Fate/Another Servant HeavensFeel 2 第29話

──────Fighters Side──────


 深山の港町から東北東方角の郊外へ向かうこと約3km。
 そこは偶然にもアインツベルンの館がある場所にほど近い地点だった。
 周辺に人の気配は皆無。平原となっている此処は森林の一部をスプーンで大きくくり抜いたかのように遮蔽物が殆どない。
 上空から見下ろせばきっとタイヤかドーナッツのようになっていることだろう。
 しかしいざという時には平野を囲んでいる森に逃げ込む事も可能なこの場所を間桐燕二は決戦場に指定した。


 ファイターとアーチャーの戦いは既に始まっている。
 天を覆うかのように聳える巨大な螺旋古城の足下では赤茶色の一陣の風が吹き荒れていた───。

 この戦場まで誘導して来た間桐は、遠坂とファイターの到着を待つことなく早々に城砦を展開させた。
 ファイターらには阻止する機会すら与えられずに出現した巨大なる幻想。
 アーチャーの魔城はファイターに対して圧倒的な猛威を揮っていた。
 その様は巨人と小人が戦うかのよう。スケールの規模がまるで違う二人の戦闘は見るからに闘士が圧されているのが窺えた。
 毛皮の外套を流星の尾のようになびかせて戦場を縦横無尽に疾駆する二足歩行の巨獣。
 英雄はワイルドさとダイナミックさを併せ持った素早い動きで巧みに砦頂上より降り注ぐ巨矢の豪雨を躱していた。
 響く轟音。轟音。止まぬ轟音。絶えず鳴り続けるこの爆音はアーチャーの弩とファイターの剣撃が奏でるメロディー。
 ドガガガガガガ!と精霊の霊力を得た弩がバルカン砲塔のように無尽蔵の矢を吐き出し続けている。
 それをファイターが時に躱し時に斬り払う。絶え間なく位置を変えて弩の照準をズラすことで身を守る。
 その場に留まり続ける事がこの戦場においては一番危険な行為なのだ。

 巨矢から身を隠せる遮蔽物になりそうな物はもう何もない。
 平野に生えていた数少ない木々は闘士が矢避けの壁に利用していたが、全部弩の餌食になってとっくに倒壊してしまっていた。
 改めてアーチャーの大弩が強力な兵装であることを再認識させられる。
 一射の精密性にこそ欠けるが、その分矢一本の破壊力は大きい。
 しかも欠点である命中精度の低さは矢数の多さで見事カバーされていた。
 おまけにあの弩の矢はいくらでも撃てるようで、それこそ下手な鉄砲数撃ちゃ当たるの格言を実践して見せていた。

「……しまっ───!!?」
 五十の矢群を迎撃した結果、切り払い仕損じた矢がファイターの喉笛に飛び込んできた。
 まず躱せぬタイミング。だがそれは常人ならばの話……!
 咄嗟に闘王の頭脳に閃いた突破法。膨大に蓄積された戦闘経験と鍛錬の結晶が雷の速度で一つの解答を導き出す。
 ファイターが左手で獣皮の外套を掴む。そしてそのまま全身を覆い隠すように外套を翻した。
 丈夫な外套に矢の尖端が絡め取られる。矢は推進方向を強引に捻じ曲げられてカランと地に堕ちた。
 その落下音を聞き届けたと同時にファイターが地を蹴った。己の頭上高くまで聳え立つ壮大な城砦の懐まで一気に走る。
 そして、砦を難攻不落の存在たらしめている螺旋の城壁へと辿り着くと、赤い魔剣を両手で握り締め一閃した。
 闘士は壁面に一刀入れると続けて連繋のバックステップで間合いを広げる。
 彼の右手は赤い魔剣から銀色の古剣に武装変更されている。

「牙脚、ウルフファング───!!」

 刀身が唸るように高速回転する剣を城壁目掛けて投擲し、自身も間髪入れずに気合全開で飛び蹴りを放った。
 城壁に浅く突き立った名剣の柄頭に蹴りが綺麗に入る。喩えるなら金槌で釘を打ち付けるかのようだ。
 闘士の蹴りが生み出すtクラスの剛力に後押しされた刃は標的の体内に深くめり込む──

「──ぬぅ、やはりこれでも駄目か?!
 ここまで頑丈となると通常攻撃では穴すら空かないと思った方がよさそうか………!」

 ───筈の現実を否定されファイターから苦々しい呻き声が漏れる。
 二度に渡るファイターの強打に曝されながら僅かも揺らぎさえしない螺旋の防壁。
 闘王の顔が焦りの表情に変わる。地に空しく墜ちた古刀を素早く拾い上げると一目散にその場から離脱するファイター。

「フハハハハ! どうしたファイターもう攻撃は終わりかい! じゃったら次はワシの弓の味を堪能して貰おうかッ!」
 直後、上空から容赦ない反撃が開始された。
 砦の足下でチョロチョロしている小さき者を排除せんと矢の雨が掃射される。
 闘士はその巨大な図体からはとても想像もつかない獣みたいな敏捷性と身軽さで防壁周辺から逃げ去った。

「さて、どうする……?
 赤原猟犬でもまるで歯が立たない防御力となると─────いやいかん、これは独断専行だな。
 マスターの指示も仰がずに勝手をするのはサーヴァントとしてうまくない。
 それにしても間桐が城内へ招き入れた遠坂殿の安否が気がかりだ。令呪が発動しないから無事だろうとは思うのだが……」

 キッと睨めつけた古の神城はどこまでも巨大で強壮だった。



           ◇                      ◇



 ───同時刻。
 大理石で築かれただだっ広い一室に彼らはいた。
 城外で英霊たちの武の覇権が競い合われているのなら、城内では魔術師たちの業の競い合いが今もこうして行なわれている。

 遠坂刻士と間桐燕二の決闘は彼らの傀儡が激突を始めるよりも一足早く火蓋を切っていた。
 これは燕二が望んだ決闘。
 ずっとライバル視してきた気に食わない遠坂刻士《ヤロウ》を直接その手でぶち殺すために用意した舞台。

 ………しかし、その晴れ舞台は彼の予定とは大きく違う脚本《てんかい》が用意されていた。

「───ぼぉあッ!!?」
 爆発の衝撃をまともに浴びて地面に転がる燕二。
 彼の全身には至る箇所に火傷が見て取れる。その痛々しい様子からも相当の苦戦を強いられているのがよくわかる。
「ずぐぁ、おふ……! と、遠坂ぁ……図に乗るなよ貴、様ッ!! 肢刃虫と腐蝕蟲よ、奴を取り囲め!」
 刃物よりも鋭い切れ味を誇る蟲と強靭な生物すら腐らせる蟲が術者の敵を喰え!という命令を忠実に実行する。
 だが四方八方を魔蟲の大群に包囲され一斉攻撃の危機に晒されようとも、刻士は涼しい顔のまま指に填めた礼装の力を発動させた。

「Anfang───最終曲、滅びのブレイクダンス───」

 十種類もの火の舞踏を封入した赤き魔術師の指輪が奏でる最終演目。
 術者を中心に前後左右上下斜めへと無数の火球が高速で踊り狂う。何者も近寄らせない攻性防御魔術。
 摂氏千度超の爆炎の顎に容易く齧られていくマキリのファミリア。その小さな体を以てしても刻士の炎を突破できない。

「どうせそんな結果だろうと思ってたぜ遠坂ーッ! バカが本命はこっちだ!
 ───我らは溶解し貪り消化する───ッ!!!」

 燕二が一番得意とする攻撃魔術、強毒性の溶解液の水球が掌に出現した。
 魔蟲はあくまで敵の注意を引き付ける囮。彼にとっての本命は奴の火炎幕を突破できるこちらだ。
 仮に礼装の業火で溶解液を蒸発させようとも蒸発した水分は猛毒の霧となって遠坂を包み殺すだろう。

「───法則は別の法式に塗り替えられん、アンチキャスト」
 しかし燕二の掌で毒の水弾を発射する方程式が構築されるより疾く、
 刻士が創り上げた別の方程式が燕二の魔術式を滅茶苦茶に乱した。
「術式解体だと……?!
 馬鹿な、なんであんな奴にそんな魔術が───ハッ、うごがあっ!!? おぐがあアァアアー!??!」
 燕二の肉体を炎が焼く。瓦解してゆく魔術式に気を取られている隙に遠坂の指輪から放たれた炎弾が燕二を捉えたのだ。
 身を焼かれる恐怖に苦痛の悲鳴を上げながらバタバタと床をのた打ち回る。
 間桐はなんとか全身の炎を消火すると、おぼつかない足取りでふらふらと立ち上がった。
 そして頼りない挙動で治癒魔術を掛けて己の傷を癒す。
「と、お…坂ァッ!! あ、は……ぐぅが!
 き………き、気に入らねえ、その見下した眼。俺を見下ろしてんじゃねえぞ遠坂!!」
「妙だな………。何度も致命傷に達する威力の炎を受けていながらまだそんなにも動けるとは。
 その異常なまでのタフさ……以前の君では考えられぬ奇跡だ。さては間桐、もしや臓硯翁から何らかの秘法を与えられたな?」
「お前に親切に教えてやる義理はない。だが、一つだけ言っておいてやるよ。
 マキリの一門は臓硯だけが全てじゃないんだ。マキリの秘術を会得するに相応しい者はここにもいるんだからなぁ!」

