少は、小なり。小故に少府と称す。(応劭)
少府は、
朝廷の
職官である。
九卿の一つに数えられ、現代の大臣に相当する。前漢においては、
天子及び
宗室を養う、言わば帝室財政を司り、それによって賄われる諸々の衣、食、医や庶務、側近の官署を置いた。
後漢に到ると、財政機能は失われ、側近の官は天子の直属に近くなり、衣食等を司るのみとなる。
目次
歴史
故の秦官。漢もそれを継ぐ。
王莽新は改めて共工。
中興して名を少府に復す。天子の私用の財源(
禁銭)の管理は
大司農に移される。
位
(前漢)
卿、一人。秩中二千石。
(後漢)
九卿、一人。秩中二千石。
職掌
(前漢)
山海池澤の税を掌り、以て天子の奉養銭を給共する。その銭を曰く禁銭。以て私養に給し、別れてより藏を為す。古くはみな小府と作る。少は、小なり、故に少府と称す。
大司農は軍国の用を給し、少府は以て天子を養うなり。
(後漢)
光武帝、
禁銭を大司農に属す。
中服、御諸物を掌る。衣服・宝貨・珍膳の属。
或いは云う、田租・芻稾は以て經用(常用)に供し、凶年、山澤魚塩市の税、少府以て私用に給すなりと。
属吏
丞
(前漢)
六人、秩千石。
(後漢)
一人、 比千石。
員吏
(後漢)
三十四人。
その一人は
四科、一人は二百石、五人は百石、四人は
斗食、三人は佐、六人は
騎吏、十三人は学事、一人は
官医。
属官(職属・両漢)
以下四署は、前漢・後漢の双方で少府に直属する。
(前漢)
一人。
一人。
(後漢)
諸医を掌る。
六百石。
一人。
薬を主る
一人。
藥方を主る。
十九人。
二百九十三人。
(前漢)
膳食を主る。
七人。
(後漢)
御飲食を掌る。
一人、六百石。(別説に秩千石とも)
一人、秩四百石。
飲食を主る。
一人、秩四百石。
膳具を主る。また別説に諸甘肥を掌る。
一人、秩四百石。
果を主る。
また一説に、別に外に在って諸果、菜茹を掌るともいう。
六十九人。
三十八人。
一人、六百石。
御紙筆墨、及び尚書財用諸物、及び封泥を主る。
一人。
二百石。
公府の吏府である(公府の府吏?)。
六十九人。
上林宛
(前漢)
十人。
別説に籞所の数五とも言う。詳らかではない。
中興して省く。
(後漢)
苑中の禽獣を主る。民居、頗る有り、皆これを主る。その獣を捕え、
太官に送る。
一人、秩六百石。
一人。
一人。
五十八人。
(前漢)
兵器を藏し、弩射を主る。
詔獄の一つ。庫兵を治め、将相大臣を
鞫むことを主る。
黄門内に
寺があり。蠶室を有す。
一人。
二十人。
(後漢)
中興後省くも、
和帝永初九年、また置く。
一説に
黄門北寺獄と同一のものとも言う。竇武伝では両者は
都内獄と並んで別のものとされる。
また一説に洛陽に二獄有り、一つは若盧、親戚婦女を受けると主るという。
属官(後漢に置かれる)
鴻徳苑
桓帝が置く。少府の属かは不明だが、職は
上林苑と相似か。
属官(後漢・文属)
後漢において、ただ文書上のみ少府に属す。
前漢に於いては
加官であり、皇帝に親近する
中朝官で、
九卿には属さなかった。
(後漢)
無員、秩比二千石。(別説に秩千石)。
『周礼』の太僕は、漢の侍中のごとく、という。
左右に侍し、衆事を
贊導し、顧問応対を掌る。
駕の出に法り、則ち多識者一人が参乗し、余はみな乗輿車の後に騎在す。
もとは
僕射が一人有り、
中興して転じて
祭酒と為し、或いは置かず。
(前漢)
近苑囿を主る。
一人。
一人(五人とも)。
二人。
(後漢)
諸近池・苑囿・遊觀の処を典す。
宦者。一人、六百石。
一人、三百石。
四十人、
四十八人。
一人、二百石。
苑中離宮を主る。
一人
果園
一人、二百石。
果園を主る。
永安宮
北宮東北の別小宮の名。園觀を有す。
一人、三百石。
鴻池
鴻池、池名。雒陽東二十里に在。
一人、二百石。
南園
雒水南に在。
一人、二百石。
顯陽苑
有り。
濯龍園
園の名、北宮に近し。
一人、秩六百石。
直里園
園の名、雒陽城の西南角に在。
一人、秩四百石。
胡熟
園名か。不詳。
一人。
一人、六百石。
一人。
十三人。
六人。
(前漢)
天子の衣服を主る。
一人。
一人。
(後漢)
