盾に格納された武器を掴みとる。 掴み取ったのは黒光りする拳銃、M92F・米軍正式採用のベレッタ。銃口をランサーへ向け躊躇いなく発砲。 弾丸が音を立て炸裂する。高初速を誇る9mmパラベラムが猛然と突き進む。 突如の発砲にランサーは目を見開いたが、抜け目なく反応、その青白い盾で弾丸を弾く。 主導権を渡すものか。一発二発三発――立ちつづけに全弾連射。吐き出された薬きょうが学園の廊下にからんからん、と墜ちていく。 こちらが中距離戦を望んでいることを知ったか、ランサーは槍を捨て代わりに虚空よりすらりと伸びた砲身を掴みとる。 幾多もの銃火器を操ったキャスターも見たことのない銃だった。外見からしてライフル銃。弾倉はドラム式であり重厚に反動装置を装着している。 分析しつつもほむらは次なる武器を手に取っていた。 鉄色に鈍く光る銃口。超威力と実用性を極限まで共存させたアームウェポン、ずっしりと重みのある拳銃を握りしめた。 デザート・イーグルの名を冠した、ぱっくりと巨大な口の空いた拳銃。 キャスターは手に取り85度右を向く。左足を約半歩前。射撃姿勢を維持した上で、ぶっ放した。 ランサーは回転する盾で弾丸を受け止めていく。着弾しても、弾かれる。同時にライフル銃を構え撃ってくる。 しかし当たるものか! 幾多のやり直しで鍛え上げた反射でキャスターは銃弾を避ける。 キャスターは「次!」と叫びを上げ、武骨な軽機関銃を取り上げた。 本来の少女の身体ならばとてもてではないが扱えないような重み。しかし今の身体なら手足のように扱ってみせよう。 トリガを引いた。瞬間、軽機関銃“Minimi”が5.56mm NATO弾をドドドドドドドドドド、と猛烈な勢いで吐き出していく。 乾いた破裂音が響き、硝煙が蔓延する。火花が散り、弾丸が廊下に乱舞する。 流れ弾が窓ガラスをぶち破っていく。甲高い破砕音が悲鳴のように耳をつんざく。 後ろでマスターが「きゃっ」と耳を塞ぐのが見えた。何て柔な! 一方敵は、ランサーは乱舞する弾丸を時には避け、時には盾で受ける。 魔法少女とはいえ流石に軽機関銃ともなると、きちんとした姿勢でなければ狙いが逸れる。 この距離ではある程度狙いが大雑把にならざるをえないのだ。故に隙ができる。 しかし迷うことない。逃げるという選択肢はない。撃て、撃つのだ、ただトリガを引き敵を撃滅する――! 「いくらでも叩きこむ……!」 “Minimi”を放り投げ、すぐさま次なる武装を。 M870ポンプアクション式ショットガン。89式小銃。ワルサーP5。ベレッタPx4。 弾丸弾丸そして弾丸。持てる銃火器を惜しげもなく投入する。 ランサーとの銃撃戦。手数ではこちらが上だ。押してやる。 生成するは再びベレッタM92。今度は一つではない、二つだ。 両手に黒光りするベレッタを握り、キャスターはランサーへと向かってたたっ、と廊下を音を立て駆け出す。 滑るように接近し銃口を向ける。ここはライフルのレンジではない。銃撃によるクロス・コンバットを狙う。 トリガを引く。ランサーが咄嗟に避ける。その動きは既に読んでいる――培った戦闘統計による無駄のない三次元的な駆動。 ランサーの死角に回り敵の弾丸を避けながら、二丁の拳銃で暴れ回る。 学園の廊下はまさしく戦場と化していた。敵と敵が向かい合い、硝煙と空薬きょうが乱舞する過酷な戦場。 キャスターは常に砲火を絶えさせず、必死に戦線を維持する。 如何な銃火器と言えど元より神秘性の薄い銃撃だ。サーヴァントに対してはさして有効な攻撃でもない。 とはいえ――足りない分は数で押せばいい。さしものランサーも絶え間ない砲撃に全くの無傷とは行かないようだった。 「なるほど一介の兵士としては中々優秀なようだ。錬度も高い」 だがランサーが退くことはない。 その銀の長髪がゆらゆらとたなびく。その機敏な動きは銃弾を前にして衰えることはない。 キャスターは弾丸の尽きたベレッタを放り投げ、代わりにその細腕にありったけの銃火器を掴みとり叫びを上げる。「何を!」 「――行くぞ」 が、弾丸の嵐を前にランサーは敢然と立ち向かってきた。 