「そうか、まあいい。仮に君が不死だとしてもまだ十分に対処できる性能差だ、特に問題はないさ。
 ところで倒す前に一つ君に訊いておく事があったのだった。聖杯の器は現在君達が持っているな───?」

 遠坂の問いかけに、さあね。と卑屈な笑みを浮かべる燕二。
 刻士も初めから目星はついていたと言いたげな笑みを浮かべる。
 遠坂の言う聖杯の器は、現在このコローア城の宝物庫に収められていた。
 神城が破壊されでもしない限りまず奪われることのない、この冬木で最も安全な隠し場所に彼らの宝は安置されている。

「お前が聖杯の器の行方を気にする必要はないね………なぜなら貴様はここで俺が殺すんだからなぁ!!」
 普段はサラシみたく防具代わりにして腹部に巻き着け持ち運んでいる礼装『吸力鎧蟲』の使用についに踏み切った間桐。
 燕二の殺意の魔力に反応して和服の中から大蛇のような長い胴体の蟲が這い出て来る。
 硬い外殻に包まれた鎧虫は主人の敵に威嚇音と無機質な殺気を浴びせかける。
 相手の本気度を読み取った遠坂も魔術刻印を励起させたまま、指に填めた魔術礼装『灼光炎舞』を構える。

「そう言えば……我々の付き合いはそれなりに長いが、こうして互いの礼装を見せ合った状態で矛を交えるのは初めてだったな。
 間桐燕二、君の魔術の力量じっくりと確かめさせて貰おうか?」
「くく、その余裕面をしていられるのも今の内だ。このインセクトヴァンパイアは他の使い魔とは一味も二味も違うぞ遠坂。
 お前のその栄養価の高そうな血肉。勝利の祝杯代わりにたんまりと頂いてやるよ!!」

 主人の号令と同時に地を走る巨大ムカデ。その外見からは予想もつかない程の俊敏さで遠坂に襲いかかった。
 鎧蟲の毒牙に応戦する刻士の礼装クリムゾンダンサーが灼熱の舞踏を舞い躍る。
 文字通り焔が踊り爆ぜた。容赦無い火炙り刑が吸血百足を焼く。
 だが虫の分際で火炎では燃え尽きない魔蟲はその前進も止めない。

「無駄だ遠坂! 俺の『吸力鎧蟲』は作製段階で耐魔能力を著しく改造してあるのさ。
 耐火作用なぞ当然基本耐性の一つとして組み込んでいる。ハーハハハッ! 残念だったな俺の礼装にお前の火は通用しねえ!」
「喜ぶのは少々早過ぎないかね間桐? 火が通じ難いのならば少し手法を変えるだけだ。───Anfang」
 一直線に突進してくる魔蟲から逃げるように後方へ跳んだ刻士が空宙で何かの呪文を詠唱した。
 ──するとその直後。突然その周辺だけ重力が十倍にでもなったかのように、唐突に動きが鈍重になるマキリの魔物。
 だがそれでもなおも前進を試みた百足は……終いには殆ど動けなくなってしまった。
「な、重力操作による加重?!! テメ、そんな小賢しい真似まで出来るのかよ……ッ!!」
「フッ、単純に力で捩じ伏せるだけが魔術戦ではあるまい?
 さて間桐、早く君の礼装を自由にしてやらなくていいのか? まあ尤もそんな暇を与えるつもりは毛頭ないがね」
 あくまで余裕を崩さない遠坂の態度に間桐の激情が臨界点を超える。
「ヤ…ロウッ!! ナメるなよ遠坂刻士ィィ!!!」
「君には私と一緒にもう二、三曲ばかり踊って貰おうか。身を焼き尽くさん程の熱き炎舞を───!!」



           ◇                      ◇



 頭上より絶え間なく降り注ぐ死の矢を蛇行しながら逃げ続ける。
 闘士が未だにこれといった有効な攻撃方法を見い出せぬまま、戦いはファイター劣勢で進行していた。
 アーチャーの完全なる横綱相撲だった。時折ファイターが城壁まで行き斬撃を見舞ってはいるが有効打には程遠い。
 敵の攻撃が己に届く心配もない弓兵は悠々とした様子で巨大な弩の引き金を引く。
 それこそ趣味で行なう狐狩りのような気楽さで獲物を追い立てていた。

「攻撃を控えた途端にいよいよ一方的な展開になってきたか。
 このまま持久戦になればさらに面倒な事態になる。そうなる前にマスターの指示を仰ぎたいところだが……。
 肝心の遠坂殿からの応答は未だ返って来ずときている………完全にジャミングされているとしか考えられんな。
 この城砦は城主が許可した通信以外は遮断するという前提で動くしかない」
 ファイターがこの後の戦略を本気でどうしようかと悩んでいると、
「ガハハハハハー! おらどうしたんじゃファイターお疲れで休憩中かー?」
 弩の大矢と一緒に頭上からアーチャーの茶化す声が聞こえてきた。
 ファイターも負けじと大声を張って軽口を叩き返してやる。
「ああその通りだー! もう少し休憩してから貴公の魔城を陥落させるつもりだーっ!!」
「おおーそうかいそうかい、がーっははははは! もうちょい休憩したらワシの城を陥落させるか!
 生真面目そうなおぬしにしては面白い冗談だぞ、ぐわははははははーッ!」
「──大丈夫だ、マスターを疑うな。彼は決して容易く砕かれるような安い器ではない。
 遠坂殿からの返答は必ずある。今私がすべきことは彼を信じてその時が来るまでひたすら耐えることだ」

 そう自分に言い聞かせるように呟いたそんな折、
 ズザザザザザーっと地面を滑る革靴の音が闘士の耳に飛び込んできた。
 音がした方へ眼を向けると、そこにはこの国の多くの民が着る和服とは趣きの異なった洋服と赤いコートを羽織った待ち人の姿が。

「遠坂殿、やはり無事だったか!」
「ファイター……? するとここは城外なのか?
 フゥ、どうやら間桐の奴に追い出されてしまったようだな。やれやれあと一押しで倒し切れたものを──」

「チッ、まったく燕二のヤツめ。一騎打ちの決闘ならもうちょい踏ん張らんか情けない」
 場に突然の闖入者が現れようともアーチャーは冷静に弩の照準を遠坂に定めた。
 弓兵に驚きはない。彼が危うく殺されかかったマスターの悲鳴を聞いて遠坂を城外へ排出したのだから当然の反応だった。
 弩のトリガーを絞る、火薬を使わぬ古代のバルカン砲もどきが火を噴く。
 主人の窮地を察知した闘士が脱兎の勢いで遠坂の体を片手で持ち上げると、一目散にその場から離れる。
 走り去る彼らと入れ替わりで大地に無数の穴が開く。
 闘士はマスターを担いだ状態で被弾せぬように細心の注意を払いながら叫んだ。

「帰還早々にすまないとは思うが指示をくれ遠坂殿!
 既に魔城に対して『赤原猟犬』による宝具攻撃は試みた。だが残念ながらあの防壁の突破は叶わなかった!
 ここでアーチャーを倒すのならば出し惜しみは出来ない。切り札使用の許可が欲しい───!!」

 しかし必死な様子のファイターとは対照的に刻士は自身のサーヴァントの台詞に思わず眼を丸くしていた。
「まさかファイター……私の許可をずっと待っていたのか?」
「うむそうだ。一応念話で許可を貰おうと思ったのだがずっと通信を遮断されていたようでね。
 一向に応答がなく困っていたところに丁度遠坂殿が現われたという次第だ。
 いや本当に助かった、私としても持久戦を覚悟していたからな」
「呆れたな。私にとっては有り難いことこの上ない判断だが……貴君は心底律儀で真面目だな」
「私は貴公のサーヴァントだ。マスターの指示もなく勝手な行動を取るのは褒められたものではなかろう?」
 やや呆れ混じりの感嘆が遠坂の口から漏れる。しかしファイターは当然だと言わんばかりの表情であった。


 そんな二人を射殺せんと弩の砲塔台から地上の標的を狙うアーチャーが背後の気配に気付き声をかけた。
「おう、どうやら辛うじて生きとるようじゃの。まぁ随分とこんがり焼かれたようじゃが。
 ワシがあのゲテモノを無理やり胃袋に納めただけの甲斐はあったってとこか? 普通ならそれだけ焼かれりゃ死んどるぞ」
「……ぐ、痛ぅ! と、遠坂、のヤロ、ウ……!!
 ガ、ハッ、ハァ…! アーチャー俺の礼装を、城外に出せ、啜り殺してやるクソがッ!」
「やれやれ懲りんヤツめ。じゃがその気迫は買ったぞ! コロ-ア、この百足を城外へ転送じゃあ!」
 復讐に燃える燕二の要望に応え、取り出された禍々しい巨大な百足を城外に転送するアーチャー。
 吸血鬼の名を与えられた魔蟲が主人の宿敵の喉元にその毒牙を突き立てんと行動を開始する。



「さあマスター指示を───!」
「そういうことならばわかった。ではこれ以降の戦闘で私が指示を出せぬ場合は君の判断で宝具の使用を許可しよう」
「了解した、感謝する」

「────それから、アーチャーに対して最終宝具の解放も許可する。
 アレは我々の勝利を阻む壁だ遠慮は無用。闘王の誇る豪拳を以て容赦なく粉砕してみせろ────!!」

 そう命じてファイターの逞しい腕から飛び降りた刻士。
 マスターが自分から離れたと同時に、ファイターは逃げる足を止めて身体を魔城の正面へと向き直す。
 王の表情は─────自信に満ちた不敵な笑みを湛えていた。

 一方刻士はそのまま闘王の邪魔にならないよう相応の距離を開けるとスーツの内ポケットから黄緑色をした宝石を一つ取り出した。
 今回の聖杯戦争で使い捨てる為だけに刻士が十数年掛かりで準備をした宝石魔術の結晶の一つ。


「一番解放────我が宝物を堅守せん────!!!」


 長い年月を経て溜めに溜め込まれた強大な魔力が惜し気もなく解放される。
 赤い魔術師は異国の言葉を唄いながら何百万以上もの価値がある宝をなんの未練もなく使い捨てた。
 黄緑の閃光を放つ特上の宝石魔術。ファイターの頭上に展開された巨大傘の光盾。

 緑黄の盾は逃げ足を止め無防備となった闘士を蜂の巣にせんとする矢の流星群を悉く堰き止めてみせる───!