官婢の作る中衣服、及び補浣の属を典ず。
宦者。一人、六百石。
宦者。一人。
宦者。一人。
七人
三十人。
(前漢)
一人。
一人。
(後漢)
宮中の布張、諸衣褻物を掌る。
一人、六百石。
一人。
一人。
一人。
十九人。
(前漢)
禁の器物を作るを主る。
一人。
一人。
(後漢)
上の手工の御刀剣、諸好器物を作るを掌る。
一人、六百石。
一人。
十三人
六人。
(後漢)
中の諸小祠祀を典ず。
宦者。一人、六百石。
一人。
八人。
一人。
八人。
(後漢)
一人、千石。
凡そ
選署し、及び
尚書、曹文書の衆事を奏下することを掌る。
故は公がこれを為し、朝会で下陛奏事する。増秩二千石、故の銅印墨綬を佩くより。
一人、六百石。
尚書事を署す。令の不在にして則ち衆事を奏下す。
封門を主り、廩仮銭穀を授けることを掌る。
献帝、左、右僕射を分け置く。建安四年、榮邵を以って尚書左僕射に為すとの記事が見える。
六人、六百石。
武帝は、初め尚書四人を置き、分けて四曹と為す。
成帝、尚書を復して三公曹を加え、五人と為す。別説に、加えたのは僕射一人だとも云う。
世祖
光武帝、分けて六曹と為し、令一人、僕射一人と合わせてこれを八座と謂う。
(後漢)
二人。
三公の文書を典す。吏曹尚書を主る。
天下歳尽きれば、集課の事を典す。
(後漢)
世祖、常侍曹尚書を更名す。
選挙・齋祀を典じ、三公曹に属す。
霊帝末,梁鵠を選部尚書に為すという記事が有る。
(前漢)
郡国、二千石の事を主る。また刺史を主るとも云う。
(後漢)
中都官の水火、盜賊、辭訟、罪眚を掌る。
凡そ吏の上書の事を主る。
功作を繕い治め、監池、苑、囿、盜賊の事を典す。
(前漢)
外国、四夷狄の事を主る。
後に南主客曹尚書と北主客曹尚書に分ける。
(後漢)
天子が猟、駕にいづれば、、
御府曹郎これに属す。
一人、四百石。
文書の期会を掌録する。
吏民の章報及び騶伯史を主る。
臺中の綱紀を総典し,統べざる所無し。
一人、四百石。
印綬を仮し署し、及び紙筆墨の諸財を庫蔵に用いる。
右丞と僕射は、廩借銭穀を授けることを対掌する。
三十六人、四百石。一曹ごとに六人有り。
文書を作り起草を主る。
故事には、尚書郎は、令史を以って久しくこれの欠を補う。世祖、改めて
孝廉を用い
郎と為すことを始める。
尚書郎は、初め三署に従い臺試に詣で、初めて上臺し守尚書郎を称す、中に歳満みちて尚書郎を称し、三年、侍郎を称す。
羌胡の事を治めるを主る。(その治績が)劇なれば二千石、或いは刺史に遷り、その公なれば遷って県令と為る。秩満ちれば占県より去る。
詔書あれば銭三万と三臺祖銭を賜い、余官は則ち否。治めること厳かにして一月、公卿、陵廟に準謁して発する。
十八人、二百石。
書を主す。
一曹に三人有り。後(恐らくは
和帝永元三年七月)に増やして曹に三人、合わせて二十一人となる。
蘭臺、符節の書簡の精練した能吏から選び為す。
功滿ち未だ嘗て禁を犯さぬ者、以て小県,墨綬に補す。
(前漢)
一人。
一人。
(後漢)
符節臺の率を為し、符節の事を主る。凡そ使を遣わし授節を掌る。
一人、六百石。
四人。
古くは二人が中に在り、璽及び
虎符、
竹符の半を主る。
法律に明らかな郎を得るに当たる。
『周礼』掌節に「
虎節、龍節が有り、みな金なり。漢の銅虎符、則ちその制なり。」
『周礼』又曰く:「英簜を以てこれに輔す。」干寶曰:「英は、刻書也。蕩は、竹箭也。刻而して書、その使する所の事、以て三節の信を助ける、則ち漢の竹使符者、また則た故事に於いて取る也。」
二百石。
書を掌る。
(後漢)
一人、千石。
前漢には
御史大夫の属。
中興後、少府に属す。
御史を監し、密かに非法を挙げる。
献帝建安、
御史大夫を復し、
長史一人を置くも、中丞を領さず。
二人、六百石。
法律に明るき者を選びこれに為す。凡そ天下諸讞(裁判)の疑事、法律を以ってその是非に当たることを掌る。
十五人、六百石。
非法を察挙するを掌る。公卿・羣吏の奏事を受け、違失が有ればこれを挙劾す。凡そ
郊廟の祠及び
大朝会、
大封拜にては、則ち二人が威儀を監し、違失有れば則ち劾奏す。
また、二人が更直(当直)する。