その肌に銃撃が叩きこまれようが、その進軍が止まることは無いだろう。 彼女はライフル銃を捨て、再び青白い槍を取った。一気に決める、ということか。 凛々しく、そして雄々しく彼女は戦場を駆ける。 背後には己が主人。その手には凛然と輝く槍。目の前には敵。 何を躊躇うことがある。その進軍はそんな主張をしているかのようだった。 「かかった……!」 その進軍を見たキャスターは、しかし獰猛な声を上げた。迸る敵意が胸を支配し、戦闘へと少女を駆り立てる。 硝煙の臭いこびり付いた黒髪を揺らし、再び己が盾<ウェポンラック>へと手を突っ込んだ。 そして同時に盾を揺らす。砂時計が揺れた。さあ止まれ。嵐のような戦場よ凍り付け。 ――時が止まる。 それこそがキャスターが誇る唯一にして最大の切り札。 『やり直しの願い<コネクト>』少女の願いが奇蹟となって像を結ぶのだ。 この敵を、この学園を、この世界を、全て先に進ませることを許しはしない。 しかし――それも僅かな時間のこと。莫大な奇蹟はそれだけの対価を要求する。この場合それは魔力だった。 今の保持魔力とマスターでは停止もできて数十秒。火力を維持することを考えなければもっと伸ばせるが――それはあまりにも愚策だ。 故にここぞというところで叩きこむのだ。敵が最も守りが手薄になる瞬間――それは攻撃の最中だ。 相手が攻勢に転じた瞬間に時間を停止。進軍中のランサーは槍を振り上げ今止まっている。 その隙にキャスターは一歩バックステップ。しながら右手よりMK2手榴弾<パイナップル>を、左手よりM26手榴弾<レモン>を放り投げた。 ――時が動き出し、そして爆散。 重なる爆音。破壊の果実が炸裂し、爆風が廊下を支配する。 進軍最中に突如として爆発を叩きこまれたランサーが驚愕の顔を浮かべる。 あり得ない方向からの攻撃。瞬間足が止まり、明確な隙が出来る。 その間にもキャスターは駆けていた。 少女は今や完全なる兵士だった。極限の集中を持ってして敵の隙を作り出し、たった一撃の弾丸に全てを賭ける。 時は止めていない。だというのに全てが遅くなっているように見えた。 何てことはない。この意志が、願いへの想いが、脳内を駆け巡るアドレナリンが最強の魔法だ。 手榴弾が作り出した爆風のカーテン。その中にキャスターは銃口を突き入れる。 対戦車ロケット砲“Ruchnoy Protivotankoviy Granatomet”――RPG-7が爆風を突き破りランサーを狙った。 ランサーの紅い瞳が見開かれた。キャスターは酷薄な笑みを浮かべている。そしてトリガを引いた。 装薬が点火。対戦車擲弾がランサーへと発射される。 相手の守りが最も薄いところに、こちらの最大火力をぶち込む――それこそが戦争。 「消し飛びなさい!」 ◇ 「さて、どちらに軍配が上がるか」 中等部校舎で上がる砲火を、蟲のキャスター、シアンは不敵に見据えていた。 彼女が今『最も居る』のは高等部校舎の屋上だった。その場に九万匹の蟲が陣取り、少女の姿を結んでいる。 監視用の蟲も、そろそろ用済みだろう。流石に生徒の下校を逐一監視するだけの処理能力はない。 故により人気のない。しかし学園を見渡せるここに陣取った。 「随分と派手にやっているが、意外とあのサーヴァントもやるものだ」 この安全圏より戦いを観察しているのと同時に、シアンは中等部校舎で起こっている戦いを近くで『視て』もいる。 学園に忍ばせた蟲の内、残りの一万匹は戦火に包まれた中等部校舎の中にある。 その蟲を使って黒髪のサーヴァントを誘導したのだ。 門の罠での一件で既に彼女が危機に対してどのような対応に出るのかは知っている。 迫る危機があれば、あれはある程度強引かつ無駄な動きをする。 ならばこそ、誘導するのはたやすい。逃げ道をわざと用意し、人気の居ない場所へと誘い込む。 結果、彼女はミカサが待ち構える中等部最上階へとやってきてしまった。 人気の居ない放課後の教室。僅かに残っていた生徒も蟲が昏倒させている。 故に――そこは学園の闇だ。日常と繋がっている筈の場所にぽっかりと開いた、裏側へと続く闇。 そこに誘い込めば、あとはランサーの仕事だ。 