「チィッ、邪魔! ファイターのマスターめ、小賢しい援護をしおってからに!!」
「お前はそのままファイターを殺せ! 遠坂は俺が殺る!」
 燕二のウネウネと蠢く指に同調して血を啜る鎧蟲が刻士に飛びかかった。
 連続行使される魔術回路。炎を踊らせる刻士の指輪が立て続けに爆炎を放射する。
 為す術なく炎に飲み込まれた百足。
 火球の直撃をもろに受けて一度は地に沈んだ魔蟲だったが、しばらくピクピクと痙攣を起こすと再び起動し排除活動を再開した。
「………間桐め、そのしつこさだけは大したものだ」
 刻士も場違いなお邪魔虫を殺虫してやろうと魔物へ向かって走る。

 開戦を告げる鐘のように、魔術師の炎が空気を焼く音と蟲の金属音のような嘶きが激突した───。



          ◇                       ◇



 マスターが展開してくれた防御魔術に護られながらファイターは右手に持っていた古剣を腰の鞘に納刀した。
 それから彼が所有するもう一本の紅の魔剣も同様に消失させる。
 これで武器はなくなった。完全な徒手空拳。
 空になった掌を握り締め固い拳を作る。脚は肩幅よりやや広く。腰を僅かに落とす。
 そしてファイターは猛り声を轟かせて己の精神を極限まで集中させた。

「おおおおおおおおおおおおおお────!!!」

 気合に呼応して闘王の肉体から茜色の闘気が凄まじい勢いで迸る。
 メシッと、踏み締めていた両脚が地に沈んだ。
 魔力が嵐となって荒れ狂う。大地が畏怖して震えているみたいにビリビリと振動する。
 ファイターの全身を覆っていた力強い輝きは徐々に彼の両腕へと集束しつつあった。

「───む!? なんじゃあ彼奴のこの魔力は……?
 ははん……さてはファイターめ、普通のやり方では城壁を突破出来んもんだから宝具での力技に訴えて来おったな!!」
「お、おいアーチャー、ファイターは何か仕掛けて来るつもりらしいが大丈夫なのか?!
 能力透視した感じじゃあアイツの宝具…ハッタリじゃないぞっ!?」

 真っ赤な夕陽のように美しくも眩い輝きを讃える勇者の双腕。
 その圧倒的な壮観さに見る者は息を飲むしかない。
 王の鉄腕が放つ気配がまるで敵の敗北を宣言しているかのようである。
「ああああああああああ────ハァァッッッ!!!!」
 溜めに溜めた力を解き放ち、闘王は裂帛の気合を吐いてガズン!と拳と拳を打ち鳴らした。
 そして淀みない動作で素早く構えを取る。
 胴体は斜向き。右腕は縦向き、手の甲を前面に。右腕の後ろには左腕を横向きで交差させる。
 双腕で形作られた構えはL字や十文字に似ていた。

 自ら空手となることで、闘王ベーオウルフの最終にして最強の宝具の封印がついに破かれる。



「────孤高なる竜腕勇者《ビオウルフ》─────!!!!!」



 解放されし真名。全てを圧倒する存在感を放ちながら黄昏の拳が目を覚ます。
 力を一点に集約したベーオウルフを勇者足らしめる象徴がその威力を相手に示す瞬間をじっと待っている。
 鉄腕が風の激流を生む。草木がざわめく。眠っていた虫や小動物が本能的な危機感から一目散に逃げていく。
 だがそれほどの存在感を纏う闘王を前にしても、螺旋神城の城主は微塵も怯みはしなかった。
「なるほどのぅ。確かに凄まじそうな気配はびしびし感じるわい。
 じゃが……残念だったなファイターよ、貴様の切り札は全て無駄じゃ。
 ワシが観たところ貴様の宝具は対人か精々対軍レベルの宝具。まったく恐るるに足りんわ」

「よく聞け小兵、ワシの神城を陥落したくば─────対城宝具の一つや二つ用意してから挑んで来いッ!!!」

 アーチャーの言葉は己が魔城に対する絶対的な自信の表れだった。さりとてその自信はあながち思い上がりでもない。
 "城"という英霊の中でも非常に奇特な宝具を持つ英雄アン・ズォン・ウオン。
 亀神に由来する彼はそのイメージに相応しく何者も寄せ付けない堅牢さを誇っている。
 その象徴こそがこの神亀の加護を与えられし螺旋古城。
 ライダーの最高クラスの宝具攻撃さえも凌ぎ切る精霊の城砦はそれこそ対城規模の破壊力でも用意しない限り簡単には陥落すまい。

 だというのに、それを承知で闘王は不敵な笑みをその口元に浮かべていた────

「───対城宝具など私には必要ない。
 貴公は知っているかアーチャー? 本当に純度の高い力とは周りに無駄な破壊を強要しないものなのだと」

 そう言うや引き締まった真面目な表情に戻る。
 そして彼の侵攻を阻み続ける無敵の城壁の前まで走り寄ると、豪腕を振りかぶって徐ろに一撃。

 渾身の拳打を螺旋状防壁の一層目に叩き込んだ───!!


「───フ、ガーッハハハハハハハハッ!! なんじゃ血迷うたかファイター! それとも自棄糞か?
 貴様の宝具がどんなモンかは知らんが武器ぐらい使こうたらどうじゃ、ぐわははははははは!」
 ファイターの悪足掻きにも似たこの行動を魔城の主は大笑いした。
 同じく傍らに立つ弓兵のマスターも闘士を無様と失笑する。
 ズーーーン。
 だが鉄腕の王は敵の嘲笑を気にも留めずもう一発反対の拳で防壁を殴打した。
 ズズーーーーーーン。
 ファイターは怯まず臆さずただ無心に防壁目掛けて拳を叩き込んでいる。
 ズズズーーーーーーーーーーーン!

 彼らは一早くその異変に気づいてしまった。
 さっきまで闘王の行為を嘲笑っていた城内の者たちの表情が急変する。
「お、オイオイ………な、なんだよこの揺れは!!?」
「な、んじゃとぉ? 馬鹿な、まさかこの揺れがあやつの拳のせいのだとでも言うのか……んな馬鹿な話があるかい!!?」
 城主の驚愕を余所に、如何なる脅威が襲い来ようがビクともしない筈の神城が現に小刻みに揺れている。
 まるで地震のようだ。
 始めは気づかぬほどに小さく。だが段々と揺れが感じ取れるほどに大きくなり。
 そして最後には大揺れとなって建物を崩壊させるのだ。 
「ウオオオオオオオオオオオオオーーーー!!!!」
 雄叫びを上げる闘王。次第に手数を出す回転速度が上がっていく。
 一発、二発、三発、四発、五発………。
 打ち込まれる拳打の数に比例して砦の揺れが大きくなる。
 鉄拳と城壁が散らす火花が見るからに激しくなっていく。

 十発、十一発、十二発、十三発、十四発───。
 しかもあろうことか無類の頑強さを誇っていたコローア城の防壁にビキビキと歪な亀裂が入り始め──。

「あ、ありえん……ありえんぞなんじゃこれは? ありゃあ冗談か夢なのか…?
 このコローアにはライダーの大火力宝具相手にも踏ん張り通せるだけの防御力があるんじゃぞ……。
 ファイターの攻撃だってさっきまで間違いなく効いておらんかった!
 それをただの素手で破壊できる奴がおる筈があるかい! 一体何者じゃあの怪物はァッ!!
 貴様武器で戦うより素手の方が強いなんて下らん冗談を──ぁ、ま、まさかファイター…貴様の正体は───!!」
「オオオオオオオオーせいやぁッ!!!」

