啓典ぴれはむぬ

啓典ぴれはむぬとは(Kittab fo Firehamnu)とはぴすてぃる教の唯一の啓典である。




成立

もとはイズナシールユ=ぴすてぃるの提案によって編纂が計画されたしかし、ぴすてぃる教の馬鹿馬鹿しさ素晴らしさを自らの語彙で示せるものなどおらず、書こうと言われるだけであった。しかし、そこへキョウト=ぴすてぃる(ぴすてぃる京都)が立ち上がりついに今覚えているぴすてぃる教の教義を書きなぐったのが始まりである。
啓典ぴれはむぬの編纂が始まるとピスティルンターリブ、xelken.fhistirlなどが作った大量の啓典がすべてぴすてぃる京都によりすべてウェールフープにより焼却され、啓典ぴれはむぬは唯一の啓典となった。

本文


開幕章

Am mo aam je fistirnar. Am mo aam je fistirnar.
ぴすてぃるは正義也。ぴすてぃるは偉大也。
神聖なるぴすてぃるの支配者、ぴすてぃる京都よ。
我らを許したまえ。
我らに導きのぴすてぃるを。

ぴすてぃりすと

ぴすてぃるは違法ではなゐ。ぴすてぃるは太古より伝わる伝統。それ侵そうとした者はキョウトのぴすてぃりすと(キョウト=ぴすてぃる)のお裁きを受けよう。それだけではなくそのほかのぴすてぃりすと方々のお裁きをも受けるであろう。
ぴすてぃるを取り締まってはならない。生えたるものが生えぬものをぴすてぃるという欲はどの生えたるものにも生じる者である。
ぴすてぃるは正義也。御創りになったこの世界はぴすてぃるによってすべてが満たされる。それによって世界が救われる。世界が救われれば汝らにも救いが届くであろう。ぴすてぃるは自らの欲の為にする、というのも大事であるが、それらすべて子子孫孫、子の代孫の代の為になるということを心に誓って行うべき。

ぴすてぃると言う神聖なる言葉について

ぴすてぃるは神聖な言葉である。これはキョウト=ぴすてぃる様の表された神聖なる単語で或る。それを他の言語によつて表されることは出来ない。ぴすてぃるは世界であり、世界はぴすてぃるで或る。キョウト=ぴすてぃる様の啓示を聞いた人民は分かるだろうがぴすてぃるは表記、発音はただのその神聖なる意味の身代わりで或る。これによってこの本意を知ることが出来る人間はこのぴすてぃるとゐう単語は訳すことが出来なゐと理解できるだろう。そして、これが我等が一番神に近づいているという証明である。それはキョウト=ぴすてぃる様に近づいているという事であるからである。

108回のぴすてぃる

ぴすてぃるは一つの年に108行われるべきである。もしもそれ以上、それ以下になろうならばキョウト=ぴすてぃるによって祟られるであろう。
世界には108のぺくた・ぴすてぃりすとが存在する。彼らは誰よりもぴすてぃるを愛し、腕を一振りすれば汝らをすぐさま消去できるであろう。彼らの長い生涯の中で得たぴすてぃるの力は計り知れない。

生死について

生まれることと死ぬことを恐れてはならなゐ。汝は私の手の中に居る。汝が望むぴすてぃるが自分の運命へのぴすてぃるなのであれば、死も死ではなく、生も生ではなくなる。これは私の力が証明している。我が力は万人をよみがえらせ万人を死後の平安に送ることが出来る。私の前の人の定めによつて汝らはこの世に生きなければならないが最後に死ぬということは汝の信心によつてぴすてぃるすることができるのだ。

不特定多数の人へのぴすてぃるは駄目う


ぴすてぃる京都の布教精神

Am mo aam je fistirnarでなぜaamが単数なのか、京都はひとりひとりの教徒に対してピスティルの精神を伝えたのだ。

ぴすてぃるの修行

ぴすてぃる教の修行には次の三つがある。

  • ピ捨る……自分の中に潜むぴすてぃるへの懐疑の心を無くす事。
  • 吊体……高いところから自分の体を吊り下げぴすてぃるの心を強める事。
  • 出堕……経典を唱えながら飛び跳ねる事。

ピスティル京都は二段ベットから吊体の修行を行いこう言った。
「ぴれはむぬは人に見せる者ではない。」
この聖なる言葉を忘れてはならない。

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最終更新:2015年03月09日 17:41