「しかし奇妙なサーヴァントだ。見たところ魔術を駆使し武器を用意するサーヴァント――クラスは恐らくキャスター。  マスターと全く同じ外見なのは魔術に依る変装の類か……それとも別の何かか……」 戦いを見守りながらシアンは分析する。中等部校舎の一角の戦場を、彼女の蟲がじっと視ているのだ。 ランサーと同盟関係にあり、今回もそちら側に肩入れしていた彼女であるが、所詮は一時的な利害の一致。 別にこの場でランサーが倒れようともシアンにとっては問題なく、どちらが勝とうと自分は安全圏から情報が手に入る。 「中々やる……が、果たしてあのランサーを破れるかな?」 だが、それはミカサも承知の上だろう。 承知の上で彼女たちはこちらの策に乗ったのだ。 正面から打ち破るため、彼女が掲げるは鋭い戦意。 あの主従はシアンが知る限り、この聖杯戦争において最も揺るぎない意志を持っている。 たとえ迷いを抱えようとも、ただ一つの確かな願いを持つ彼女らは振り払うに違いない。 その意志こそ、戦場においては最も強さを発揮することを、シアンは知っていた。 統率は軍団を強くする。故に、シアンはあのランサーたちを高く買っていた。 黒髪のサーヴァントは絶え間ない銃撃で攻めてくる。 幾ら蟲に依る人払いをしているとはいえ、これではすぐに誰かがやってくるだろう。 が、どのみち戦いがそう長引くとは思えない。恐らくはあと数分で決着が付く。 それまでは向こうの戦いを見守ろう―― 「さて、こちらの餌にも誰かが引っかかるといいが」 言いながら、シアンは後ろを振り返った。 そこには閉じられた屋上の扉があった。 餌――それは他でもない、シアン自身だ。 ◇ ――征暦1935年 当時のヨーロッパ大陸は、東ヨーロッパ帝国連合と大西洋連邦機構の間にて勃発した第二次ヨーロッパ大戦の渦中にあった。 その最中、武装中立国・ガリアへと資源を狙い帝国が侵攻したことで始まったのがガリア戦役。 戦役において、総司令官マクシミリアンの下、ヴァルキュリア人は投入されたという。 ヴァルキュリア人。 数千年前、北方より現れた侵略者ダルクス人に勝利したのち、突如姿を消したと言われる伝説的な民族。 そもそも征暦とは、ヴァルキュリア人がダルクス人を打ち倒し、ヨーロッパ大陸を平定したとされる年を紀元にした暦だ。 しかし、純粋なヴァルキュリア人は征暦2世紀末頃にほぼ姿を消してしまい、征暦1900年代では既におとぎ話の存在となっていった。 そんな存在が時を越え帝国側の戦力として投入されたことには、一つのプロバガンダとして機能していた。 かつて大陸を救った英雄の血を引く者――それが敵に回ることは、軍の士気に関わることだった。 たとえそれが偽りの歴史であったとしても、だ。 だが、実際に相対した兵士はそれ以上の恐怖を覚えたという。 かつて超人的な強さを誇り、青く輝く槍と盾でいかなる矢も弾き返したという「神の力」 現代に蘇ったその力は――歴史以上に雄弁だった。 例えば――ガリア戦役での一幕。バリアス砂漠で帝国の侵攻作戦があった。 そこでガリア義勇軍のある部隊が、投入されたヴァルキュリア人と遭遇した。 記録によれば、そのヴァルキュリア人は生身でありながら戦車部隊に相対し、放たれた戦車砲をあろうことかその槍を持ってして弾き返したという。 青い光を纏うヴァルキュリア人は力は圧倒的であり――ガリア軍に衝撃を与えたのだった。 ……そしてそのヴァルキュリア人は、名をセルべリア・ブレスと記録されている。 **「[[days/knights of holy lance]]」に続く ---- |BACK||NEXT| |113:[[角笛(確かに)]]|[[投下順>本編SS目次・投下順]]|114-b:[[days/knights of holy lance]]| |112:[[スタンド・アップ・フォー・リベンジ]]|[[時系列順>本編SS目次・時系列順]]|114-b:[[days/knights of holy lance]]| 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