 そして十五撃目。
 何十人もが吼え猛った怒号の如き気合と唸る剛腕。音速で繰り出された右ストレートが城壁を真芯で捉える。
 今までと明らかに違う異音がこの場にいた全員の鼓膜に響いた。
 防壁を完全に貫通する闘王の鉄拳。存在の耐久限界を超えてしまった神秘の塊が音を立てて崩れ去る。
「あ、あ、ああ…! 崩れた!? 城壁が木っ端微塵になったぞ?!
 な、ななな、なんだよ、なんだんだよアイツはっ!!? おいアーチャーなんとかしろー!!」
 考えもしなかった現実を前に間桐は恐怖でまともな思考が働かないらしく若干のパニックに陥っていた。
 崩壊してゆく一層目の防壁を見届けながら、親の仇を睨めつけるかのような鬼の形相でアーチャーが叫んだ。

「……本物の力は無駄な破壊をしない、か。
 フン、よぅ言ったもんじゃ。まさか素手で我が螺旋防壁を粉砕する英霊が存在するとはな。
 ようやくワシにも貴様の正体が判ったわ、えぇそうじゃろ? 闘王ベーオウルフ───ッ!!!
 貴様の伝説はワシでも多少知っておるぞ。無敵の怪物どもをその両腕のみで括り殺してきた怖気の走る真性の怪獣めが!!」

 天上から地上に注がれるアーチャーの憎悪を滲ませた罵声にファイターは目を細める。
「真性の怪獣……か。生憎だがなアーチャー、私はそのような上等な生き物ではないぞ」
「ハン、よう抜かすわ! 下手な幻想種よりも上等な存在のクセしおって澄かした態度をしやがってよぉ!」
 古城に君臨する弓兵の悪態をどう受け取ったのか、


「……いや、悪いが嘘でも謙遜でもなく本当に上等な存在などではないのだよ。
 なにせ───私は神の子ではないからな。
 この身は神代に多く存在した半神の英雄たちのように神の血を宿していない。
 無論、竜種や幻想種や魔などのヒトを超越した存在の血や力も微塵たりとも混ざってはいない。
 そして当然のように神々の化身などであるわけもなく。
 ましてや貴君らのように神々の寵愛や精霊の加護さえも受けていない。
 わかるかアーチャー? 特別な因子など何もない。私はあくまでただのヒトに過ぎないんだ」


 闘王は終始真面目な貌と声で己はただのヒトだと断言した────。

 場にほんの僅かばかりの沈黙が流れる。
 精霊からの寵愛と加護を受けた身であるアウラクの安陽王は本気で当惑していた。
 ベーオウルフはあれほどのデタラメさを誇っていながらなお自身をただのヒトだと本気で思っている。
 それはあの男の瞳を見れば嫌でも分かった。謙遜するでも自嘲するでもない、ただ事実だけを語る瞳。
 誰の目から見ても超越者でありながら、この英雄はどこまでも人間であったのだ。



「───だがしかし。そのような特別さは私には必要なかった」

 ポツリと零された言葉には王にしか理解らぬ誇りが滲んでいた。

「我が力の源泉はヒトの上に存在する上位者の奇蹟には非ず。
 この双腕を支えているモノ、それは何の力も奇跡も持たぬヒトたちの願いや祈りだ。
 弱者の願いが、弱者の祈りが、この身を何者よりも強くあらんとした源泉。
 修練こそが我ら弱き人間が持つことを許されしただ一つの純粋な力!!
 これこそがただのヒトである私の竜腕の正体だ!!!
 ───だが無力な人間と侮るな選ばれし強者よ。
 我が竜腕は魔を凌駕し、幻想を粉砕し、神秘を破壊し、最強の存在たる竜種さえも打倒する────!!!!」


 闘王は天から外界を見下ろす全ての者たちへ魅せつけるように己が右腕を天へと突き出した。
 茜色に輝く鍛え抜かれた鉄腕。
 ベーオウルフの誇りの象徴とも呼べる最強の豪拳が古城へと挑む。


「ここにあるモノは何一つ特別ではない"純粋な人間"だ。
 しかと刮目するがいい、そして───。
 ヒトの拳が如何に強く重いのか、その底をとくと知れ──────ッッ!!!!」


 宣戦布告と同時に第二層目へと一直線に突っ込んだファイター。
 鉄壁を誇るコローアの螺旋防壁はライダーに破壊されたせいで現在二層を残す状態である。
「小癪…! 穴だらけにしてくれるわーーーッ!!!」
 猛然と火を噴く古代弩。矢が射出される勢いはさらに増し標的へと殺到する。
「ウオオオオオオオオオララララララララララララララララァッ!!!!」
 それを輝く双腕で叩き落す闘王。
 否、叩き落すと言う表現は適切ではない。
 闘士を襲う弩の矢は……全弾木端微塵に粉砕されていた。
「クソッ糞糞くそ! 全然効いてないぞアーチャー! 何やってんだこのマヌケ! さっさと射殺しろよ馬鹿野郎!!」
「じゃあかぁしいわッちょっと黙っとけ小僧!! あのヤロウ……相当手数で攻められるのに慣れとる!」
 焦燥感で嫌な汗を噴き出させる城上の二人。
 ファイターの詳細な能力を透視出来る間桐に至っては闘王の余りの桁外れっぷりに恐慌状態に近かった。
 悪鬼が自分を殺しに侵攻してくる。無慈悲に引き裂かれた自分の不吉な末路が脳裏にこびり付いて離れない。
 弩の怒涛の連射が足止めにすらなっていない。ファイターは高らかに咆哮を上げながら勇猛果敢に前進し続ける。
 元々ベーオウルフは単独決戦が多かった大英雄だ。
 一介の戦士であった頃も王座に着くことになってからも、勇士達や人々の手に負えない事態に陥った時は英雄がたった一人で解決した。
 国家間の戦争であっても王は常に先頭に立つ。開戦すれば自軍の誰よりも真っ先に矢の雨を果敢に突破して行った。
 闘王に蓄えられた莫大な戦闘経験値。鍛錬と経験が生んだ心の眼が王に最善の道筋を示す。

「───詰めた、お前の持ち主の許まで通して貰うぞ!!」
 全力で叩き付けられた鉄拳。激しい衝撃でビリビリと振動する砦。
 その男は……超特大の竜巻すらも優に凌ぐ人型をした破壊の権化。
 王の前において破壊できぬ物は何も非ず。そして王の破壊を免れるモノも無し。
 勇者の竜腕が左右交互に飛び交う。超高速で左右の魔拳が連打させる。
 速すぎてもう何発鉄拳を叩き込まれたのか数え切れない。

 ズドドドドドドドドドドドドドドガガガガガガガガガガガガガガガガ────!!

 鼓膜を破らんばかりの轟音はまるで機関砲の連撃音。しかも発射される弾丸は戦車砲弾サイズという反則ぶり。
 おまけにこの砲弾は戦車砲を鼻で哂える破壊力を持っているのだと一体誰が信じようか。
 だが現実としてその二つの鉄拳の破壊力は強大な幻想を確実に食い潰していた。

「い、いかん! 洒落にならん速度で螺旋防壁の耐久力が急落しとる!?
 コローアよ、緊急命令じゃ! 残った防壁の耐久力を三層目の防壁の方に大至急回せッ! あれではあと数秒も保たん!
 第二層目はこのまま破棄、それから本殿の背面の防護力も全部零設定じゃ! 防御力は全て奴側の前面に回せ!
 それから主砲用意! 最大火力であの糞力野郎を周囲諸共消し飛ばす!!
 今度はいつぞやの夜のような手加減は一切せんぞォ!!!」
 城内にビービーとどこからともなく警告音が響く。怒声を飛ばしテキパキと指示を出すアーチャー。
 笑えない。全然笑えぬ冗談だ。無敵の防御力を誇っていた己が城の魔壁がこうも容易く粉砕されるとはまさに悪い夢。
 しかもその悪夢は現実を侵食しながら突き進んでくる……!

「ディヤァ───ぬんっっっっ!!!」
 気合と共に夕陽色に輝いた王腕が二層目の城壁を射貫く時、彼の前進を阻む壁はまたしても豪快に打ち砕かれた。
 魔を打倒する双腕がベーオウルフを象徴するモノなら、夕陽色は闘王を端的に表した色だった。
 太陽色は英雄の輝きである。しかし太陽は何よりも高く眩しいが故に人々に直視することを許さない。
 だが夕陽は違う。
 人々と変わらぬ高さに存在していながらも眩く、そしてなにより直視することを許してくれる優しい光だ。

 その本質こそが闘王ベーオウルフの中核となっている。
 ヒトの身でありながらヒトを超えたもの。
 超越者の力が一切なくとも人間としての力だけで遥か高みを目指し続けた大英雄。
 己の為でなく、他者の為に巨大な暴力に独り挑み続けた孤高なる王が得た奇蹟。
 彼にとって天才と呼べるものは一つのみだった。
 生まれついて他者より少しだけ腕力が優れていたこと。
 ただそれだけである。他に際立った才能は見当たらなかった。
 故に彼はそのたった一つの原石を来る日も来る日もただただ懸命に磨き上げ続けた。
 そうしてやがてその研磨の結晶は勇士三十人力と言わしめるほどの豪力《ほうせき》へと昇華する。
 だがしかし、勇者はそこで満足することなくひたすら自己練磨を繰り返した。
 富や名声や武勇を欲したのではない。
 王として巨大な暴力に苦しむ弱き人々の助けとなるために───。
 決して驕らず、業に溺れず、努力を惜しまず、恐怖を克服し、弱き者に手を差し伸べ闘い続けた男が到達した一つの頂。

 ヒトのままヒトの極限を極め尽くした、
 ─────彼以外の者では決して届かぬ究極の一。

 魔術障壁、防具、概念による特殊防護、果ては宝具さえも、
 形あるものならば何であろうが容赦なく破壊する究極の竜拳────!!

