学校・教育

[オープンリソースの「学校」セクション使用にあたってのお願い]
 以下、「学校・教育」セクションのデータを記載します。が、学校は例外がいくらでもある世界であると考えてください。
 学園ものは、長らく少年少女向けの創作の舞台としては花形なのですが、それだけに資料にとらわれず自由に作っていただきたい気持ちがあります。
 そのわりに詳細に記述しているのは、「普通のかたちが見えるほうが、破格や例外のものを書きやすい」と考えたためです。たとえば物語の中ではモブとして書き流されがちな普通の生徒が、どんなところでどんなふうに退屈な日常を送っているのかが、わかりやすくするためのセクションです。
 他のセクションもそうなのですが、情報にとらわれないよう使ってやってください。



学校制度


 学校運営は、基本的に現在と同じで私立学校と公立学校があります。
 公立学校は高校まで無償です。これは、出生率の伸び悩みを解消するために、長らく続いている制度です。
 ただ、中高一貫の私学は、高校受験を基本的にしなくてよいこともあり人気があります。

 22世紀の学校で、21世紀初頭ともっとも大きく異なるのは、入学時期が9月からになっていることです。
 日本企業も官公庁も、すでに4月に新卒一斉採用することがなくなっています。不定期採用が一般的になっているため、学校側も3月末卒業になるよう学期を組む必要がなくなったのです。

 また、欧米への留学が一般化して、それに合わせてスケジュール日本の学校教育も行うよう強い要望が出ました。これにより、9月入学が一般的になりました。
 私立学校を中心に、4月入学を続けている学校も存在します。公立学校は9月入学の学校のほうが多くなっています。比率としては、3:7くらいで9月入学のほうが多数派です。

 22世紀初頭の日本では、公的教育は小学校6年、中学校3年までが義務教育です。
 その後、高校3年か、大学4年間と続きます。大学院の過程の長さは過程などによってまちまちです。小学校・中学校・高校までは生徒として教えられることの多い立場、大学以降は学生として自主的に学ぶことを強く求められることは変わりません。



大学

 9月入学の流れに最初に対応したのは大学です。大学は早い段階で9月入学と4月入学の学校・学科に別れるようになりました。
 これは、元々4月から8月が前期課程、9月から3月が後期課程と、履修上前後期に別れていて対応がしやすかったためです。
 これによって、通年講義でも4月スタートの過程と、9月スタートの過程が存在します。これは学生側にとっても、通年講義を4月スタートすることが必須でなくなったため、休学して旅行やボランティア、あるいは学費稼ぎといった活動がしやすくなっていて、こうした活動は活発になっています。
 卒業論文をまとめて一時に見る必要がなくなったものの、年に二度卒論ラッシュが起こるため、教授陣の評判は半々です。

高校・中学

 大学の9月入学化の後、高校以下の教育機関も、それに合わせて9月入学の学校が増えました。
 そして、このために中学、高校の入学には、前の学校の卒業から半年間の時間が空くことが当たり前に発生するようになりました。
 この時間を利用して、旅行に行ったりアルバイトをしたりすることが推奨されています。
 予備校に通って勉強を続ける道もとる生徒も多数います。特に高校の進学校に入学する生徒は、遊んで学力を落とさないようこのときに基礎力を上げようとする選択もよくされています。ただ、どうしてもこの時期に遊んでドロップアウトする生徒も多く、籍としては卒業しているのですが、次の学校への入学までは以前の学校が監督するのが通例になっています。


ギャップタイム

 卒業後に時間が空く場合、この空いた時間をどう扱うかは、さまざまな選択がされるところです。
 職業訓練を行って将来の進路を考える機会が提供されたり、論文などを事前提出してワークショップに参加することも推奨されています。同時期にギャップタイムが発生するため、需要を見越してそうした講座はたくさんできています。
 ギャップタイムの講座は、経済的負担にならないよう、市や県といった自治体が行っているものもあります。特に国のワークショップには、国内外の著名な学識者を呼んでエリートへの関門となっているものもあります。全体的に見ると、公共機関の行うもののほうが安価で、競争率も高くなっています。(※)
 さまざまな業者が行っているもの、あるいは金銭収入と将来的な呼び込みをかねて大学が行っているもの、学習塾や業界団体が行っているもの、値段も趣旨もさまざまな講座が存在します。
 開始時期はまちまちですが、2週間から2ヶ月くらいのものが中心になります。

