京は、大なり。兆は、衆数。大衆が所在することを言い、故に京兆と云う也。(顔師古)
地の絶高、曰く京。
左傳に曰く、『之と
與に
京いなるもの莫し』。十億を曰く兆。尹は、正なり。(張晏)
&bold({京兆尹}とは、
前漢中期以降に置かれた首都知事に相当する
職官。また、その管轄する
郡相当規模の地域である。京師(首都城)
長安県の所在地。 漢は当初、首都圏の知事として
内史を置き、これをやがて三分して京兆尹、
右扶風、
左馮翊とした。この三地域で構成される首都圏を
三輔と言い、三人の長官は特に前漢では一般の
郡太守を越えた地位と職責を有した。
漢代には
司隷に属し、魏以降は
雍州に属した。
目次
歴史
内史は周官。秦はこれを継ぐ。
高帝元年には
義帝によって塞国に属し、
楚漢戦争中の二年には渭南郡と改称される。
九年に渭南郡を罷め、内史を復す。
景帝二年、
左内史、
右内史を分け置く。
武帝太初元年、右内史をさらに分割し、名を更めて京兆尹、
右扶風とする。
中興して、京師は
河南尹に遷る。その
秩を減じられるが、陵廟の所在を以ってその号は改められず。
魏は尹の号を廃して京兆郡とする。
魏文帝黄初二年、曹礼を秦王に封じ、京兆郡を秦王国と為す。
曹芳正始五年、秦国を京兆郡に復す。
晋もまた京兆郡を置く。
位
(前漢)
一人、秩二千石。
(後漢)
一人、秩二千石。
職掌
(前漢)
京師を治めることを掌る。
また、朝請に奉じ(
奉朝請)、朝議に参与する。
(後漢)
民を治め、賢を進め、功を勸め、訟を決し、姦を検めることを掌る。
他、
太守と同じく。
属吏
京兆丞
(前漢)
二人、六百石。
(後漢)
一人、六百石。
属官(前漢)
属官(後漢)
京兆虎牙都尉
属県(前漢)
平帝元始二年、戸19万5702、口68万2468。
属県(後漢)
[[順帝>劉保]]永和五年、戸5万3299、口28万5574。
属県(晋)
戸4万。
所属項目(タグ)
関連項目・人物
詳説
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最終更新:2016年02月27日 01:48