 特殊な異能で護られし不死身の怪物どもを殺すモノ。
 あらゆる幻想や神秘を打ち砕くモノ。

 それがこの朱色の闘気に輝く魔倒の鉄腕『孤高なる竜腕勇者』の力である────!!!!



「残るは最終防壁一層のみだ、ゆくぞアーチャー覚悟ーーーーッッ!!」
 ファイターは疾駆しながら右拳に魔力を溜め全ての力を一点に集約している。
「あ、あ、あああ、アーチャー、アーチャーッ!!
 ファイターが来たぞッなに愚図愚図してんだよこの愚鈍! 早く撃てよ! いいから撃てぇッ!!」
 敵の猛烈な勢いに恐怖した間桐がヒステリックな悲鳴を上げる。闘王の脚は最終防壁の喉元まて詰め寄っていた。
 その隙に本来の超特大サイズの弩弓に変形する亀神の古弩。力の根源である金色の爪が強い魔力を放っている。

 全ての発射準備が終わり、ついに一射で千を殺す滅びの神矢が装填された。

「オオオオオオオーーー!!! ファイターくたばれぇッ!!!」
「───アーチャーの宝具が来る!! 遠坂殿ーー! 作戦通りに行くぞッッ!!」

 同時に吼える英雄たち。重なり合った雄叫びは大音量となって周囲にどこまでも轟く。




「……ッ!? 今のはファイターの合図! 
 Anfang───二番解放、時よ倍速化せよ────!!!」
 ファイターの邪魔をせぬよう離れた場所で『吸力鎧蟲』と戦っていた遠坂が合図に従ってもう一個秘蔵の宝石の魔力を解放した。
 刻士は自分の身体に魔術の効果が現われたと同時に脱兎の如く走り出す。
 膨大な魔力の塊を惜しみなく使って施した速度強化は刻士の肉体を超強化し、結果死徒にも劣らぬ速さで彼の脚を進ませる。
 目的地などない。これは一秒でも早くアーチャーの宝具攻撃の被害範囲から逃れるための逃走だ。
 安陽王の弩宝具『一射千滅の魔城弩』の最大の脅威は威力よりもその攻撃範囲の広さと形状にある。
 城砦を中心に円形に範囲攻撃する無差別破壊の雨は戦場にいる敵対サーヴァントだけでなく敵対マスターさえも攻撃に巻き込む。
 現在の刻士たちのようにサーヴァントとマスターが別行動をとっている時に喰らえばまず敗北は免れない宝具だった。
 その危険度を知っていた彼らは事前にファイターの合図と同時に遠坂が離脱するという作戦を立てていたのだ。
 かくして用意しておいた作戦の効果は抜群。弱点となるマスターはいち早く攻撃圏外への脱出に成功した。
 予断を許さずまだ遠くへ遠くへと全力疾走しながらも刻士は"もう一つの合図"を待つ───。




 アーチャーの唇から神爪の奇跡を解放する真名が告げられる。

「一射千滅の《コロア》─────」

 上空へほぼ直角に傾けられた弩。被害範囲はなるべく『金亀神城』の周囲に絞った。
 撃ち貫きたい敵は単騎だ。密集させた死の流星雨でズタズタのバラバラに引き裂いてやる。


「──────魔城弩《キムクイ》!!!!!!」


 魔城の主の手によって精霊の爪で作られた引き金が勢い良く引かれた。
 音速で天に立ち昇っていく一筋の金矢。夜空に光の尾を残してどこまでも上昇する矢はまるで昇龍みたいだ。

「一撃粉砕、魔滅竜倒───」
 アーチャーの宝具が発射された直後、ファイターの足が地を力強く踏んだ。
 そして右腕を後方に伸ばす。すると闘王にある変化が起きた。
 朱光を放っていた双腕の輝きがいつの間にやら右の腕だけになっている。
 だがしかし、代わりに右腕の輝きと力強さは両腕が茜色に輝いてた時の比ではない。
 これぞ王が保有する最大威力の大砲。
 闘王ベーオウルフの全パワーが右の腕一点に凝縮されている一撃粉砕の奥義。
 輝きはさらに右腕全体から右拳の方へと移動していく。
 拳が真紅の光拳へと変貌する。
 先刻までと段違いの迫力を纏った光拳。
 右拳のすぐ前方に漂う空気がパンパンと音を鳴らして輪の形になりながら弾け飛ぶ。
 こちらの準備も整った。あとは闘王最強の一撃を繰り出すのみ。


 ───その時、天空を昇る金矢が閃光を放ちながら破裂する。


 刹那、暴風雨の如き激しさで千の破滅を招く矢が地上へと降り注ぐ─────!!!


「オオオオオオオオオオオオオオオオーーー!」
 闘士の頭上から急速落下してくる死のスコール。
 しかし彼がそちらへ払う関心は一つもない。
 脳裏に強く念じた。ファイターが宝具攻撃の被害範囲から離脱したであろうマスターに向かって念話を飛ばす。

 ……すると一秒も待たされることなく、事前に決めておいた絶対尊守の強権が発令された。


 "───ファイターよ、アーチャーの許へと飛翔しろ!!"


 令呪の強大なる呪力がサーヴァントの持つ性能を限界突破させる。
 ファイターは大地を強烈に踏み締めると夜空へとその身を羽ばたかせた。
「と、翔んだぁーーー!? アーチャー来やがったぞォォォオオ!!」
 豪速で離陸する闘士の肉体。翼を持たずとも天を翔ぶという奇妙な感覚が全身を襲う。
 彼が視界に収めるていのは高さ数十メートルはあろう古城の頂上。
 巨大な弩を両手で構えた『金亀神城』の君主の首級のみ。
 ファイターは気高い雄叫びを吠えながら右の光拳を構えた。
 王の頭上には破壊の塊が無数の隕石のようにすぐそこまで迫っていた。

「しめた、この勝負紙一重で貰ったわい! 最後の防壁が奴を阻んで終いじゃッ!!!」

 飛翔した勇者の眼前には宝具攻撃にすら耐える強固な厚壁が立ちはだかっている。
 自分自身を攻城弩に見立てたこの攻撃。だがベーオウルフは僅かも臆すことなく頭から障壁に突っ込んだ。
 永き年月をかけて極限まで鍛え抜いた全身の怪力と筋肉のバネを満遍なく駆使して振りかぶられた右腕と鉄拳。

 悪竜すらも粉砕した必倒の竜拳が真っ赤な魔力の渦を迸らせて神槍よりも疾く鋭くそして強く突き出される───!!


「───幻想砕く無双の王拳《ドラゴンスレイヤー》──────!!!!!」


 限界まで弦を引き絞られた弓を射るように、風を切り裂き城壁へと真っ直ぐに穿たれた会心の一撃。
 古壁を貫通せんとする攻城弩と、聖弾を撥ね返さんとする防壁が激突する。
 だがアーチャーの読み通り闘王の鉄拳は立ち塞がる壁より先へは貫けない。
 虚空で停止したその哀れな姿はまるで見えない蜘蛛糸で空中に縛られた昆虫だ。
「と、止まった……? ふ、ふへへははは…! ギャーハハハハッハ! 失敗しやがった!
 ざまぁみろ遠坂ァッ!! そしてテメエもさっさとくたばれファイター!!」

 そして、ついに魔城から放たれた金矢の嵐が地上へ墜───。


 …………メギャッ。

「────!!? ま、まさか……オイッ! そんな馬鹿なッ! い、一撃──?!!」

 勝利を確信したアーチャーが防壁の異変に気づいた時には既に遅し。
 硝子の崩壊に似た破裂音を響かせて、攻城弩となった闘王が最終城壁を貫通したのだ。
 ファイターの防壁突破と一足違いの入れ替わる形で光る流星雨が古城の周囲へ降り注ぎ、次々に大地をまっさらな荒地にしていく。

 咄嗟の判断でアーチャーが弩の照準をこちらに向かって飛来する敵へ向け直す。

 そしてなおも飛翔を止めないファイターは再度拳を振り被り────


「我が竜拳は如何な幻想だろうとも粉砕するッ! これで勝負ありだ、アン・ズォン・ウオン────!!!」
「ふざけるな! まだ終わっとらんぞォ、ベーオウルフ────!!!」


 ────神弩の引き金を寸分違わぬ正確さで完全に打ち抜いた。





 両者の闘いはこうして終わりを迎えた────。

 神亀の爪という神城の核を破壊された幻想の古城はただ瓦解していくだけの運命にある。
 崩壊を始めた城砦の頂上には二人の英雄と恐怖で顔を引き攣らせ腰を抜かす魔術師が一人いるだけ。