(※)人気のワークショップは書類審査や論文選考、面接、あるいは入学試験さながらに筆記試験を行うところろも少なくありません。



飛び級

 この時代の日本では、飛び級が存在し、そのタイミングも4月と9月です。
 飛び級には、学生本人の申請と、担当教師の推薦、飛び先学年の教師の推薦の、三つが揃っている必要があります。
 春休み前の3月と、夏休み前の6月に飛び級試験があり、これに優秀な成績をおさめると次の期から飛び級が認められます。
 飛び級は半年単位で行うことができます。このため、高校卒業と大学入学の時期がズレてギャップタイムが発生する(高校3月末卒業、大学9月入学のような)場合、大学入学のための半年飛び級してさっさと高校卒業してしまうようなことも、優秀な学生には行われています。




学期


 一年間のおおまかなスケジュールは以下のようになっています。
 ただ、学校ごとの裁量が大きく、だいたいの目安でしかないと考えてください。

[1学期]

9月中旬~12月下旬


 9月は入学式だけが早い時期にあります。
 実際の授業は中旬以降開始が基本です。
 開始時期がまちまちであるのは、1日から始めるとまだ暑くて「衣替えの時期が中途半端になる」こともあります。特に入学初年は、残暑の暑い時期に始まると夏服期間からすぐに冬服期間になり、経済的にもたいへんであることも考慮されています。
 夏服はたいていの学校で、希望者のみが着てもいいオプション的なものです。明確な夏服期間冬服期間はありません。

 部活紹介やオリエンテーションの頃、暑い日なら2年次以降は夏服のものが多めで、新1年生は冬服で暑そうにしている光景がよくある風物詩になっています。

 9月に入学が終わると、秋は学校イベントが数多くあります。
 クラス替えで学校生活に慣れた頃、9月のうちに健康診断や体力測定が行われます。
 生徒会のある学校では、生徒総会のような学生自治の年間計画を策定するイベントもこの時期にあります。
 登校指導や交通指導など、各種学校生活の手引き的なことも、安全のためこの時期に集中しています。

 体育祭は10月~11月に行うケースが多くなっています。中には学年末である5月頃に行う学校もありますが、後期過程(4月~6月)で行うと3年生は卒業しているケースがあるため、たいてい秋の内にやってしまいます。
 文化祭シーズンもその頃になります。秋は文芸、芸術系の部活動の活動発表やスポーツ系の大会も多く、AO入学を目指す学生には勝負の時期になっています。

 クリスマス前には学校は終わってしまいます。だいたい12月は20~22日終業です。
 地域ごとに始業、終業時期は差があります。沖縄では9下旬~12月下旬で、冬休みが短いです。北海道では9月上旬~12月中旬で冬休みを長くとります。

 学年最初の中間テストは10月後半、期末テストは12月始め頃です。



[2学期]

1月中旬~3月下旬


 2学期は学期自体の短さのため、学校行事も少なめです。
 行事が少ないため、修学旅行がこの時期に行われるケースがよくあります。
 文化祭を1学期に行わない場合は、この時期に行われます。学校の独自行事が行われる場合は2学期配置であることが多くなっています。
 教育実習も、余裕のあるこの時期によく行われます。
 生徒会が選挙で選ばれる場合、2学期に選挙で新生徒会を選んで3学期を引き継ぎ期間とするケースもよくあります。

 学期の短さのため、中間テストがなく期末テストだけです。これは3月初旬に行われます。

 学校が9月入学になっても、春休みは確保されています。官公庁や企業の年度は4月区切りのまま残っている部分もあり、転勤の区切りが4月であることがかなり多いためです。生徒も、2学期の終わり(3月まで)を区切りに転校するケースが22世紀になってもよくあるのです。
 この転校の準備に時間がかかる場合、申請を出すと一週間を限度に出席扱いにしてもらえます。