省中に執法し皆百官を糾察し、州郡を督す。
公法府の
掾属の高第をこれに補す。初め守を称し、満歳で真を拜す。出でては治劇なれば刺史、二千石と為り、平なれば令に遷補す。
尚書、御史臺、皆、
官蒼頭を以て吏と為し、賦舎(賊舍?)を主る。凡そその門戸を守るなり。
六人、百石。
書、劾、奏、及び印を掌り、文書を主る。
(後漢)
無員、秩千石。後に増秩比二千石。
宦者、左右に侍し、内宮に従いて入り、內衆事を贊導して、顧問応対するを掌る。
(前漢)
一人。
(後漢)
宦者、一人、六百石。
省中の諸宦者を主る。禁門を曰く
黄闥、中人を以てこれを主らせる、故に號して曰く黄門令。
宦者。一人。
宦者。一人。
出入の従を主る。
十八人。
無員。六百石。
左右に侍従し、給事中を掌る。中外を関通す。及び諸王が殿上(中)に朝見すれば、王を引いて
座に就かしめる。
日暮に入り対し、青瑣門に拜す、名を曰く夕郎。
青瑣門は南宮に在す。青瑣とは、戸邊が青鏤也。一曰く、天子門内には眉が有り、格再重、裏青画を曰く瑣。
少帝中平六年、宦人の誅を以て侍中侍郎と改める。士人を置き、禁闈に出入したため。機事頗る露わとなる。
王允の奏によりその出入を尚書に比し、賓客を通さず。
宦者、無員。六百石。
左右に侍し、尚書の事を受け、上が内宮に在れば、中外を関通し、及び中宮已下の衆事を掌る。諸公主及び王太妃らが疾苦有れば、則ち使してこれを問う。
宦者。一人、四百石。黄綬。
宦者。一人、四百石。黄綬。
宦者。一人、四百石。黄綬。
宦者。七人。四百石。黄綬。
以上の署長、おのおの中宮の別処を主る。
宦者。一人、六百石。
中黄門の冗従を主る。居して則ち
宿衛し、門戸を直守す。出れば則ち騎従し乗輿車を夾む。
宂(冗)は、散なり。散従の官である。
(前漢)
奄人(
宦者)。
禁中に居り、黄門の内に在りて給事する者なり。
(後漢)
宦者、無員、比百石。後に増、比三百石。
禁中の給事を掌る。
一人?
宦舎、六百石。
一人。
一人。
六人。
三十四人。
(前漢)
武帝太初元年、永巷より更名する。
八人。
(後漢)
後宮の貴人、采女の事を掌る。
宦者。一人、六百石。
一人
一人
一人。
中婦人の疾病者がこの室の治に就くことを主る。その皇后、貴人が罪有れば、またこの室に就く。
百六十七人。
五人。
十人。
属官(前漢のみ)
前漢にて少府に属しながら、後漢に省、または他へ移動となった部署。
(前漢)
餅餌を主る。
一人。
一人。
(前漢)
擇米を主る。
一人。
一人。
三人。
考工室
作器械を作るを主る。「冬官、考工と為す。」
武帝太初元年、更名して
考工。
中興して
太僕に転ず。
一人。
一人。
弋射を掌る。
左弋は、地名。
武帝太初元年、更名して
佽飛と為す。
中興して省く。
一人。
九人。
二人。
武帝太初元年、更名して
保宮と為す。
後漢には名が見られず。
一人。
一人。
一人。
五人。
後漢には名が見られず。
一人。
一人。
後漢には名が見られず。
一人。
一人。
東織
一人。
一人。
西織
成帝河平元年、東織を省くに伴い、更名して
織室と為る。
中興して
御府令の下に移り、ただ丞のみとなる。
一人。
一人。
陵内の器物を作るを主る。それは凶器である故に、秘器と称す。
将作大匠下の東園より木材を得る。
後漢には官名が見られず、『礼儀志』下の大喪には「
守宮令が東園匠を兼ね」とする。
一人。
一人。
胞は庖に同じ。
宰割者(犠牲の肉を切る者)を主掌する。
後漢にて省く。
一人。
一人。
『三輔黃圖』は云う、「三輔、みな都水を有すなり」と。
一人。
一人
一人。
一人。
中書謁者令
漢初、中人には中謁者令があり、武帝が中書謁者令と改め、宦人を当てる。
成帝建始四年、中書の事から宦人を罷め、中謁者令に復し、僕射を省く。
一人。
(後漢)
中謁者があるが、祭礼と天子の使者としてのみ名が見える。おそらくは少府に属さず。令長は見られず、
僕射がある。
宦者
中興して省く。
一人。
七人。
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最終更新:2016年02月27日 09:43