「う、ぐが……キ、キサマ、やってくれたもんじゃわい…!
 まさ、か、城弩の引き金だけを狙って破壊するとは………この城の秘密を知っとったな?」
「ああ知っていた。ずっと調べてはいたが偶然にも今朝我がマスターがついに貴公の真名を暴くことに成功したのだ。
 アーチャー、いや古代ベトナムアウラクの英雄、不敗の城塞コローアに君臨せし安陽王よ。
 真名が判明したと同時に貴公の秘密や弱点も全部知ることが出来た。後は事前に決めていた作戦通りに動けばいい。
 そしてどうやらこの様子では正解だったようだな。この魔城は亀爪で作られた弩の引き金を失えば精霊に与えられた力を失う」
「……ぬぐぅおのれぇ、戦う前から既にワシの素性をキッチリ調べ上げ取ったとはな……」
 ファイターの言葉を聞きながら苦々しい表情で睨みつけるアーチャー。
 弓兵の手首からドボドボと血が零れる。彼の右手首は握っていた引き金ごと魔拳の一撃で綺麗に吹き飛ばされていた。
 窮地のアーチャーにさらなる追い打ちをかけるようにコローアの崩壊もどんどん進んでいる。

 そうこうしているとファイターの脳裏に遠坂からの念話が届いた。
 声の感じから察するにどうやら彼も無事のようであった。
「…………む? おおマスター無事であったか。ああ問題ない全て作戦通りに成功した。
 やはり城内から侵入せず城外から令呪で一気に飛んだのは正しかったようだ。
 うむそうだ、弩の引き金は完全に破壊し魔城も崩落を始めている」
 そうやってファイターが現状の報告していると、遠坂は念話でもう一つ別の指令を出してきた。
「む? ではアーチャーよりも先にマスターの方を潰しておけばよいのだな? 了解した今から片をつける。
 悪く思うな。貴様には無関係の民を虐殺した報いを受けてここで斃れて貰うぞ、アーチャーのマスターよ」
「ヒ───ひぃぃいいぃ!??」
 圧倒的な化物の無慈悲な視線に曝された間桐は情けない悲鳴を上げながら尻餅を着いた格好で昆虫のように後退る。
「………………しめた。マスターを囮になんとかしてこの場から脱出する……」
 それを見て内心ほくそ笑むアーチャー。
 ファイターは負傷したを自分を一旦脇に置いておきまずは燕二の方に始末するつもりでいる。
 ならば撤退する隙はまだ十分にある。と、これほど追い詰められながらもまだ彼の強かさは健在であった。

 一歩、また一歩と間桐との間合いを詰めていく闘士。
「く、来るなっ来るんじゃないこのバケモノが! やめろやめてくれ! イヤだ嫌だ俺は死にたくない!!」
 顔面蒼白に加え半狂乱状態の魔術師がバタバタと芋虫みたいな無様な逃亡を企てている。
 しかしそんなみっともない逃走ではサーヴァントからは逃げられる筈もない。
 そうして燕二はあっさりと死を贈る死神に追いつかれてしまった。
「これは私の敵に対するせめてもの情けだ。一瞬で終わる、苦痛は感じないようにしてやろう」
 間桐の目の前で閻魔の鉄槌よりも恐ろしい拳が振り上げられる。
 魔術師の瞳孔が最大まで開く。恐怖で痙攣し呼吸ができない。
 三秒後の即死を前にして間桐が腹の底から断末魔の叫びを上げた。

「あ、ぁぁ、ア、ウウアアアアアアーーー! 死ぬのはイヤダァァアアアアーーー!!
 アーチャー、マスターを助けろアーチャーッ! 助けろ────死んでも俺を逃せサーヴァント─────!!!」

「………な、なんじゃとぉぉおー!!??」 
 想定外の事態にアーチャーが驚愕する。燕二の本気で死にたくないという生存本能が令呪の絶対強権を発動させたのだ。
 サーヴァントの宿命か、アーチャーの肉体が当人の意思とは全く無関係に可動する。
 ファイターの拳が燕二の頭蓋を木端微塵にするよりも先にアーチャーはマスターの服を掴むと彼を城下に広がる森まで遠投していた。
 令呪の援助が生み出した瞬発力と怪力と砦の高度も加わり、投げられた間桐燕二の体は深夜の森の奥深くへと消えてしまった。

 ───この窮地を命からがら離脱したのは主人を囮に逃走を狙った下僕の方ではなく、
 囮になる筈のマスターの方だとは実に皮肉な結果であった────。

 そうしてこの土壇場の逃走劇の直後、古の神城は跡形も残さずに崩壊した。


「あ、あ、あの糞餓鬼ィィ! 最後の最後の土壇場で令呪とはやってくれおったわド腐れマスターが……ッ!!
 …………………チッ、貴様の勝ちじゃとっとと殺れい」
 放心状態から回復したアーチャーはいつもの悪態をつくと両腕を組み、ドカッと地面にあぐらをかいて座った。
 騙し討ちをしようという感じは少しもない。どこか白旗を上げるかのような諦めの色が汲み取れた。
「意外だな抵抗しないのか? いくら負傷しているとは言えどまだ戦闘不能という程でもあるまい。
 貴公にも胸に抱く悲願があってこの戦に参加したのであろう?」
 腑に落ちないと言った風に闘士が訊き返すと、敗者はさぞ鬱陶しそうにしながらも納得のいく言葉を吐き捨てた。

「ふん、たった今キムクイ様から最後の神託が下ったわい。
 時既に遅し、残された結末は一つだけ。つまり、ワシの────負けだ」

「わかった……………もし最期になにか言いたいことがあるのなら聞くが、どうする?」
 ファイターは自身の敗北を完璧に受け入れたアーチャーを見下ろしながら処刑を待つ男にそんな台詞を投げかけた。
 するとアーチャーは闘士の心意気に少しだけクッと口端を皮肉に歪めて、
「そうじゃのぅ……じゃあお言葉に甘えて最後に一つだけ愚痴を言わせい。
 ハアァァァッたく、やれやれ此度の戦争はマスター運があまりに無さ過ぎじゃった。
 いい加減足並みが揃わないにも限度があるぞ。そらどんな名将でも負けるわい。
 まっこと良いよなぁ貴様やセイバーは! 有能なマスターだったり、美女じゃったりでのう!
 ランサーもなかなか愛い娘っ子がマスターじゃったし、そろそろワシと代わって欲しいわい本当。
 それにしても燕二の糞昆布野郎め……ワカメマスターの分際で自分だけちゃっかり生き延びおってからに忌々しい死に損ないめ。
 しかしファイターよ、ワシは常々思うがなんでこういう下衆連中に限ってしぶとく生き延びるんじゃろうなぁ?」
 今日までずっと腹に溜めていたマスターへの不満不平を全部綺麗に吐き出した。
 全て噴出した彼の表情は心なしか晴れやかに見えなくもない。
 そんな敗者の問いかけに勝者は厳格な面持ちで英雄の本質を語る。

「そうだな……恐らくそれは貴公が英雄だからだろう。
 我ら英雄はヒトよりも勇猛であるが故にヒトよりも強く、ヒトよりも多くを得て、そしてヒトよりも早く死ぬ。
 アーチャーのマスターの人格はどうあれ我ら英霊《サーヴァント》は人間《マスター》よりも早く消えるものだ」

「く、くく…ッ! ぶわーははははは! がっはっはっはっはーっ! そうかそうかなるほどなるほど!
 このワシ、アン・ズォン・ウオンが英雄である以上はこの死も燕二の生還も必然じゃったわけか!」
 ファイターの答えに心底納得がいったとばかりに大笑いをするアーチャー。

「しかしその法則は絶対ではないのぅ。
 英雄の中には困難な人生を歩みながらも老いるまで生き延びられる真の英雄もおる。
 貴様もそうは思わんか。なあ老いてなお最強の鉄骨爺、闘王ベーオウルフよ───?」
 だがアーチャーの爆笑もしばらくすると消え失せ、今度は酒に酔って絡む中年親父のような意地悪な笑みを浮かべた。
 だというのにその讃えられている当の本人は目を瞑り首を横に振る。
「……いいや、そんなことはないさ。私は単に運が良かっただけだ」
「チッ、いちいち謙遜するでないわムカつく奴め。
 実力がある癖にいつまでもそんな態度じゃから貴様は最後まで孤独でいるハメになったんだろうが。
 そこんところをちゃんと理解しとんのかキサマは、ああん?」
 あくまで控え目な態度を貫く闘王に対して螺旋城の王者はそんな忠告にも似た叱咤をする。
 しかし、アーチャーの意図を読み取ったファイターはフッと淡い微笑を浮かべると満足そうに言った。

「それはやむを得ぬことだ。王とは孤高であるものなのだから。
 ───だがな、そんな私でも最期の瞬間は決して独りではなかったぞ?
 勇敢にも私と共に絶対死地である火竜の魔窟に挑んだウィーラーフが居てくれたからな。私にはそれで十分過ぎる。
 永い刻をすっと独闘してきた身としては次世代を担う勇者に見取られながらの戦死は決して悪いものではなかった───。
 と、そう私は胸を張って言えるだろう。今までもそしてこれからもずっとな。だから貴公の心配はいらぬさ」