[3学期]

4月上旬~7月上旬


 3学期は温かくなって過ごしやすくなる時期ですが、受験シーズンです。
 生徒の進路指導もこの時期に行われます。

 この時期は部活動の活発なシーズンです。
 3学期の4月から6月頃に大会が行われる部活動もあり、これはAO入試に直結するため、特に強豪校では鬼気迫るものがあります。
 スポーツ系部活動は、屋内のものは大会が2学期(冬期)にあるものが多く、屋外のものは温かくなる3学期(春期)と1学期(秋期)に行われるものが多くなっています。
 文化系や芸術系でも、この時期の成績や実績がワークショップの受講資格取得に繋がっているケースが多くなっています。(参照「学校制度-ギャップタイム」)
 特に2年生の3学期は、春期が大会シーズンのクラブにとっては、たいてい最後の大きな舞台になります。部活動のカリキュラム的比重が大きくなっていることもあり、クラブ活動をしていれば活気のある時期です。(※)

(※)ただ、3年生が春期の大会に、受験シーズンになっても出ているケースもあります。この場合は、成績を出しても受験に間に合わないため、受験目的ではありません。それだけクラブ活動の比重が上がった結果、チームのため出場するケースです。

 9月入学の学校では、7月に入るとすぐに終業してしまうため、屋外のプールで水泳をカリキュラムで行うことはなくなっています。イメージとしては、22世紀の多くの学生にとって、夏は授業がない時期なのです。
 ただ、4月入学の学校では、授業を7月下旬まで行うため、22世紀現在でも水泳の授業があります。一般的には、かなりクラシックな学校のイメージとされます。

 5月中旬に中間テスト、6月末に学年末テストがあります。
 卒業式は6月末ないし7月初旬です。

 入試が4月~6月の間に行われるので、学校側はその受け入れのために定期試験を学年末試験のみしかやらないケースもあります。



カリキュラムの変遷


 22世紀の学校では、英語は第二共用語になっていて、小学一年生から教育が始まります。

 古文と漢文は、選択科目としてとる必要がなくなっています。
 そのかわりに、コンピュータプログラミングが中学校から必須科目になっています。これは義務教育時期からプログラムに触れさせることで、生活の必須インフラになっているネットワークの最低限度の知識を身につけさせるためのものです。

 いわゆる倫理教育では、社会奉仕のような行動を伴うカリキュラムが増えています。これは、21世紀を通して日本が高齢化と人口縮小、移民と、社会問題を抱え続けたからで、社会でそれと接触するトレーニングに児童教育から取り組んだためです。

 カリキュラムは、各学校で自主制をもってある程度組み立てることができます。
 これは、学校に柔軟性ができたのではなく、人工知能が学校行政に利用されるようになったためです。
 各学校情報を地域の教育委員会のコンピュータシステムに集約することで、現時点での進行で教育要綱をクリアできるか見込みを出すことができるようになっています。これによって、進行度と残り時間を管理できるため、その空隙に自主的なカリキュラムを挿入する余地を作っています。一学級が10人から20人程度であるため、生徒個々人に細かく指導達成項目を自動計算されており、教師がその理解度を把握しながら指導することになっています。(理解度を把握してもそれに合わせた指導ができるとは限りません。)
 人間の労働だけで構築するには事務作業の人手がかかりすぎる柔軟性が、自動化によってクリアされているのです。



部活動の位置付け


 高校での部活動は、部分的にカリキュラム化しています。
 部活動で一定の成績を上げると、内申点や単位のかわりとして充当することができるようになっています。
 出席日数が足りないけれどクラブ活動で優秀な成績を残した生徒が、一定ぶん必要日数を緩和される制度があるということです。どうしても苦手な教科があるケースでも、これで単位を充当して進級できたりします。こういう目こぼしは、スポーツの名門校などでしばしば行われていましたが、それが制度化したことになります。