「フン、心配なんぞしとらんわ。じゃったらキサマの好きにせい」
 そうしてアーチャーは落胆とも憤怒とも悲嘆とも違うどこか穏やかささえある声音で毒づくと、
「覚えとくがいいぞ闘王よ。もし次に遭うことがあれば………こう上手くはいかんぞ?
 ク……、カカカカカ! しっかし今回の負け戦はまたぁ生前よりもさらに派手な負けっぷりではないかッ!
 まあええわい、敗北もまた武人の華じゃ! 栄光と共に散るのもそれはそれで英雄の正しき姿よ!!
 ガーーーッハハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハーーー!!!!」
 武人は戦死を前にしながらも腹の底から潔い豪笑を轟かせた。

「心しておこう。亜細亜の王国アウラクの、螺旋古城のアン・ズォン・ウオンよ────さらばだ」
 ファイターは己の最期をそれもまた善しと豪笑するアーチャーを真摯に見つめながら。


 慈悲深く、一撃で頭を打ち砕いた────。



          ◇                     ◇



 アーチャーが消滅してから十分程の時間が経過した頃。ザッザッと足音を鳴らしながら遠坂刻士が姿を現した。
「遠坂殿、よかった無傷だったか」
「ああ作戦通りだ。やはり君の言うように惜しまず秘宝石を強化に使って正解だったよ。
 的確な助言に礼を述べさせて貰おうファイター。
 タイミング的には紙一重だったからね。恐らく通常の肉体強化では圏外脱出は間に合わなかっただろう」
「いや私はサーヴァントとして当然の手助けをしたまでだ。遠坂殿に礼を言われるほどのことはしていない」
 戦闘後の労いの言葉を交し合う二人。
 合流した刻士は見事に無事であった。どこも負傷した様子もなく精々魔力を六、七割くらい消費した程度だろう。
「そうだった、それより遠坂殿にはこれを渡しておかねば。
 実物を見たことはないが恐らくこの黄金の杯が聖杯の器なのであろう?」
 そう言って闘士が黄金の杯を遠坂に手渡した。魔城が建っていた真下に落ちていたのをファイターが回収したのだ。
 遠坂は渡された杯を隅々まで満遍なく眺めると、
「うん間違いない。これはアインツベルンが用意した聖杯を降霊させる杯だ。
 ……これで我々はゴール目前となった!」
 ついに聖杯の器を手に入れた刻士は心から満足そうな笑みを浮かべた。

「それにしてもでかしたぞファイター。
 私が想像してたよりもずっと楽に間桐とアーチャーとの戦いを決着させることが出来た。
 闘王の実力にかかればアーチャー程度のサーヴァントなら容易い敵だったようだな?」
「まさか、そんなことはないさ。
 アーチャーはかなり手強い難敵だった。特に最後の攻防はタイミング的に紙一重だったからな。
 安陽王の弱点を上手く突けたからこそこうも簡単にあの魔城を陥落させられたにすぎない。
 私が勝利できたのもそれもこれもアーチャーの正体を調べ上げた遠坂殿のおかげだ」
 ファイターの台詞に刻士の表情が曇る。
 確かにアーチャーの正体を掴んだのは刻士の手柄だが、アーチャー本人を撃破できたのはファイターの功績なのだ。
 この控え目な王は自身が成した手柄までマスターに譲ろうというのだろうか。
「………ふむ。前々から思ってはいたがファイター、貴公はもう少しは自身の手柄や功績を誇るべきだ。
 君自身がいつもそういう態度でいるから味方に妬まれ侮られ孤立する。
 ほんの僅かでいいから己を誇示していれば味方にも恵まれたかもしれないのだぞ?」

 つい先ほども同じようなことを敵に注意された、ベーオウルフが持つ欠点。
 王の過去を詳しく知る遠坂はアーチャー以上に彼に同情をしているのがその表情から見て取れる。
 しかし、それでもファイターの態度は変わる事はない。
 だって彼は既に………、

「───そうかも知れぬな。しかし構いはしない。
 なにせ今の私は──────ちゃんと味方に恵まれているのだから」


 そう、現在の自分はちゃんと仲間に恵まれている。

 巨大な敵を相手にこうして肩を並べて戦ってくれる遠坂刻士という得難い勇者が味方にいてくれるのだから───。







────Master Side 間桐燕二────


「はっ、はっはぁ、ハッ、はぁはぁ、ハッハッ……!」
 息を切らせ暗い森の中を逃げる。何度も転倒しながらもただただ逃げ続けた。
 まるで背後から追ってくる絶望から逃げるように必死に手足を前に前にと動かし続けた。
 その姿は山火事から逃げ惑う獣のよう。
 高級な仕立ての上質な和服も遠坂の火炎に燃やされ、枝に何度も引っ掛けたせいで所々が破れて台無しである。
 こんなボロボロの浮浪者じみた身なりではとてもじゃないが名門家系の嫡男には見えない。

 そうして小一時間ばかり夜の森林を逃げ続けたが、とうとう彼のスタミナがギブアップ宣言をしてしまった。
 力の入らなくなった足が木の根に取られ燕二は頭から硬い地面に倒れ込んだ。

「……おぁ! ぐがぎっ……ごぁッ! ハ、ハ、ハッ───ハアハァはあはあハァ…ハッ、ハア……!」
 酸欠状態の全身が酸素を求め喘いでいる。体力は綺麗に使い果たしてしまっており、すぐ立ち上がれる余力はない。
「はぁはぁはぁ、クソなんて………ことだ…、チクショウ……アーチャーを失ったのは……、痛手過ぎ…る」
 もう既にアーチャーが消滅してしまったことは令呪の感触が教えてくれていた。
 よりにもよってあの遠坂のサーヴァントに負かされて死ぬなんてこれ以上ない屈辱的な敗退の仕方だった。
 わざわざこの自分がマスターになってやったというのにあのノロマは逃げることもできない無能なのか?
 燕二の体から激しい怒りが沸いてくる。
 己の失態にではなく、無能な下僕と呪わしい敵に対しての激怒。
「はぁはぁはあ、アハ、はあはあはぁ……畜生が、これからどうする…?
 サーヴァントだけでなく武器も切り札もまで失ったこの状況で……俺に何が出来る?
 クソッもう終わりなのか? 俺は敗者なのか? これからどうなるんだよ…? くそっクソクソクソ!!」

 今宵の彼が失ったモノは途方もなく大きい。
 燕二はサーヴァントだけでなく自分の魔術礼装までもを先の戦いで失っていた。
 アーチャーの『一射千滅の魔城弩』の大破壊がレンジ外まで逃げ切れなかった彼の『吸力鎧蟲』を粉微塵にしたのである。
 おまけに魂の寄生元であるアーチャーが死んだことで臓硯の秘法によって得た擬似的な不死身も効力を喪失した。
 さらに燕二は間桐家魔術刻印を継承してない。魔道の名門家系なら通常ならば嫡男に継承される切り札を彼は所有してないのだ。
 つまり現在の間桐燕二はそれこそどうしようもなく丸裸に近い状態であった。

 仰向けになった燕二の脳裏に間桐臓硯の恐ろしい顔が浮かぶ。
 これから自分はどうなるんだろう。サーヴァントを失ったのにマスターだけがまだのうのうと生きている……。
 正直嫌な未来の予感しかしない。そんなのをあの妖怪が許す筈がない。
 燕二の肉体の奥底に嫌と言うほどに刻み込まれた臓硯への恐怖が目を覚ましかけていた。
 せめて現実から目を背けようと、視界を手で覆うため両手を動かした時。

 彼は奇怪な発見をした───。

「え………? な、なん…だと……? 令呪が─────まだ残っている?」

 燕二は眼の錯覚かと思い両目をコシコシと擦って再度改めて確認してみたが……手にはやはり令呪が一画だけ残っている。
 しかしアーチャーは間違いなく消滅した。それは疑いようもない事実だ。
 サーヴァントとマスターを繋ぐラインももう無いし、魔力供給もされていない。
「こ、これ………どういう、ことなんだ?」
 わけがわからず考え込む燕二。自身のサーヴァントが死んだのに令呪だけが残る………異例の事態。
 しかしふと、一つだけ思い当たることがあった。
「ま、まさか……!? これが臓硯の言っていた御三家だけの特権なのか……?」
 そういえば昔、臓硯が聖杯戦争の説明をした時にチラリと言っていたような覚えある。

 聖杯の器の所持、降霊地の確保、聖杯戦争の生の知識以外にもう一つ、始まりの御三家にだけ与えられた特権中の特権。
 それがマスター権の維持である。
 御三家のマスターはサーヴァントを失ってもその時点で未契約のサーヴァントがいれば令呪を失う事なくマスターを続けられるのだ。

「確かに臓硯はそんなことを言っていた。
 幸運に左右される要因が強いから狙っての特権行使は難しいって話だった筈だが……。
 しかし御三家の俺の令呪がまだ一画残ってるってことは───、つまりまだ未契約サーヴァントが……生きている?」
 もしかするとまだ己には勝者になれる可能性が残されている。
 そう思うと燕二は突如として舞い降りた可能性に希望が湧き上がった。

 ──────じゃり。

 しかしその直後、興奮の熱を冷却する不審な気配が間桐のすぐ傍でした。
「だ、誰だ……ッ!?」
 まさかもうファイターが追ってきたのか? それとも別の敵か? はたまたただの野生動物なのか?
 燕二は恐る恐る暗闇に眼を凝らした。