 これは大学受験で、AO入試の占める割合が増えたことが大きな原因です。(※)
 学校側としては、一芸に秀でた人間を育てることが大学入試という高校にとっての成績になるため、奨励されています。日本社会が最終学歴を評価する社会であることは22世紀になっても変わっておらず、そこへ至るための過程として中学や高校を評価することも続けられています。
 その中でAO入試が重みを増やしたのは、学校行政側として、人口減少で児童の数が減りすぎているため、とにかく出来ない子供をふるい落とすのではなく、「なにがしかのかたちで社会に利するところを探す」ことが必要になったためです。
 その要望に対して、学校教育的カリキュラムに幅を持たせることに限界があるため、部活動の比重を上げるという苦肉の策をとることになりました。

(※)AO入試は、高校での成績や活動、面接や討論結果、自己推薦書が残っていますが、小論文は合格基準が厳しくなっています。これは、論文を人工知能が簡単に書けるようになっているためです。論文は、大学の卒業論文と同じく、面接で教授から厳しく口頭試問を受け、質問に答えることや討論することが必要になります。この口頭試問は、厳しい教授は(そもそも教育者として適性が低い人もいるため)卒論基準で突っ込んでしまうため、必ずフォローしてくれる試験管が付き添います。

 部活動の部分的カリキュラム化によって、この時代の部活動では、カリキュラムとして認められる可能性がある学校公認のクラブには、必ず顧問の教師がつくことになっています。これは、教育カリキュラムであるため評価者と監督者が必要になるためです。
 顧問の教師が、生徒内で不正などが行われていないこと、取り組みの様子などを監督し、指導しています。このため、クラブ顧問としてだけ非常勤で雇われている教師も存在します。(※)これは、スポーツ系のクラブのコーチにあたる専門の人員が、全クラブに存在するようなものでもあります。
 単位認定については顧問教師が職員会議で推薦を行います。これは部活動に対して詳細な指導要綱がないためですが、顧問教師の裁量が大きく、その公平性に疑問を挟まれることはよくあります。特に、顧問の教師自身もその部の活動内容にくわしくない場合、生活態度や部活内でもめないこと、顧問受けといった活動内容にさほど関係ないこと評価を分けることになりがちで、強い疑いをかけられることがしばしばあります。このため、顧問の教師が恣意的な基準で容易に単位を出さないよう、推薦に値する活動があるのか監査がしばしば行われます。このため、あまり熱心ではない顧問は推薦自体を行わず、部活動で単位をとれるシステム自体が形骸化しているケースは少なくありません。

(※)こうした専業顧問はほとんどが自給労働者です。ただ、質のほうはまちまちで、教師の身内のパートタイム労働であることもあれば、その道の専門家がやってくることもあります。

 ただし、部活動を行わないことももちろん認められています。
 大学入試の中心は今でも学力試験であり、塾や予備校に通うことの邪魔になることは奨励されていません。



就学以前の教育


 保育所や託児所といった子供を預ける施設は、22世紀には充実しています。
 これは、hIEを利用するのが簡単であるためです。

 子守はユーザーにとって重労働で、登場当初でも大きな需要があったため、hIEの需要のごく初期から膨大なプログラムが積み重ねられていました。
 しかも、人間がやると重労働なのですが、hIEにとっては家事労働の延長です。特別に強度が必要だったり環境として過酷だったりする労働ではありません。
 このため、代理労働契約を結んだhIEが多数託児所や保育所では働いています。こうした施設は、利用料が安価で、家庭の事情でhIEを買えない、子供の世話のためだけにhIEを購入することに忌避感があるといったユーザーに、安価でサービスを提供しています。(地域によりますが東京で2万円/一ヶ月[20日・1日8時間]程度の値段感です)子守用のカスタムクラウドは多くの需要に支えられて高性能で、間違いが起こる可能性もむしろ人間が育てるより低くなっています。

 幼稚園では、人間の労働者のほうが多くなっています。
 これは、hIEの教育クラウドが作成困難であるためです。特殊なカスタムクラウドが人工知能と連動しているケースもありますが、基本的には、hIEは教育用途人工知能や学習補助ソフトウェアの人間型の再生媒体です。
 そして、小さな子供を持つ親たちは、幼児教育に期待する人間性の基礎を育む教育を、人工知能にさせることには抵抗を持ちがちなのです。

 これは、人工知能やhIEでの学習効果が、実際に人間と比べて大きく違った時期があることからの歴史的な刷り込みでもあります。22世紀現在では、どちらに向いているかという個人差程度です。




学校におけるhIE利用


 学校では最低限度のhIEしか使用されていません。

 教育補助は、クラウドよりも人工知能のほうの得意分野です。このため、hIEの教育利用とは、人工知能を搭載した知育教材をhIEに使用させることになります。
 ですが、特に公的教育を人工知能に丸投げすることは、教育行政以外の面から政治的に問題になるため、行われる道が現状ありません。だから、22世紀初頭でも、学校教師はhIEにアウトソースされていない労働なのです。

 教育をカスタムクラウドで行うと、教育効果が画一化されると考えている人々もおり、この考え方は多くの保護者に支持されています。
 警備員や校務員といった教師以外の労働では、hIEがよく利用されています。

 hIEは、監視機器の塊であるため、生徒所有のhIEであっても、教室などの学習の場に入れることはできないのが普通です。
 これは、人間型ロボットの登場当初、ロボットに記録させた音声や映像をネットワークにアップロードする事件が頻発したためです。これが大問題になり、生徒プライバシーに配慮して学習の場への持ち込みが禁止されることになりました。

 学校には必ずhIE用の駐機場があって、ここに待機させることになっています。21世紀初頭でたとえるなら学校にバイクを持ってくるのと同じあつかいで、一定の置き場に放り込まれて、授業時間中は接触させないのが基本です。
 駐機場は屋根があって雨風防げるようにはなっていますが、広さによっては詰めこんだ全機を立たせたまま待たせることも少なくありません。

 学校清掃などを教育としては生徒にさせない学校が、特に進学校では増えており、こうした学校ではhIEが使われることがあります。ただ、思春期の抑圧された少年少女にhIEを近づけることで、hIEが身体を触られるなどの被害に遭うことがあり(※)、非人間型のロボットを使うケースが多くなっています。

(※)hIEはセンサーのかたまりであるため映像や音声ログが残っており、生徒の言動を再生できるためすぐに露見します。親が学校に呼び出されて、ログを再生されて注意され、生徒が一生忘れないほどいたたまれない思いをする事案がしばしば起こります。そしてこういうとき、親側は高い割合で、hIEを思春期の少年少女のそばに置いている学校側を非難するのです。

 特に、性的サービスクラウドを利用可能なhIEを学校敷地内に入れることは、どの自治体でも必ず条例で禁止されています。それでも、年に十件程度は必ず持ち込み事件が起こり、報道されています。(※)

(※)届け物をするために学校敷地に入るくらいのことは目こぼしされているため、そうした方法を悪用する事例が多いのです。




学生達にとってのhIEの位置付け


 学生達にとって、hIEの位置づけは、社会における位置づけとは少し違っています。
 学生達は、実家が商売をしているのでもない限り、あまりhIEによって生活を脅かされる実感があるわけではないのです。

 また、hIEは乗用車一台ぶんくらいの値段感の商品です。100万円のものを中高生に持たせる親なんてそうそういないわけで、学生には手の届かない高額商品です。
 ひとり暮らしのおとなには、覚悟を決めればわりと簡単に手が届くものですが、親と暮らしている中高生が買うには高額すぎるのです。

 このため、中高生くらいまでは、学校の人間関係にhIEの居場所がありません。
 なので、学級の人間関係として「(異性型hIEとの関係と比べて)人間同士の男女関係のほうがステータスが高い」場合が圧倒的多数です。これは友情、恋愛関係ともにそうで、思春期の男女は人間の恋人を持ちたがります。99%はそうなります。

 なので、たとえ、身近に美しいかたちのhIEがいても、中高生の時期の恋愛は、人間の異性間で行われます。
 異性型のhIEを連れている子が「もしも告白を受けて相手を振り」でもしたら、「hIEと付き合っている」と、あらぬうわさを立てられます。それが原因でいじめに発展するケースもあります。
これはどの世代でもよくあるので、女の子を持つ親は、hIEを買い与えるとき、護衛としての能力が落ちても女性型を選ぶほうが多いほどです。