 するとそこには────


 薔薇十字のロザリオを首から下げ、簡素なローブを纏った温厚そうな顔立ちをした眼鏡の青年が独りで立っていた。


「安心なさい、ボクは貴方の敵ではありません」
「お、お前は…………キャスターッ!!!?」







──────V&F Side──────

助けろ!ウェイバー教授!第二十九回


ソ「いや待てふざけるなーーーーー!!」
弓「そうじゃふざけるなーーーーー!!」
V「ファック、予鈴も鳴っていないというに騒がしいな君達は。特にアーチャーは呼ばれてから教室に入り給え」
F「先生なに落ち着いてるんですか! キャスターさんなんで死んでないんですかソフィアリさんはいるのに?!」
ソ「そうだぞエルメロイ二世! 私がこんな場所にいるのに何故あの役立たずの傀儡が現世復帰している!? 贔屓だ!」
V「贔屓もなにもなかろうに。そもそも君らはキャスターを一度でもこの教室で見かけたのかね?」
F「あ……そう言われれば何故か一度もキャスターさんを此処で見てませんね……誰か見ました?」
槍「否、拙者は見ておらんな。キャスターの主君は教室内に居るのに妙だとは思ってはおったが」
ソ「バカな?! アイツは自分の敗北を恥じ入るあまり私に顔向け出来ないからどこかへ引っ込んでたんじゃないのか!?」
ア「そう思っていたのは貴方だけではなくって?」
V「アインツベルンの言うとおりだ。此処に来ないということはつもるところ死んでないってことでしかない。
  ちなみにInterludeで二回ほど良く分からない奴の描写があったがそれがキャスターのことでしたと」
ソ「そ、そんな………な、何故奴だけが生き残って私が死なねばならん!?」
V「それは君がキャスターの刻印で有頂天になって自惚れてしまったからだろう。
  よくある話だな、突然巨大な力を手に入れてしまったが為に失敗したり足元を掬われてしまったりなんてのは。
  前にも言ったが今の君の実力にかかれば遠坂刻士もゲドゥも間桐燕二も容易く葬れていたんだ。
  刻印の数だけ戦力差があったというのに、怪物揃いの五次マスターの中に放り込んでも張り合える性能があったのに…。
  なのに俺は超ベジータだ!とか言って余裕かましてるからそうなるんだ」
ソ「いや待ってくれ私は超ベジータだ!なんて言った覚えは一度も無いぞ。というかなんだ超ベジータって!」
F「確かにソフィアリさんってその人達と一回は矛を交えてますもんね。倒せる時に手加減せずに倒すって大事なんですね!」
V「あともう一つ言えばキャスターはさり気なく万能だ。
  その万能さ故にトップになれることはないが、出来ないことは無いと言ってもいい位の万能キャラなんだぞ?」
槍「キャスターはその魔術書宝具のおかげで使える魔術の数が途方もないでござるからな。確かに万能と呼ぶに相応しい」
ア「最弱のキャスタークラスではあるけれど、然るべきマスターと組むことが出来れば勝ち残れるかもしれない駒ね」

弓「なぁオイ……貴様ら、新しく入った者に対して少々冷たくはないか?」
V「ん? ああ居たのかアーチャー」
弓「冒頭からずっとおるわ! ついさっきワシが頭を吹き飛ばさせるとこ見とったじゃろうがい!」
F「その顔に巻いたミイラ男みたいな包帯はコスプレですか? カッコイイですね!」
弓「やかましいそりゃ嫌味か!? 頭吹き飛ばされたって言うたろうが! これは治療の為の包帯じゃ!」
槍「カッカッカ! まあまあ落ち着くでござるよアーチャー!
  ライダーと共に二体一で拙者をハメ殺してくれた御主がここに来てくれて……拙者は心から喜ばしいぞっ!」
弓「うおっ!? まだ根に持ってやがったのかこやつ……」
槍「当然だ、たわけめ。貴様らのおかげで拙者は早々に退場するハメになったのだからな。
  綾香殿がまだ存命してくれているから良しとしておるが、もし彼女が死んでいたら貴様はここでぶち殺しているところでござるぞ」
弓「男児がガタガタ抜かすでないわい! ワシは目の前のチャンスをしっかり掴んだに過ぎん」
V「で、私に何か言いたいことでもあるのかね?」
弓「ふんっ特に無いわい。敗戦の原因なぞ改めて聞くまでもないしのぅ」
F「あ~まあ一目瞭然って言うか一番分かり易く空中分解しかかってたチームでしたしね。
  でもまさか最後の最後に互いの足の引っ張り合いをするとは思いませんでしたけど」
弓「くっそぅ…! 令呪さえ……令呪さえ無ければワシが彼奴を囮にして見事あの場からトンズラしとったのにぃぃ!!」
ソ「そうだそうだ! やはり納得がいかない! マスターはサーヴァントと一緒に死ぬべきだろう!」
ア「………………その意見には少しばかり同意しましょう。セイバー……私を放っておいてあのような小娘と」
メ「ああっ! お嬢様お止めください! ハンカチを噛み締めて悔しがるなんて貴人のすることではありません!」
ア「しかし悔しい時はこうするのだとセイバーが言っていたのですが?」
メ「そんなもの一刻も早くお忘れになって下さい」
F「うわぁ…先に散ったマスターの方々が怒ってますよ先生!?」
V「知らん負けは負けだ、放っておけばいい。
  とは言え間桐とキャスターを残したのは御三家マスターに特権で再契約をさせる為でもあったんだがね」
ア「それはやはり贔屓ではなくって?」
V「君らアインツベルンが生き残っててくれれば君らに再契約をさせても良かったのだがね。
  なにぶん真っ先に脱落とあってはな。逆に遠坂陣営は鉄壁とあっては残る間桐に頑張って貰う他ないではないか」
ア「あれはセイバーが悪いのです。わたくしに非はありません」
メ「仰るとおりですお嬢様。全部セイバーが悪いのです。お嬢様に落ち度など微塵も有りはしないのです!」
F「しかし改めて見直すと間桐さんって結構美味しいポジションにいますよね! 死にそうでなかなか死なない」
弓「ケッ、あんな昆布はさっさと死んでしまえばええんじゃ!
  大体ズルイと言えばファイター! なんじゃアレは! 反則にも程があるわい! 宝具ぶっ壊すとか有りか?!」
F「そう! そうなんですよ先生そう! ファイターさん見ました!? カッコ良過ぎでしょうあの人!」
V「いや私にそんな文句を言われてもな……。
  元々そういうコンセプトの宝具だし、まあ仮にもベーオウルフには王格を与えたのだからあの位は反則臭くなくてはな。
  ちなみにAS鯖の中で物語を作る上で一番宝具を弄る必要があったのも彼だったりする。
  何せ武具破壊型の宝具だ。一回殴られてあっさりパリンといかれても困るし、逆に壊れなくてもそれはそれで困る。
  なのでその解決策として破壊力に強弱を用意する事にした。何発も叩いて壊すか、一発で壊すかという風に。
  劇中を見て貰えばわかるがファイターの鉄腕宝具は二タイプの攻撃法がある。
  鉄腕を解放した状態の『孤高なる竜腕勇者』と防護を一撃粉砕する必殺の『幻想砕く無双の王拳』だ。
  宝具としては一括りのもので、そうだなエアとエヌマエリシュのような感じで考えて貰えたら良い」
弓「そんな話聞いとらん! ワシは宝具破壊なんぞ汚いと言うとるんじゃぞ!」
槍「拙者に言わせれば神城を乗り回す御主も相当ずるいと思うのでござるが? 拙者の宝具と交換するか貴様?」
弓「ワシはいいのだ。それからそんな地味な宝具もいらんわい」
ソ「なんという我侭……!」
V「まあそう言った意味ではファイターはアーチャーと戦わせるのが一番美味しくはあったりするかな。
  敵が硬ければ硬いほどその真価を発揮するのがファイターだ。
  とは言え今回の戦いは遠坂ファイターチームの作戦勝ちか。
  事前に相手の弱点を調べ上げてそこを突き反撃の機会を与えずに勝利をもぎ取る。
  うん聖杯戦争の王道だな。満点をやりたいくらいに鮮やかな勝ちの得方だった。
  ちなみにコローア城の内部はアーチャーの支配領域だ。
  言わば魔術師の工房みたいなものだからファイターが城内突入と同時に亀爪を破壊してなければ結果がどうなってたかわからない」
弓「つーことはもしかしてワシの勝算もあったのか? クソッなんでファイターは神亀爪を破壊するんじゃ!」
F「いやそれは遠坂さんがアーチャーさんの真名を調べ上げちゃったからで……」
弓「納得いかーーん! ヤダヤダヤダヤダ! まだやるんじゃ! ワシが勝利者になって聖杯の力で第二の生を得たい!
  新しく美人の嫁さん貰ってこの地に第二アウラク王国を建国するんじゃー!」
V「うるさいぞ敗者! 大人しく自分の負けを認めろ。それじゃ今日はここまで、また次回だ諸君」
F「それじゃまた次回ー!」
弓「ヤダヤダヤダヤダ燕二死ねー! ヤダヤダヤダ燕二も死なないとヤダヤダヤダ!」

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最終更新:2014年11月26日 00:05