 つまり、学生の社会の中(※)での"一般的な感覚"では、やはりはっきりと異性の姿をしたインターフェイスと、人間の異性との間には、差異を感じられています。
 hIEに関する偏見や嫌悪は、中高生くらいまでの間の経験で植え付けられているケースがすくなくありません。

(※)スクールカースト的な学生間の社会での階層化と抑圧は、22世紀にもなくなっていません。

 このhIEよりも人間関係のほうを格上と子供達が見る傾向は、少子化の問題を常に抱えている社会にとっては利のある方向性です。なので、学校教育もそちらを常識として助長しています。
 日本ではhIEにそこまで偏見はないのですが、他の国ではそうでないケースもあります。子供がhIEにべったりになりすぎることに、親が危惧を持つというのは、世界的によくあることなのです。

 実際には、子どもたちに「人間社会のモデルのコア」を植え付ける場として、学校は機能しています。
 生徒に対してオープンにはされていないのですが、インタフェースから引き離すこと自体も、学校教育のひとつの目的になっています。
 これは、一般家庭に、すでにhIEが多数入っていて、物心ついたときにはhIEが側にいる世代のことを、政府が危惧しているためです。22世紀現在、独身自体からhIEを引き連れていて、子守をさせている家が多くあります。こうした家の家庭では、母親のかわりにhIEに育てられた子供が多く、こうした子供が大人になった世代の特殊出生率が下がることを、政府は不安視しているのです。

 環境を作って、人間関係の経験を積ませること。人間関係を構築するために必要な能力を養わせること。おとなになっても続くような人間関係を築かせること。すべて、学校の大きな役割なのです。
 なので、今の学校に比べて、コミュニケーションワークの時間は格段に大きくとられています。



学習塾や習い事におけるhIE利用


 教育現場におけるhIE利用は、塾のほうが圧倒的に進んでいます。
 塾で利用されることが多いのは、21世紀初頭でいう公文式のような繰り返し学習が、教育のひとつのパターンとして確立されているためです。
 教育の方法によっては、hIEでも高い教育効果を上げるものがあります。こうしたノウハウの積み重ねを武器にして学習塾では教育を行っており、それは実際に効果をあげています。

 教育現場におけるhIEの位置付けは、教育用途人工知能や学習補助ソフトウェアの人間型の再生媒体にすぎません。
 ですが、人間の教師を生徒ひとりひとりに長時間つけることは困難です。
 このため、質の高い指導を短時間生徒に行うことよりも、質は並でも長期間指導を行うことのほうが有利になるジャンル(あるいは指導上での局面)では、hIE指導者のほうが成果を上げることがあります。

 この長時間の指導の利点は、子供に投資する保護者にとっても訴求力があり、人工知能と連動した独自のカスタムクラウドを用いる学習塾チェーン、英語教室、音楽教室といったものが多数存在します。






[NOTE]縦のミームと横のミーム


 この時代の学生達にとっても、非常に世界は狭いものです。
 特に高校までの生徒にとって、学校は彼ら彼女らの世界のすべてであるかのように見なされます。
 これは22世紀になって、誰もが持っている端末が飛躍的に高性能になっても、hIEがうろつき回る世界になっても、人工知能の能力が人類を超えても変わりありません。

 学校は、子供達にとって、家や企業組織のような縦の関係ではない、横の連帯を作る数少ない機会です。
 学校は、同年代の人間のみが集まる、特殊な場所であり続けているためです。
 そして、切り離された特殊な場所であるため、世間の狭さがつきまとい続けます。狭い世界の中で追い詰められて自ら命を絶ってしまうような事例も、22世紀になってもなくなっていません。

 子供達にとって、学校は、抑圧的な縦の関係(ドメスティックな関係)から一時退避できる場所であり続けています。
 そこは、友情を発揮しやすく、愛情を養ってもよい場所です。成長を待ってもらえて、今すぐ仕事を割り振られるわけではない猶予期間です。
 学校は22世紀になっても、人間同士の「横の連帯」の原風景であり続けています。
最終更新:2014年08月09日 18:23